アリスとコオロギ

仲村 歩

第1話 街


またバイト先を首になった。

仕方なく重い足取りでアパートに帰る。

目の前には、朝まであったはずの木造2階建てのアパートが跡形も無く。

真っ赤な大型車両の赤色回転灯の光が夕焼けのオレンジ色の空と相まって綺麗にクルクルと回っている。

きな臭い匂いが辺りに立ち込め。

所々から水蒸気の湯気がユラユラと上がり。

全ての物が真っ黒な炭になり。

僕の住んで居たアパートは雨上がりの木炭の林と化していた。

「燃えちゃった……何もかも全部……」

日が暮れて……

途方に暮れて……

心が折れて……


僕は街を彷徨っていた。

実家に電話すべきか人生の岐路に迷いながら赤信号の交差点で立ち止まり。

僕が携帯をポケットから取り出すと師走の街を急ぎ足で行きかう人が僕の背中にぶつかった。

その拍子に携帯を落としそうになった。

「うわぁ、わぁ、わぁ、あっ!」

携帯がクルクルとお手玉の様に器用に回って、何とか掴んだと思った瞬間。

バナナの皮を踏んで転ぶコントの様にあり得ない位見事にスルッと携帯が手からすり抜け。

綺麗な孤を描きながら道路に落ちた。

そこにジャストミートのタイミングで大型トラックが走りぬけた。

「はぁ~」

地面に着きそうなくらいガックリと肩を落として道路を見ると粉々になったプラスチックと基板がアスファルトにへばり付いて車のヘッドライトに照らされてキラキラと光っていた。

「最悪だ……これで大好きな携帯小説を読む事も書く事も出来なくなっちゃた」

どの位歩き回っていたのだろう、気が付くと大きなデパートのショーウインドーの前で立っていた。

ショーウインドーの中には12月と言う事もあって。

赤・白・緑のクリスマストリコロールのリボンやスポットライトでキラキラと輝くオーナメントで綺麗にディスプレーされていた。

「これから、どうしよう」

歩き疲れて、全身から力が抜けショーウインドーを背に歩道に崩れ堕ちて座り込んだ。

北風が空っぽになった僕の体を通り抜ける。

抜け殻の僕は寒さえも感じなった。

雑踏の足音のリズムと共に「なにあれ」「ふふふ」「嫌だぁ」などとBGMの様に聞こえてくる。

虚ろな目で財布を見ると給料日前という事もあり青い顔をした野口英世が2枚と小銭が少しだけ入っていた。


「僕?」

「おい聞こえないのか? 僕?」

遥か彼方の頭上から声がして。

見上げると濃紺の制服を着た国家権力を持った男の人が2人困り顔で僕を見下していた。

「君は未成年だよね?」

「いいえ、違います」

「それじゃ、署まで来てもらえるかな?」

「なぜですか? 僕は未成年じゃないって言っているのに」

「とりあえず身元を確認したいから」

身元確認なんて冗談じゃないと思い財布に入っている免許証を差し出した。

すると濃紺の制服を着た国家権力を持った男の人が僕の免許証を手に取り穴が開くくらい見ていた。

「香乃木 進(こうのぎ すすむ)君? 20歳??」

「これ本物?」

失礼極まりない国家権力の横暴である。

僕、香乃木 進・20歳は確かに、身長が161センチと大きいほうではなく。

どうしようもないくらい母親似の童顔ですが、この小柄な体とこの童顔で20年間社会の荒波に乗って生きてきたんです。

そしてあなたが手に持って居るのはあなた方のお仲間が発行した正真正銘の本物です。

「寒くなるから気をつけて家に帰りなさい」

そんな言葉を残して雑踏の中に紛れて消えた。

家に帰れ?

あんな木炭の林になってしまった家に?

