第118話 私/Fork in the road/最終起点/WL of A

 確かに待ち続けることは難しい。

 真琴の言葉は同窓会後、私の中で静かに響き続けた。未来が分かっていれば気は楽だろう。その来るべき瞬間への心構えができるのだから。


 もし私たちの物語も運命で固定されているならば待つことも願うことも無意味に等しい。

 そう、例えるならば読書に近い。紙に刻まれた物語は始まりと終わりが既に固定されている。

 だから形而上学的存在に祈ってみよう。どれだけ望みが薄くとも、可能性が無くとも。

 あなたが所有する運命たちに悪意を混ぜ込まないでください。

 

 そういった運命論を私のひとつの主義として取り入れ始めてから少し不安がやわらいだ気がした。

 無関心になったわけじゃない。単に待つことをやめてありのままの彼を受け入れた。彼は眠っているという状態だけに集中することにしたのだ。

 異常だと気味悪がられるかもしれないけれど私は元々心が頑丈にできていないのでこれくらい許してほしい。こうでもしないとおかしくなりそうだから。


 とある週刊誌に投稿した私のエッセイが載り、その賞金として十万円を頂いた。生活費に回そうとも考えたけれど元は存在しなかったお金なので記念に形あるものを買うことにした。

 ぱっと思いついたのは腕時計だった。

 近所の時計屋に寄り、偶然目に入った黒と白の非常にシンプルな三針腕時計に釘付けになった。その没個性の美しさに強く惹かれ、迷わず購入した。あっという間に十万円は飛んでいってしまったが不思議と後悔はなかった。


「この時計が止まった時、どれだけ時間がズレているかしらね」


 彼と私の時間のズレとを比べれば一ヶ月に一度の時間合わせなんてかわいいものだ。

 三年だ。三年、彼とのズレがある。

 ベッドで横になる彼の右手を映画みたいに握ることはできなかった。冷たかったらと思うと怖くてできない。


「あなたにプレゼントする。今が何年で何時か混乱しないように。きっとこの秒針があなたの支えになると思うわ」


 花瓶の傍に腕時計をそっと置いて病室を後にした。






 二十歳の自覚、大人の自覚がないまま二十一歳になった。歳をとることに慣れたのか、誕生日を迎えても『特別感』は薄かった。

 昔は一つ歳を重ねるだけで大変めでたく大成長であったのに「またか」と思う程度になってしまった。それが大人になったということなのだろうか。私にはまだ理解しきれていないようだ。

 大学三年生になって時間が経つにつれ、就活している学生がちらほら散見されるようになった。

 まだ四年生じゃないのに早いなぁと思ったが、根本的に私が遅いだけなのかもしれない。そもそも全然考えていないから遅いも早いも私にはわからない。いったい基準と平均はどこにあるのだろう。


「いや? 私もまだだよ」


 食堂で千穂と昼食中に訊いてみたら彼女もだった。


「早い人は早いんでしょ。多分ね。私もわかんないや」

「不安でしょうがないわ。私も始めた方がいいのかしら」

「仕事なんて腐るほどあるんだからそこまで深く考えなくてもいいんじゃない?」


 千穂に相談した結果、破滅の道が開けた気がしたのでこの話はやめた。でも私自身しっかりしないと就職浪人になってプレッシャーとの戦いの日々を送る羽目になってしまう。そろそろ本腰を入れなければならないのかもしれない。


「モデルになればいいじゃん! アリナは普通に戦えるレベルだと思うけど。というか戦えー!」

「残念ながら私はそれほど自己顕示欲が強くないのよ。それに関しては母親には似なかったようね」

「アリナのお母さんって元女優さんだっけ?」

「モデル。私はゴメンだわ」

「凄いなぁ。アリナも絶対売れるよ! 私買うよ!」

「カメラマンさんに中指立てちゃいそうだから無理よ。レンズを向けられるのが嫌」

「え〜もったいな〜い。知ってる? アリナと写真撮ると超映えるって話があるんだよ? だからいざ行こう! 自信を持ってモデルの世界へ!」

「何よそれ。迷惑な話ね」


 私がため息をついて目を伏せた瞬間、千穂はスマホを手に詰め寄った。それに驚いて逃げようと思ったが遅かった。


「また油と水って言われるわよ」

「いいのー! クール系女子の私たちの写真でネット界を騒然とさせてやるっ!」

「あなたに強制されて作った私のアカウント。フォロワーがどんどん増える理由が今わかったわ。怖かったわよ。何も手をつけてないのに支持されるこの恐怖を味合わせたいわね」

「うっわなにそれー。こっちは必死に頑張ってるのにそんな簡単にフォローされるとムカつくなー」

「肖像権ガン無視なのによく言えるわ」


 スマホを開いて確認するとまたフォロワーが増えた。千穂が今撮った写真を鮮やかに加工してもうアップしていた。私につながるようなタグを付けて。

 もはや何もしないことに申し訳なく感じた私は血迷って無表情で自撮りした。「ごはんたべてます」と平仮名だけのいかにも知能指数低そうな雰囲気を意識した一言を添えた。無表情はささやかな抗議だ。

 

 最初は毛嫌いしていたが先日の無表情自撮りを投稿して以来、不覚にもちょっぴりハマってしまった。本当に不覚だった。これがいわゆる『承認欲求』かと苦笑した。

 さすがに一人はまだ恥ずかしかったので千穂とのツーショットばかりだ。そのせいで私と千穂は同性愛なのではないかという噂が流れた。普通にノーマルなんですけど。普通にストレートなんですけど。普通に好きな人いるんですけど。まったく嫌になるわね。

 しかしいいこともあった。高校時代の友人が私を見つけてフォローしてくれたのだ。白奈、凛音、結梨、流歌などなど。そうして繋がることで彼女たちが今何をしてどこにいるかを初めて知った。白奈は美容専門学校、凛音は都内の大学生、結梨は大学でテニス、流歌は大学の演劇部員。卒業してそれっきりだったのに私なんかを覚えてくれていたことがとても嬉しかった。

 流石に講義中は開かないと決めているが開きたい衝動がぐつぐつと胸の奥で煮えている。


(これがSNS中毒というやつなのね……)


 私は平静を取り戻すために教授の輝く頭部を見つめて己をコントロールしようとした。ごめんなさい、教授。日焼けでタコみたいになってます。

 ペンを走らせて講義に集中している時だった。突然私のスマホの着信音が鳴り響いた。


「日羽君。マナーモードにしておいてね」

「すみません、気を付けます」


 教授に咎められ、へこへこと謝りながら出口へと急いだ。

 教授の頭部を見すぎたから罰が当たったんだろう。廊下に出てすぐスマホを確認すると宇銀ちゃんからの電話だった。


 私はその場で硬直した。


 まさか、と脳裏に絶望が浮かび上がる。宇銀ちゃんとはメッセージを送り合いはするが電話は滅多にしない。

 たった数センチ指をスライドすれば彼女の声が聞ける。そして聞かなければならない。そうわかっているけれど私の体は動いてくれない。何かが終わる気がする。始まる気もする。

 画面は暗くなった。私が出なかったからだ。

 力が抜けて私は壁に寄り掛かった。電話の着信音を今度変えよう。トラウマになりそうだ。

 落ち着いてからこちらからかけなおそうと思い、ポケットにしまった。


 ピリリリリリ――。


 また鳴った。

 強い鼓動に私は胸を押さえる。急激な心拍数上昇で息が上がる。

 

「ぜ、絶対に……違う――」


 私は意を決してスマホを手に取った。


「はい、日羽です」

「アリナさん!? あのッ! 兄ちゃんが――」

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