最終章 わたしたちの物語
第117話 時に軽く、時に重い五文字
天候に恵まれず、電車は遅れていた。
一月中旬なので雪が積もっていてもおかしくはないが今年の積雪量はそうでもなかった。日光があたらない路地裏などに汚れて灰色がかった小さな雪山が残っているくらいだ。ただ冷気だけは例年通りだった。手袋をしないと指先がまともに動かなくなってしまう。
スマホの地図を確認して顔を上げ、夜空を背景に灯る目的の看板を探す。通販サイトの広告みたいに情報過多な通りで、方向音痴気味の私が目的地をすんなり見つけられるわけがなかった。寒いし、人多いし、見つからないし。もうやだ、と心が折れる寸前でやっと目的地に着いた。
集合時間には間に合っていたけれどギリギリだったのですぐ入店した。
「ごめんなさい。迷っちゃって遅れたわ」
私を見るなり男性陣が歓声を上げた。すごくニヤニヤしていて気持ち悪い。どこに座ればいいかわからず立ち尽くしていると鶴が私の手を引いて席へと案内した。
「来ないかと思ったじゃん~。よかった」
「方向音痴なのを忘れていたわ。あと電車も悪い」
「よく辿り着きました! これで全員だね!」
主に高三の時のクラスメイト達が揃っている。
昨日成人式を終え、今日は同窓会だ。約二年ぶりに会うクラスメイトたちを見るとすごく懐かしい気分になった。最初は誰かわからないくらい変貌した人もいれば全然変わってない人もいて、彼らと一緒の制服を着て三年間過ごしたことが遠い昔のように感じた。たった二年前のことなのに。
お酒が入ってみんなの声のボリュームは信じられないくらい上がった。きっと自分の声がよく聞こえてないんだろう。
私は隠れて烏龍茶を飲みながら過ごしていたのでほとんど酔っていない。なので聞き手側に回って女性陣と話したり、脱ごうとした華彩を黙らせたり。当初の席はバラバラに崩れて男女関係なく動き回っている。
偶然居合わせた席にあまり関わらなかったけれど濃い時間を共にした田中まさお君がいた。
体育祭以来接触はなく、彗のことで少し話すくらいで進展なく卒業した。若干オープンな気分になっていた私は思い切って話しかけてみた。
「まさお君。私のこと覚えているかしら」
「もちろんです。体育祭は僕の一生の思い出です」
高校時代からボディビルダーみたいな体格をしていたが今の彼はさらにグレードアップしている。しかし五厘狩りは変わってなかった。悲しい事情があるのでツッコミはしないけど。
「今は何しているの?」
「大学でアメフト部に所属しています。帰宅部じゃなくなっちゃいました」
「どおりで。あなたらしいわ」
「そうですか?」
「えぇ。すごく向いていると思うわ。日本代表になったら応援しに行く」
「そんな、まだ始めて二年目なので無理ですよ。でも頑張ってみます」
当時の彼なら「頑張る」とは言わなかっただろう。内向的だった彼はいつも自信なさげで視線が斜め下に固定されていた。部活動対抗リレーの練習でも彗が必死に彼を褒めて伸ばそうとしていた光景は今でも鮮明に覚えている。そんな彼が向上心を垣間見せたことに私は感動した。
「あの、その……」
「どうしたのよ。いきなり昔みたいに控えめになって」
「彗君のこと何か知ってますか……?」
周りに聞こえないように彼は私に訊いた。
「えぇ。まだ眠ってるわ」
「そう、ですか……」
私の答えを聞いて、彼は目を伏せて唇をかんだ。
「僕、彗君にお礼を言いたいんです。たった数週間だったけれど彗君からとても大事なことを学びました。胸を張って歩けるようになったし、同窓会にも行こうと思いました。だからここで言おうと思ったんですけど……そうですか。すごく残念です」
「そうね。私も彼にいろいろと言いたいことがあるから残念」
「すみません。アリナさんが一番つらいのに――」
「気にすることないわ」
それは違う。一番つらいのは彗の家族だ。
私はただの――。ただ傲慢なだけ。
「他の元帰宅部員とも会ってみたいわね。鷹蔵、栄治、凛音はどうしてるのかしら」
「そうですね。鷹蔵君はエリートの道を進んでるんだろうなぁ」
「またいつか出会えるわ」
お酒の力は恐ろしいもので、簡単に理性を崩せる。
特に男性陣。女性陣より恋愛関連のことで盛り上がっている。面倒なことに私はそれに巻き込まれた。
