幸せの谷
杉三の家。杉三は、古筝を楽しそうに弾いている。隣で、蘭が新しい客のために、下絵を書いていた。
蘭「できた。」
書いたのは大きな鯉。
杉三「誰の背中を預かったの?」
蘭「まだ、お若いかただよ。女の人。」
杉三「そうかあ、女の人もいれるよね。」
というような、世間話をしていると、
不意にインターフォンがなる。
声「すみません。」
中年の女性の声だ。
杉三「どうぞ。あいてますよ。」
声「お邪魔します。」
杉三「はい、お入りください。」
靴をぬぐおとがして、女性がはいってくる。中年と思われるが、若い大学生がよく着ているスーツを着用していた。
女性「お二方に、おねがいしたいことが、ございまして。」
蘭「は、はい。なんでしょう?」
女性「実は、慰問演奏をお願いしたいんですよ。」
杉三「いもんえんそう?何ですかそれは。」
蘭「高齢者施設とかで、演奏することだよ。」
女性「全くその通りです。施設は幸せの谷という、老人施設です。」
杉三「どこにあるんですか?」
女性「静鉄ストアの近くです。」
杉三「どんな人がいるんですか?」
女性「一人か二人は、認知症の方もいますが、あとはごく普通の高齢者です。このような演奏は、お二人はお嫌いですか?」
蘭「好き嫌いというより、何を弾けばいいのかわからないし、僕も体が完全ではありません。だから、」
杉三「いの、いのは一絃琴があるじゃないか、それに、歌だってうまいじゃん。」
女性「そうですよ、伊能先生は、刺青師としてご活躍されているだけではなく、一絃琴奏者としても素晴らしいと、奥さまからききましたよ。」
蘭「アリス、また、余計なことをいってくれたな。ほんとに、、、。」
杉三「僕は、古筝しかできませんが、それでもよければ。」
蘭「ああ、とうとうそうきたか。」
女性「そうですよ。伊能先生の、日本の詫び錆びの心の典型といえる一絃琴と、杉三さんの、華やかできらびやかな古筝。何とも素敵ではありませんか。ぜひ、やってくださいよ。」
杉三「僕は、高山流水をやります。名曲だから。あと、茉莉花も。」
女性「まあ、嬉しい!きっと、利用者の皆さんも喜ぶでしょう。」
蘭「すぐにその気になるんだから、杉ちゃんは。だから、困るんだ。読み書きも計算もできないのに。」
杉三「いいじゃないか、いの。頼まれたらやらなきゃいけないさ。いのは、みんながしっている曲をやってあげてよ。」
蘭「杉ちゃん、いつのまにか僕のことを、いのって呼ぶようになったね。最近体調よくなかったから、一絃琴、何もできないよ。まあ、walking in the airとかなら、できるかも知れないけれど、まだ冬じゃないし。」
女性「それ、ぜひやってくださいよ!スノーマンのテーマですよね!」
蘭「でも、いまは秋ですよ。まだ、雪もふらないじゃないですか。そんなときに、その曲を演奏するなんて、変なやつだと思われるに、決まってますよ。」
女性「いえいえ、美しい曲は暑さ寒さなぞ、関係ありませんよ。現に、白雪姫の映画だって、気候の暑い国でも、上映されているんですから。あ、名乗るのを忘れていましたが、私は、白鳥ともうします。」
杉三「いつ、僕らは行けばいいんですか?」
白鳥「来週の土曜あたりに、来ていただけませんか?」
杉三「わかりました。一週間練習すれば、大丈夫です。」
蘭「杉ちゃん、、、。勝手に決めないでよ。まあ、、、仕方ないか。やりますよ。」
白鳥「ありがとうございます!ぜひ、よい演奏をきかせてあげてください!」
杉三「わかりました。」
白鳥「当日、お迎えに参りますので。皆さんに伝えておきます。きっと、大喜びしてきいて下さるとおもいますわ。では、施設に報告しますので、おいとまさせて、いただきますね。ありがとうございました!」
と、急いで立ち上がり、玄関から出ていってしまう。
蘭「ちょ、ちょっと!」
杉三「さあ、そうと決まれば、練習だ!」
と、真剣な顔をして茉莉花を弾き始める。蘭は、大きなため息をつく。
一週間後。杉三の家の前に、ピカピカの高級なハイエースがやってくる。
蘭「ああ、とうとう来たか。」
杉三「嬉しいな。」
蘭「杉ちゃんはあがらないから、そこだけは羨ましいよ。」
インターフォンがなる。
