第120話 リプライ

 退院して現代文明に再び触れることができるようになり、衝撃の日々が始まった。

 あの有名人が亡くなったーとか、スマホの最新機種の機能が凄すぎるーとか、仮想通貨がやべーとか。三年もあれば世の中はがらりと模様替えできるらしい。

 三年ぶりとは言っても俺にとってはつい数週間ぶりの我が家だが匂いも雰囲気も変わっていて改めて大きな時間が流れたのだと実感した。


「そうか、もう宇銀は大学生か」


 妹はもう家にはいない。他県で一人暮らしを送っているそうで何とも羨ましい。

 自室は何も変わっていなかった。てっきり段ボールだらけですぐ処分できる状態になっていると思っていたが、どうやら希望は待っていてくれたらしい。有難いことこの上ない。個人的な朗報だが、我がHDDが覗かれなかったことに安堵のため息をもらした。面倒だと最近非難されがちのパスワードだが俺は生涯パスワードに感謝し続ける。ありがとうパスワード。俺の人格を家族から守ってくれてありがとうパスワード。

 

 さて、これからどう生きればいいのだろうか。

 最近知ったのだが俺は高校中退になっているようだ。それを聞いて咄嗟に「え? ぼく死ぬんですか」と母上に質問したがどうやら命に別状はないようだ。

 流石に高校一年生(二十一歳)で三年間高校にまた通うのは勘弁願いたい。もしかしたら素敵な出会いがあるかもしれないがおそらくアリナに絞殺されるのでやはりこの線は無しにした。

 なので高認、高等学校卒業程度認定試験を受験する方向性で固まりつつある。身体は大人、頭脳は高3という無能・名探偵スイが今できることは高認に受かるための勉強である。そして勉強の必需品と言えばトマトジュースである

 だが俺は己を抑制した。飲んだら負け、飲んだら無職、と神経制御から逃れようとする俺の右手を念じながら冷蔵庫の前でフリーズした。

 お医者様に「とりあえず控えてください。症状の関連性ははっきりしていませんが、それは別として摂取量は異常です」と異常者認定されて以来、少し恐怖心を抱いている。このフ〇〇キンチッキン恐れず飲みやがれ、と臆病者扱いされるかもしれないがよく考えてみてくれ。こいつを飲んだら三年後にタイムリープするかもしれないんだぞ? 実体験した俺から言わせれば「時は金なり」を軽んじないほうがいい。

 

 高認に向けて始まった勉強ライフとリハビリライフに時々アリナは不意に現れる。

 大抵電話で許可を求めてくる。メッセージでいいだろ、と言ったら「拘束力が弱いからダメ」と身の危険を感じる御言葉をいただいた。なので最近着信音恐怖症になっている。無視したら無視したでまるで世界が終わったかような絶望の表情を浮かべて会うことになるので仕方なく電話に出るのだ。もはや保険屋でもプロバイダでも世論調査でもいいからどうでもいい着信であってほしい。

 しかし着信の九割はスーパーヤンデレ毒舌美少女・日羽アリナからなのである。


「はいもしもし。駐日フランス大使館です」

「なんなのよ。パプアニューギニアの次はフランス? なんであんたの電話番号はいつも大使館につながるのよ」

「もう一度番号をご確認の上――」

「泣くわよ。路上で泣くわよ」

「それまったく脅しになってないからな」


 午前中から非常に元気な彼女はいつも通りツンツンしながら高い声でそう喚いた。

 今日は一体何の電話なのだろうと思いながらベッドに寝転んで通話を続けた。


「今日は何の日か知ってるかしら」

「俺の誕生日」

「あんたの誕生日は5月10日午前2時24分41秒産まれでしょ。今は夏よ? あんた頭おかしくなってるんじゃないの?」

「めっちゃ怖いんですけど。本人も知らないような秒単位の誕生をなぜご存じなんでしょうか」

「パソコンのパスワードはsakaki510。榊木強盗って、なんて酷くて簡単なパスワードなのかしら」

「え? マジ? なんで知ってるんですか? というか強盗なんて言い方しないで」

「話は変わるけど、今日の夜空いてるかしら。空いてるわよね? 空いてなかったらその女殺すから」

「殺すって、え? 女って、え? え? いやもう何が何だかわかりません。落ち着きたいのでトイレ行ってきてもいいですか」

「ダメ」

「この鬼畜膀胱管理人め」


 毎度この体力の使う前置きをそろそろやめてほしい。彼女はこのくだらないやり取りが非常にお気に召しているようなので仕方なく付き合っているのだが流石にひやひやする内容ばかりだったのでまた心臓が止まる――じゃなくてまた三年眠るかと思った。この上ないブラックジョーク。


