ケルプの森のオーグ

都内のある駅。都内といっても大きな店があるわけでもなければ、四角いマンションが並んでいる様子もなく、駅前は広い公園になっている。その池の回りの道を、杉三と、蘭が散策している。

杉三「鯉さん、たくさん食べろ。」

と、鯉に餌をやる。

蘭「杉ちゃんは、鯉に餌をやるときは、本当に楽しそうだね。三つも買ったりして。鯉が太りすぎちゃうよ。」

杉三「あ、もうなくなった。新しい餌を買いたい。」

蘭「もう、三時だよ。富士に戻らなきゃ。」

杉三「もう?」

蘭「そうだよ。だから、もうかえらなきゃ。」

杉三「鯉さん、また来年も来るよ。首を長くしてまってなよ、またね。」

蘭「いこう。」

二人、公園をあとにして駅にいく。駅はごった返している。

杉三「なんか、違う気がする。」

アナウンス「ただいま、前駅で人身事故が発生し、上下で運転をみあわせております。」

蘭「また自殺か。最近多いよね。なんとかしてくれないものかな、政府も。」

と、すすり泣きが聞こえてくる。

蘭「大丈夫だよ。もし、間に合わなかったらホテルに泊まればいいんだし。君のお母さんも、そうしたらいいって、いってたじゃないか。」

杉三「違うよ。」

蘭「じゃあなに?」

杉三「亡くなった人は、どんな人だろう。会社員かな、学校の先生とかかな。いずれにしても、ご家族は悲しむ。」

蘭「だ、だから泣くの?他人の話なんだから、関与する必要はないと思うけど。」

杉三「僕にはできないもの。」

と、さらに泣き出す。

蘭「ああ、もう!こういうときは本当に、どうしたらいいんだろう。」

と、大きなため息をつく。

蘭「しかたない。ホテルとるか。」

一人の女性が二人をじっとみている。蘭がスマートフォンを回そうとすると、彼女が近づいてきて、

女性「もしよかったら、うちにきませんか?こんなところで、雨宿りは、辛いものがありますわ。」

蘭「貴女、何者ですか?雨は降ってないけど。」

女性「時田貴子といいます。怪しいものではありません。ただの専業主婦です。弟さんが怖がってなくのも仕方ありません。ここは、都内で一番の自殺の名所ですもの。もう、しょっちゅうこういうことがあるんです。だから、助けあわなきゃいけないなっておもいます。」

