誰よりも美しい女

蘭の家。インターフォンが鳴る。

アリス「蘭、お客様ですよ。」

蘭「はい、今行きます。」

と、玄関に出て行く。

蘭「はい、どうぞ。」

声「お願いします。」

と、引き戸を開ける。そこには一人の女性が立っている。しかし、その風貌は、

なんとも奇妙だった。

蘭「ご予約の方ですか?」

女性「さっき、電話しましたけど、、、。奥様が出て。」

蘭「ああ、そうですか。で、今日は、何の用事なんです?」

女性「決まっているじゃないですか、貴方に背中を預けに来たんです。こんな

デブでも、彫ってくれますよね?」

蘭「まあ、とりあえずお入り下さい。ゆっくり話しをしましょう。」

女性「よろしくお願いします。」

と、靴を脱いで応接間に入る。その靴は、彼女の体格にあわず、非常に小さか

った。

アリス「はい、お茶ですよ。暑いわねえ。ゆっくりしていって。彫師は怖いと

いう、イメージがあるけど、この人はなにも、怖くないからね。」

と、彼女の前に紅茶を置く。

アリス「どうしたの蘭。何を考えているの?」

蘭「貴方、お医者さんにかかってます?」

女性「何を言うんですか?」

蘭「だから、単にデブという言葉では、片付かないと思うんですよ。胴だけが

太っているのに、何でそんなに足が小さいんです?」

アリス「まあ、失礼しちゃうわよね。蘭。だって相撲取りみたいな人に彫った

ことがあるでしょうが。」

蘭「そうだけど、この人は女性だし、相撲取りのよう体型にしては、それが度

を越していると思う。彫るまえに、医者に相談してくれませんか?彫ったとき

に、何かあってからでは遅すぎるから。」

女性「やっぱり、私みたいなデブは、彫ってくれないんですか?お願いします

、職場でもでぶでぶといわれて、結婚どころか恋愛もできないし、上司には、

嫌がらせをされているから、デブはデブなりの強さを見せたいんです。お願い

できませんか!」

蘭「確かに強くなりたいから彫りたい人は大勢います。でも、それをするため

には、膨大なエネルギーが要る。病気の人は、そこで事切れてしまうこともあ

ったんです。それに、貴方はまだ若い女性なんですから、もう少し待てば、恋

愛ができるかもしれませんよ。」

女性「私、病気なんかじゃありません。だから大丈夫です。彫ってください。」

インターフォンが鳴る。

声「蘭!買い物いこう。」

アリス「ああ、杉ちゃんだ。私応対するわ。」

と、玄関に向かう。

アリス「ごめんね、蘭、ちょっと取り込み中で。」

と、引き戸を開ける。

杉三「ちょっとってどれくらい?」

蘭「いいよ、アリス。杉ちゃんも仲間に入れて。」

アリス「わかったわ。暑いものね。じゃあ、上がって頂戴。」

杉三は車いすの車輪を拭いて、応接室に入る。

杉三「こんにちは、あ、新しいお客様。」

女性「このひとは、、、。」

蘭「僕の友達の杉ちゃんです。」

女性「よろしくお願いします。私、吉原幸子です。」

杉三「影山杉三です、よろしく。」

と、右手を差し出して、幸子の手を握る。

杉三「相撲取りみたいだけど、足腰、大丈夫なんですか?」

幸子「どういうこと?」

杉三「だって、足がそんなに細いから、、、。転んでしまわないか、心配で。」

蘭も、彼女の足を見る。

確かに、腹には脂肪が付いていて、相撲取りのように見えるのだが、それ以外

以外のところは、普通の人と変わらないばかりか、寧ろ細く見えるのだった。

杉三「幸子さん、池本先生に見てもらったら?」

幸子「何で?ただのデブなだけなのに?単にダイエットをもっとしろ、って、言

われるだけだわ。」

蘭「いや、僕もみてもらってほしい。でないと、背中を預かることはできません

から。」

幸子「仕方ないわ。行きます。」


池本クリニック。幸子は採血したり、MRIを撮ったり、、、。全ての検査が終わ

った時は、夕方近かった。