白鳥「おはようございます。今日はどうぞよろしくお願いいたします。」
と、同乗していた男性職員二人が、杉三と蘭を車いすごと運び、二人を高級ハイエースにのせる。
白鳥「お二人の楽器もしっかり運んでね。」
杉三「古筝、入るかな。」
白鳥「大丈夫ですよ、ストレッチャーも入るようになってるから。」
杉三「そんなものまで、運べるんですか。」
白鳥「そうよ。寝たきりの人だって、たまには、どこかに出掛けたいという気持ちになるでしょうし。」
男性二人、古筝と、一絃琴をのせて、
男性「施設長、乗りましたよ。」
と、告げる。
蘭「ああ、施設長さんだったんですね。そうとは露知らず、おかしな、振る舞いをして、すみませんでした。」
白鳥「いえいえ、名ばかりよ。何にも役にはたたないわ。取りあえず、出発するわよ。」
と、男性職員二人と一緒に車にのり、自らの運転で施設まで車を飛ばしていく。
40分ほど車にのり、
白鳥「ここよ。」
と、白い建物の前でとまる。
蘭「なんだか、小さな病院のようですね。」
白鳥「そうでしょ。医療期間と提携していないと、やっていけないのよ。お二人を下ろして、楽器を持っていって。」
男性職員二人は、手早く杉三と、蘭を下ろす。
杉三「ああ、曇ってきたね。」
蘭「そうだね。」
頭上には黒い雨雲がかかっている。
白鳥「ああ、ここは雨が降りやすい地形なのよ。」
蘭「富士市も広いですからね。」
白鳥「降ってもそのうちやむわ。この時期だから降りやすいけど。」
男性「施設長、楽器、入りましたよ。」
杉三「そしたら、僕らも入ろうか。」
二人は、男性職員に連れられて、施設の中に入る。その殺風景な廊下を通り、集会室と書かれた、広い部屋にはいる。
白鳥「皆さん、今日は素敵なお客様が見えました。古筝奏者の影山杉三さん、一絃琴奏者の伊能蘭さん。お二人に、音楽を演奏していただきます。」
部屋には、何人かのお年寄りが待っていた。
蘭「walking in the air をひきます。」
蘭は、ラジカセから流れてくる打ち込みで作った伴奏を頼りに、一絃琴をひきはじめる。そのむなしいメロディに、お年寄りたちは涙を流す者も。
続いて、 杉三が、高山流水、茉莉花をひくと、大拍手となる。
演奏が終わると、お年寄りたちが、声をかける。
お年寄り「おお!二人とも、女みたいに綺麗じゃないか!二人は兄弟か?」
蘭「ちがいますよ。」
この人は、かなり認知症が、進んでいるのだろう。首からよだれ掛けをつけていた。
杉三「ねえ、おじいちゃん。」
お年寄り「なんだ?」
杉三「どうしてあざが顔にあるの?」
お年寄り「ああ、神社にいって、あまりにも写真をとりたくなって、雲ばかり見ていた。そうしたら、前方不注意で、鳥居にごちーんとぶつかってしまったんだ。」
杉三「ぶつかったら、額にあざがつくとおもうけど?それは、ないじゃない。どうして唇が切れているの?」
蘭「ほら、杉ちゃん、もう、帰らないと。」
杉三「どうして唇が切れているの?」
蘭「杉ちゃん、早く!」
杉三「どうして唇が切れているの?」
白鳥「杉三さん、車が待っているから、ご準備を。」
杉三「どうして唇が切れているの?」
蘭「すみません、施設長。彼は、こだわりが強くて、答えが出るまで何回も質問をするんです。何があろうが必ずです。」
と、いい、一万円札をわたす。
お年寄り「まあ、、、ここではいろいろとあってね。」
すると、いきなり声が。
声「ぎゃーっ、怖い怖い。」
お年寄り「ああ、またやってるよ。あのひと。」
杉三「あの人って誰の事?」
お年寄り「ああ、二階に住んでる、田中さん。頭を洗おうとすると、ああいう声を出すんだよ。」
杉三「頭を洗うだけでそうなるんですか。」
お年寄り「うん。私らも、いずれはそうなると思うと、辛いものがあるよ。」
杉三「でも、そうならないお年寄りをたくさん知ってますよ。」
蘭「杉ちゃん、もういい加減にして、準備をしないと。でないと、施設長さんたちの、迷惑になってしまうよ。」
声「いいかげんに、死んでしまえ、お前見たいなくそ婆は!」
杉三「今の、女の人の声だったよね。」
お年寄り「年寄りは、女でも運べるくらい軽いものだよ。」
杉三「死んでしまえといったよね。」