杉三「じ、自殺の名所!」

蘭「兄弟ではないですよ。単に友人です。彼が一人では外出できないので、いつも付き添うんです。」

貴子「まあ、知的障害でもあるんですか?兄弟以上にすごいことになるわ。」

蘭「いや、彼にも、でかける権利はあると思いますから。」

貴子「そうですか。とにかく、うちへいらしてください。お茶、お出ししますから。」

蘭「じゃあ、お言葉にあまえて。杉ちゃん、この人のお宅で待たせてもらおう。ああ、名を名乗りますと、僕は、伊能蘭で、こっちは影山杉三です。」

貴子「ありがとう。私、押していきますわ。」

と、杉三の車いすを押していく。蘭はあとからついていく。

道路。

杉三「(泣き止んで)なんだか、高級そうな町並みですね。都会にありながら、木のトンネルがあるなんて素敵です。」

貴子「みんなそういうのよ。人工的に作った森なのにね。この界隈は、ケルプの森って言われてるの。」

杉三「ケルプ?」

蘭「オオウキモのことですね。ラッコが眠る時に使うでしょ。」

貴子「そうよ。それと、よく眠れるようにひっかけたの。まあ、電車もはしってるから、本当にそう言えるか、というと、そうじゃないけどね。」

蘭「うちの妻が、ある水族館でオオウキモを見たことがありました。すごい圧巻だったけど、美しすぎるくらいだったそうです。」

貴子「いいわねえ。本物を見に行けるなんて、幸せじゃない。ああ、家はもうここよ。」

まわりは建てたばかりの高級そうな家がたっていた。

杉三「どこですか?」

貴子「そこよ。」

と、一番小さな家を指差す。

蘭「車いす、入れます?」

貴子「少し狭いかも知れないけど、はいれないことはないわ。」

と、家の玄関の戸をあける。

貴子「これで、車輪を拭いて。」

二人は手渡されたタオルで車輪をふき、

杉三「お邪魔します。」

と、なかに入る。

蘭「僕もお邪魔します。」

といい、車いすを操作しながら、廊下を見渡す。確かに綺麗な家だ。壁にはモネの絵が飾ってある。

蘭が居間に入ると、

貴子「お茶が入りましたよ。」

と、テーブルの上にお茶の入ったカップがのる。高級な紅茶のようだ。

杉三「これ、マイセン。」

確かに、その印があるカップだった。

蘭「あんまりブランドをいうなよ。失礼になっちゃうよ。」

杉三「色が薄い。」

蘭「すみません、この人はブランドが大好きな人だから、よく口にしますけど、気にしないでください。」

貴子「いいのよ。もう使い込んであるから、薄くなっても仕方ないわ。」

杉三は紅茶を飲んで

杉三「薄い。」

蘭「杉ちゃん!」

貴子「ああ、私がいれたお茶はなかなか薄いと、他の人にいわれるのよ。」

杉三「これ、ティーパックかな。普通にいれた紅茶ではないな。」

蘭「もう、帰ろうか?」

貴子「(スマートフォンをみて)このままだと、明日の朝まで開通しないわね。」

蘭「わかりました。このあたりに、安いところで構いませんから、ホテルありませんか?」

貴子「あら、うちに泊まっていきなさいよ。」

蘭「えっ、でも、ご家族がいるでしょう?」

貴子「娘たちは、みんな結婚していったわ。一階に空き部屋があるから、使いなさいよ。」

蘭「どうもすみません。親切にしていただいて。じゃあ、そうさせていただきます。」

貴子「今日、公会堂で音楽会があるのよ、一緒に行きましょうよ。」

杉三「音楽会ですか。ぜひ聞いてみたいです。何が演奏されるんです?」

貴子「単に、ピアノをきくだけよ。」

杉三「会場はどこにあるんですか?」

貴子「ここから、五分もしないところにあるわよ。ぜひ、聞いて頂戴よ。」

蘭「あの、ご主人は?」

貴子「しばらく、海外出張に行ってて、帰ってこないわよ。」

蘭「それで僕らを呼んだんですか。」

貴子「ええ、だって一月も一人じゃ、寂しすぎるわよ。」

杉三「ああ、そういうことね。それならわかります。」

蘭「杉ちゃんは、本当にちゃっかりしているなあ。」

貴子「(腕時計をみて)音楽会、いきましょうか。」

杉三「わかりました。」

蘭「は、はい、、、。」

三人は玄関から一人ずつ外へでる。ちょうど夕暮れ時であるが、雨が降りそうな空模様になっている。貴子の案内で公会堂に向かうが、コンサートホールという名の建物とは全く違い、ただの絨毯をしいた集会所だった。一応、グランドピアノはあるが、

これでは、かなり残響も悪いだろう。座席も、パイプいすが30個ほど置いてあるだけであった。しかし、座っている人はは、皆、紳士淑女の格好をしている。

蘭「なんだか、ミスマッチだなあ。」

貴子「もうすぐ開幕よ。聞きましょう。」

ピアニストがやってくる。中年の女性だった。客は、演奏が始まると、姿勢を正して演奏をきいた。曲は、リストのバラード二番であった。

演奏が終わると、客は立ち上がって拍手した。杉三だけが拍手をしなかった。

杉三「あんまり、うまくないなあ。」

会場は凍りついた。

蘭「杉ちゃん!」

と、強く言ったが、聞こえていないらしく、

杉三「だって、なんだか、機械みたいで殺風景なんだもの。」

さらに

杉三「寂しすぎるよ。」

ピアニストは、杉三をにらみ付けるが、杉三は平気だった。続いて、二曲目にBACH の主題による前奏曲とフーガを演奏したが、杉三はまた拍手をしなかった。さらに、三十分かかるリストのピアノソナタを弾いたが、杉三はこれも拍手をしない。

その三曲で演奏会は終わった。客は、足早に帰り支度を始めた。外で雷が鳴っていたからである。

蘭「僕らも帰ろうか。」

と、車いすを操作すると、ピアニストがつかつかと、二人に近づいた。

ピアニスト「あなたたち。」

杉三「はい、なんでしょう。」

ピアニスト「どうして私の演奏を聞かなかったの?」

杉三「綺麗な演奏じゃないからです。だって、見世物ではないでしょう?」

ピアニスト「まあ、花岡恵にたいしてそういうのね!」

杉三「それじゃあ、結局のところ見世物とおんなじじゃないですか。」

恵「あなた、音楽の経験は?」

杉三「古筝を少しならひけます。」

恵「ああ、あれのほうがまさしく見世物じゃないかしら。」

杉三「確かに、見世物に見えるかもしれませんね。」

蘭「杉ちゃん、こんなところで喧嘩しては。」

杉三「見世物は見世物でも、一生懸命見世物をしていれば、それでいいじゃないですか。でも、音楽は見世物にはなりません。そこには必ず作曲家の人の思いがあるからです。それを無視してあたかに自分の演奏をきけと命令しているような演奏にしてしまうのは見世物になりますね。」