診察室に結果を聞きに行くと、池本院長は厳しい顔でカルテを見ていた。

杉三「ど、どうですか?院長。」

院長「うーん、これでは、呆れて物が言えませんな。」

杉三「どういうことですか?」

蘭「杉ちゃん。君のけっかじゃないんだから。」

院長「はい、いわゆる、クッシング症候群ですね。正式名称は、下垂体性ACTH

分泌亢進症というものです。」

杉三「それはどういうものなんですか?」

院長「つまりですね、下垂体から、ACTHというぶしつが大量に分泌されている

から、そのような体型になるのです。」

杉三「で、その後どうなりますか?」

院長「はい、下垂体の腫瘍を摘出するのが最適の治療だとは思いますが、彼女

の場合、かなり進行してしまっているので、摘出できるかも不詳なんですよ。」

杉三「そんな、馬鹿なことって、あるんですか?」

蘭「ほら、また泣く!」

院長「どうですか、静岡がんセンターとか、いってみますか?」

杉三「ぜひ、連れて行ってあげてください!そして、又、帰ってきて、仕事が

できるように。」

幸子「このままで良いです。」

杉三「だめだよ!そんなの!ちゃんと、体をなおさなきゃ。命にはかえられな

い、粗末にしてはいけないんだ!」

幸子「いいじゃない。生きるか死ぬかは私の問題で、杉三さんの問題じゃない

のよ!これで死ねるほど、嬉しいことはないわ!そうすれば、自殺ではないか

ら、家族だって悲しみはしない。」

池本「そうかもしれないけど、命って言うのは、軽んじてはいけないものなん

だよ!」

幸子「なによ、医者のくせに!世の中には、人のために生きようとする人なん

てどこにもいないわ!みんな、自分がお金を儲るだけに生きていて、奇麗事は

言うのかもしれないけど、それは自分を綺麗に見せたいだけ!どうせ、発言し

たって、生徒会長とかやったって、大人が私をかっこよく見せて、自分がうち

の子は偉いって自慢したいだけなの!人間なんて、そんなもの。子供は無責任

な大人の道具に過ぎないし、大人になれば自分が金を得て、贅沢をしたいがた

めに、お互いをそれぞれ道具にしているだけなのよ!医者とか、介護とか、福

祉とかの仕事をしている人は、周りの人からは偉そうにみえるけど、本人にと

ってはただ、自分を良い人に見せたいだけ!もうそういう人たちはこりごりな

の!だから自殺したほうがいいって考えていたの!そんなやさきに、難病の宣

告がきたなら、これほどの幸福はないわ!」

蘭「玩具にされたんだね。大人の。」

杉三「あの、」

幸子「なに?」

杉三「家に帰っても、何にもないんでしょう?」

幸子「ええ、戻りたくなんかないわ、実家なんて。」

杉三「だったら、僕たちと一緒に暮らさない?僕のうち、小さいけど、余って

いる部屋があるから。」

池本「なるほど、それはよい考えだ。こういう人にとって、障害のあるひとは、

メサイアになる事もあるからね。」

杉三「じゃあ、僕の家にかえろうか。」

幸子「はい。」

杉三「よかった。」

二人、杉三の家に行く。


スーパーマーケット。夕飯の買物に、幸子と杉三が来ている。

幸子「杉三さん今日は何を作るの?」

杉三「カレーを作ってと、お母ちゃんから。」

幸子「カレーか。まずルーを探さなきゃ。」

と、車いすを押して、カレールーの売り場に連れていき、

幸子「ゴールデンカレーとかおいしいわよね。」

杉三「僕は、ジャワカレーがいい。」

幸子「いつもそれなの?」

杉三「そうだよ。」

幸子「たまには違うのを食べてみましょうよ。」

杉三「いやだ、絶対だめ!」

幸子「でも、大して味も変わらないと思うけど、、、。」

杉三「全然違うよ。」

幸子「じゃあ、あたしが一回、ゴールデンで作ってみようか?」

と、ゴールデンカレーの箱を取る。

杉三「ぜったいだめ!戻して。肉と、お野菜は、静岡県産のコーナーで買って。」