お年寄り「仕方ないさ。私らは、社会の不純物にすぎないんだから。もう、あとは死ぬしかないんだもの。本来、こういう人間を相手にするなんて、これから羽ばたいていく、若い人の職業にはふさわしくないよ。昔は、人生五十年とか言って、はやく死ぬことができたけど、長寿というものは、不便でもあるんだよね。」
声「殺されるよ!死ぬよ!助けて!」
声「勝手に死んでいればいいでしょ!あんたたちなんか、どうせ、若者を散々苦しめてきたくせに!素直に従えばいいのに!本当に死にたいなら、今殺してあげるから!」
蘭「僕らもきっと、そうみられているんだろうなあ。」
職員「本当に困りますね。小野さんは。せっかくお二人にきてもらって、みんなが明るくなれたのに、ああして、ぶち壊しにするなんて。」
杉三「ああ、あの人、小野さんっていうんだ。」
白鳥「仕方ないわね。私が行ってくる。ごめんなさい、もう少しまってね。」
蘭「は、はい。」
杉三「僕も行く!」
蘭「杉ちゃん、身の程を考えろよ!」
杉三「だって、かわいそうだもの。」
蘭「かわいそうって、認知症の患者さんは、ああいう風に言わないと、通じないこともあるんだよ。無理やり動かさなきゃならないんだから!」
杉三「ちがうよ。」
蘭「違うって、何が?」
杉三「かわいそうなのは、小野さんのほうだ。」
蘭「職員さん?そんなわけないじゃないか。」
杉三「ううん、ああいう態度しか患者さんに、接することができないということだから。それは、本当にかわいそうということだから。」
蘭「杉ちゃんって、時々わからなくなるときがあるよね。」
杉三「白鳥さん、僕を二階へ運んでください。そして、その女性の方に会わせてください。僕を、呼んだのはそのためでも、あるでしょう。外の人に、みてもらいたかった。その方が、客観的な事実ができるから。」
お年寄り「よせ、それはやめたほうがいい。君も車椅子なんだし、あの女に傷つけられたら困るでしょうが!」
杉三「僕は馬鹿だから、大丈夫。」
白鳥「いいわ。まさしく、ずぼしよ。来てちょうだい。ここはエレベーターもあるから。」
職員「いや、しかし、この人は、、、。」
白鳥「いいのよ、この人は、私達にないものを持っているわ!時にはそういう力も必要よ!じゃあ、杉三さん、行きましょう。」
と、彼の車いすをおして、エレベーターで二階に行ってしまう。
二階に行くと、激しい叫び声が聞こえる。
声「うるさいわね、くそ婆!本当に死んでしまえばいいのよ!」
そして、水道の音が止まる。
声「ほら、もう頭あらったから。自分で拭いて!」
と、タオルを投げつける音。
声「どうして、そう自分でできないの!まったく、くそ婆ね!だったら、おとなしく寝ていて頂戴よ!」
と、車いすの音がして、乱暴に扉を開ける音。
声「何をするの!怖い!やめて!」
声「うるさいわね!もう、何も言わないで、さっさとお昼寝して、いい夢でも見てて!」
と、重いものを投げ落とすドスン!という音。
声「いたあい!」
声「知らないわよそんなこと!どうせけがをしたって、私達より早く死ねるんだから、治すなんて無駄よ!そのままでいいわ!」
ドアを閉めるバタン!という音がして、一人の女性職員が部屋を出てくる。
杉三「髪の毛、乾かしてあげないと、おばあさん、風邪ひくよ。」
白鳥「小野さん。いつまでそういうことを繰り返すつもり?いくら認知症とはいえ、利用者さんは動物じゃないのよ!そんな言い方をして、彼女がいくら傷ついているのか、わかってるの!」
そういわれた女性職員は、一見すると、どこにでもいそうな女性であった。不良のような風貌もない。年は、20代後半から、30代前半と思われた。
白鳥「もうすこし、お年寄りたちの立場を考えてあげて!」
小野「いいえ、わたしはちゃんと考えています。第一、認知症の人なんて、私が誰であるかわからないんですから、多少脅かすようにしなければ、したがってくれないじゃありませんか。施設長は、ただ、指示を出すだけだから、現場がいかに大変なのか、わからないんです!」
白鳥「若い人はみんなそういうけど、仕事は、不満を自分で処理していけるようにならなければいけないのよ。」
小野「それじゃあ、もう少し賃金を上げるとか、何とかできないんですか!」