恵「まったくあなたってひとは、身の程しらずもいいとこだわ。本当にあきれてしまうこと。その発言だって、整合していないのに、お気付きかしら?せいぜい、だめな演奏を楽しむくらいしかできないわよね!」

と、きびすを返して、去っていってしまう。

杉三「ええ、喜んで!」

すると、回りの客から拍手が起こる。

客「おお!花岡恵を負かした人がついに出たぞ!素晴らしい!」

客「ブラボー、ブラボー!君たちは英雄だよ!」

立ちまち、二人のまわりに、中年の紳士たちが取り囲む。紳士たちは、二人を会場から出して、名前や住所を聞いたりする。

紳士「よく来てくれましたな。町長の稲葉です。あの、花岡という女性は、本当にこまる人で、なんとか追い出そうと考えておりました。」

貴子「そうですわ、町長。彼女、リサイタルをする前にここの公会堂で必ず音楽会を

するのだけど、杉三さんがいった通り、まさしく見世物を見ているようなものです。

きっと、車いすの方だからこそ浮かぶ発想ですよ。」

蘭「載っていようがいまいが、思い付く人は思い付きますよ。僕も、正直にいってあまり上手じゃないとは感じました。この人は、思い付くと、取り消しができないだけで、ああやって口にしたんだと思います。」

貴子「取り消しできないのが味噌なんじゃないかしら、私たちには絶対できない技ですわよ、町長。」

稲葉「まさしく。今夜はゆっくりしていってくださいね。貴子さん、これで我々もゆっくりできますな。」

蘭「我々も、ですか?」

稲葉「はい。あの女が夜遅くまで練習しているから、眠れんのですよ。」

貴子「両隣三軒で注意してもやめないのよ。コンクールがあるからって。」

杉三「ショパンコンクールにでもでるの?」

貴子「わからないけど、毎日ガンガン鳴らすのが消えただけでも、うれしいわよね。」

杉三「そうですか。」

稲葉「ああ、もうこんな時間です。今夜はゆっくりおやすみください。」

と、貴子の家の前でとまる。

蘭「どうもありがとうございます。明日は、早めに帰りますから。」

稲葉「いやいや、ゆっくりしていってください。ケルプの森に来たんですから、たまには、楽しんでくださいよ。このあたりは、朝になると寒いので。じゃあ、ゆっくり休んでくださいね。」