幸子「わかったわよ、じゃあこっちね。静岡でなくても十分おいしいところあるのに。」

杉三「だめなんだよ。静岡は静岡のものを食べなくちゃ。」

そこへ行ってみると、売られている野菜はブランド品ということで、ほかのコーナーよりも高い。

さらに、野菜たちは、ハウス野菜ではないらしく、不恰好であった。

幸子「杉ちゃん、これみんな高いから、今の持ち合わせでは足りないわ。ほかの

お野菜はダメかしら?」

幸子の言うことを無視し、杉三は早くもほうれんそうと、山東菜をとって、かごに

入れる。

幸子「せめて、その二つにしてね。」

しかし、杉三はお玉菜も入れる。

杉三「肉は静岡県産の牛肉。」

と、言って、勝手に肉売り場に行き、肉の塊を一つ入れる。

幸子はまっさおな顔になる。これでは、とても払いきれない。払いきれないと、杉

三は自傷行為に走ってしまうと蘭から聞いていた。

幸子「杉ちゃん、こんなにたくさん買って、栄養はつくかも知れないけど、これを

買うには、お金というものが必要なのよ。それが足りないと、おまわりさんにつか

まることだってあるわ、そうしたら、困るでしょう?だから、お野菜を少し減らす

とか、、、。」

杉三「いやだ!野菜がとれないと、体がダメになるんだ。」

幸子「でも、お金がなければ買いに行けないのよ!」

杉三「お金なんかどうでもいい。食事をとるということは、体を立て直すことだし、

人間は植物じゃないから、必ず何か食べないと。」

幸子「でも、お金がないのよ!わかってよ!」

おばあさん「あの、、、。」

幸子「なんですか!」

おばあさん「すぐそこに、ATMありますから、下ろしてくればいいんじゃないですか。

杉ちゃんを止めるには、よほど信頼されていないとできませんよ。入れ墨の先生だって、そうだっ

たんですよ。」

確かに、目の前に、ATMと書かれた小さなスペースがあった。

幸子「それ、早くいってくださいよ。」

おばあさん「いやいや、杉ちゃんではわからないから、あなたが早く気が付いてあげ

てね。」

と、いい、去っていく。幸子は、ATMで、とりあえず一万円おろし、杉三をつれてレジ

に向かう。幸い一万円札のおかげで、すべての材料を買うことができた。

レジ係「今日はカレーですか。杉三さんらしいわ。こんなに体にいい野菜ばっかり買

って。」

杉三「そう。人間は自分で栄養を作ることはできないからね。」

レジ係「それじゃあ、四十五にもなって、そんなに綺麗なのも頷けるわね。」

杉三「うん、でも、今日は、このお客様に食べてもらうんだ。彼女、少しわけがある

からさ、僕らよりもっと、栄養あるものを食べないといけないんだよね。だから、お

野菜も、肉も、高級品にしたんだ。」

レジ係「ああ、あなたがお客さんなのね。こんな栄養のあるカレーを作っていただい

て、幸せね。」

幸子「わたしのため?」

杉三「そうだよ。だって、一日でも長く生きていてほしいから。」

幸子「杉ちゃん、私への気遣いは不要よ。」

杉三「絶対ダメ。何か食べないと、君は立ち直れない。」

幸子「余計なことばっかりして、、、。」

レジ係り「杉ちゃんなりの、愛情なのよ。」

幸子「ただの金取しか。みえませんけどね。」

杉三は持っていた風呂敷で食品を包み、膝の上に置いて車いすで帰っていく。急いで

幸子も追いかける。


杉三の家

幸子「ごめんなさいね。蘭も一緒にっていって聞かないから、、、。」

アリス「いいじゃない、杉ちゃんのカレーって、栄養満点でものすごくおいしいから。」

幸子「でも、いつもの夕飯はとっくに過ぎているでしょう?」

蘭「まあ、そうだけど、時計が読めない杉ちゃんには、関係ないんじゃないのかなあ。」

幸子「もう、煮込んで、二時間近くたってるのに、まだ食べれないって、どういう神経

をしているのでしょうか、あの人。」

杉三「できた!」

