第2話 マンション


バイト先を首になりアパートが全焼して携帯が粉々に砕け散り。

酔っ払いの有栖川 円(ありすがわ まどか)さんに拉致された翌朝。

僕は見慣れない部屋のソファーの上で目を覚ました。

起き上がると頭が少しガンガンする。

フラフラとした足取りでキッチンに向かい、とりあえず水を一気飲みした。

溜息混じりに深呼吸してシンクに凭れ掛かって昨夜の記憶を手繰り寄せる。

円さんに出会って、その後で居酒屋に連れて行かれてビールを飲みながら軽く食事して……

「うっ、頭が痛い。二日酔いだ」

それから円さん行きつけのバーを1・2・3件梯子してタクシーでコンビに行ってありえないような買い物をして……

今にも寝そうな円さんを起こしながら円さんのマンションに……

「円さんを部屋まで連れて行き、僕はソファーに? それじゃここは円さんのマンション?」

そんな事を考えているとお腹が空いてきて人の家だと判っていたけどキッチンにある大型冷蔵庫を開けて、直ぐに閉めた。

見てはいけない物を見た気がする、それはビールやお酒のコマーシャルでしか見た事のない様な冷蔵庫の中身だった。

綺麗に色とりどりの缶ビールや、缶チューハイが並んでいて野菜室には日本酒のビンが立ち並んでいる。

食材といわれる物は片隅に追いやられていた。

一息ついてキッチンを見回し有り合わせの物でスープを作る。

野菜を刻んでブイヨンで煮込み、トマトの缶詰を入れて、流石に二日酔いで昨夜買ってきた塩おにぎりは食べられないのでご飯だけをスープの中にぶち込んだ。

お酒のつまみを作る為か調味料や缶詰はかなりの品揃えだった。


しばらくしてスープが出来上がった頃、寝室からゴソゴソと円さんが起きてきた。

「あん? お前、誰だ?」

「おはようございます」

寝ぼけているのか二日酔いなのか、もちろん後者なのだろう。

額に手を当てて頭を掻きながら今にも人殺しでもしそうな怖い顔つきで僕の顔を睨みつけながら首を捻っていた。

「ああ、コオロギか。今、人を殺しそうな顔しているって思っただろう」

「お、思ってないです。確かに寝起きの悪そうな顔していますけれど」

ずばり言い当てられて、咄嗟に嘘を付いた。

嘘でも付かないと本当に殺されそうな気になったからだ。

凄く綺麗な人の機嫌の悪い顔は恐ろしく怖い物なのだと、その時に生まれて初めて思った。

「悪いと思ったんですけど。キッチンをお借りしました」

「朝ぱらから何を作ったんだ?」

「スープですけど飲みます?」

「どうせろくな物じゃないんだろ。味見くらいしてやるから、持って来い」

円さんがソファーに腰を沈めてダルそうに首を左右に振ってコキコキと首の骨を鳴らしていた。

食器棚にあった大き目のマグカップにスープを入れてスプーンを添えて円さんの前に置いた。

「ここに置きますよ」

僕もマグカップにスープを入れてソファーに座り少しずつ飲み始めると円さんもカップに口をつけて不思議そうな顔をした。

「口に合いませんでしたか?」

「いや、ん? ん!」

微妙な返事しか返ってこなかったしばらくすると、円さんが何も言わずに僕の目の前にマグカップを突き出した。

「片付けて良いですか?」

「お代わり」

円さんが突き出したマグカップにスープを入れて円さんに渡すと黙々と飲み始めた。

しばらくするとまた僕の目の前にマグカップが突き出てきた。

「お代わりだ」

「少ししか残ってないですよ」

「あるんだろ、入れて来い」

「判りました」

自分の飲み終わったカップと円さんのカップを持ってキッチンに向かい。

円さんのカップに残りのスープを入れて鍋と自分のカップに水を入れキッチンのシンクに置いた。

「コオロギはこれからどうするんだ?」

「今日、首になったバイト先の給料が入るので、仕方が無いですけど実家に帰ります。住んでいたアパートが全焼してしまって何もかも失くしてしまいましたから」

円さんにマグカップを渡すと溜息をついて何かを考えながらマグカップのスープを飲み干した。

「シャワーを浴びてくるから綺麗に片付けておけよ」

そう僕に言って円さんはバスルームにフラフラと入っていった。

まぁ良いか、そう思ってキッチンで洗い物を開始する。

