指定席
白取よしひと
第1話 指定席
何となく気が向いて、映画館の予約サイトに入った。映画館に見に行くのはひさしぶりだ。休日で時間があるし、運良く今日は割引デイだ。手頃に楽しめる事も大きな後押しになった。この作品は、日本人の原作をアメリカで映画化された話題作で、 学生の頃読んでいたので楽しみにしていた。午後は映画でリラックスしようと思う。
座席指定画面を見て少々驚いた。 全席予約可能、つまり誰も予約していないのだ。平日とは言え、テレビでCMが流れている超大作だ。今時、平日の映画館はこんなものなのだろうか。選び放題の座席指定画面。僕は、スマホの画面に浮かせていた指を前側の席に落とした。
車で、隣街の
映画館のエントランスには、同じ作品を目当てにした
僕は目が悪いので、中央よりのかなり前側の席を予約していた。座席番号を確認しながら席に腰をおろすと、周りには誰もいない。フリー客たちは皆、中ほどから後ろ側に座っているのだ。
―― 僕も視力が落ちる前は後ろ側に座っていたな。
上映開始まであと5分。幕が開き、スクリーンサイズの調整が入って消灯されようとした時、僕の左側から座席の間を
―― 男の隣では堅苦しくないかな?
そう思った僕は彼女に目を向ける。色白の小顔に、かわいいメガネを掛けていた。
「席をずらしましょうか?」
驚いた様にこちらを見た彼女は、優しい笑みを浮かべながら『構いませんよ』と返してくれる。笑顔がかわいいと思った。
広告が流れ、そして本編が始まった。映画は原作とは少々異なる
ふと視線を横に向けると、彼女は無心にスクリーンを見上げている。メガネのレンズには、目まぐるしく動く映像が反射していた。
3時間を越える大作が終了し、見知らぬ者どうしの僕らは、 いつしか感動の共有者となり、席を立つとお互いに
ひと月が経ち、あの映画館に新作が来た事を知る。予約サイトに入ってみると、次の休日が割引デイになっていた。彼女の面影が浮かんだ。彼女は割引日を選んで観ているのではないだろうか。そう考える自分をおかしく思う。ろくに会話もしていない彼女を思い出したからだ。
座席指定の画面に入って、僕はしばらく指定ができなかった。あの日、僕が座った席の隣、そう彼女が座っていた席が予約済みになっていたのだ。
―― 間違いなく彼女だ。
そう確信したが、なかなか隣の指定を押せない。傍らの煙草を手にした。何を迷う事があるのだろう。もしかすると、こうしている間にも、誰かが隣を予約してしまうかも知れない。決心した僕は、一度手に取った煙草を置き、前回と同じ席を予約した。
上映当日、彼女はそこに座っていた。後方の入り口から入った僕には、彼女の姿は背もたれから上しか見えはしないが、あの雰囲気は彼女に違いない。栗色の髪を後ろで複雑に結っている。美しいと思った。
僕が席に着こうとすると、彼女はこちらを見上げて少し驚いた様だ。その驚きは、明らかに僕の事を憶えている
「あの。席をずらしましょうか?」
一瞬、ぽかんと口を開けた彼女は『ふふふ』と笑う。
「わたしは構いませんよ」
僕も笑った。まるで一ヶ月の時が
映画はとてもおもしろかった。コメディーの要素もあり、二人でお互いの笑い声を耳にした。まるで、一緒に笑っている様に。そして、メガネに映像が映り込んだ、彼女の横顔も見る事ができた。
映画のエンドロールがゆっくりと回り出す。気の早い客の中には、席を立つ者もいる。エンディングテーマと共に、
場内の照明が灯り、彼女は静かに立ち上がるとコートを羽織った。
家路を
―― どうせ僕の一方通行さ。
偶然、席が隣り合わせになっただけの事。僕は想いを振り払う様にアクセルを踏んだ。
また、あの映画館に新作が来た。割引デイ初日のシート予約画面を見てみた。いつもと違い前側のシートには予約が入っていない。彼女のシートにも予約はなかった。
当日になって見直してみても、予約は入っていない。僕は迷ったが、映画館に行くのを止めにした。もし予約無しで彼女が来ていたのなら、僕の事を敬遠しているかも知れないわけで、ショックを受けるのが怖かったからだ。
結局その映画を見に行く事はなく、更にひと月が過ぎた。今回もシートの予約は入っていない。だけど今回は、予約すると前もって決めていた。偶然、映画館で隣り合わせただけの彼女を、いつまでも考えているのは女々しいと思ったからだ。
―― これで最後にしよう。
来ないでもともと。もし彼女が僕の事を敬遠しているのなら、わざわざ隣に座らないはずだ。
割引デイ当日。開場まであと15分。入場待ちの行列の中には彼女はいない。シアターの中からは、上映されていた映画のフィナーレが漏れている。
パラパラと中から客たちが出てきた。ポケットからスマホを取り出し、今一度、予約画面を見てみる。
―― 隣が予約されている!
