第108話 トゥルー
『一回目の部活動対抗リレー、優勝チームは帰宅部です!』
大変気持ちのいいことを放送部は言ってくれた。
良かった。本当に良かった。
「勝ったわ! 勝ったのよ〜!!! いちばんだわ〜!」
両手を広げ、ダッシュでこちらに向かってくる輝かしい笑顔のアリナ。タスキも髪も乱れに乱れまくっているが全く気にするそぶりを見せない。
オーケー、ハグだな?
まだ呼吸を整え切れていないが立ち上がって俺も両手を広げて向かい入れる準備をする。それは引き裂かれた恋人同士が運命的に再開した映画のワンシーンのようでとても心臓が高鳴った。
バックスクリーンでは雄叫びを上げるまさお。そしてまさおの周りを円を描くようにぐるぐると自転車をこぐ鷹蔵。各々喜びを表現している。さて、俺も喜びをアリナと分かち合おう。熱い抱擁で。
あら。
アリナは俺に目もくれずそばを通り過ぎた。後ろを向くとアリナと凛音は抱きしめあってメリーゴーランドのように回転している。なるほど、これが世界の真理か。寂しくなった俺は空気を抱きしめた。酸素くんの抱き心地は実に最高だった。
姑息な手を使わせてもらったが一番は一番だ。不満をぶつけにやってくる輩が現れたときはまたアリファナで酔いしれてもらおう。あとはまさおに踏みつぶしてもらえば全てよし。
「なんでそんなにテンション低いのよ! 一番よ!?」
酸素を抱きしめていた俺をアリナは指でつつきながらそう言った。非常にご機嫌のようだ。
「制御しているのだ。少しでも油断したら喜びであらゆる体液が漏れ出てしまう」
「大丈夫なの? 足ガクガクよ?」
「気にするな。トイレに行きたいだけだ」
やっば超嬉しい。
心のうずうずを発散できぬまま、二回目が始まるため俺たちは退場を強いられた。
この世の支配者が帰宅部であることをあの場で宣伝したかったが、大惜敗したバドミントン部の真琴に強引に引っ張られてやむなく退場した。確かに放送部の女子部員を口説いてマイクを借りようとした行為は咎められるかもしれない。だが許してほしい。俺も嬉しすぎてテンションがおかしかったのだ。
「ヴィィィィィィアアアアアアアアー!(勝利の叫び)」
退場門を通過した瞬間、俺は動物のごとく喜びを表現した。
言語と成れなかった俺の声は青空へと溶け込んでいき、脳裏には今日に至るまでの過去の光景がフラッシュバックされた。元薔薇園での選手選考、落ちる夕日をバックに走る六人、口論する鷹蔵と凛音、お菓子作り本を読むまさお、マウスを机上で滑らせる栄治、居眠りするアリナ。
長くもあり、短くもあった。数週間が一年に感じるほど充実していた。そのすべてが今日のためにあり、
そして報われたことに安堵した。
「まぁ、理論的に僕たちの勝利は証明されていた。喜ぶのは勝手だが暴走はしないでほしい」
「まさおの周りをぐるぐる回っていたやつには言われたくねぇ!」
ちなみに俺よりひどいのは凛音だ。
「アリナ! 私たちスクールアイドルになれる! 絶対イケる!」
「ちょっと落ち着きなさいよ、凛音」
「だって今は誰の時代だと思ってるの! 私とアリナでしょ!? しかも今の私はナンバーワンを勝ち取った女! モテないはずがない!」
「いや、私は――」
「ダァメ! このチャンスは逃せない!」
目を輝かせながら凛音はアリナにずいずい迫る。
「アリナ。俺も『アリナにゃん』がもう一度見れるなら土下座して応援するぞ」
「ギャー! 思い出させないで! 死にたくなるわ!」
「アリナにゃん! アリナにゃん!」
「あぁ……私の人生最大の汚点だわ……」
「みんなのアリナにゃん!」
「やめて、彗にゃん――あっ、あぁぁあもうー! 間違ったじゃない!」
アリナは赤面してうずくまった。正直めちゃくちゃ可愛かったので鼻からトマトジュースが出てくるかと思った。
