歴史教師と時空の落とし穴(12)

千馬章吾

12

 そしてその時、人の形をした光がまた忽然と現れる。

 (今度は何?それにしても私、いつになったら元の世界に帰れるのかしら?あらあら、御座(ござ)と湯飲みの御茶??緑茶、ううん。抹茶かしら?きゃっ、誰??)

「ふう、落ち着くわい。御茶と御菓子がうまいのう。和みの一時(ひととき)じゃぁぁ。侘び茶、ええのう。わしが長年努力を重ねた甲斐があったもんじゃて。」

「もしかして…………!?」

「お!別嬪な御嬢さんじゃな!どうじゃ、ふぉっふぉっふぉっふぉっ…………。御茶と御菓子はどうじゃ?うまくて落ち着くぞい。まあここへ座りなさいな。ほれ、ワシの横へ。靴なんて脱ぎなさいよ。」

「あの…私………。」

「なんじゃ?そんなに躊躇(ためら)わんでもええじゃろ。早く来なされ。姉ちゃん。」

「(姉ちゃん??)あの、貴方様はもしかして、…………千利休(せんのりきゅう)様…………ですか!?」

「おお、よく私の名を知っておるな。はて、どこかで会ったかの?」

「いえあの……。(生(なま)で会ったのは勿論これが初めてよ。きっと。でも参考書や資料集、教科書越(ご)しには何度も対面してる。でも本当の事は言える筈無いし、言っても分からないでしょうね。きっとそう。うん。だから言わない。それがいいわ。)」

 千利休とは、中世末期、戦国時代、安土桃山時代の茶人(ちゃじん)である。何のも削るとことが無い所まで無駄を省いて、緊張感を創り出すと言う「侘び茶(草案の茶)」完成者として知られる。茶(ちゃ)聖(せい)とも称せられる。

「ほっほっほっほっ。まあ細かい事は良いわ。なあ姉ちゃんや。いや御嬢ちゃん……へい!彼女ぉぉ!わしと一緒に御茶せんかえ?!!」

「ひゃああ、やっぱり口調が変!それに、千利休様がこんなに熱い御人だなんて信じられない!もっと温和で硬派な方かと思ってましたのに!千利休がこんなに様軟派なのは、やっぱり信じたくない!そう!これは!これは!」

「んんん?どうしたんじゃ?何をそんなに慌てておる?おぬしは見掛けによらんのう。そんなに興奮せんでもええじゃろうて。ええ??」

千利休は、御座ごと移動してこちらへ向かって来る。まるで魔法の絨毯に乗って空を飛行するアラジンのように。つまり、これは迫って来ると言うのだろう。

「やっぱり可笑しいわよ。ここは、やっぱり…ゆゆ…夢の…夢の…夢の中なのよおおおおおおおおおお!!」

 暦が甲高い声で叫んだその時、四方八方全体が、眩く光り輝いた。

 当分の間、暦は気付く由(よし)も無かった。以上の出来事は、矢張り単なる夢の中の世界であった事を。いや、もしかしたら、夢のそのまた夢かも知れないのだ……………………。

(これで出られるの………かしら……………?でもどこへ?)



「そちよ!そちよ!」



「ハッッ!!」

 目を開けるとそこには、紫式部の姿が。そしてここは、さっきの座敷の客間となる大部屋だ。暦にはすぐに分かった。

「起きたのか。おお大変じゃな。汗を搔いておるぞ。風邪を引かぬようにな。それにしてもそち、随分とうなされておったが、大丈夫だったか?暦殿……。」

「式部様。すみません。私……。(ああ良かった。やっぱり夢だった。でも、これもまた夢だったら?随分と深い夢になるのかしら?まあ兎に角良かったかも。)」

「食事にでもするかえ?」

「はい。」

 暦は起きると、身体は大分楽になっていた。

「よう三時間も眠っておったのう。時折うなされておったがな。しかも、オオシオ何たらだの、ヒラガゲンダイあの、セン、センノ何たらだのと、聞いた事も無い者の名も挙げておっったような?わらわらはそのような名は聞いた事ないがのう。おほほ。まあ良い。さて。もう楽になったか?では、食事を運んで来るとしよう。もう少し休んでおって良いぞ。」

 バッグの中を見てみると、やっぱりパンプスもあった。何も無くなってはいなかったので暦は安心したのだった。

(良かった。パンプスも他の持ち物も、全部ちゃんとある。ふう。)



「ゆっくりと召し上がるが良いぞ。」

「はい。有難く頂きます。式部様。大変感謝致します。この御恩は一生忘れません。」

茶碗一杯の米や、味噌汁の他、おかずは、これは鯛の刺身か。

(これが平安時代の貴族の御食事ね。この場で食べられるなんて。)

 暦は、尚も感激していた。最早、暦の目は宝石の如し、だろうか。

(美味しい!江戸時代で御団子食べたっきり、大分時間経ってたものね!食べて帰れると良いんだけど、でも、そっくり元の時代に戻れるかな…やっぱり不安……不安だけど、やっぱり美味しい…。これがまた幸せな一時になるのよね。)

「御馳走様でした。」

「(こくん。)」

と式部は微笑したまま、頷いた。

 その瞬間だった。暦が咀嚼し終えた後の事だ。食べ終えた後の御膳は、またどんよりとした形の、歪んだ裂け目のような大穴に変わった。

(ワープする時が来たのね。さようなら、式部様。御恩は一生忘れません。頑張って、「源氏物語」とかを書き上げて下さいね。では、では、…ぐすん…御機嫌よう。……ぐすん。)

「そちよ。暦殿。達者でな。さらばじゃ。愛しき者よ。」

と紫式部の、最後の見送る声が聞こえたような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

歴史教師と時空の落とし穴(12) 千馬章吾 @shogo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る