歴史教師と時空の落とし穴(7)

千馬章吾

7

願が叶ったかのようにワープした。


 ここも栄えた町だったが、江戸ではないようだ。江戸より古風だ。また更に時代を遡ったのか。その時、あちらで人が大勢集まっているのが見える。やけに騒々しいな、とは思った。

「諸君よ!しかと聞くが良い!ここにおわす源頼朝殿を、征夷大将軍に任ずる!!」

 そして熱狂が巻き起こる。暦は首を低くして耳を塞いだ。

「因みに今年は、一一九二年であ~~る!いい国(一一九二)作ろうぞ!鎌倉幕府じゃ!がっはっはっ!」

と御家老らしい武士の姿をした男が声を張り上げた。

 待って…。と言う事は、鎌倉時代の町ね。私も顔よく知らなかったけど、あれが源頼朝なのね………。ここで幕府が開かれるんだわ。

 一一八五年、頼朝は既に、守護・地頭の設置を後白河法皇に認めさせた。

 守護とは、大番催促、謀反人・殺害人の取り締まりや逮捕等の、大犯(だいぼん)三カ条が任務となる。地頭とは、年貢の徴収と納入・土地の管理・治安維持が任務である。

 暦は、またここで色々回って見て行こうかと思った。最強の資料集はここにあるのだから、動かなければ損になると当然ながらそう思ったのだ。

(アスファルトよりも、こう言った小石がゴロゴロしたような硬い土の上歩くのって、尚も靴の底が擦り減りそうで嫌ね。そもそも、草履や下駄よりは高いパンプスだもの。さて、兎に角歩こうかな。色々見付けられたらなあ。一一八○年設置の侍所は御家人の統率をする所で、一一八四の公文所は一般政務、問注所は裁判・訴訟の事務ね。そうだわ。源氏は三代で絶えてしまったのよね。その後、北条氏の執権政治によって鎌倉幕府は運営されたんだったわ。)

 思い出せば尚且つ忘れないで済む。歴史は覚えるのが大変な科目なのだ。日本史等が暗記モノだからって侮れないし、人間社会を築くようでちょっと方向を誤ると秩序が破綻しかねない、そんな国家なのだ。現代社会と照らし合わせて日本の事をよく知り考える必要がある。本当は暗記モノではないのである。教師や、官僚、政治家ともなれば、頭でっかちであっては話にならない。そんなのではただの木偶(でく)の坊なのも同然だとそう言われたりもするのだ。知識と知恵は、似て非なるものであると、社会に出ればその事を改めて思い知らされる。

(そう言えば、多くの生徒が覚えているのは、北条義時の承久の乱(一二二一年)かな。一番は、北条時宗の元寇かしらね。一二七四年が文永の役、一二八一が弘安の役。だけど、その後の一二九七年の永仁の徳政令は、よく覚えてる子もいれば、そうでない子もいたわね。その次が、北条泰時の、一二三二年に制定された武家社会の初めての成文法「御成敗式目(貞永式目)」だったかしら。)

 歴史を好きでない子の場合は、大体覚えるところは決まっているなあ、と暦もそう思っていた。好き不好き、得手不得手があれば、仕方無いと、それもあるのだ。

 それにしても、そろそろ足取りが重い…………。棒のように細くて綺麗な脚だが、その脚が本当に棒になる、とそう思ったのだ。

 色々思考を巡らせているうちに、また時空転移だ。そう、ワープだ。時間移動無しで、場所だけ移動すれば、それは空間転移になる。時間だけ移動すれば時間転移、時間移動と言う。ここのところ、時空転移ばかりだな、と暦は思う。

(時間か場所か、どちらかだけ移動、とかは無いのかなあ。)



(何?何?次から次へと移動になってるけど、御寺ばっかり??)

