第4話 百貨店

翌日の日曜日。

僕は円さんに連れられて大きな百貨店に来ていた。

何でも僕の身の回りの物を買う為だって言っていたけれど。

とても嫌な予感がして丁重にお断りしたら烈火の如くもの凄く怖い顔をされて却下された。

当の本人は僕の気持ちを知ってか知らないでか僕の横でエスカレーターに乗りながら楽しそうにしている。

円さんのハミングが流れてきた。

「シューベルトの野ばらですか? 楽しそうですね」

「あれ? コオロギは楽しくないのか?」

「楽しくなくはないですよ」

「微妙に、嫌な言い方するんだな。俺と一緒が嫌なの?」

「無理矢理が嫌なんです」

「あっ、そう」

円さんがそっぽを向いた。

誰が見ても拗ねているのが判る。

ん? 判らないかも。

円さんの性格がいまいち良く理解できない。

まぁ、出会ってからまだ3日目だから判る方が不思議なのかもしれない。

僕はありのままで向き合うしか出来ないんだと思った。

「円さん、行きますよ。そっぽ向いていたら危ないですよ」

「ああ、うるさい。コオロギに言われなくても判っている」


男物のフロアーに着くと円さんの目が爛々と輝き出した。

キョロキョロしながら何かを見つけて突撃していった。

「おい、コオロギ。これ着てみろ」

円さんが手に持っていたのは紳士物のスーツだった。

「嫌です。七五三みたいになるから」

「俺が着ろと言っているんだ。着ろ、判ったな」

はぁ~円さんに逆らえる訳が無く試着室でズボンを穿きスーツに袖を通して試着室のカーテンから顔を出した。

「着替え終わったか? どれ見せてみろ」

僕がカーテンを開けた瞬間、円さんのこめかみがひくひくと痙攣して笑いを堪えているのがわかった。

「笑って言いですよ。慣れていますから」

すると円さんが堪らずお腹を抱えて大笑いし始めた。

やっぱり笑われた。

僕は直ぐにカーテンを閉めて着替えた。

「本当にコオロギはスーツ似会わないな」

「仕方が無いじゃないですか。僕は円さんみたいに背も高くないし童顔ですから」

買い物をしながら色々な服を着せられて買い物をしていく、一通り買い物をして円さんと他のフロアーも見て回る。


婦人服のフロアーを歩いていると円さんが何かを閃いた様に僕の顔を覗き込んだ。

それは悪魔の笑顔だった。

冷や汗が一筋流れて背筋がぞっとする。

その場に居るのが嫌で歩き出すと円さんに腕を掴まれた。

「コ・オ・ロ・ギ、逃げるなよ」

僕の予感が的中した。

フロアーを僕の手を掴んで引きずり回って、やっと止まったと思ったらフリフリのフリルやレースが沢山ついているワンピースを僕の前に円さんが突き出した。

「俺が言いたい事判るよな」

「苛めだ……」

「苛めているんだ」

僕はある意味、円さんに拾われて円さんの家に置いてもらっている。

実家に帰ればいい事なのだが今だけはどうしても帰りたくなかった。

自分の気持ちを押し殺してワンピースを受け取りフィッティングルームに入り着替えをする。

幼い頃の事が頭に浮かんできた。

僕には3人の姉がいる、少し歳が離れている事もあって僕はまるで動くオモチャのように遊ばれていた。

それはけっして僕の事が嫌いじゃないのは判るのだが、子どもの頃から体が小さかった僕は着せ替え人形の様に姉達に扱われていたのだ。

着替えを済ませてカーテンを開けると円さんが楽しそうに僕の事を見ていた。

「コオロギ似会ってるぞ、メチャ可愛いぞ」

「……もう良いですか」

カーテンを閉めて自分の服に着替える。

段々自分が情けなくなってきた20歳にもなって子どもの頃となんら変わらない事をしている。

今も昔も姉達からは「だから進ちゃんは駄目なんだ」と言われ続けてきた。

奥歯をグッと噛み締めて堪えていたがカーテンを開けると円さんが別のワンピースを持って笑っている、姉達が蔑んで僕を見る笑顔とダブってダムが決壊したように我慢していた物が一気にあふれ出した。