蘭「ありがとうございます。」

杉三「どうもです。」


貴子の家の居間

蘭「変なことをお聞きしますけど、さっきの町長さんの話を聞いたら、僕らは、彼女を追い出す道具になっていたのでしょうか?」

貴子「まあ、にたようなものね。傷つけてしまったかしら?それなら、謝罪するわ。」

蘭「いや、わかればいいんですよ。いずれにしろ、明日は始発電車でかえりますから。」

杉三「どうして彼女を追い出すんですか?」

貴子「だから、毎日練習しているから。ひどいときは、夜だって寝れないわ。それに、ああやって音楽会をして、うるさくてたまらないの。」

杉三「そうですか。」

蘭「まあ、明日はすぐにでますので、町長さんには、言っておいてください。今日はとめてくれてありがとうございました。」

貴子「また来てちょうだいね。」

蘭「ええ、またいつか。」

貴子「名残惜しいわ。あなたたち。」


翌日。朝食を食べている二人。居間においてあるメロディー時計が7時をつげる。杉三は、外を眺めている。

貴子「はい、目玉焼きがやけましたよ。」

と、目玉焼きの入った皿をテーブルに置くが、同時に箸が落ちた音。

杉三「いの、いの、しっかりして!」

貴子「昨日の疲れですか?蘭さん。」

蘭は、胸を押さえて肩で息をしている。

貴子「あたし、お医者さんを呼んできます。」

と、スマートフォンをまわす。二言ほどかわして、電話を切る。

貴子「すぐ来てくれるから、大丈夫よ。とりあえず、横になった方がいいわ。」

と、蘭を背中に背負って布団に寝かせる。

貴子「介護施設で働いたりしてたから、意外に馴れてるのよね。」

蘭「あ、ありがとうございます。」

貴子「無理してしゃべらない方がいいわよ。ゆっくり休んで。」

と、インターフォンが鳴り、医師が到着する。医師は、聴診器で心音をきき、脈をとったりして、

医師「しばらく、お休みになった方がいいでしょう。きっと、心労からきたんですよ。」

杉三「ありがとうございます!」

貴子「主人もまだこないから、ここにいてくれて構わないわ。」

蘭「どうもすみません、よくなったらすぐ帰りますから。」

貴子「だめよ、心臓って一番大事なところなんだから。」

蘭「もうしわけないです。」

貴子「そんなこと言わないの。ゆっくり寝てなさい。あとで、お粥作って差し上げます。」

杉三「意外に、貴子さんって、元気な人なんですね。」

貴子「え、、、。あ、ああ、おばさんになればね、そういうもんなのよ。」

杉三「そういう、もん、ですか。」

貴子「そうよ。何かあったの?」

杉三「いや、発音が違ってたから。昨日はもっと綺麗でした。」

貴子「ま、まあ、、、。ここは転勤族ばっかりだから、いろんな地方の言葉でしゃべるわよ。」

杉三「でも、違います。」

貴子「でも、じゃないわよ。私は、れっきとした、時田貴子。」

インターフォンが鳴り、稲葉がやってくる。

稲葉「おはよう!二人の英雄はもう帰っちゃったかな?こっちへ来た記念と思って、こんなものをもってかえってもらおうかと。」

貴子「それがねえ、蘭さんのほうが体調崩したみたいで、寝てるのよ。」

稲葉「それは大変だ。お医者さんは呼んだのか?」

貴子「きてもらったわ。心労からだって。」

稲葉「そうか。それは大変だ。よく休むようにいってやってくれ。ついでに、このちりめんじゃこをもってかえってくれるように、いってくれよ。」

貴子「わかったわ。ちりめんじゃこね。おいておくわ。」

杉三「町長さんって、何をしていたのですか?」

稲葉「何をって?」

杉三「町長になる前です。」

稲葉「ああ、大したことしてないよ。今日はこれから会議だから、もういくね。」

と、帰っていく。

杉三「やっぱり発音がちがう。」

貴子「考えすぎよ。」

と、炊飯器からご飯を取りだし、鍋に水といれて、お粥を作り始める。

貴子「蘭さん、全粥でいいですか?」

蘭「どうもすみません、それで大丈夫です。」

貴子「わかりました。あら、まあ、お塩が切れてるわ。買ってこないと。」

杉三「塩はどこで買えるんですか?」

蘭「杉ちゃんは、一人で買い物ができないのです。だから、」

と、起き上がろうとする。

貴子「寝てればいいのよ。塩なんて、生協に電話すればすぐ来るわよ。大丈夫。」

と、スマートフォンをまわす。また、言葉を交わして、

貴子「大丈夫よ。生協は、すぐ来るから。」

蘭「よかった。」

貴子「蘭さんは横になっていればいいのよ。」

蘭「そうでしたね。」

と、再び横になる。五分もしないうちに、

声「こんにちは、生協です。塩、持ってきましたよ。はい、一袋100円ね。」

蘭「わりと安いな。」

声「お、お客さんがきてるんか?」

声「さぶちゃん、その訛りはよして。」

声「俺は、れっきとした関西人だから、使い続けるわ。」

声「そうだけど、いま、お客さんがきてるのよ。」

と、一瞬間があり、再び、

声「まあ、お客さんに楽しんでもらうことやな。また、よろしく頼むで。」

声「さぶちゃん、ありがとう。」

と、貴子が戻ってくる音がする。

貴子「塩がきたから、つくれるわ。もう少しまっていてね。」