白鳥「それは、、、。」
小野「ほら、施設長だって、言えないことがあるじゃないですか!皆私達若い人に、ダメな役を押し付けて。自分たちはそれを、遠くで笑っているだけでしょ!だから、私は嫌なんです!」
杉三「辛かったんだね。」
小野「ええ、そうですとも。だから、私、生きていても楽しいことなんか何もないんです!」
杉三「そうだよね。わかる人は、わかるんだよね。年よりは、ずるいって、感じちゃうんだよね。きっと、僕みたいな歩けない人に対しても、同じような憎しみをもっているでしょう。きっと、家でも学校でも、どこに行ってもおんなじことを言われ続けてきて、本当に傷ついているんでしょうから。それしか、言われたことがないのなら、そういう態度になっても、仕方ないよ。」
小野は、口をあけたりしめたりしながら、呆然としている。
杉三「きっと、君は学校でも、どこでも、楽しむことを許されなかったんだろう。そして、大人になっても、すきなお仕事も何もなくて、たまたま広告でも見て、この施設に入ったんでしょう?違う?」
小野「わたし、、、。」
杉三「ううん、顔を見ればわかる。もしかして、意識的に感じていないのかもしれないけれど、きっと、頭の中ではそう感じてるはず。だから、そういう態度しか取れなかったんだ。大人への、憎しみというものしか、身についてこなかったんだろうから。でも、考え直してほしいな。命って、何十個もあるものじゃないんだ。それは、僕も、君も、施設長も、お年寄りも、みんな同じなんだよ。」
杉三たちが話していたころ、一階では、ざわざわとお年寄りたちが話していた。
お年寄り「小野さんは、いつからああいう態度になったんだろうな。俺も、昨日、彼女におもいっきりぶたれてしまった。だから、こんな唇に。」
と、先程杉三がみた、唇をさわる。
お年寄り「確かに、わかりませんね。私は三年前にここに来たけど、彼女は冷たいままでしたよ。」
お年寄り「ええ、最初はひどいこというなあ、と、思ったけど、もう、住めば都だし。慣れてしまったわ。」
お年寄り「そうですよ、あたしたちは、ここしかないもの。息子たちも仕事で忙しいでしょうし、まさか出たいとは言えないわ。」
お年寄り「そう。それに、ほかの職員さんはひどいことは言わないことを考えれば、まだましさ。俺の、弟が、通っているデイサービスなんて、
もっとひどいといってたからな。上には上がいるもんさ。だから、我慢しているしかないんだよ。」
蘭は、お年寄りたちの話を黙って聞いて、時々相槌を打っていたが、次第次第に、呼吸が苦しくなってきて、、、。
二階。
小野「でも、私は、、、。」
と、何か言いかけたとき、突然、人が倒れる、どさりという音。
お年寄りの声「あ、蘭先生!だ、大丈夫ですか!」
杉三「いのが倒れたって?早く僕を下ろして!お願い!」
表情が一気に泣き顔に代わっていく。
白鳥「わかったわ!小野さんも一緒に来なさい!」
小野「私は、このあと、別の、、、。」
白鳥「来なさい!」
と、彼女をひっぱたく。
杉三「早く!」
白鳥は、車いすを猛スピードで押して、エレベーターまで連れていく。小野は戸惑いながらあとをついていく。
三人、エレベーターを降りて、一階へ。
一階では、蘭が、利用者さんのための肘掛いすに座っていた。顔は真っ青で、肩で大きな息をしている。お年寄りの一人が、体をさすってやっていた。
杉三「いの、いの、大丈夫?」
と、蘭の右手を握る。そして、幼児のように泣きじゃくる。
職員「お医者さん、呼んできましょうか?」
白鳥「そうしてあげてちょうだい。私たちが招待した方だから。」
杉三「僕、行ってくる!」
職員「だめですよ、杉三さん。外を見てください。雨が降っているじゃありませんか。車いすでは、危なくていけませんよ。」
杉三「いやだ!なんとしてでも行く!あの高級なハイエースにのればいける!」
職員「そうですけどね、ほかの利用者さんの都合で、いま不在です。ハイエースは一台しかないんですよ!」
杉三「じゃあ、押して行って!」
職員「それは危険すぎますし、遠すぎますよ。ここから、17キロ離れてますから。」
杉三「だから、組織というものはいやなんだよ!どうして、こういう時になると、すぐに行動に移せないの!」