悔しくって止め処も無く涙が溢れてくる、僕はクシャクシャの顔になりながらフィッティングルームを飛び出した。

泣いている僕の顔を見て慌てて止めようとした円さん手を振り解いて走り出していた。

どこをどう走ったのか判らないが僕は気付くとフロアーの奥にあるトイレで声を上げて泣いていた。

「う、くぅぅぅ ひっく ひっく うぅぅぅぅぅ……」

トイレの中に自分の鳴き声と嗚咽がこだまする。

泣いている自分に、我慢できなかった自分に腹が立ち拳をトイレの壁に打ちつけた。

ゴンと鈍い音が響いて拳の皮膚が裂けて血が滲んだ。

その瞬間、トイレのドアが勢い良く開いて円さんがトイレに飛び込んできて僕の体を後ろから抱きしめた。

「止めろ! 俺が悪かった。だから自分を傷つけるのは止めてくれ。お願いだから」

ポタポタと温かい物が僕の頭に落ちる、円さんが泣いている。

そう感じた瞬間体から力が抜けて僕はトイレの床にしゃがみ込んでしまった。

そして体からすーと何かが抜け落ち、ザワザワと波立っていたものが風の無い湖面の様に静まり返った。

しばらくトイレの床に2人でヘタレ込んでいた。

僕の体を抱きしめている円さんの手を触ると少し驚いたのかビクンとしたが構わずに優しく握り締めた。

「円さん、取り乱してすいませんでした。子どもの頃に姉達に着せ替え人形にされたのがフラッシュバックしてパニックになちゃいました」

「そっか」

円さんの手を解き振り返って円さんの顔を見ると涙がまだ少し流れていた。

僕はそれを指で拭った。

「円さんに涙は似合わないです」

すると円さんが僕の側頭部を両手で押えてヘッドバットをしてきた。

「俺の下僕が偉そうな事言うな。置いていくぞ」

そう言いながら円さんが笑顔に戻り立ち上がった。

おでこは痛かったけれど円さんが笑顔でいるのならそれでいい気がして僕は円さんの後についてトイレを出た。

トイレを出ると円さんが僕の右手首を掴んで上着のポケットからハンカチを出して、血が滲んでいる僕の手に優しく巻いて縛ってくれた。

「ありがとうございます」

「今度、また自分を傷つけてみろ。俺が殴り飛ばすからな」

「判りました。円さんの命令なら従います」

「あの、な……」

円さんが初めて自分から言いかけて止めたので不思議に思って円さんの顔を見ると少し困った様な顔をしてごによごにょと何かを言って居るように見えた。

「円さん、どうしたんですか?」

「仕方が無い。コオロギの願いを1つだけ聞いてやる。その、泣かせてしまったお詫びにだ。1つだけだからな」

「何でもですか?」

「何でもだ。ノーとは絶対に言わない」

なんだか初めて円さんが照れているのを見た気がして、円さんには悪いけど嬉しかった。

円さんの手を取って歩き出すと円さんの顔が赤くなっていた。

「それじゃ、行きましょう。ほら、そんな赤くなってないで行きますよ」

「お、俺は赤くなんかなっていないコオロギの目がおかしいのだ」

「そう言うことにしておきましょう」


円さんの手を握りながら、何をしてももらおうかと考えながらフロアーを歩いているとマネキンが着ているワンピースに目が留まった。

そのワンピースは黒の落ち着いた感じのペイズリー柄の長袖で胸元が少し大きめに開いた膝丈のとてもシンプルなワンピースだった。

僕は円さんのスカート姿を見た事が無かった。

職場ではスーツにパンツだし今日もジーンズにパンプスを履いてパリッと糊の効いたピンストライプのシャツに茶系のジャケットを着て軽そうな黒いハーフコートを羽織っていた。

