第9話 居場所
どれだけ時間が経ったのだろう目が覚めると、どこかで見た事があるような天井が見えてきた。
ここはどこだろうそう思い体を動かそうとすると全身に痛みが走った。
しばらく動かないで居るともの凄く近い所から寝息が聞こえてくる。
そして右腕には何かとても柔らかい物を感じた。
少しだけゆっくり寝返りをうつと目の前に円さんの寝顔があった。
そして腕に当たっていたものは円さんの形の良い胸だった。
そして良く見ると円さんは裸だった。
思わず仰け反ると全身に激痛が走り思わず声を上げてしまった。
「うぐぅぅ……あっぁぁぁぁ……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
痛さで呼吸が荒くなる。
少しでも息を大きく吸い込むと、また痛みが走った。
「痛っぅぅぅ……」
堪らず目を瞑り呼吸を整える。
再び目を開けると、円さんも目を覚ました。
「無理に動いたら駄目よ」
「ここは?」
「私の部屋」
私の部屋?
と言う事は円さんのマンション?
見た事があるような天井のはずだった。
しばらく何も考えずに腹式の深呼吸を繰り返すと体がだいぶ楽になってきた。
幼い頃から姉にサンドバックにされてきたので打たれ強い体になっていたのだろう。
体が楽になり頭がはっきりしてくると今の状態は拙いと思い体をそっと動かすと円さんに抱きしめられた。
「動かないの」
「円さん、何で裸なんですか?」
「私、寝る時はほとんど下着1枚だから。コオロギには全部みせたでしょ」
いや、確かにあれは不可抗力で見たくって見た訳ではなく。
「コオロギの体も全部見せてもらったから」
「へぇ?」
一瞬、頭の中が真っ白になる。
腕を持ち上げると確かにパジャマを着ていた。
汚れた体を拭いて手当てをして着替えさせてくれたのだろう。
しかし、何で円さんのマンションに居るのかが判らなかった。
「ねぇ、コオロギ聞いて良い?」
「なんですか?」
「なんでこっちを向かないの?」
「恥ずかしいからです」
「あっそ」
円さんが寝返りを打って顔を背けたのが判った。
仕方なく体を少し起こして円さんの方を向けて自分の右腕を枕にして顔を少し上げて、円さんの鼻を左手で摘んだ。
「なに拗ねているんですか?」
「コオロギが大嫌いだから」
もうこんな布一枚で密着状態になってしまったら照れていてもしょうがないだろう。
「僕は円さんの事、大好きですよ」
「何で面と向って言わないの?」
そう言いながら円さんが眉間に皺を寄せて僕を睨んだ。
「恥ずかしいからです」
少し意地悪に言うと円さんが少しだけ奥歯を噛み締めるのが判った。
円さんの口元を見ると少し痣になっている、母に平手打ちされた為だろう。
「痛くないですか?」
「少しだけ」
「痛くなくなるおまじないをしてあげます」
僕がそう言うと円さんが少し怪訝そうな顔をした。
「大好きです」
そう言って口元に軽くキスをした。
「ちゃんとして」
円さんに言われ優しく口付けをすると円さんの体が小さく震えていた。
声を掛けようすると円さんが抱きついてきた。
「死んじゃったかと思ったんだから……」
優しく抱きしめると円さんは僕の胸に顔を埋めて泣いていた。
円さんがそう思ったのも仕方がないのかも知れない血反吐を吐くまでボロボロにされたのだから。
「ゴメンなさい」
僕にはこんな言葉しか思いつかなかった。
すると枕元にあった円さんの携帯が鳴った。
「もしもし、俺だ」
「デスク、何の用だ」
その電話はデスクの嵐山さんからだった。
何となく聞こえる話の内容は僕が一度も会ったことのない山之内さんが誰かにお金を掴まされて嘘を付いて休みを取ったとかそんな内容だった。