預かっていたマウスを栄治に返すと彼は「こいつで何人殺してきたか……」と言った。もうFPS症候群が再発しているようだ。しかしこれで彼との接点が薄まるとなると少しばかり寂しかった。なので彼が言っていた実況動画を観てやることにしよう。頑張れ、プロゲーマー。
まさおはというとマンゴーの副作用でふらふらしている。先ほどから「ヘブン……アイムインヘブン……ヘブン……I'm in heaven」と死期を匂わせる言葉をつぶやいているのでやばいかもしれない。
ともあれ帰宅部の勝利は勝ち取れたのだ。これ以上にない結果だろう。
しかしこれでチームが解散ということだ。何とも言えない寂寥感が募る。それが顔に出ていたのか、アリナが訝しげな顔をする。
「何か不満なのかしら」
「そうじゃない。これで最後だと思うとな、ちょっと心に来るものがな」
「そうね。寂しいわ」
だがそうも言ってられないのが帰宅部だ。戦友を失うことくらい慣れている。俺が一体どれだけの帰宅部員を見送ったことか。青春したいだのつまらないだのあーだこーだ言って数えきれないほどの戦友が、戦友ではなくなった。
出会いと別れはいつもセットなのだ。
「僕は――僕は、楽しかったです」
「お、天国から帰ってきたか、まさお」
「彗くんのおかげでなんだか少し自信がついた気がします。みんなと知り合えて本当に良かったです」
「俺もだ。君たちも俺みたいな変人に付き合ってくれてありがとうな。君たちのことは一生忘れない」
映画のような決め台詞を言ってみたら凛音が涙目になり始めた。
「おいおい、凛音。君が涙を流していい瞬間はプロポーズの時だけだぜ?」
「うっさいわ! ちょっとグッときちゃっただけだし!」
「困ったお嬢さんだ。鷹蔵、何か言ってやれ」
「グラウンドが泥だらけになるからやめてくれないか」
「がり勉君。絶対に将来結婚できないよ」
結局、俺たち一組の総合優勝は逃してしまった。
それもまた運命。しかし高校生活最後の体育祭は我が人生において最も有意義のある体育祭だった。よって悔いはない。もし俺が自叙伝を書く機会があったらこれは『聖戦』だったと記そう。これから生を受け、この地上に産まれ落ちることになるであろう未来の帰宅部員への糧となれば幸いである。Fin。
自分でも何を言っているかわからないので、いつか機械翻訳が最高レベルになったときに翻訳してもらおう。
体育祭が終わってから数日。
完全に燃え尽きた俺は毎日ぐだーっと過ごしている。
そもそも高校三年生という人生の分岐点に立っているのでそんな暇は無いに等しい。この腐った姿を浪人生が見たら「よっしゃ。こいつは敵じゃねぇな」と嬉しがるのだろう。どうぞ見てください。これが人間の闇だ。そんなダークネスと君たちは再び闘うのだよ。
「あなた、最近抜け殻みたいよ」
そういうアリナも机に上半身を倒して気怠そうにしている。
俺は糸を失った操り人形みたいに項垂れながらアリナの方を見た。
「お前だって似たようなもんだぞ」
「違うわ。リラックスしているだけよ」
「じゃあ俺もそれだ、リラックス中」
「あなたのはお行儀が悪いっていうの」
お行儀良く生きたことのない俺にはどうしようもない指摘だった。
まだ母親の腹の中にいた頃から俺はお行儀が悪かったそうだ。腹を何度も蹴っていたらしい。まったく恐ろしいね。母親へのリスペクトが足りないじゃないか。
三年にもなると売店での血みどろのパン争奪戦は慣れたもので、とてもゲットしやすくなった。まだまだ一年生が戦い方を知らないのと俺が三年生という魔力的地位を獲得したことが大きい。しかしそう言っていられるのも今のうち。パン争奪戦で最も毛嫌いされている榊木彗の倒し方を彼女たち女子部員が後輩に伝え始めている。最近脇腹が軋む理由がそれだ。肘で攻撃してきやがる。