蘭「杉ちゃん終わった?」

杉三「うん、みんな食堂に来て!」

全員、そこに行く。テーブルの上にたっぷりと、カレーが乗っている。

蘭「いただきます。」

アリス「(一口運んで)おいしい!さすが、二時間煮込んだだけあるわね。お肉もやわら

かくて食べやすいし。」

蘭「どうですか、幸子さん。」

幸子「どどど、どこかのレストランで食事しているみたいです。」

確かにカレーは何とも言えない、おいしさだった。

杉三だけは、何も言わずにカレーを食べていた。その顔を、幸子は、不思議な気持ちでみていた。


翌日

杉三と、幸子は、いきつけの呉服店にいった。

幸子「着物やさんなんて、はじめていくわ。私、太っているから、自信がないのよ。」

二人、入り口から店に入る。

店主「おう、杉ちゃん、いらっしゃい。今日また、大島か。 」

杉三「女性もの、出してくれる?なるべくサイズの大きいもので。」

店主「女性の、大島か?」

杉三「違うよ。太ったかたにあわせられる、小紋がいい。できれば、紬じゃないほうがいい。」

店主「彼女にか?」

杉三「とにかく、何か出してきてくれ。」

店主「おう、わかったよ。杉ちゃん。ちょっとまってな。」

と、売り場から出てきて、適当においてある棚の中から、一着着物をだしてくる。

店主「杉ちゃん、これどうよ、これ。」

杉三「ああ、それがいい!」

朱に、麻の葉を黄色で染めた派手な着物だった。

杉三「ちょっと着てみてよ、」

幸子「えっ、私がですか!」

杉三「そうですよ、そのために来たんだもの。ちょっと着てみてください。」

幸子「着物って、お高いんじゃ、」

店主「一万円あれば、着物も帯も買えるよ。リサイクル着物だからね。」

幸子「何ですか、リサイクル着物って。」

杉三「要らなくなった着物を買い取って売ってるところだよ。」

幸子「そんなところがあるんですか。ちなみにこれは、おいくらなんですか?」

店主「千円でOKだよ。」

杉三「着てみてください。店長、袋帯も出して。」

店主「はいよ、赤だから黄色がいいだろう。着物は、日本人のためのものだから、

どんな体格の人にも、調和するようにできているから、大丈夫。」

幸子は、恐る恐る袖を通してみる。店主が、用意してあった腰ひもで、着物を縛り、黄色い帯をしめる。

店主「ほら、鏡を見てごらん、かわいいよ。」

幸子「わあ、自分じゃないみたい。」

杉三「これなら、すこし、コンプレックスを感じるのが、少しへるかな。」

確かに、腹や足は着物で隠れている。それに、ズボンやスカートをはく、必要がない。体に合う服がなかなかない幸子は、それが、魅力的に見えたのであった。

店主「どう?帯も千円で、大丈夫だけど?」

幸子「頂いていきます!本当にありがとう!」

杉三「僕も、気に入ってくれて嬉しいなあ。ほんとに、体のことを、気にしないでくれたら、もっと嬉しい。」

幸子「でも、杉ちゃん、私着付けができないわ。」

店主「いやいや、いまはね、簡単に着れるように工夫している人は一杯いるよ。いろんな仕立てかたがあるからね。」

杉三「鎌倉仕立てのことですね。」

店主「はいまさしく。仕立て直ししようか。それをすれば、すぐに着られるようになるよ。」

幸子「本当に、すぐに着られるのですか?」

店主「もちろん。じゃあ、暫くこちらで預かって、出来上がったら、取りに来てもらっていい?」

杉三「いいですよ。何日くらい待てばいい?」

店主「三日くらいあれば、大丈夫。」

杉三「じゃあ、取りにいくね。」

幸子は、帯と着物を適当に脱いで、店主に手渡し、

幸子「必ず、取りにいきますわ。よろしくお願いいたします。料金は、前納制ですか?」

店主「着物と帯がそれぞれ千円で、仕立て直しが二千円だから、四千円でいい?」

幸子「わかりましたわ。いま、出します。」

と、四千円を店主に渡す。

店主「ご自宅か、携帯の番号を教えてくれる?」