 一分ごとに次々と移動している。色々な御寺場ばかり回っていた。

 その旅に熱心に御経を唱えたり書き物をしたり座禅をしている、偉そうな感じの一人の御坊さんに会うのだ。なかには見覚えのある人にもあった。

 今、暦は山の頂上に近い場所にいる。御寺が見えたので、そこを目指して歩く。そう言えば、全部で六人の御坊さんに会ったのだ。ここで、「もしや?」と暦は思った。

 六人の御坊さんと言う事は、鎌倉文化の仏教を次々と新しく開いて行った歴史上の偉大な人物に当たるのではないか。先ず、浄土宗は法然。専修(せんじゅ)念仏を唱えられている。次に会った人物については、暦は顔も覚えていた。浄土真宗を開いた親鸞だった。あれは間違い無く親鸞だ。親鸞は、悪人正機説と言う物も説いている。順番通りであればの話だが、次は多分、時宗を開いた一遍なのだろう。顔はよく知らなかったが、恐らくそうだろうと思った。以上は、浄土真宗系の他力本願の仏教になる。次に会ったのは、臨済宗の栄西、それから曹洞宗の道元、そして最後は、法華宗の、日蓮だ。これはよく分かる、この人はよく知っている、と暦は思った。

日蓮は、題目・即身成仏、そして『立正安国論』と言う著書も出されている。これは流石の暦でも、図書館で立ち読みぐらいしかしていない

 暦が御寺に着くと、焚き火をしている住職らしい人を見付けた。多分、院主は彼なのだろう。良く見ると、空海だ!間違い無い!空海と言う事は、ここは高野山だったのか。空海は、高野山(こうやさん)に寺を開いたのだ。延暦寺(えんりゃくじ)である。真言宗と言う仏教だ。こちらは、密教で加持祈祷が中心になる。天台宗の方だと、金剛(こんごう)峯寺(ぶじ)の最澄になる。

 ここぞ即ち、平安時代と言う事になる。弘仁・貞観文化と言い、まだ平安時代初期の頃の文化になる。律令再興の気運を反映した唐風文化だ。時を駆けてまで、当時代のものを生で見てはやっぱり違う、と暦はこう思った。

 暦は空海に、一応、道に迷ってしまいましたと告げると、今晩はここに泊って行きなされ、と言ってくれたのだ。御堂の中まで案内して貰うと、空海は御茶と饅頭と座布団を用意してくれた。

「ほほう。そちは、名は暦と申すのか。良い名じゃのう。」

と弘法大師こと空海は暦に言う。

「有難う御座います。……ふわぁぁ……。あ、すみません。」

と暦は欠伸をする。

「ん?そちはもう眠いのか?長旅等で疲れておるようなら、布団はすぐに用意出来るぞ。まだ夕方じゃが、休むか?夕食までには時間があるからの。」

「はい。疲れてますので、では御言葉に甘える事にします。(会うまではどんな人かと思ってたけど、本当に会ってみると、とても素敵な方かも。ま、好みは人それぞれよねね私としては、タイプかなあ。ポッ。)」

 空海は広くて綺麗な部屋まで案内してくれた。空海も、暦の事を好きになったのだろうか?まあそこは関係無いかとして、暦は早速休む事にした。

「夕食まで、ゆっくり休むが良いぞ。」

「有難う御座います。感謝致します。空(くう)……いえ、弘法大師様。では私は少し休みますね。ここで一晩、御世話になります。」

「ほう、そうか。では暫し休まれよう。喉が渇いたなら御茶はあるでな。気に召したのなら暫く居ても良いのじゃがな。では戸を閉めるぞ。ゆっくりとな。」

とこう言うと空海は襖を閉めて去って行く。足音がしなくなったところで、暦は布団の中でうとうとし始める。暦はぼちぼち休みたかったのだ。まだ時空転移しないのが有難い。

(御風呂があったなら、足ぐらいはちょっと洗いたいなあ。少なくとも井戸はあるわよね。着替えは全然無いけど、体は洗いたいなあ…………。)