白鳥「わたし、介護タクシーの手配しましょうか?」
小野「私にやらせてください!」
あたりは一瞬静かになる。
小野「私が蘭先生を病院まで連れていきます。」
お年寄り「小野さん、外部のお客様にまで手を出すのかい?」
小野「そんなことないんです。だって、大事なお客様ですから!」
お年寄り「小野さん、私らには、緊急呼び出しのボタンを押すと、爆発するからよせと脅かしていたのに、このひとの前では優しくなるのかい?」
小野「それとは、話が違います!」
お年寄り「同じだよ。小野さん。さっき、田中さんを風呂に入れたときも、酷いことを平気で言ったじゃないか。おんなじことをほかの利用者さんにも言っている。彼を何とかするならば、私たちをもっと大事にすると、誓ってほしいね。」
杉三「本当に死にたいなら、今殺してあげる、、、。どうせけがをしたって、私達より早く死ねるんだから、治すなんて無駄よ、、、。」
お年寄り「なるほど、そんなことをいう人に運ばれたら、蘭先生は悲しむだろう。」
杉三「とにかくいのを助けて!お願い!」
小野「わかりました!これからは真人間になります!そう誓います!施設長、ハイエースはだめだけど、ほかの車はありますよね!」
白鳥「ええ、あるわ。でも、貸すのには条件がある。蘭先生を、大事なく連れて帰ってくることよ。」
小野「はい、必ず連れて帰ります。」
杉三「僕も一緒にいく!」
小野「はい、ぜひ一緒に行ってください!わたし、車出してくるわ。」
と、傘も持たずに外へ飛び出していく。数分後、高級ではないが、一台のセレナが正面玄関の前にやってきた。
小野「これなら、車いす一台と、リクライニング車いす一台は乗れるわ!一緒にいって大丈夫よ!」
と、蘭を肘掛椅子からリクライニング車いすに移し替え、セレナに乗せる。蘭は驚くほど軽かった。
お年寄り「もう、こと切れてしまわないだろうか、、、。」
蘭「いえ、、、そんなこと、、、。」
しかし、意識がもうろうとしている。
小野は急いで杉三を車いすごとセレナに乗せ、
小野「じゃあ、施設長。行ってきます!」
と、運転席に飛び込み車を飛ばしていく。病院はここから17キロは離れている。
杉三「いの、しっかりして!必ず帰ろうね!もっと、速くはしれない?」
小野「ああ、この先は工事中だわ。高速道路を利用しましょう。」
と、開通したばかりの高速道路に乗り上げ、制限速度を超えて車を飛ばしていく。やがて車軸を流すような雨になるが、小野はそれでも、構わずに、車を飛ばす。途中、スポーツカーを追い越し、その運転者からの文句もあったが、まったく聞こえなかった。
高速道路をすぎると、「循環器内科」と、かかれた病院があった。小野は乱暴に車を玄関の前で止め、蘭を背負って病院に飛び込んだ。
小野「すみません、幸せの谷のものです。この人が、訪問中に倒れてしまって!見てやってくれませんか!」
受付「はあ、あの有名な虐待施設ですか。うちはちょっと、、、。」
小野「そんなこと言わないで、このひと、苦しんでいるんですから!」
受付「そうですけどね、幸せの谷から、何人の患者さんがこちらに運び込まれたとお思いですか?こちらだって、警察にいろいろ聞かれたりして、非常にこまっているんですよ。もしよろしければ、ほかの病院紹介しますけど?」
小野「そんなこと言っている暇はありません。もう、意識も朦朧としています。処置をお願いしたいです!」
受付「うちの病院のメンツにも困ります。お引き取りを。」
現に、受付の隣にある待合室では、患者たちが帰り支度を始めている。
患者「ああ、幸せの谷から、また来たのか。」
患者「一緒にいたくないわね。あの、老人施設。」
患者「すでに三人なくなっているんだったわね。みんなストレスによる、心臓とかでしょ。行きたくないわよあんなとこ。」
声「蘭を助けて!お願い!お願い!」
小野「杉三さん!」
声「この人は、悪い人なんかじゃない!やり方を知らないだけんだよ!」
と、いい、車いすの音。みると、びしょ濡れになった杉三が、そこにいた。
小野「杉三さんどうしてこちらに?一人で乗り降りはできないのに!」
杉三「うん、後ろのドアが開けっぱなしだったから、出してくれたんだ。院長先生がね。」