思わず入場待ちの行列を最後尾まで目で辿ったが、やはり彼女の姿はなく僕は
焦点の定まらない目でスクリーンを見上げる。予告編とともにお決まりの注意事項が流れるが、何も頭に入らなかった。
「やっぱり来ていたんですね!」
その声に向けて見上げると、笑顔の彼女が立っていた。急いで来たのか息が切れている。ブーツの音をコツコツと鳴らしながら、コートを脱いで僕の横に座った。
「先月も観に来たんですか?」
彼女の質問に僕は、『あ、いや』と煮え切らない答えで返した。
「わたし先月、インフルにかかっちゃって……。移しちゃ申しわけないから休んじゃいました」
笑う彼女に『そうだったんだ』と返す。移しちゃいけないって、僕の事を意識してくれていたのだろうか。
いつもの様に僕らの周りには誰もいない。ここはいつしか僕らの指定席になっていた。予告編が流れて、もうすぐ本編が始まる。始まってしまえば、いつもの様に流されてしまうかも知れない。僕は既にスクリーンを眺めている彼女に話しかけた。予告編でも大音量が響いている。
「ん? なに?」
小声で話しかけた僕の声は、彼女に届かない。
「なに?」そう言い、彼女は僕に耳を寄せた。僕は小声だが必死に伝えた。
「実は……」
「なに? 聞こえない」
「君に会えるのが楽しみだったんだ」
勢いで何て事を言ってしまったのだろう。
「わたしもよ」
その一言で、ここは僕らにとって本当の指定席になった。
「はい! カーット!」
館内に監督の声が響き渡る。それに応えてスタッフが
「
監督は二人にそう声を掛けると、アシスタントたちへ矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「それじゃ。次は公園のシーン。
カメラなどの機材がガチャガチャ音をたてて、片付けられていく。映画『指定席』で、始めて二人の心が通い合ったシーンの撮影が終わった。二人は、撮影の
「淳さんと早希さん、映画館へのサービス撮影が入ります!」
二人へアシスタントから声が掛かった。撮影記念で、映画館のカウンターに飾る写真を撮るのだろう。
公園のシーンを取り終えると、都内へ戻るスケジュールになっている。残るはスタジオ撮影だけだから、声を掛けるのも難しいだろう。淳は、手招きするアシスタントに従おうとした早希を呼び止めた。
「ねえ早希ちゃん」
「なに? 急がないと」
「初めから二人分を予約すれば、ホントの指定席だよね」
首を傾げた彼女は、『そうね』と笑いながら返す。
「それじゃ。今度、僕が君の分も予約するけどいいかな?」
早希は戸惑いを見せた。二人の瞳がお互いを見つめ合う。すると、早希はわざとらしく口を尖らせた。冗談だと思われたのだろうか。不安な顔を見せた僕の腹を、彼女は人差し指でつついて『いいよ』と言ってくれた。
「カメラ、スタンばってます! お二人は急いで下さい」
上映室の出口に立つ、アシスタントから催促の声が掛かった。だけど、淳の耳には入らない。
「ありがとう。僕、前から早希のことを・・・・・・」
「わたしも」
その瞳は僕だけを見上げてくれる。愛おしくて、早希を引き寄せ唇を重ねた。抱きしめる強さに、背中に手をまわした早希も応えてくれる。
「か、監督!」
「何だ。さっさと移動するぞ」
「あれ、あれを見てくださいよ!」
二人を見て、監督もさすがに驚いた。しかし、ニヤリと笑った顔はさすがプロだ。
「カメラ!カメラを回せ!」
「え!これ撮っちゃうんですか?」
「ああ。最高のシーンさ。もちろん二人の許可をもらってから使うがな」
笑う監督の目とカメラのレンズには、決して演技ではない二人の愛が映っている。
まわりに誰もいない映画館。二人だけがぽつんと座る指定席。受付カウンターに二人の写真が飾られたこの映画館に、いつか二人だけで来たいと淳は思った。
指定席 白取よしひと @shiratori
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