指定席

白取よしひと

第1話 指定席

 何となく気が向いて、映画館の予約サイトに入った。映画館に見に行くのはひさしぶりだ。休日で時間があるし、運良く今日は割引デイだ。手頃に楽しめる事も大きな後押しになった。この作品は、日本人の原作をアメリカで映画化された話題作で、 学生の頃読んでいたので楽しみにしていた。午後は映画でリラックスしようと思う。

 座席指定画面を見て少々驚いた。 全席予約可能、つまり誰も予約していないのだ。平日とは言え、テレビでCMが流れている超大作だ。今時、平日の映画館はこんなものなのだろうか。選び放題の座席指定画面。僕は、スマホの画面に浮かせていた指を前側の席に落とした。

 

 車で、隣街の長町ながまちに向かった。長町は仙台の横にある大きな街だ。映画館は大きなショッピングモールの中にあり、階下かいかは雑貨や化粧品の店がのきつらねる。僕はその明るい店内を見下ろしながら、映画館へと伸びるエスカレーターを上がった。

 映画館のエントランスには、同じ作品を目当てにした人集ひとだかりができていた。皆、予約なしで来ているのだろうか。カウンタへ並ぶ人の列に加わり、辺りを見回してみる。ケースに飾られた映画グッズ。オリジナルのファーストフード。久しぶりの映画館だ。いつも配信やレンタルで済ませている僕は、わくわくしている自分に苦笑しながらも、受付にコードを提示して中に入った。

 僕は目が悪いので、中央よりのかなり前側の席を予約していた。座席番号を確認しながら席に腰をおろすと、周りには誰もいない。フリー客たちは皆、中ほどから後ろ側に座っているのだ。

 

―― 僕も視力が落ちる前は後ろ側に座っていたな。

 

 上映開始まであと5分。幕が開き、スクリーンサイズの調整が入って消灯されようとした時、僕の左側から座席の間をぎながら近寄る女性がいた。座席番号を確認している様だ。彼女は隣の席番号を確かめると、軽く僕に会釈えしゃくしながら腰を下ろす。彼女はお行儀良くコートを脱いでひざの上に畳んだ。何の香りだろう。軽く嫌みのない香りが辺りに漂う。依然として、僕ら二人の周りは全部空席だった。

 

―― 男の隣では堅苦しくないかな?

 

 そう思った僕は彼女に目を向ける。色白の小顔に、かわいいメガネを掛けていた。

「席をずらしましょうか?」

 驚いた様にこちらを見た彼女は、優しい笑みを浮かべながら『構いませんよ』と返してくれる。笑顔がかわいいと思った。

 広告が流れ、そして本編が始まった。映画は原作とは少々異なるおもむきだが、十分におもしろく、そして考えさせられる内容だ。江戸時代の日本が舞台となっており、アメリカ制作にありがちなバタ臭さが出ないか心配していたがそれは全くの取り越し苦労だった。しっかりと時代考証がされていて、真摯に作られたものだと伝わってくる。

 ふと視線を横に向けると、彼女は無心にスクリーンを見上げている。メガネのレンズには、目まぐるしく動く映像が反射していた。

 3時間を越える大作が終了し、見知らぬ者どうしの僕らは、 いつしか感動の共有者となり、席を立つとお互いに会釈えしゃくして映画館を後にした。

 

 ひと月が経ち、あの映画館に新作が来た事を知る。予約サイトに入ってみると、次の休日が割引デイになっていた。彼女の面影が浮かんだ。彼女は割引日を選んで観ているのではないだろうか。そう考える自分をおかしく思う。ろくに会話もしていない彼女を思い出したからだ。

 座席指定の画面に入って、僕はしばらく指定ができなかった。あの日、僕が座った席の隣、そう彼女が座っていた席が予約済みになっていたのだ。

 

―― 間違いなく彼女だ。

 

 そう確信したが、なかなか隣の指定を押せない。傍らの煙草を手にした。何を迷う事があるのだろう。もしかすると、こうしている間にも、誰かが隣を予約してしまうかも知れない。決心した僕は、一度手に取った煙草を置き、前回と同じ席を予約した。