あんな所で一晩寝たらどこかの炭塗り祭りも真っ黒なじゃない真っ青になるくらい黒くなって。

また、濃紺の制服を着た国家権力を持った人にお世話になるのが落ちだろ。


そんな事を考えているとまた人の声がBGMの様に聞こえてきた。

「編集長、帰りますよ」

「なーに言っている? 朝まで飲むぞ!」

「明日は休日出勤で早いんですから、帰りましょう。ね?」

「帰りたい奴は帰れ! 飲みたい奴は俺について来い!」

師走の週末だから人が多くって濃紺の制服を着た国家権力を持った人達が巡回している訳か。

忘年会かぁ、僕には関係ないや。

ん?誰かに見られている気がする。

誰? そう思い顔を上げると僕の顔から5センチくらい離れた所に女の人の顔があった。

「うわぁー」

思わず声を上げて仰け反ってしまった。

心臓の鼓動が一気にレッドゾーンまで跳ね上がり心臓が口から飛び出しそうになり思わず僕は手で口を押えた。

その女の人は、彼女の性格を現すような綺麗にピシッとアイロンが掛けられた青いストライプのシャツにダブルストライプのグレーのスーツを着て。

アイボリー色のカシミアの軽くて暖かそうなコートを羽織り、膝を抱えて僕の目の前にしゃがみ込んでいた。

漆黒の長い髪の毛がウインドーのイルミネーションの光でキラキラと輝いていて、鼻筋が通った端正な顔つきで瞳は少し酔っている所為なのか潤んでいる。

茶色がかった切れ長な瞳は今にも吸い込まれそうだった。

少しふっくらとした唇には綺麗なピンクのリップが塗られ小首をかしげて微笑みながら僕の顔を覗き込んでいた。

「僕、何をしているの?」

「放っておいてください」

「男の子がそんな顔して情けないぞ」

段々腹が立ってきた。理由は判らないけれど情けないと言われて自分に腹を立てていたのかもしれない。

堪らない気持ちになり少し奥歯を噛み締めて女の人から視線を外した。

「こんな所に座り込んで寒くないの? 家に帰らないとお家の人が心配するぞ」

「心配する人なんて居ません。アパートは真っ黒焦げになって帰る家なんてありません」

これ以上構われるのが嫌で少し強い口調で目の前の女の人に面と向って言い放った。

すると女の人がにっこり笑って僕の鼻を摘んだ。

体も心も冷え切っていた所為か彼女の指がとても温かかった。

「なんだ、帰る家が無いのなら無いって言えば良いのに。私は有栖川 円(ありすがわ まどか)。円周率の円と書いてまどかよ。君は?」

「僕は、香乃木 進。20です」

「えっ、コオロギ君は20歳なの? 未成年かと思った。それじゃお酒飲めるんだ」

「はい、一応。あまり強くは無いですけれど。それに僕の名前はコオロギじゃなくて香乃木、コ・ウ・ノ・ギです」

「それじゃ、コオロギ君。行くわよ」

そう言うと円と名乗る女の人が立ち上がった。

呆れて無視すると腰に手を当てて左足を少し前に出し首を少しだけ傾けて強い口調で僕に命令した。

「男の子がグズグズしない。直ぐに立つ! 殴るぞ」

「うわぁ、せ、背が高い……」

「何か文句か? 女が173cmあったらおかしいか?」

「…………」

生まれ付いての末っ子長男気質の僕は女の人に強く言われると言い返すことが全く出来ない。

渋々立ち上がると円さんが僕の首に腕を回して引っ張ってきた。

円さんは僕より背が高く、引っ張られるとちょうど円さんの胸に僕の顔が当たって何かとても柔らかい物を頬に感じた。

「有栖川さん、止めてください。顔に胸が当たっていますよ」

「気にしない、気にしない。それと私の事は円まどかって呼びなさい。今度、苗字で呼んだらぶっ飛ばすからね」

「それじゃ、円さん。円さんは気にならないかもしれないけれど僕が気になるんです」

恥ずかしさで自分の顔が真っ赤になっているのが良く判った。

すると円さんが僕の顔を覗き込んだ。

「キャー、コオロギ君の顔真っ赤か。可愛い!」

そう叫んで円さんは更に腕に力を入れた。

「だ、だから、柔らかい物が……」

僕の言葉なんてまるっきり無視して有栖川 円さんは僕の首に手を回したまま、僕を拉致した。






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