蘭は、疲れたのか眠っていた。杉三はなにも言わなかった。

貴子「お粥、できたわよ。」

杉三「いの、お粥ができたって。」

その声に蘭も目が覚める。

貴子「さあ、おもいっきり食べてちょうだいね。」

と、お粥をどんぶりに入れて蘭の枕元に置く。

蘭「随分実だくさんな、お粥なんですね。

びっくりしますよ。」

と、布団に起き上がり、お粥を食べる。確かに、卵やらほうれん草やら大根やら、ありとあらゆる具が入っている。

杉三「おいしい?」

蘭「いい味ですね。」

杉三「食べられれば大丈夫。ああ、よかった。」

蘭「どうもすみませんでした。」

貴子「大丈夫よ。助け合うのは、当たり前だからね。」

杉三「ところで、さっき、お塩を届けてくれた、さぶちゃんってどんな人?」

貴子「まあ、どうしてそれを聞くの?」

杉三「だって、発音が違うもの。」

貴子「だから、東京はいろんなところから来てるでしょ、その影響なのよ。」

蘭「杉ちゃん、あんまり詰問するなよ。お世話になってるんだから。」

杉三「でも、」

蘭「でもじゃない。礼儀というものは、いくら自閉症であっても、守らなきゃいけないんだ。」

貴子「いいのよ、蘭さん。おこると、また

血圧上がるわよ。」

蘭「そうですね。」

と、ため息をつく。

貴子「杉三さん、どうして外ばかりみてるの?」

確かに杉三は、外を眺めている。窓の外には壁一面に落書きをした小さな家が見える。

杉三「あれ、、、。」

貴子「もう、あれじゃわからないわ。ちゃんと質問するならしなさいよ。」

杉三「落書きをされているのはだれのうち?」

貴子「気にしなくていいわよ。隣組があるわけでなし、近所付き合いは面倒だわ。」

杉三「じゃあ、どうしてああやって音楽会を開いたりしたんですか?音楽会のときだけ、全員集合するのはおかしいでしょう。」

貴子「どうしていちいち説明しなければならないのかしら。自閉症の人って。」

蘭「すみません。この人は、どうしても、」

貴子「蘭さんは、横になっていてください。」

蘭「結構です。僕は、彼ほど過敏ではありませんが、理由がなんと無くわかりました。だから、僕たちを、帰らせてくれないんですね。」

貴子「そんなことなんかしてないわ。私は、ただ、もてなしているだけなのよ。」

蘭「いいえ、それはちがいますね。町長に聞いてみていいですか?」

貴子「町長に?」

杉三「いますぐここに、連れ出してきてください!」

貴子「なんでまた、町長はいそがしいのよ。」

と、反論しようとするが、杉三の顔に涙が光っている。

杉三「ああ、何て言うことだろう、僕が、他人を傷つける道具にされていたなんて。」

貴子「わかったわ。」

と、素直に、スマートフォンを回してしまう。

貴子「町長、私たちのことを、あの人たち、信じてはくれないわ。こっちにきてほしいみたいなの。来てやって頂戴。」

と、スマートフォンを切る。

貴子「すぐ来るって。」

そういって彼女は台所にいった。まもなく、水道の音がした。

インターフォンが鳴った。貴子が返事をしないうちに、稲葉町長が中に入ってきた。

稲葉「お二人とも、何か、勘違いしてはいませんか?ケルプの森は、排他的な地域ではありませんよ。」

杉三「では、どうしてあのお宅の壁に落書きがしてあったんですか?」

稲葉「ああ、大したことじゃありません。都内では落書きの被害はものすごく多いですから、ケルプの森でも、昨年で、三軒の家が被害にあいました。ことしは、幸い、あちらの家だけのようですが。」

杉三「と、いうことは、落書きの修復もしたということですか?」

稲葉「はい、このケルプの森住人が一丸となって取り組んでおります。」

杉三「じゃあ、ピアニストの花岡恵さんも、参加したのですか?」

稲葉「ああ、彼女はほとんど、参加しないんですよ。演奏でね。」

杉三「いつも、落書きが見つかってから、すぐ消しにいくんですか?」

稲葉「はい。被害が出たら、私の家にすぐ電話がかかるようになっています。そして、住人の有志で消しにいきます。大体の者があつまりますから、すぐおわりますよ。」

と、壁にかかっていたメロディー時計が、11回なる。

蘭「もう、11時か。ボチボチ帰りたいな。 」

杉三「なるほど。朝、時計が七回なったときは、あそこまでひどい落書きはありませんでした。でも、いまは、前よりもっと酷いことになっていて、しかもだれも消そうとしないでしょ、だから、あのお宅は花岡恵さんのお宅ですね。」

貴子「杉三さん、あなたは推理作家ですか?文字も書けないのに?」

杉三「馬鹿は馬鹿なりに考えたんですよ。お二人は、僕らを、花岡さんを排除する道具にしようとしていたんですね。どうしてそんなにいかみあうんですか、同じケルプの森にすんでいる仲間じゃないんですか!」

貴子「だって、、、あの人は、、、。」

稲葉「杉三さん、貴方もお体が不自由なかただから、よくわかると思いますが、どうしても、いたらこまるという人はいるんですよ。島引き鬼という絵本をご存じありませんか?ああいう風に、本人がいくら仲良くしたがっても、こちらの方では非常に困るから、受け入れられないという実例はたくさんあるんですよ。」