隣には、やはり、びしょ濡れになった院長が。
院長「患者さんを、診察しましょう。命は一つしかありません。」
と、ストレッチャーをもってきて、蘭をその上に乗せる。
院長は蘭の脈をとり、
院長「ああ、大丈夫ですよ。軽い発作だから、しばらく休めば意識を取り戻すでしょう。発見が早くてよかったですね。では、強心剤を点滴しておきましょうか。」
と、彼を処置室に連れていき、点滴を打つ。
院長「はい、これで、目をさませば大丈夫。」
小野「そばで、待たせてもらってもいいですか?」
院長「はいどうぞ。ここで、おまちください。」
と、椅子をもってきてくれた。
小野は、その椅子に腰かけ、杉三が隣に車いすでやってくる。
小野「杉三さんって、すごいですね。どうして、私が内心考えていることを見抜けるんですか?」
杉三「どうしてでしょうか。僕にもわかりません。頭で考えることは本当は苦手なんです。単に、ああ、この人、こんな感じだなと、感じられることはありますけど。」
小野「私、やっぱり、介護の仕事は向かないのかな。」
杉三「いえ、さっきもいったけど、やり方を知らないだけです。だって、人間は歴史から学ぶなんてことは絶対にできませんから。お手本があるわけでなし、せいぜい学校で勉強してくるしかお手本はないですよ。もし、学校でちゃんとお手本があったなら、間違いはしないけれど、お手本がなく生きてきたのに、いきなり、飛び込んでしまっては、やり方を間違えるのも仕方ないですよ。初めて会った時から、僕は、この人は悪い人ではないと、ずっとおもってました。」
小野「どうして、そんなことが分かってしまうんですか?」
杉三「僕はあきめくらだからです。みんな馬鹿の一つ覚えで覚えているだけです。」
小野「あきめくら、、、。ディスレクシアのことですね。いろんな俳優さんも、そういっていますけど、、、。身近にそういう人がいるとは、夢にもおもいませんでした。本当に杉三さんは心がきれいな方ですわ。」
声「あれ、、、僕、、、。」
杉三「いの、目が覚めたか!よかった!」
小野「ああ、本当に、、、。」
蘭「運んでくれたんですか。ありがとうございます。」
小野「涙が止まらないわ、、、私、、、哀しいわけじゃないのに、、、。」
蘭「僕のほうが申し訳ないくらいですよ。迷惑をおかけしてすみません。あとで、施設長さんに謝りますので。」
杉三「小野さん、どうしてこの仕事についたの?」
小野「わたし、学歴がないから。」
蘭「中卒ですか?」
小野「はい。高校を中退しました。どうしても、学校がいやで引きこもりました。」
蘭「いつから、幸せの谷で働き出したんですか?」
小野「父が亡くなった年からです。引きこもってはいられないと思って、一番求人率が多かったこの仕事にしました。」
杉三「でも、そこは、酷いところ。」
蘭「心の整理が済んでなかったから、虐待してしまったんですね。」
小野「お二人にはかないません。みんな、わかってしまう。」
杉三「学校では、ひどい目にあっていたんですね。だから、中退したんでしょう?でも、現役よりずっと偉い人はたくさんいます。そう思えば、自分に自信がでるし。ぬくぬく高校というぬるま湯にひたるよりも、中退して社会に出たほうが、経験値もあがるはずですよ。自信をもって!」
小野「ありがとうございます、、、。私、これからも、この仕事を続けていきます。」
院長が入ってきて
院長「目が覚めたんだね。うん、顔色もいいし、よし、ご自宅に帰って構わないよ。もし、また調子悪くなったら、またいつでも診察するからね。」
蘭「ありがとうございます。杉ちゃん、本当にごめん。そして、小野さん、ありがとうございました。」
と、二人に頭をさげる。
院長「外はいい天気になったよ。乗り降りは、手伝うからね。」
蘭は、リクライニング車いすに乗せてもらって、セレナに乗り、杉三はそのあとで、セレナに載る。
小野「ありがとうございました!」
杉三「さようなら、院長さん!」
と、杉三はての甲を向けてバイバイし、蘭は軽く会釈して、病院を後にした。
空は見事な青空。素晴らしい秋晴れであった。
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