「今日は無理だ。明日の午後顔を出すから、ああん? コオロギ? ここに居るぞ」
円さんが僕に携帯を突き出した。
「デスクですか? ご迷惑をおかけしてすいませんでした」
「コオロギ、明日、アリスと一緒に会社に顔を出せこれは命令だ。良いな」
「えっ、僕も円さんも会社を」
「文句なら明日聞いてやる。いいな」
返事をしようとすると円さんが急に体を起こした為に体に痛みが走った。
「痛ったぁぁ……」
「おい、コオロギ大丈夫なのか? アリスに襲われてないだろうな」
「ははは、デスク。円さんは……」
そこで円さんが携帯を僕の手から奪い取った。
「誰が襲うか、クソ親父!」
携帯を切って円さんが携帯を投げ捨てた。
溜息をついてゆっくりと体を起こすと部屋の中に違和感を覚えた。
「円、起きたの?」
不意に部屋の外で女の人の声がするといきなり部屋のドアが開いて、グレーのカットソーに黒いパンツルックでエプロンを付けたとても綺麗な少し年配の人が顔を出した。
「また、こんなに部屋をちらかしてしょうがない子ね」
「…………」
何が起きているのか判らず僕が固まっていると背中に柔らかいものが押し付けられ、後ろから円さんが抱き付いてきて僕の肩に顎を乗せた。
「母さん、もう良いから」
「ちゃんとしなさい」
「へぇ? ま、円さんのお母さん?」
僕は裸の円さんに後ろから抱きつかれてベッドの上にいる。
普通ならあり得ない状況を円さんの母親に見られてしまっている状況に何も言えず俯いてしまった。
「うふふ、可愛らしい。真っ赤かよ、あなたがコオロギさんね。円から話は聞いているわ、とても優しくって身の回りの世話をしてくれる素敵な男の子と暮らしているって。体の方は大丈夫かしら?」
「は、はい……」
「もう驚いちゃった。円が泣きながら電話をしてきて『コオロギが死んじゃう』って、マンションに来てみたらボロボロのあなたが寝ていて体を拭いて簡単にだけど手当てをしたのだけど」
「あ、ありがとうございます。体は何とか大丈夫みたいです」
「円ったら恥ずかしがって手伝おうともしないのよ。こんながさつで仕事以外何も出来ない娘ですが宜しくお願いね」
円さんは何も言わないので気になり円さんの方を見ると顔を真っ赤にして僕を抱きしめる手に力がはいっていた。
「こんな格好で大変失礼だとは思いますが。挨拶が遅れて申し訳御座いません。僕は香乃木 進と言います。若輩者ですがこちらこそ宜しくお願い致します」
今の僕には誠心誠意頭を下げる事しか出来なかった。
「いえいえ、とんでもないわ。とても礼節をわきまえていらっしゃるのね。これで私も肩の荷を降ろせるわ。円、お粥を炊いてあるから香乃木君にちゃんと食べさせてあげなさい。良い事」
「うん、判った」
「それじゃ、私はこれで失礼するわね」
円さんのお母さんが笑顔で軽く会釈をして手を振りながら部屋から出て行った。
「円さん似の素敵なお母さんですね」
「うん」
円さんが僕を見つめゆっくり顔を近づける。
「うふふ、ありがとう。コオロギちゃん。ラブラブね。バイバイ!」
帰ったと思っていた円さんお母さんがドアから顔を出してそんな事を言って走り去った。
僕と円さんは真っ赤になって俯いてしまった。
円さんのお母さんの笑顔は悪戯っ子みたいな円さんの笑顔に良く似ていた。
「あの、もしかしてお母さんが部屋を片付けていたんですか?」
僕が違和感を覚えたのは円さんの部屋がお世辞にも綺麗に片付けられて居るとはいえなかったからなのだ。
「うっ、だって嫌われると思ったから……」
「僕の体を全部見たのも嘘なんですね」