幸子「わたし、、、。」

杉三「ああ、僕のうちにかけてください。彼女は一緒に暮らしているんです。」

店主「ホームステイか。いいなあ。じゃあ、杉ちゃんの家に電話するから、取りに来てね。」

幸子「ありがとうございます。お電話、楽しみに待ってます!」

店主「なるべく早く仕立てができるようにしますから。」

杉三「なるべく早くね。じゃあ、あと、よろしくね。」

と、店を出ていく。

幸子「ありがとうございました!」

と、杉三のあとを追いかけて、出ていく。

電車の中。

幸子は、杉三が飽きずに、他の電車を眺めているのをみて、不思議に思う。不思議に、声をかけたくなった。

数日後、きものが無事にとどいた。

美千恵「いいじゃない、着てみて。その説明書通りに着ればいいのよ。」

幸子は、その通りにきてみた。おはしょりをする必要もなく、くっついていた紐をしばってみたら、りっぱな着物姿になった。袋帯は、文庫型の付け帯になっており、胴に帯を巻いて、ついている金具を背中にいれれば、ちゃんと、文庫になっていた。

杉三「かわいい!」

と、鏡を持ってきた。幸子は、洋装時とまったく違う自分に、驚きをかくせなかった。

美千恵「良いのを買ったわね。」

二人が、楽しそうにしているのを、幸子は妬ましく思ってしまった。

幸子「こんな派手なもの、私には。お返しするわ。」

美千恵「そんなことないわよ。そのくらいの、派手さでちょうどいいわよ。」

幸子「あんたたちは、私の着物姿をみて、笑いたいだけでしょ!」

杉三「そんなつもりではないよ。蘭ちゃんが、彫れないといったから、代わりのものをあげただけなの。」

幸子「意味が全然違うわ!あんたたちの、飾りもんじゃないわよ。わたしは、」

と、破るように着物を引き裂いて、脱ぎ捨てる。

杉三は両手で顔を覆いなきはらす。

美千恵「仕方ないわよ。それだけ、彼女は傷ついていると、いうことだから。」




また翌日。

杉三と、美千恵、幸子が朝食を食べている。

杉三「今日は、不動産屋さんに、いってみるよ。」

美千恵「ああ、それなら、百合不動産がいいわよ。良いマンションを探してくれるみたい。」

杉三「どうやっていくの?」

美千恵「岳南鉄道の、岳南原田駅のちかくよ。幸子さん、手伝ってやってくれる?」

幸子「はい、、、。あんまりやくにはたたないかも知れませんが。」

美千恵「じゃあ、お願いね。あたしも、手伝うべきだけど、介護職に、盆はなし!ゆっくりしてらっしゃい。」

幸子「はい、、、。わかりました。」

杉三は、ひたすらにきしめんをたべていた。


岳南原田駅から、目と鼻の先に、百合不動産はあった。スロープを用意してくれてあり、杉三は、すぐ、店に入った。女性の店長が、切り盛りしている店であった。

店長「初めまして、加藤百合です。よろしくお願いいたします。お二人は、もしかしたら新婚カップルかな?旦那さん、イケメンだし。」

杉三「影山杉三です。新婚ではありませんよ、母の影山美千恵の紹介で参りました。」

百合「ああ、美千恵ちゃんの息子さんなんだ。障害があるとはきいたけど、こんなに綺麗な人とは思わなかったわ。私は、中学の同級生なんだけどね。で、新しいお客さん、お名前をうかがってよろしいかしら?」

幸子「私は、、、吉原幸子です。」

杉三「今日は、彼女のすむへやを探しにきました。」

百合「わかりました。間取りとか、家賃の希望する額はありますか?」

幸子「私を、追い出すつもりなの?」

杉三「そんなことないよ、ただ、いま僕のうちにいると、自分のスペースがないことで、悩んでいるのが、よくわかるから。だから、近くに安いところがないかと思って、、、。」

幸子「勝手なことしないでよ!私を、初めから、追い出すつもりだったのね!あなたは、一緒に暮らそうとかいいながら、実際はもっと、酷いことをしてるのを、自分では、わからないでしょう!」