杉三「そんな、綺麗事が通じるはずがないでしょう。だって彼女は鬼じゃないじゃありませんか。それは、もしかしたら、人種差別にもあたるんじゃありませんか?」

稲葉「こちらとしましては。」

貴子「そんなにね!あの女を庇うのであれば、あの女のすんでいるところに、いけばいいじゃありませんか!あたしは、花岡恵と聞いただけで、腸がにえくりかえりそうになりますわ!」

と、テーブルを強く叩く。

杉三「一体、どうしてです?何か訳があるんですか?彼女が何かしたとか?」

蘭「杉ちゃん、僕らは泊めてもらったんだから、文句を言ってはいけないよ!」

杉三「よほどの理由があるはずです!そのために、人間を道具にしてはいけないんです!人身売買にあたりますよ、それ。」

稲葉「杉三さんは極端ですな。例えば嫌いな人はいますでしょう。いくら障害があるからといえ、やっぱり性格というのは、誰にでもあります。あなたにも、好きなタイプと嫌いなタイプがありますよね?」

杉三「いえ、ありません。」

稲葉「は?どういうことですか?」

杉三「人が嫌だといったら、僕は生活出来ないからです。歩けないし、読み書きもできないので。だから、回りにいる人たちは、みんな宝物のような存在ですし、大切にしています。障害というのは、そういうもんです。」

稲葉「じゃあ、穢いものを扱う仕事の人にもお願いするんですな。」

杉三「ええ。別の面を考えれば、よい人になるからです。」

貴子「町長、彼に花岡恵について説明してあげたらどうですか?花岡は、ファンタジーによくでてくる、オーグみたいなものですよ。」

稲葉「花岡は、数年前にこちらに越してきました。当初、ケルプの森には、空き地があったんですが、そこに無理矢理家をたてて住み着いたんです。子供たちの遊び場がなくなったために、彼女は何回もリサイタルを開いてきましたが、、、。」

杉三「はあ、どうしてそれがオーグなんですか?あれは、ジャックと豆の木にでてくる、人食い鬼でしょ。」

貴子「よく知ってますね。」

稲葉「花岡の名声は、すでに知られていて、この町でも、音大に行きたい者はたくさんいましたので、彼女にピアノを習いに行ったものはたくさんいました。ところが、彼女に直門したものは、突発性難聴になったり、統合失調症にかかったりして、

みんなおかしくなって帰ってくるのです。だから、私たちは、彼女をオーグと呼ぶようになりました。こんな者がこの町にいられたら困りますよ。まあ、杉三さんが仰っているのは、事実だと思いますよ。この町は移民者の町なので、敬語をつかっても、多少は訛りがでます。しかしですな、花岡の演奏活動がこれからもつづくと、生徒たちがかわいそうすぎてなりません。ただでさえ、ここは移民者でできてますから、花岡がそういう態度でいつまでもいると、非常にこまるんです。これで、答えになっていますかね。」