「地図送るから今日の一九時に来なさい。お金は持ってこなくていいわ。あなたは無銭飲食で逮捕される予定だから」

「そんな未来にはさせないッ! 僕はお金を払うんだッ!」

「そういう熱血は少年漫画だけにしてちょうだい。いい?」

「……はい」

「遅れずに来ること。あと身だしなみはちゃんと整えてくること」

「はいママ」

「殺すわよ」

「すみませんでした。二度と言いませんので殺さないでください」


 最初から最後までミステリーな内容で通話は切れた。

 アリナと会話するだけでどっと疲れが出る。どうやら彼女は記憶を取り戻したとともに毒舌薔薇も若干戻っているようだ。俺の努力は……と落胆しかけたが幸いにも俺以外と会話するときは全く毒舌じゃなかった。演技しているわけでもなかった。本当にただの性格のいい美少女として彼女は世界の中心にいた。


 結論、彼女は俺を弄るのが大好きらしい。


 なので今は消えてしまったがアリナの第二人格であった『天使アリナ』が赤草先生に助けを求め、俺に依頼した毒舌薔薇の治療は榊木彗というサンドバッグを作ることによって完治されたといっていいだろう。あぁ……なんて美しい自己犠牲なのだろうと陶酔した。是非とも学校の崩壊を食い止めた英雄として校庭に我の銅像を置いてほしいものだ。落書きしたら一生トマト食えない身体にしてやるからな。

 記憶が戻った、と彼女は言っていたが毒舌薔薇だけでなく天使アリナの記憶も読めるようになったと言っていた。それは人格の統合なのか、はたまたアクセスできなかった記憶領域に触れることができるようになっただけなのかは素人の俺には見当もつかない。何がともあれ彼女が幸せそうにしているのならそれが暗闇の中で掴もうと必死に探してきた『正解』なのだろう。


 これで終わりのように思える。

 しかし実際は二択だ。


 終わりか始まり。


 俺はまだちゃんとアリナに返事をしていない。

 三年前の倒れる直前、意識は朦朧としていて記憶も定かではなかったが深く後悔したことだけ覚えている。夏休み後に彼女に答えを伝えることなく眠ってしまったことへの後悔が、あの自我が消えてしまう恐怖で満たされた瞬間、ぶわっと胸にあふれたのだ。


『ちゃんと返事してぇなぁ』


 言葉を失った俺には文字にも音にもできなかった。

 だから俺は目覚めることができたのだろうか。またSeeyouおうagain。そう心に決めたのだろうか。もう覚えてないな。

 

 前向きな回答をしたいと強く思う自分がいる一方、己に自信がない自分がいる。

 俺はこんな状態だし、秀でた運動能力を持っているわけでもなく、アリナのように誰もが憧れるような容姿というわけでもない。俺なんかより素晴らしい人は沢山いるし、アリナの未来を考えれば俺の存在はマイナスではないかと考えてしまう。

 そうして心を曇らせていくうちに、日羽アリナは俺の中で誰よりも優先される人物なのだと気づいた。誰よりも彼女の未来を案じ、誰よりも彼女の幸せを念頭に置いていつも行動している気がする。


 愛のスペシャリスト・宇銀に一言メッセージを送ってみた。


「なぜ愛は理論を超越するのか」


 彼女が口癖のように、決め台詞のように言うその言葉を問う。


『盲目的になれるから。誰にも統一されない、法則化されない、説明できない。自分だけの世界なんだから理論なんて意味ないよ』

「後ろめたさを感じるのは普通なんですかね」

『それは最初だけ。最後にはみんな盲目になって我儘になるから後ろめたさなんて無くなるよ。大事なのはベクトルだよね』

「ベクトル?」

『お互いを一直線になるように指しているか、だよ。ホント、盲目的だよね~。望遠鏡でお互いの目を覗いているイメージ!」

『よくわかりませんがありがとうございました。大学生活楽しんでください』

「なぜに突然事務的。あーい』


 まぁ罪深いってことでよろしいのではないのでしょうか。

 

 夜になる前に街に出た。

 時間に遅れることが怖いこともあったが一番は楽しみだったからだ。以前、彼女が退院祝いで友人を呼ぶと言っていた日がおそらく今日なのだろう。

 適当に街をぶらついて何が変わっているか探し出て時間を潰すことにした。そうしていると段々怖くなってきた。三年ぶりに会うのだ。もちろん彼らがどう変わっているか気になるが同時に謎の恐怖が湧き出る。

 多分これは恐怖というより不安だ。おいてけぼりになったことによる将来への不安が色濃く現れそうな気がしてならないのだ。そんな不安感が払拭されぬまま約束の十九時、約束の店に着いてしまった。

 俺は勇気を振り絞ってドアノブに手をかけた。

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