 

 上映当日、彼女はそこに座っていた。後方の入り口から入った僕には、彼女の姿は背もたれから上しか見えはしないが、あの雰囲気は彼女に違いない。栗色の髪を後ろで複雑に結っている。美しいと思った。

 僕が席に着こうとすると、彼女はこちらを見上げて少し驚いた様だ。その驚きは、明らかに僕の事を憶えているあかしだ。それなのに、僕はとっさにうまい言葉が浮かばない。かろうじて出た言葉は先月と同じだった。

「あの。席をずらしましょうか?」

 一瞬、ぽかんと口を開けた彼女は『ふふふ』と笑う。

「わたしは構いませんよ」

 僕も笑った。まるで一ヶ月の時がさかのぼり、初めて彼女に会った日に戻れた気がしたのだ。あの時と何も変わらない。がらんとした前側の席の中、僕ら二人が肩を寄せて並んでいる。漂うコロンの香りもそのままだ。変わったのは映画の作品だけ。傍目はためから見ると、僕らはカップルに見えるだろう。そんな風に見えるほど、僕らだけがぽつんと並んでいるのだ。

 

 映画はとてもおもしろかった。コメディーの要素もあり、二人でお互いの笑い声を耳にした。まるで、一緒に笑っている様に。そして、メガネに映像が映り込んだ、彼女の横顔も見る事ができた。

 映画のエンドロールがゆっくりと回り出す。気の早い客の中には、席を立つ者もいる。エンディングテーマと共に、動悸どうきは激しくなった。いつもなら、僕も席を立っていたかも知れない。だけれど、席を立たない彼女の隣で、大人しくエンドロールを眺めている。僕は何か気の利いた言葉はないかと探したけれど、何も思いつかない。

 場内の照明が灯り、彼女は静かに立ち上がるとコートを羽織った。不甲斐ふがいない僕は、一声すら掛ける事も出来ずに映画館を後にした。

 家路を辿たどる車の中、流れる見なれた街の光景に目もうつろで彼女の事を考えていた。

 

―― どうせ僕の一方通行さ。

 

 偶然、席が隣り合わせになっただけの事。僕は想いを振り払う様にアクセルを踏んだ。

 

 

 また、あの映画館に新作が来た。割引デイ初日のシート予約画面を見てみた。いつもと違い前側のシートには予約が入っていない。彼女のシートにも予約はなかった。

 当日になって見直してみても、予約は入っていない。僕は迷ったが、映画館に行くのを止めにした。もし予約無しで彼女が来ていたのなら、僕の事を敬遠しているかも知れないわけで、ショックを受けるのが怖かったからだ。

 

 結局その映画を見に行く事はなく、更にひと月が過ぎた。今回もシートの予約は入っていない。だけど今回は、予約すると前もって決めていた。偶然、映画館で隣り合わせただけの彼女を、いつまでも考えているのは女々しいと思ったからだ。

 

―― これで最後にしよう。

 

 来ないでもともと。もし彼女が僕の事を敬遠しているのなら、わざわざ隣に座らないはずだ。

 

 割引デイ当日。開場まであと15分。入場待ちの行列の中には彼女はいない。シアターの中からは、上映されていた映画のフィナーレが漏れている。

 パラパラと中から客たちが出てきた。ポケットからスマホを取り出し、今一度、予約画面を見てみる。

 

―― 隣が予約されている!