さて、今日はどこに痣を作るのだろう。俺は腕まくりして売店に一歩踏み出した。今日も狩る。
「またセクハラしに来たのかしら?」
もみくちゃになっている女子部員の前にアリナが現れた。
「違う。すべてはパンのためだ」
「女の子の身体に触れる機会なんてここぐらいしかないものね」
「大丈夫だ。家に帰れば宇銀がいる」
「リアルに最低よ」
「で、邪魔しに来たのか? 俺は誰であろうと踏み越えるつもりだぞ」
「話があるの。ちょっとだけ」
そう言ってアリナは階段の方へと歩いて行った。無視するわけにもいかず、俺も渋々後を追った。
コツコツと靴音が上から聞こえる。どうやら最上階まで行くつもりらしい。
最上階といっても屋上は封鎖されているので行き止まりだ。彼女は屋上へと続くドア前の段差に腰かけている。パンチラ防止のために俺はわざとらしく両目を手で覆いながら階段を上った。
「逆に恥ずかしいわ」
「マナーです。紳士ですので」
一緒に腰かける勇気はなかったので背中を壁に預けてアリナを見下ろした。
「それで、何の話だ」
アリナは正面に顔を向けたまま口を開いた。
「やっぱり、まだあなたのこと思い出せないみたい」
それはわかっている。アリナと話しているときは絶対に過去の話題はあがらないからな。
「そんなに気にせんでくれ。今のままでいいんだ」
「努力はしているわ。あなたのことについてノートとかスマホの履歴とかを読み返してるけどダメみたい」
「それ第三者から見れば相当きもいぞ」
「特殊なケースだからしょうがないじゃない。それでハッキリしておきたいのだけど、いい?」
「イエス」
「私、絶対あなたのこと好きだったわよね?」
直接的すぎませんかね。
彼女は完全に他人事のように言っている。でもですね、こちらからすればちょっとした告白ですからね、それ。
「なんで照れているのよ」
「そりゃ赤い血が通う人間ですからねぇ……」
「それで、どうなの」
「何度も言うがそれは以前のお前にしかわからない。お前が気にすることじゃない。何も問題ないだろ」
「あなたはどうだったの? あなた、私のこと愛してるって言ったそうだけど」
は?
「はぁあ!? なななななんでやねん!」
「白奈から告白される予定を控えた日に私があなたのことを呼び出した時よ。それで私のことを好きって言ったそうね。覚えているんでしょう?」
そういえばそんなこともあった。本心はブラックボックスに収納しているので誰も知らないが。
「まぁ覚えているっちゃ覚えているが……あれはその場のノリというかなんというか」
「どうだっていいわ」
どうだっていいんですか。
「ちょっと可哀想かなって思ったの。もし私のことが好きだったら、あなたにとって今の私ってこれ以上ないくらい残酷かなって思ったのよ」
「余計なお世話だ。そこまで人の本心を探らんでもいいだろ」
「ごめんなさい。あなたのことが気になって。あっ、恋愛とかそういう『気なる』じゃなくて……」
「わかったわかった。気楽にいこうぜベイビー」
二人で一緒に階段を下りているところを見られたらまた変な噂を流されると思い、時間差で先に俺が降りた。
確信したことが一つある。アリナの更生は終わった。もう俺が手を出すことは何もないだろう。あれが健常者でなければ誰が健常者なのだ。ちなみに異常者とは俺みたいなやつを指します。
彼女の存在が残酷かどうかは、彼女が知る必要はない。知ったところで何かできるわけでもなく、罪があるわけでもない。
残酷かどうかは俺が思うことだ。
だからこれが残酷かどうかは、同じ立場になった者にしかわからない。
俺はあえて言わない。同情は嫌いだ。
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