杉三「だから、それがわかるから、ここへ連れてきたんだよ!母ちゃんにも相談して!」

百合「ここで、喧嘩はやめてもらいたいのだけれど、」

杉三「私、こんなところにいていいのかしら、早くどこかで働いて、こちらとは、さようならをして、自立しなければ、、、。」

幸子「私がいった言葉、、、普段では綺麗に発音できないのに、なぜ、こういうときでは、しっかりと、人以上に記憶できるのかしら。あなた、人間とは思えないわ。」

百合「美千恵ちゃんも、若いときはそんなこといってたわよ。でもね、それはこの子なりの愛情だと思うようにしたら、全部のことが、素晴らしいことに、変わっていたって。この人は確かに、変なことばかり、口にするかもしれないけれど、悪意でもなんにもないのよ。そこをわかってあげて。」

幸子「あんたって人は、あたしを勝手に住ませて、勝手に追い出して無責任よ!」

杉三「ごめんなさい。隣の部屋で、君がないているのが聞こえてきたから、悪いことをしたんだと思ったんだ。」

幸子「もう!それなら、酷い家族であっても、その方がましだわ。仕事だって自分で選べなかったし、子供の頃は、成績の悪さで差別されて、ご飯だって満足に食べさせてもらうことはなかったけど、居場所がまだ、あったのよ!」

百合「素直に喜んであげてよ。杉三さんは、あなたがそんな酷い家族のもとにいたら、かわいそうだと思ったから、逃がしてあげようとしているのよ!」

杉三「僕はなんにも役に立たなかったんだ。」

幸子「そうよ!誰にだって一人になりたいときはあるのよ!それなのに、ああだこうだと心配されるなんて、嬉しくとも何ともない!」

百合「確かに、そういうことはあるかも知れないけど、杉三さんは、本気で心配してくれていたのよ。貴女は、そういう経験がないから、そうやって喜べないのね。私は、独身だからわからないけど、家族から傷つけられているのなら、いつまでもそこにいないで、優しい人を探しに行くのも、良いとおもうんだけど。杉三さんは、それを手伝いたかったのでは?」

幸子「あんたたちは、単純素朴すぎる。じゃあ、教えてあげる。家族を持つと、むやみに他人に頼ることはできなくなるのよ!誰かに頼ろうとしたら、世間体が悪いとかいわれて、もっとつらくなるの。

そして隣近所の人たちには、娘がもう少ししっかりとかしか言われないわ。今の若い子はだめだとか、仕事ができないとか、そんな話ばかりでて、まるで、生きていてはいけないように扱われるのよ!そして、としより達を介護しなきゃいけなくなる。幼い頃に散々悪口を言われてきたのが、動けなくなっていく。じゃあ、私の気持ちはどうなるわけ!どこへ出せばいいの?単にいい子になって、一生親の飾りもんになるだけばかりか、動けなくなっていったら、散々どなり散らした人たちを、私が世話をしなきゃいけないなんて!何で人間はこんなに、長寿な動物な訳?三十くらいまでで、十分すぎるほどだわ!」

杉三「その気持ち、一緒にいて、本当によくわかっていたから、僕はどうしても助けたかったんだ。」

百合「杉三さんは、優しいね。偉い人より偉いわよ。美千恵ちゃんがよくいってたわ。良いことも、悪いことも、うちの子はみんな感じちゃうから困るって。でも、それは、私たちにはできない能力だって。」

幸子「優しさなんかいらないわ。偽りであることは、よくわかっているから。ごめんなさい。私、帰ります!」

と、店から出て、ドアをピシャンと閉めてしまう。

杉三「あ、待って、幸子さん!」

と、無理矢理車いすを回転させる。

百合「行きなさい。」

と、ドアをあけてやる。杉三は、スロープから、道路に出て、

杉三「待って、待って、幸子さん!」

と、さけびながら、車いすをこいでいく。


暫くすると、踏み切りにやってくる。杉三は、誰もいない踏み切りを渡ろうとする。踏み切り渡り終わろうとした瞬間、ガタン!と、音をたてて、車いすは止まってしまう。車輪が、線路にはまってしまったのだ。

