第121話 沈んだものを釣り上げて
気づけばもう一時間も経っていた。
「お前流歌と別れたのかよ!」
「それを言うなぁああ!」
「流歌に頼まれてどうにかお前とくっつけようとした俺の努力が……」
「はえ? てことは彗の計画で……?」
「俺じゃなくて流歌の頼みででな――」
「そうか……そうか……俺は踊らされてたんだね……」
「酔うと面倒なんだなお前」
真琴は髪を染めたこと以外は大して変わっていなかった。吃驚したのが彼は専門学校に行かず、大学に通っていた。専門学校で調理を勉強すると言っていたのでやはり何があるかわからないのが人生だなと思った。
「でも彗が元気そうでよかったよ……何度か寝顔を見に行ったけど、その、彗が死んじゃうんじゃないかって思って……ゥッ、ウゥッ……」
「そこで突然泣くなよ。感情の起伏が激しいぞ。これ以上飲むな」
「すまん……でも帰ってきてくれてよかった……」
「そういってくれるとありがたい」
「でも日羽が取られると思うと腹立たしい……」
「どうぞもらってください」
「いいのか!?」
真琴が目を輝かせて俺に詰め寄った。男に詰め寄られてもなにも嬉しくないので強引に真琴の顔を掴み、アリナがいる方向へ捻った。ほら、あそこにいるぞ、行ってこいという感じで尻を叩いて送り出した。彼はボールを追いかける犬のようにアリナの元へ移動し、ビンタされて死んだ。本当に悲劇だと思う。墓参りにはちゃんと行こう。完。
「大丈夫か。死んだか」
「いや生きてるよ。めっちゃ痛いはずなのに気持ちいい」
「よかったな。新世界の幕開けだ」
真琴はビンタされた頬をさすって恍惚としていた。
俺は思った。もし宇宙人が来訪し、人間という生命体を説明するときに高根真琴をサンプルにしてはいけないと。
そんな彼の短い喜びはニコニコ笑顔のアリナが到来したことによって終焉を迎えた。アリナによって突き飛ばされた真琴は幸運なことにまさおが受け止めた。まさおがいなかったら壁のシミとなり、真琴は快感の世界で天使と踊っていたことだろう。
隣に座った日羽アリナ大統領は藍色のエレガントワンピースを着こなしており、悪魔級に良い香りがした。
(油断したら三途の川……油断したら三途の川……)
彼女の美しさで気が狂わぬよう自分との戦いが始まった。
「楽しんでるようね。久しぶりに再会したご感想は?」
「みんな元気そうでよかった」
「それは私たちがあなたに贈る言葉ね」
「まぁそうかもな。やっぱり三年はデカイ。鶴なんて完全にオトナの女性みたいな感じになってるし、まさおは化け物に磨きがかかってるし、白奈は可愛さが増したというか……」
「嫉妬するわ。嫉妬しちゃうわ。嫉妬してやるわ」
「真顔やめろ。目にハイライトを入れてください」
「あらごめんなさい。お酒飲んで忘れるわ」
「結構飲むのか」
「いいえ。一口で警察にお世話になるレベルよ」
「水だけ飲んでなさい」
俺とアリナの会話に鶴が割り込んできた。彼女も酔っているように見える。
「あっ! 彗だー! なんでいるのー!?」
「いや最初から僕いたよね? そもそも僕の退院祝いなんだから僕いてもおかしくないよね?」
「えー? どうせ女の子目的で来たんじゃないのー?」
うわぁめんどうだなぁ。
ジト目でニヤニヤしながら俺を言い負かそうとする鶴さんの性格は高校時代と変わっていないようだ。ハイボール片手に悪い笑顔を浮かべてまだ俺を揶揄うつもりらしい。
「で? で、どうなの?」
「何がだ」
「お隣の美女のことでしょこのバガァアアア!」
「服に垂れてるぞ。透けてるぞ」
「みんな服着て生まれてこないでしょ!?」
「割とマジで大丈夫か、お前。まだニワトリの方が日本語喋れるぞ」
「だがらァ! あんたら結婚するんでじょー!?」
「は?」