 夢現(ゆめうつつ)の中、色々考える暦であった。

(羊を数えて眠れたタメシは無いから、…ええーーと………聖武天皇時代の天平文化では、編纂されたのが、『古事記』、『日本書紀』、『風土記』、それから『万葉集』…………と。その頃の仏教は、鎮護国家思想に基づき仏教を保護した南都六宗。それは三論宗・成(じょう)実(じつ)宗・法相(ほっそう)宗・俱舎(ぐしゃ)宗・華厳(けごん)宗・律宗ね。)

 それにしても、落ち着く場所である。もう少しで眠りに着ける。時空転移はいつするか分からないので、暦は勿論、脱いだパンプスはショルダーバッグの中へ入れていた。

(やだなあ。バッグの中、臭くならないかしら。人に嗅がれたら、折角の清楚なイメージも台無しになっちゃうわ。…………六四五年、大化の改新…六四六年、改新の詔(みことのり)…孝徳天皇が発布…六六八年、庚午年籍…六七一年、壬申の乱…七○一年、大宝律令…七一八年、養老律令…七二三年、三世一身法…七四三年、墾田永年私財法…。すやすや。)

 以上は、特に睡眠学習と言う訳ではなく、覚えていた事を色々思い出していたのだ。そう、学者の心理研究によれば、何か学習して覚えたならその内容を一~二時間後に思い出すなりしていれば、忘れ難くなる、よく頭の中にインプットされて良いと分かったのだと言う。それも、睡眠学習の内に入るらしい。眠りながら思い出す事も出来るのだから。食後二時間後や、眠る前に勉強すると、それも頭に入り易いらしい。脳が眠っている間は記憶され易いそうなのだ。

 起きると、外は暗くなっていた。空海が部屋に入って来る。

「丁度良いな。起きておったのか。夕食の準備が出来たぞい。すぐに召し上がるか?」

「…はい………。」

 眠い目を擦り、櫛で髪を解き直しつつ、暦は食事部屋へ招かれた。

 御飯と味噌汁と梅干しと魚だ。大き目の急須と一緒に、湯飲みには深蒸しされたような濃い目の緑茶がある。

「これだけなんじゃよ。少なくてすまぬが、召し上がると良い。わしは精進中でな。即ち申せば、修行中なんじゃよ。わしは朝のみおかずとして小さ目の魚を食ったがの。そちは、しっかり食べると良いぞ。御客は丁重に持て成さねばなるまい。人を救うのが仏の道。」

空海の御膳は、見れば少量の米と味噌汁と梅干しだけで、おかずは無い。

「はい。感謝致しております。では、頂きます。」

 暦は両手を合わせてじっくり合掌すると、そろそろと咀嚼(そしゃく)し始めた。そして空海の方も咀嚼し始める。

 食事が終わると、暦は空海に言ってもう一度寝室で休ませて貰う事にした。

 また寝室に行って、暦は再び布団の中で横になった。庭に井戸もあるから、水が飲みたい時、体を拭きたい時などはいつでも仰ってくれれば良いと空海は暦に言った。

 勿論、寝る時はショルダーバッグは首に掛けたまま両手に抱いて寝るのだ。

 もう夜中になっただろうか。御経が聞こえる。空海が稽古中だろうか。暦は覗きに行った。平成時代から持って来た腕時計なんてここではあてにならない。それは自明の事だと承知していたので、暦は室内を見回す。案の定、襖の上には時計が掛けられてあった。どうやら、午前一時半頃らしい。丑三つ時が近い時刻になる。

 空海のいるらしい御堂へ行くと、空海は熱心に御経を唱えていた。空海でも覚え立てなのだろうか?とこう考えた。その時、暦はまた不思議な感覚に捉われた。下半身がすうすうして来た。御別れの時間になったと、暦にはすぐにそれが分かった。

「さようなら。空海様。さようなら。弘法大師様。色々あるでしょうけれど、頑張って下さい。この御恩は一生忘れません。」

と暦は小声で囁いた。

 そして心の中で、繰り返しこう唱える。



 いろはにほへと ちりぬるを わかよ たれそ つねならむ

 うゐのおくやま けふこえて あさき ゆめみし ゑひもせす

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