杉三「つまり、村八分ですね。それでも、

稲葉「まだ何か?」

杉三「それでも、協力しなければならない日が来るとおもいます。」

稲葉「つまり、、、。えっまさか?」

と、急に蘭が咳き込む。

杉三「どうしたの、いの。」

蘭「魚でも、焼いているんですか?な、なら、気にしないで、ください。悪いのは僕です、から。」

といい、激しく咳き込む。

稲葉「本当だ、なんだか煙臭い。」

貴子「気のせいよ、魚なんて焼いてないし。」

杉三「待って!聞こえてくるよ!」

稲葉「聞こえるって何が?」

杉三「熱いよ!熱いよ!ここから出して!お母さん!」

稲葉「ど、どうしたんです!」

蘭「すみません、まどを開けてみてくれませんか?」

貴子「はい。」

と、窓を開ける。と、煙が入ってきて、、、。

杉三「火だ!火だ!火事だよ!いや、もしかしたら心中かもしれない!すぐに助けてあげて!」

しかし、貴子も稲葉も躊躇している。

杉三「どうしていかないの?息子さんの方は、まだ若いはずなのに!」

杉三「村八分って、火事と葬式で付き合うはずだよね。いまそのときなんじゃないか、ねえ、助けてあげて!」

杉三「そんなに、面白いの?いじめって!そんな、人種差別をして何になる?ただ悲しくなるだけじゃないか!」

声「熱いよ!熱いよ!助けて!」

蘭「僕からも、お願いします!」

貴子と稲葉も彼の方を見る。

蘭「彼は、確かにどじで間抜けな男ですが、こういう悲劇的なことには、敏感なので、必ず当たります。長く付き合っているから、わかりますよ。」

稲葉「しかし、彼は八卦見ではないんですよね。」

蘭「お願いします!もし、あの家をすくわなければ、町長の名声は落ちるはずです、、、う、、、。う、、、、、、。」

またしても蘭は布団にうずくまる。

杉三「いの!しっかり!」

稲葉「わかりました。貴子さんは、杉三さんと、蘭さんを!」

貴子「わかりました!」

稲葉は外へでて、花岡の家にすっとんでいく。火は燃えている。まるで、人間を嘲笑うように。

すでに消防車が来ており、家事を消している。家のほとんどは、燃えてしまっている。

近隣の住人が近づいて

住人「町長、おそいですよ。何をしていたんですか?」

稲葉「そんなことより、被害は?」

住人「はい、母親の方は助かりましたが、息子の方はだめでした。」

稲葉「そうか、、、。」

住人「ほんとは、二人ともいってもらいたかったんですよね。なんてったって、恵は、まさしくオーグでしたからね。ですから、母親に怯えていたようなものですなあ。まったく、自殺を図っても息子の方が死んで、母親が生き残るとは。この世の皮肉ですなあ。」

稲葉「そうだな、、、。」

住人「まあ、家を焼かれて息子をなくしたあのオーグは、どこかへ行くでしょう。」

稲葉「確かにな。」

住人「オーグを追い出すのには、成功したでしょう。近いうちに乾杯しましょう!」

稲葉「あ、ああ。そうだね。」

数時間後、火は消しとめられる。消防士さんたちが、火災調査を始める。

消防士「ああ、二階の、四畳半の部屋が、一番燃えていますね。しかも、ガソリンでも撒き散らしたような。」

稲葉「つまり、母がゆかへガソリンを撒いて、火をつけたと、言うことですかな?」

消防士「そんな見方もありますね。ただ、母親の方は、玄関先に倒れていました。そこがおかしなところですね。」

しばらくして、刑事たちがやってくる。

刑事「これはこれは、随分忙しいのに、すみませんね、町長さん。」

稲葉「どうぞみてやってください。」

刑事「はい。では、現場検証はじめよう。」

刑事たちは、焼け残った部屋から、いろいろなものをとりだしていく。

警察官「二階の部屋からガソリンが検出されました。火元はここと思われます。」

刑事「了解。失礼ですが町長、花岡の息子は、戸籍を調べてみたところ、18歳とありましたが、どこの高校に通っていたのですか?」

稲葉「高校にはいっておりません。一年前に中退しました。」

刑事「では、どこかで働いていたとかですか?」

稲葉「そのようなことはきいておりません。ただ、恵が生活のためにピアノのレッスンをしていましたが、教えかたが極めて下手で、わたしたちは、彼女のことを、オーグと呼んでいました。なにしろ、すぐ感情的になり、ろくすっぽ稽古に成らなかったそうですから。だから、我々にとっては、本当に厄介な女だったんですよ。」

杉三「そうだったんですか。」

稲葉「はい、だから、ああいう人は困るんだ。音楽にとりついて、むりやり美しいとおしつけて、人間関係を持てないんですからね。全く、いやな民族ですよ。もう、よい音楽はたくさんあるんですから、はやく、衰退してもらいたいものでした。」

杉三「そういう見方もありますね。でも、きっと恵さんは、お辛いと思います。」

稲葉「ああ、それは、そっちがわるいんです。今時人に頼るなんて、甘えすぎです。だから音楽なんてものは、必要ないんですよ!」

杉三「稲葉さん。」

稲葉「は?」

杉三「だから、恵さんの息子さんは、自殺しようとしたんじゃありませんか?つまり、それが、一人の人を殺したことになりますよね。」

刑事「町長、やはり、息子の部屋が燃え盛っておりました。つまり、息子が部屋でガソリンを撒き散らして自殺を図ったのでしょう。花岡の息子は、母にDVなどをしていましたか?」

稲葉「しりませんよ、そんなこと。」

杉三「いえ、話してあげてください!かおをみればわかりますよ!知らない振りをしてるって!」

稲葉「はい。ものすごいものでした。」

杉三「やっぱり、、、。」

稲葉「花岡は、彼が高校を出たら働かせようと思っていたようです。まあ、音楽なんて女子のもの、と、定義された時代もありましたし。でも、彼は、ことのほか音楽を愛しました。だから、高校受験をきっかけに、ひどいことになりましてね。息子は芸大の付属高校を受験しましたが、入試は失敗して、近隣の公立にいきましたが、その時から、暴力がはじまるようになって。」