杉三「幸子さん!さちこさん!」

すると、鐘の音が聞こえてくるが、杉三には、どうすることもできない。

杉三「幸子さん!わあーっ!」

道路を歩いていた幸子は、誰かに呼ばれたようなきがしてたちどまる。

声「わあーっ!」

同時に鐘の音。

幸子はピンときた。となりを歩いていたおじいさんに、

幸子「おじいさん、その傘をかしてください!」

と、持っていた傘を強引に奪い、踏み切りに向かって走っていく。

幸子が踏み切りに戻ってきたその瞬間、電車が遠くから見えてきた。

幸子「杉三さん!これにつかまって!」

立ち往生していた杉三に幸子は傘の柄をつきだした。

杉三は聞き取れたらしく、傘の柄を持った。それを幸子は強くひっぱり、踏み切りのバーのしたに杉三の体を通らせて釣りだすことに成功した。同時に、電車は、車いすを撥ね飛ばして走っていった。

幸子に傘をとられたおじいさんがやってきた。二人の様子をみて、

おじいさん「けがは?」

幸い、二人とも怪我はしていなかった。

杉三「僕は、車いすがないと、あるけない。」

お婆さん「お嬢さんは?」

と、杉三も、彼女を見たが、幸子は肩で大きな息をしている。

おじいさん「病院、いく?」

杉三「池本先生のとこに。」

おじいさん「じゃあ、介護タクシーたのもうか。」

おじいさんは、鞄の中から携帯電話を取りだし、電話を掛ける。

おじいさん「いま、第二藤間踏み切りにいますが、池本クリニックまで、一台お願いします。あと、車いすを一台と、ストレッチャーを一台お願いね。」

と、電話を切る。

おじいさんは「五分くらいで来てくれるそうだよ。」

数分後、介護タクシーは、道路に座り込んでいた三人を、みつけてくれた。杉三を車いすにのせ、幸子をストレッチャーにのせて、おじいさんと一緒に、池本クリニックまで、運んでくれたのであった。到着して杉三は、丁寧に礼をいった。

連絡を受けて、蘭とアリスが駆け込んできた。幸子は点滴を受けながら、眠っていた。

池本「これでは、、、。」

蘭「わかりました。彼女の、最後の望みを、聞いてやりましょう。きっと、それをすることでしか、彼女は安らぎを得られないでしょう。」

池本「わかりました。では、静岡ガンセンターに紹介状をかきます。」

蘭「ありがとうございます。」

アリス「本当にいいの?杉ちゃんなら、間違いなく反対するわよ。」

蘭「しかたないよ。それが、彼女の願いなんだからさ。」

アリス「オランダじゃあるまいし、安楽死なんて、一番ずるいとおもうけど。」

蘭「最近まで戦争をしていた国の出身者には、そう見えるかもしれないね。でもねえ、、、人間ってのは不思議なものだよ。」

池本「同意していただけますね。」

蘭「はい、、、わかりました。」

と、ペンをとってサインする。


静岡ガンセンターの、緩和ケア病棟。

看護師「お食事ですよ。」

と、幸子のベッドテーブルに置く。

幸子は箸をとって、

幸子「ここの食事、おいしいわよね、あたしなんて、幼いころは毎日カップラーメンだったから。」

看護師「そう?ありがとう。今日調子どう?」

幸子「薬があるから大丈夫。」

声「幸子さん、また来たよ。」

幸子「杉ちゃん?」

看護師「いつも見舞いに来てくれる友達がいてくれて、しあわせね。」

幸子「まあね。」

杉三「こんにちは。調子どう?」

幸子「サイコーよ。家なんかよりずっといいわ。」

杉三「でも、いずれは出なきゃならないんだぞ。」

幸子「今日は、杉ちゃん一人なの?」

杉三「アリスさんに送ってもらった。一時間しか面会ができないといわれたから。」

幸子「そうなのよ。何でなのか、私は、わからないわ。でも、ここの病院ではじめて、愛された気がするの。だって私、家のなかでは、殴る蹴るはなかったかもしれないけど、成績のせいで、ご飯抜きにされたのは、日常茶飯事だったのよ。」