「ご、ゴメンなさい……」
円さんが俯いてシュンとしている。
僕の人を見る目が無いのが良く判ったが円さんがとても可愛い女の子なんだと言う事は見抜けていたみたいだった。
円さんが愛しくなり頭をやさしく撫でた。
「こんなに可愛い円さんを嫌う訳ないじゃないですか」
蒸気が噴出するようなと音が出るくらい円さんが真っ赤になって床に置いて? あったシャツを羽織ると部屋を飛び出してしまった。
しばらくすると円さんがお粥を持ってきて、食べさせてもらいながら僕が実家で気を失って倒れた後の事を聞いた。
「香乃木 進、あなたを楿流古武道宗家より破門いたします」
「ええ、お母様。それじゃ進は?」
一美が双葉を抱き起こし唖然としている。
「跡取りとは認めません」
「でもそれじゃ……」
「あらあら。ご自分達が言った言葉は忘れていないでしょうね」
そう言われて2人の姉は息を飲んだ。
「一美は自分が継げば良かったと、双葉はギッタンギッタンのボコボコにして進を追い出すと。そして三波は私が結婚すれば良かったと言いましたよね、確か? ねぇ、三波」
薫が縁側に立つ三波に微笑みかけると三波はガタガタと震えていた。
「こうなった大本の原因はあなた達3人が進を弄り倒した結果でしょ。少しは責任を取りなさい、これからが楽しみだわ」
薫の高笑いと一美・双葉・三波の絶叫が庭に響き薫が円と進に歩み寄ってきた。
「円さん、車を用意させますから進を連れて帰りなさい。こんな頼りの無い馬鹿息子ですが宜しくお願い致します」
薫が円に深々と頭を下げた。
そして今、僕は円さんのマンションに居る事が理解できた。
昔から母は物事を達観して楽しむ癖があった。
厳しさの中にも何事も楽しんでしまおうとする母の笑顔を思い出した。
翌日、僕は円さんに無理矢理病院に連れて行かれて精密検査を受けさせられた。
検査結果は肋骨にひびが少し入っているが打撲のみで他は異常無しとの事だった。
「夫婦喧嘩も程ほどにな」
なんて事を医者が言って
「俺はヒグマか獰猛な猛獣か!」
と円さんが医者に殴りかかるのを必死に止める一幕もあったが病院を後にしてインフィニート出版に向う。
「なぁ、コオロギ聞いても良いか? コオロギのお袋さんが『今度は2人で遊びにいらっしゃい』って言っていたがあれはどう言う意味だ?」
「そのままだと思いますよ」
「でもお前は……」
「楿(かつら)財閥を継ぐには楿流古武道宗家の師範である事が最低条件なんです。僕は楿流古武道宗家を破門され跡継ぎの資格を失った。でも香乃木家を絶縁された訳じゃない、たぶん母は姉さん達に継がせる気だったのじゃないですかね。母に直接聞いた訳じゃないので母の本意は判りませんが。今頃姉達が大騒ぎしていると思いますよ」
「そうなのか」
「はい、今度はきちんと母に紹介しますから一緒に遊びに行きましょう」
「あ、ああ。そうだな」
円さんが少し赤くなった気がしたが何で赤くなったのか判らなかったので僕は歩き続けた。
インフィニート出版の大きなビルに入ると僕が始めて円さんに連れられて来た時より大騒ぎになった。
それは大騒ぎというよりインフィニート出版に激震が走ったという方が正しいのかもしれない。
インフィニート出版の従業員が右往左往して上へ下への大騒ぎになってしまった。
「嫌ぁぁぁ! ま、円さんが……」
「わ、私の円様が壊れた!」
「マヤ暦が終わるより早く地球が滅亡する」
なんてとんでもない事が聞こえてくる。
なかには円さんを見ただけで腰を抜かす女性社員も居るくらいだった。
円さんは顔を引き攣らせながら歩いている。