刑事「わかりました。母親が、指導虐待をしていたということになりますな。」

杉三「虐待ではないと思います。」

稲葉「は?また、何を言い出すんですか?」

杉三「単に、愛情表現がうまくなかったんでしょう。そういう、音楽家の方ですもの、ある程度偏見というものは、少なからず経験していますよ。だから、彼女は彼女なりにいろいろ試してみて、結局、やり方がわからなかったんだとおもいます。そしてそれをおしえてくれるのは、本でもないし、パソコンでもないですよ。それだけは、忘れてほしくないんですけどね。あ、もしかしたら文字のよめない、僕のざれ言になっているかもですが。」

稲葉「では、音楽家だけが、苦労をしている民族で、私たちが手をだしてやらなければならないのなら、私たちの苦労はどうしたらいいんですかね!」

杉三「そんな、いかみあうのは、やめませんか?きっと、なにかしら、思い出がありますよ。それを忘れているだけで。だって、誰でも、一人じゃなんにもできなかった時代が、あったはずですからね。」

刑事「あなたは、小さな哲学者ですね。犯罪に手をそめる人は、大体の人がそれを忘れていますよ。それにきがつけば、犯罪なんて、大幅に減るんじゃないかなあ。」

杉三「ここは、ケルプの森です。犯罪の森ではありません。」

稲葉は、呆然として空を見上げる。星が、一つ、姿をあらわす。その脇に、その星にくっつくような、小さな星が姿を現した。しばらく、稲葉は、頭上を見つめていた。

声「町長、町長ってば!」

稲葉「は、は、はい。」

刑事「花岡さん、亡くなられましたよ。今ごろは、息子さんのお側にいって、謝罪をしていることでしょう。」

住人「はあ。オーグがやっと倒れましたね。これで平和がやってきますね。」

稲葉「オーグではない、花岡恵さんだ。」

住人「大丈夫ですか?この頭の足りない人。」

杉三は、手でかおをおおってないている。

住人たちは、オーグが死んだといいふらし、居酒屋などで、オーグが死んだと、どんちゃん騒ぎをはじめた。

稲葉「杉三さん、私たちだけでいいから、あの二人を送ってやりましょう。」

杉三「そうですね、、、。」

時を同じくして、蘭は、医師からもらった薬で眠っていた。目の前に、大きな星と、小さな星とが流れている光景をみたな、と思っていたら目が覚めた。

貴子「具合、いかがですか?」

蘭「あ、お陰さまで。花岡さん、亡くなりましたね。」

貴子「何を根拠に?」

蘭「ええ、何となく思いました。あの火事は、花岡さんだったんだなって。」

貴子「あの方も、ピアニストになることはできたかも知れないけど、その前までが辛すぎて、オーグになったのかもしれません。あたしたちは、きいているだけだけど、弾くときはものすごく大変ですもの。

それに、この時代だから、音楽はなかなか認識されにくいし。」

蘭「そんな、薄っぺらな付き合い方は、歩けない人間にはできませんよ。」

貴子「そうね、忘れちゃいけないわ。あたしたちも。」

蘭のスマートフォンがなる。

蘭「もしもし、あ、町長。わかりました。明日ですね。」

貴子「何が明日なんですか?」

蘭「(スマートフォンを切って)ええ、あの二人を荼毘に伏すそうです。誰も、参列しないから、杉ちゃんと、僕と、町長で行います。もう、家族葬の、ホールをとったと、町長が。」

貴子「そうですか、、、。私もいいですか?」

蘭「ええ、大丈夫ですよ。」

貴子も、涙を流した。

翌日。

丸焦げになった息子の遺体と、美しい母親の遺体は、自由霊園に葬られる。

駅。

蘭「本当に、長い間お世話になりました。きっとまた、どこかでお会いしたら、また、お声をかけてください。」

杉三「遠い将来にね。」

蘭「はははは。」

稲葉「短い間だったけど、きっと忘れないよ。」

貴子「また、思い出すときもあるわ。」

二人は握手を交わす。

蘭「じゃあ、また。」

と、手を降って、駅員さんの手を借りながら電車にのりこむ。

杉三「ありがとうございます!」

二人はもと来た道を帰っていったのであった。


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