 

 思わず入場待ちの行列を最後尾まで目で辿ったが、やはり彼女の姿はなく僕は落胆らくたんした。全てが終わった……。入場の列が動き出し、僕はその流れに惰性で従った。

 

 焦点の定まらない目でスクリーンを見上げる。予告編とともにお決まりの注意事項が流れるが、何も頭に入らなかった。

「やっぱり来ていたんですね!」

 その声に向けて見上げると、笑顔の彼女が立っていた。急いで来たのか息が切れている。ブーツの音をコツコツと鳴らしながら、コートを脱いで僕の横に座った。

「先月も観に来たんですか?」

 彼女の質問に僕は、『あ、いや』と煮え切らない答えで返した。

「わたし先月、インフルにかかっちゃって……。移しちゃ申しわけないから休んじゃいました」

 笑う彼女に『そうだったんだ』と返す。移しちゃいけないって、僕の事を意識してくれていたのだろうか。

 いつもの様に僕らの周りには誰もいない。ここはいつしか僕らの指定席になっていた。予告編が流れて、もうすぐ本編が始まる。始まってしまえば、いつもの様に流されてしまうかも知れない。僕は既にスクリーンを眺めている彼女に話しかけた。予告編でも大音量が響いている。

 

「ん? なに?」

 小声で話しかけた僕の声は、彼女に届かない。

「なに?」そう言い、彼女は僕に耳を寄せた。僕は小声だが必死に伝えた。

「実は……」

「なに? 聞こえない」

「君に会えるのが楽しみだったんだ」

 勢いで何て事を言ってしまったのだろう。ほおが熱くなる。彼女はそんな僕の目を見た。そして、両手で口の周りに筒を作り顔を近づけた。

「わたしもよ」

 その一言で、ここは僕らにとって本当の指定席になった。

  

 

「はい! カーット!」

 館内に監督の声が響き渡る。それに応えてスタッフがあわただしく動き出した。

じゅんちゃん早希ちゃん、お疲れ様! 悪いけど公園を押さえてる時間が押してるんだ。すぐに移動するよ」

 監督は二人にそう声を掛けると、アシスタントたちへ矢継ぎ早に指示を飛ばす。

「それじゃ。次は公園のシーン。勾当台こうとうだい公園に移動!」

 カメラなどの機材がガチャガチャ音をたてて、片付けられていく。映画『指定席』で、始めて二人の心が通い合ったシーンの撮影が終わった。二人は、撮影の余韻よいんもあり、何となく目を合わせて笑った。

「淳さんと早希さん、映画館へのサービス撮影が入ります!」

 二人へアシスタントから声が掛かった。撮影記念で、映画館のカウンターに飾る写真を撮るのだろう。

 公園のシーンを取り終えると、都内へ戻るスケジュールになっている。残るはスタジオ撮影だけだから、声を掛けるのも難しいだろう。淳は、手招きするアシスタントに従おうとした早希を呼び止めた。


「ねえ早希ちゃん」

「なに? 急がないと」

「初めから二人分を予約すれば、ホントの指定席だよね」

 首を傾げた彼女は、『そうね』と笑いながら返す。

「それじゃ。今度、僕が君の分も予約するけどいいかな?」

 早希は戸惑いを見せた。二人の瞳がお互いを見つめ合う。すると、早希はわざとらしく口を尖らせた。冗談だと思われたのだろうか。不安な顔を見せた僕の腹を、彼女は人差し指でつついて『いいよ』と言ってくれた。

 

「カメラ、スタンばってます! お二人は急いで下さい」

 上映室の出口に立つ、アシスタントから催促の声が掛かった。だけど、淳の耳には入らない。

「ありがとう。僕、前から早希のことを・・・・・・」

「わたしも」

 その瞳は僕だけを見上げてくれる。愛おしくて、早希を引き寄せ唇を重ねた。抱きしめる強さに、背中に手をまわした早希も応えてくれる。

 

「か、監督!」

「何だ。さっさと移動するぞ」

「あれ、あれを見てくださいよ!」

 二人を見て、監督もさすがに驚いた。しかし、ニヤリと笑った顔はさすがプロだ。

「カメラ!カメラを回せ!」

「え!これ撮っちゃうんですか?」

「ああ。最高のシーンさ。もちろん二人の許可をもらってから使うがな」

 笑う監督の目とカメラのレンズには、決して演技ではない二人の愛が映っている。


 まわりに誰もいない映画館。二人だけがぽつんと座る指定席。受付カウンターに二人の写真が飾られたこの映画館に、いつか二人だけで来たいと淳は思った。


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