俺はアリナ推しだのなんだのと今更私への好意を二年越しにぶつけてきた。当時の私と言えばご察しのとおり扱いづらい腫れ物だったのでしょうがないけれど、こちらとしても後ろめたさがあったので苦笑しながら相手をした。
「日羽。実は俺、好きだったぞ!」
「知ってるわ。あなたのこと一年の時に振ったもの」
ぐわぁッ、と悲鳴を上げて胸を押さえたのは高根真琴だ。彼も少し髪を染めて大学デビューしているようだ。
彗の親友である彼は顔を真っ赤にしてジョッキから手を離さない。泥酔した面倒なやつが来たなぁと思いつつも懐かしさに負けて話し相手をしてやることにした。
「そういえばあなた、流歌と付き合っていたわよね」
「やめてくれ」
「別れたの?」
「あぁ! 別れたとも! あああああああ!」
「どうして?」
「遠距離とか無理だァァア!」
なるほど。少し同情した。
「というわけでだな! 今独身だ!」
「なんで離婚したみたいな言い方なのよ」
「日羽! 好きだ!」
「うるさいわね。警察呼ぶわよ」
「チクショー! まぁムリだよなぁ……俺ビビったもん……日羽、更に綺麗になっててもうビビったもん……金星から来たんですかってね……うわぁトイレ行きてぇ……」
「早く行ってきなさい。もう帰ってこないで」
「好きだ!」
「あーうるさいわ」
酔った人間ほど面倒なやつはいないと私は今日確信した。
片耳を塞ぎながら烏龍茶を飲んで会話の拒否をアピールするとようやく彼は立ち上がってトイレに行こうとした。が、もう一度彼は私に振り返った。
「最近、彗に会いに行ったよ」
彼は今までの狼藉が嘘だったかのようにまじめな表情になった。彼はそう言うと空になったジョッキをテーブルに置き、言葉を続けた。
「早く起きろよ、って言ってきた。まぁぐっすりと寝てたけどね」
「ずっとそんな感じよ」
「まだ待つの?」
その癪に障る言い方に私の心はざわついた。
自分でも眉間にしわが寄ったのが分かった。
「安心した。その顔をするってことはそういうことなんだね。ついでに彗にこうも言ってきた。『お前が起きないととある美女が孤独死するよ』って」
「その美女は誰かしらね。そんな馬鹿な女、どこにいるのかしら」
「さあね。でも馬鹿ではないと思うよ」
「そう?」
「普通は耐えられない。悪い結末ばかり考えて頭がおかしくなる。手を組んで永遠と待ち続けるのは誰でもできることじゃない」
それを決め台詞に走ってトイレに向かった。
「案外いいやつじゃない」
私はくすっと笑ってそう呟いた。
「えっ!? 思い出したの!?」
「声が大きいわ」
自分の声の大きさも忘れるくらい酔った鶴は、私が彗に関することをすべて思い出したことを告げた。彼女は目を丸くしてのけぞった。
「ご、ごめん! ってことは文化祭のこととか初詣のこととかも……!?」
「思い返すだけでも恥ずかしいわね」
「ぁぁあ……よがっだぁ……」
「泣くのはやめて。今泣くとメイクで黒い涙を流すことになるわよ」
「ゔんッ! がんばる! 思い出したのは最近?」
「半年くらい前よ。きっかけは多分時計だわ。高校時代に何度も見てたあの時計を立ち寄った店で偶然目にしてね。そしたら花開くように連鎖的に彼のことが視えたの」
「不思議だなぁ」
その感覚を味わったのは多分二度目。父が亡くなって中学二年以前のすべての記憶が蘇ったあの時が一度目だ。
振り返るといかに私が不安定な人格か思い知らされる。だから私みたいな問題しかない人間にあの日声をかけた彼はやっぱり変わっていて凄い人だと思った。本当に思い出すだけで恥ずかしい。常に怒ってて常に文句を言っていた。ただのお子ちゃまだ。
「ありがとう、鶴」
「アリナのありがとうは激レアだー! うわーい!」
私と仲良くしてくれた彼女には感謝しかなかった。たった五文字の感謝の言葉では伝えきれないほどこの大きな気持ち。どうしたら表現できるのだろう。
「うわっ! なになに!?」
私は鶴をぎゅっと抱きしめてまた呟いた。人をハグしたのは初めてだろうか。覚えてないな。それとも忘れてるのかな。
「本当にありがとう」
伝わるだろうか。音じゃなくて心で。伝わるといいな。
それができたら彼を起こせるのに。
「変な気分になる〜。アリナ酔いすぎ〜」
「あなたに言われたくない」
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