なんだその話。
同時にアリナが「イヤァァァアア!」と悲鳴を上げて俺の両耳を背後から塞いだ。一見幸せなボディタッチかと思うかもしれないが俺はこのとき生と死の狭間にいた。アルコールの力でリミッター開放状態のアリナは馬鹿力で俺の頭を潰しにかかった。両手を添えてるんじゃない。こう、肩を入れて押しつぶす感じ。掌底で圧迫している状態だ。
なにやらアリナは喚いているが俺には一切聞こえず、世界が軋む音だけ聞こえた。多分これは骨が歪む音だ。さっきからグニュだったりゴリッだったりと恐ろしい音が聞こえてくる。とてつもない力で俺の顔は歪み、視界が狭まった。その狭い世界で鶴が俺の顔を指さして爆笑していた。いやいや助けてくださいよ。クソ痛いんですけど。アリナの胸が当たってるこの安らぎが無かったら死んでいたと思う。
俺は右手でアリナの腰を叩いて限界であることを伝えた。解放されて眼球が飛び出していないかとか耳がひき肉になっていないか確認したのちアリナを抗議しようと振り返った。
「ご、ごめんなさい。きっ嫌いにならないで。きゅぅ」
「えっなにその萌え要素。心に来るッ!」
「鶴がぶりっ子だったらいいそうなことを真似してみただけよ。私はそんなキャラじゃないわ」
「鶴さん喧嘩売られてますよ」
「アリナ。ウォッカストレート頼んだから」
「彗。助けなさい」
「無理。俺逃げる」
アリナは俺の袖を引っ張って止めようとしたが何とか振り払ってトイレに逃げ込んだ。
多少のお酒は飲んだものの、まだ良さはあまりわからない。小便だけは出やすくなる。
「やあ」
隣から知らない客が俺に声をかけた。こいつも酔って俺が誰かわかっていないんだろう。無視してひたすらレモンジュースを小便器に飲ませ続けているとまた声をかけてきた。
「なぜ無視する」
「いやまあ……」
「僕を忘れたのか。対抗リレーで堂々と自転車を使って堂々と違反行為をした沼倉鷹蔵だ」
「インテリジェンス・タカゾウ!? なんでお前がここに!?」
「懐かしいコードネームだ。最初から僕はいた。田中まさおの巨体で隠れていたんだ」
「久しぶりじゃねぇか! しっかり髪型キメてきやがってこの~! どっかの財閥の息子かって!」
「やめろ。用を足している時にこちらを向くな。飛び散る」
そういえば体育祭ではバカみたいなことをした。よくもまぁ当時の生徒会も許したものだ。二渡鶴という道具――じゃなくてコネがあってよかったぜ。
トイレから戻り、鷹蔵の傍で話を聞いた。
「君が倒れたと聞いて僕は本当に驚いた。身近な人が、しかもよく知る友人が意識不明になったのだから僕は何か力になれることはないか模索した。だが申し訳ない。本当に何もできなかった。僕はただ君の無事を祈ることしかできなかった」
「いやいや心配してくれただけありがたい。忘れられていたと思わなくて済む」
「君が目覚めたという話はまさおから聞いた。メールをする仲ではないが彼も体育祭を共に戦った仲間として伝えたかったのだろう。また君の冗談が聞けてよかった」
「マジ泣きそう……ここ数週間で再会したやつの中でお前が一番まともだわ……」
俺が感極まっているとまさおが巨体を引きずりながらやってきた。
「彗君。退院おめでとうございます。本当によかった!」
「ありがとう。まさおも元気そうでなによりだ」
「彗君のおかげで僕、変われました。前向きに考えることができるようになったし、怖いものなしです!」
「特に俺は何もしてないが、体育祭は本当に楽しかった。帰宅部でよかったぜ」
「僕は今アメフトを大学でやっています。すみません、帰宅部卒業しちゃいました」
「すげぇな。頑張れよ! 死傷者出さない程度にな!」
「はい!」
喋るたびに胸の筋肉がうごめいてやがる……。どこまで筋肉お化けになるつもりなのだろうか。