それはそれでスタイルが良くて背の高い円さんの事だから誰が見ても振り返るくらい綺麗で素敵なのだが。

「あれを試着してください」

「えっ? コオロギあれはワンピースじゃないのか?」

「ワンピース以外に何に見えるんですか? 円さんなら似合うと思いますよ」

その時、僕には理由は判らなかったが円さんがとても躊躇っているように見えた。

「コオロギあれはちょっと」

「ええ、円さんが僕に嘘ついた。ノーて言わないって言ったのに」

少し僕が悪戯顔で言うと観念したのか円さんが店員を呼んでワンピースを試着したい事を告げフィッティングルームに入っていった。

しばらくするとカーテンがあいてワンピース姿の円さんが現れた。

どう言って良いのだろう、生まれて初めて人間は本当に驚いた時には声が出ないものなんだと感じた。

見蕩れてしまった。

ワンピース姿の円さんは綺麗過ぎて、神々しさを感じると言えばいいのだろうか。

すらっと伸びた手足とスタイルの良い体にワンピースがとてもマッチしてギリシャかどこかの女神像でも見ているかの様に魅せられてしまった。

「こ、コオロギ。も、もう良いか? 恥ずかしいのだが」

「あっ、すいません。あんまりに似合い過ぎて、円さんがとても綺麗なので見蕩れてしまいました」

円さんが不思議な事を言ってきて我に返り、思ったとおりの事を言ったら円さんがいきなりカーテンを閉めて着替え始めてしまった。

「ゴメンなさい。僕がなにか怒らせるような事言ってしまいましたか?」

「な、何でもない。着替えるから待ってろ」

女の人がワンピースを着て恥ずかしいなんて円さんも可愛らしいなんて、大人の女性に失礼なことを考えていると円さんが着替えを済ませてワンピースを腕に掛けて出てきた。

どこと無く顔が赤い気がしたが突っ込みを入れると数倍になって返って来るのを身に染みていたので突っ込まずに手を差し出した。

「な、なんだいきなり手なんか出して」

「ワンピースを貸してください」

「コオロギが着るのか?」

「僕が着る訳ないじゃないですか!」

思わず声を荒げてしまった。僕にはそんな趣味はないし、ましてや脱いだばかりの円さんの温もりが残るワンピースを着るなんて考えただけで顔が真っ赤になってしまった。

「円さんにプレゼントするんです」

「俺はワンピなんて着ないぞ」

「良いですよ、別に。これは僕の気持ちです。円さんが僕のお願いを聞いてくれたし、素敵なワンピース姿も見せてくれたのでその記念です」

僕がレジに向って歩き出すと円さんが少し慌てたように追いかけてきた。

「コオロギはお金なんて持ってないだろ」

「僕だって子どもじゃないのですからカードぐらい持っていますよ。ほら」

カードを財布から出して円さんに見せた。

そのカードは僕が未成年の頃から持っていたものなのだが。

「コオロギ、本当に買うのか? 俺は着ないぞ。勿体無いだろ」

「僕の気持ちですよ」

「カードがあれば路頭に迷わなくても良かったんじゃないのか?」

「これは実家の親に持たされたんです。あの時も今もですけど実家にだけは絶対に頼りたくないんです。それに路頭に迷ったからこそ、こうして円さんに出会えたんじゃないですか。だから少しでもお礼させてください。今日はそう言う意味で特別なんです」

「まぁ、コオロギが買うというのなら勝手にしろ。俺は絶対にワンピなど着ないからな」

レジに着き、ワンピースと黒いカードをだすと店員の女の人が少し驚いて戸惑いながら清算をしていた。

すると店員のぎこちない態度に気付いて円さんが後ろから声を掛けてきた。

「おい、コオロギ」

「まだ、なにか言い足りないですか?」

「その、黒いカードは何だ? 店員さんの態度も微妙に余所余所しいと言うか」

「このカードならこの百貨店だって買えますよ」

「はぁ?」

「もう、冗談ですよ。僕がそんなカード持っているように見えますか? お腹が空いたからどこかで食事をしましょう。もちろん円さん持ちで、僕はそんなお金持ってないですから」

「まぁ、それは構わないぞ。昨日の賭けの4万もまだあるしな、でも……」

「ほら行きますよ」

僕はワンピースの入った紙袋を受け取ると今日買った自分の身の回りの物が入った紙袋を持って円さんの背中を押して歩き出した。

この買い物が後になり編集部の皆を大変な事に巻き込んでしまうなんてその時は思いもよらなかった。


デパートを後にして円さんの案内でケヤキ並木のある大通り沿いの、外国の建築を模したようなアーチのある建物のオープンカフェに来ていた。

ケヤキ並木が紅葉してだいぶ葉は落ちていたが日が射していて風も無く暖かかった。

軽く食事を済ませて食後に僕はフルーツがたっぷり入ったロールケーキとアイスモカチーノを。

円さんはカプチーノを飲んでいた。

「僕、こんなオシャレなお店に始めてきました」

「コオロギは今まで何をしていたんだ?」

「バイトを色々です。生活するだけで精一杯でしたから」

「実家に頼らずか?」

「ええ、格式ばった家が嫌で、それに姉達には長男なのだからとうるさく言われて。それが嫌で高校を卒業すると直ぐに家を飛び出して逃げ回っていました」

「逃げ回っていた?」

「はい、実家の親に見付かったら連れ戻されちゃうんで」

「そうなのか、大変なんだな」

円さんはカプチーノが入ったカップを持ったまま僕がケーキを食べているのを見ていた。

「コオロギ、頬にクリームが付いてるぞ」

「ええ? どこですか?」

僕が慌てて手で取ろうとしたら手を掴まれた。

「動くなよ」

円さんはそう言って僕に顔を近づけてきた。

「へぇ?」と思った瞬間。

円さんが僕の頬についているクリームをペロッと舐めた。

もの凄く温かくって柔らかい物を頬に感じて僕は真っ赤になって俯いてしまった。

「もう、円さんは何でいつもそんな恥ずかしい事出来るんですか?」

「バーカ、コオロギは弟みたいなものだからな」

円さんに言われてなんだか心がチクリと痛んだ。

でも円さんから見れば僕は弟にしか見えないのだろう、歳も離れているし円さんより背が低くって僕の顔はどう見ても未成年にしか見えない童顔なのだから。

姉弟と思えば一緒に暮らしていてもおかしくないんだなと思った。

「そうですよね。あはは……」

「変な奴だな。そろそろ帰るぞ」

円さんが徐に立ち上がって店の出口に向いた時、円さんがテーブルに躓いた。

テーブルが揺れる。

アイスモカチーノが入っていた背の高い円筒形のグラスが傾き。

テーブルから落ちそうになるグラスを左手で掴み取り。

倒れそうになる円さんを後ろから腰の辺りに手を回して右手1本で支えた。

寸での所で円さんが倒れないで済んだが僕の右手には円さんの殆どの体重が掛かっていた。

「大丈夫ですか? 円さん」

「ああ」

「もう、気をつけて下さいよ。怪我でもしたらどうするんですか」

「コオロギ、お前のちっこい体のどこにそんな力があるんだ?」

「酷いな、僕はこれでも一応男ですよ」

円さんが立ち上がり、僕の方をまじまじと見ていた。

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