杉三「かわいそうだったね。僕は、なにも、してあげれないけど。」

幸子「いいのよ。お陰で、彼もできたし。」

杉三「かれ?」

幸子「隣の部屋の浅村さん。」

杉三「僕は、何もならなかったんだね。」

幸子「そんなことないわよ。ここに入るきっかけを作ってくれたんだから、ちゃんと、感謝はしているわ。」

杉三「そうなんだね。」

幸子「だから気にしないでね。」

杉三「うん。」

少し、寂しげな表情。

看護師「面会は終りよ。いまから、検査にいくから。」

杉三「もうそんな時間か。じゃあ、また来るね。」

看護師「イケメンでいいな。車いすにのってるのが、惜しいくらいだわ。」

杉三「じゃあ、僕は帰るね。」

看護師「またきてね、」

杉三「はい。」

と、看護師に車いすを押してもらって、病室を出る。すると、点滴をつけた一人の男性がやってきて、杉三と鉢合わせする。

杉三「こんにちは。」

男性は頭をさげるのみであった。


翌日。杉三のいえ。インターフォンがなる。

アリス「杉ちゃん、今日もいくんでしょ?早くしないと、面会時間、終わっちゃうわよ。」

美千恵「それが、また部屋から出てこないんです。何があったかも、まったくしゃべりません。」

アリス「病院でなにかあったのかしら。まあ、本人がうごかなければ、私たちは、どうにもならないけど、、、。」

美千恵「本当にごめんなさいね。」

アリス「まあ、自閉症の方だからしかたないわね。」


静岡ガンセンター

幸子が外を眺めている。

回想

杉三と鉢合わせした浅村は、検査から戻ってきた、幸子に、

浅村「君は、あの男と付き合っていたのか?」

幸子「そんなことないわよ。おせっかいやきの、自閉症の男なんて、私が好きになるはずがないでしょ。」

浅村「おせっかい?どんなことをされたんだ?」

幸子「着物をもらったり、住むところを紹介されたりしたわ。」

浅村「なに!そんなに深く付き合っていたのか。じゃあ、今まで付き合っていた人はない、というのは、嘘だったわけだ。」

幸子「そんなわけないわ!誰だって、自閉症をもつ人を、好きになったりはしないわよ。」

浅村「いや、そんなことはないね。俺は、東京に住んでいたけれど、自閉症のひとは、よくいた。電車のなかでパニックになったり、切符を買うこともできないで、大騒ぎをよくおこしていたものだった。社会的には、そういう迷惑をかける人なんだ。そういう人と付き合うと言うのは、よほどのことがない限りできないぞ!」

幸子「そんな節だらな女じゃないわ。私。」

看護師が入ってきて、

看護師「二人とも、喧嘩はやめて!浅村さんも、体に負担がかかるわよ!」

と、二人を病室にもどしてしまう。

回想終わり


幸子「わたし、何てことをしたのかしら、、、。望みが叶ったのに。」

と、酷い頭痛を覚え、幸子はわからなくなった。


幸子が目をさますと、自分の体の至るところに、チューブが張られていた。

医師「あ、意識がもどりましたね。」

幸子「わたし、、、。」

自分がいたのは、集中治療室で、医師や看護師にとり囲まれていた。

硝子越しに、アリスが幸子を見ていた。さすがにここへは、車いすでは入場できない。

医師「あと、数日でしょうね。くも膜下出血を起こしております。下垂体の腫瘍の影響で、酷い高血圧を起こしておりましたが、いつこのようになっていても、おかしくない状態でした。」

アリス「そうですか。せめて、最後に会わせてやりたかったのですが、、、。」

医師「いや、私どもとしては無理でしょう。」

アリス「そうですよね、、、。」

幸子「杉ちゃん、いる?いるんでしょう?」

アリス「幻覚をみているのでしょうか。」

医師「モルヒネをつかったからね。」



幸子「あなたは、誰よりも私のことを、一番気遣ってくれたよね。なのに、私、こんな風になってから、初めて気がついたよ。もう遅すぎるよね。でも、最後に楽しい夢をみさせてくれて、本当にありがとう。」

幸子がそこまで言うと、心停止の音が鳴り響いた。


杉三と蘭は、連絡を待つために、杉三の家で、待機していた。

隣の尼寺の鐘が四回なった。

杉三「亡くなったんだね。」

蘭のスマートフォンが鳴った。蘭は、静かにそれをとった。杉三は、彼女が安らかに眠れるように、太陽に向かって合掌した。

杉三「誰よりも、美しい女性だったよ。彼女。」

蘭「そうだね。」

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