彼のTシャツに「I LOVE PROTEIN」と書いてあるのが実に彼らしくて安心した。
「はーいサービス担当華彩でーす!」
「はいさようならー」
麦山華彩がゼロ距離でそのように自己紹介したので俺は速攻お帰り願った。
彼女が違法風俗店のポールダンサーになっていなくて安心した。こいつは将来危険人物になると危惧していたのだが鶴がよーく躾けたようだ。非常にありがたい。元々KGBから生活を監視されていたそうなのでこうして彼女が穏やかに暮らせているということは危機は去ったとみていいだろう。
「今日ねー電車で痴漢されかけたんだケドー」
「そいつは許せんな。痴漢は最低行為だ。いつかその男を去勢してやろう」
「ねー最低だよねー。でも思いっきり股間蹴ってやったから大丈夫!」
「やったな。去勢の手間がはぶけたな!」
「多分潰れたよ! わーい!」
「わーい! 死ぬよそれー!」
いったい俺たちは何を話しているのだろうか。まだナメクジに塩かけてたほうが有益だ。
「私ね、彗が危ない状態って聞いてから当時は軽い鬱になっちゃったんだ」
「おぉ……それは申し訳ない……」
「違うよっ私が弱かっただけでそのっ、だからすごく心配したよ……目の前の彗が信じられないくらい……」
オゥ……俺は眠っている間に一人の少女を苦しめていたらしい。
白奈の好意を初めて知り、そして区切りをつけてからあまり彼女とは会話しなかった。お互い遠慮と気遣いをしすぎたというのもある。いま振り返れば苦くもあり甘くもあった青春の一ページだ。
「でもたまに俺も信じられなくなる。だってあの夏休みで気を失って次に目を覚ました時には三年経ってたんだぜ? その間の時間的な記憶はまったくなくてさ。例えるなら『夢のない眠り』かな? 夢を見なかったときって一瞬だろ?」
「うん。なんとなくわかるかも。あれーもう朝?みたいな感覚だよね」
「そうだ。だから白奈と話しているいまこの一瞬一瞬が夢なんじゃないかって思う時がある。常人なら夢の中ではそこが現実になり、目覚めて初めて現実がどこか知る」
「そんな難しくないよ。これが夢なら彗は酔ったりお酒の味わからないでしょ?」
「確かにな。まだあの病室なら俺は酔う感覚も味も知ってるわけない。これは想像では無理があるな」
「そゆこと」
夢落ちハッピーエンド・イン・ヘブンだけはやめてほしい。素っ裸の羽つけた露出癖のある神の使いとまだ踊るつもりはない。もし迎えに来たら警察を呼んでわいせつ罪で逮捕してもらおう。
「白奈。彼氏いるだろ?」
「えっ!? なんで知ってるの!?」
適当に言ってみたら当たっちゃったー。
「帰宅部なんで僕。はい、僕帰宅部なんではい」
「え、なんかむかつくー。もうっ。いるよ、彼氏……」
「お幸せになってください。結婚式にはちゃんと行きます」
「そんなのまだわかんないよー! 言っておくけどまだ私引きずってるから! 彗のこと!」
「俺なんかツバメに食われる青虫のようなものなので気にしないでくださいな」
「そんなに自分を卑下しても良いことないよ! 私の、その初恋なんだから、しっかりして!」
「いやあ照れますなぁ。はっはっはっ」
やべぇアリナがこっち見てる。不服そうに俺のこと睨んでる。すぐ戻らないと中指立てられるパターンだ。
「中学のころからありがとな。こんな変人と話し相手になってくれて」
「いいえ。こちらこそ楽しかったです」
ぺこりと頭を下げる白奈。いやぁ~この子は絶対いい奥さんになりますわ。もし相手が最低な男だったらミキサーで細かくしてプランクトンの餌にしてやろう。赤潮発生したら謝ります、全国の漁師の皆様。
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