フキンで綺麗にシンクまで拭き上げて元通りに片付けた。

入っている物は別として冷蔵庫の中といい、キッチンやダイニングは綺麗に整理整頓されていた。

たぶん、円さんの性格なのだろう。

昨夜見た円さんが着ていた青いストライプのシャツも綺麗にアイロンが掛けられていたのでとても几帳面な人だと思った。

これからの事を考える、考えるといっても実家に帰るか……

「おい、コオロギ。実家に帰るのは却下だ」

不意に後ろから円さんに声を掛けられて僕は振り向いて固まってしまった。

そこにはシャワーを浴びてバスタオルを一枚体に巻いただけのあられもない姿の円さんが立っていた。

「ふぇ?」

あまりに突拍子も無い荒唐無稽な事をバスタオル一枚の円さんに言われて変な返事をしてしまった。

「『ふぇ?』じゃない。コオロギ、実家に帰らずにここに居ろ」

「で、でも。女の人と一緒なんて駄目ですよ」

「ああん、俺の命令が聞けないのか?」

円さんがバスタオルを巻いただけの格好で僕に向って歩いてきて。

思わず目を逸らしてしまった。

「コオロギ、もしかして照れているのか?」

「何か着てください。僕の方が恥ずかしいですから」

「見たくないか? そんなに俺は魅力ないのか?」

円さんがとんでもない事を口にした。

僕だって一応男だ、女の人の体に興味が全く無いと言えば嘘になる。

でも今はそんな場合じゃない。

色々な事が駆け巡り、頭の中がパニックになった。

「み、魅力が無いなんて事は無いです、ま、円さんはとても綺麗でスタイルもいいし、見たくない訳ないじゃないですか でも実際は見たいなんて言えない訳だし……」

俯いて目を瞑り顔の前で手を振りながら訳の判らない事を叫んでしまった。

その時、円さんが強い口調で僕を呼んだ。

「コオロギ!」

「はい?」

生まれ付いての末っ子長男気質の僕は思わず顔を上げて返事をしてしまった。

そこで僕の意識が吹き飛んだ。

悪魔の様な笑顔で、両手でバスタオルを開いた生まれたままの姿の円さんが立っていた。

生まれて初めて女の人の全裸を見てしまったのだ。

顔が真っ赤になり頭からはボルケーノの水蒸気爆発の様に湯気が立ち上った。

沸きあがる僕の頭とは対照的に体はマイナス50℃で瞬間冷凍されたマグロのようにカッチンコッチンに固まっていた。

そんな事はお構いなしに円さんはバスタオルを体に巻きなおして、僕の横までキッチンの状態を確認しに来た。

「おお、完璧だな」

そこで僕の意識は完全にフェードアウトした。


「おい、コオロギ。起きろ」

「起きろってば」

円さんの声が遠くでして円さんに頬を叩かれて目を開けると初めて会った時の様に円さんの顔が目の前にあった。

「悪い、少しふざけすぎた」

しばらく虚ろな頭で円さんの顔を見上げていると何があったのか思い出して飛び起きて土下座した。

「ご、ゴメンなさい」

「コオロギ、お前が悪い訳じゃないから頭を上げてシャワーでも浴びて来い、今すぐに。早くしろよ、出掛けるから」

そう言いながら円さんは優しい笑顔で僕の頭を撫でてくれた。

言われた通りシャワーを浴びる。

トランクスと靴下は昨夜のコンビニで恐ろしい程の買い物をした時に買ってあった。

シャツの着替えが無かったのでバスルームから顔を出すと円さんがシャツを僕の頭に投げた。

「とりあえず、俺のシャツを着ろ。私は男物しか着ないから、コオロギにも着られるはずだ。まぁコオロギは私より小さいから大きいかもしれないがな」

少し躊躇いながら上半身裸で居るわけにもいかず綺麗にアイロン掛けされたシャツを着た。

「それじゃ、行くぞ」

「どこにですか?」

「会社だよ、今日は休日出勤なんだ」

「僕もですか?」

「俺の裸を見ておいて拒否するか?」

「わ、判りました」

末っ子長男気質は年上の女の人には逆らえない。

気質と言うよりなんだか脅迫されている気がするのだけど気のせいかな。

紺色のダッフルコートを着てマンションの外にでると、夜は気付かなかったが円さんのマンションが超高級マンションである事に気が付いた。

「置いて行くぞ」

「待ってくださいよ。円さん」





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