僕は円さんの少し後ろを円さんの顔を見ながら歩いていた。
不思議な事に傷だらけで包帯やガーゼーで半分ミイラの様な僕には誰も目を向けなかった。
編集室に着くと直ぐにコーヒーを飲んでいる鳴滝さんが見えた。
「おはようございます」
「オース」
「ブフォォォォォッ ゲフォ、ゲフォ、ゲフォ……」
鳴滝さんが盛大にコーヒーを噴出して立ち上がり唖然としている。
「編集長、素敵!」
絶叫しながら三つ編みメガネの宇多野さんが目をまん丸にしてお腹を抱えて爆笑した。
「編集長、目線下さい」
山男の常盤さんが一眼レフを構えて指を鳴らして野太い声で言った。
そして円さんの我慢が限界を突破した。
「て、テメエら! お、俺がワンピース着たらそんなに可笑しいか? どいつもこいつもぶっ飛ばしてやる!」
円さんは僕がプレゼントした。黒いペイズリー柄のワンピースを着て出勤しただけでこの大騒ぎになってしまった。
デスクだけが僕を見て心配そうに声をかけてくれた。
「大丈夫なのか? コオロギ?」
「ご心配とご迷惑をお掛けしてすいませんでした」
「いや、そんな事はどうでもいいが。そのボロ雑巾みたいな怪我はどうしたんだ?」
「円さんと実家を出る為に百人組手みたいな事を」
「無茶しやがって、治るまで仕事は休んでいいぞ」
「大丈夫です。これからも宜しくお願い致します」
デスクに深々と頭を下げた。
顔を上げて入り口や廊下を見ると円さんのワンピース姿を見ようと黒山の人だかりが出来ていた。
「おい! 円。いい加減にしろ!」
デスクが声を上げると一瞬で静かになり円さんがデスクを睨み付けた。
「い、今。な、なんて呼んだ? クソ親父」
「お前が女の子の格好で仕事をするならアリスじゃなく円と名前で呼んでやる」
「2度とワンピースなんか着るか!」
「良いのか? そんな事を言ってそれは誰にプレゼントしてもらったんだ?」
「そ、それは……ごにょごにょ……」
「ああ? よく聞こえないが?」
「こ、コオロギに……」
円さんが真っ赤になり俯くと地鳴りの様などよめきが起こり、円さんが暴走し始めた。
「俺様は、見世物じゃねぇ! どいつここいつも散りやがれ!」
「おい、コオロギ。お前しか止められないぞ」
「はぁ~しょうがないなぁ」
溜息をついて円さんの側に行く。
「円さん、少し落ち着いてください」
「み、皆。俺の事を馬鹿にして」
「馬鹿にしている訳じゃないでしょ。円さんがワンピースだから少し驚いているだけですよ」
「もう、2度と着ない」
「そんな事言わないでくださいね。凄く似合っていて可愛いですよ」
「か、可愛いって……下僕のコオロギの責任だからな!」
円さんがもの凄い顔で僕を睨み付けた。
構わずに円さんの手を握った。
「良いですよ、僕の責任で。僕の命尽きるまで円さんの下僕でいますから」
気が付くと編集室が水を打った様に静まり返った。
円さんは何を言われたのか判らない様な顔をしてポカンと僕の顔を見ていた。
「そ、それは、プ、プロポー……」
「命尽きるまで円さんの下僕で居るって言ったんです。駄目ですか?」
「駄目じゃない、いつまでも一緒にいてください」
円さんにキスをする。
円さんの瞳から涙が溢れ、僕に抱きついてきた。
轟音の様な歓声が上がり。
本日2度目の激震がインフィニート出版に走った。
そしてアリスとコオロギの新しい日々が始まった。
アリスとコオロギ・完
最後までお付き合いいただきましてありがとう御座いました。
アリスとコオロギ 仲村 歩 @ayumu-nakamura
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