第107話 希望を継ぐもの
凛音は喚きながら走っている。
というのも悪態をついていたサッカー部員にすんなりと追い抜かされたからだ。
「ゴルァアアアアアア!!!」
ハートブレイク・リオンの声は言語化されきっておらず、ただただ執念だけでサッカー部員の背中を追っている。追われている彼も戦々恐々としていてときどき振り返って凛音を確認している。
『なんで誰もOKしてくれないの――』
練習中彼女はそう呟いた。
私は恋がしたい、だからチア部をやめた、お洒落も頑張ったのに。どうして受け入れてくれないの。とヤンデレっぷりを発揮していた。
ポロポロ愚痴をもらして自分の現状を嘆いていた。個人的に、早坂凛音は可愛い部類に入ると思っている。女子高生にはあまりいないウェーブのかかった髪型は魅力的だし、チア部にいたこともあってスタイルもいいし、笑顔も素敵だと思う。単に早とちりしすぎなだけだと思うが本人は理解していないようだ。まるで追い詰められたかのように婚活をしているみたいだ。
そんな彼女の焦りと必死さが功を奏して未だ二位を維持している。
再び観客がどよめいた。
インテリジェンス・タカゾウ
彼は体育祭の数日前から体育祭実行委員に意見具申をしていた。
部活動対抗リレーはとても自由な競技だ。順位と同等レベルにユーモアが要求される。それによって緩くなる制限を彼は利用して、あるものを交渉した。
最終的に彼は自分の高い知能と饒舌を駆使し、目的を果たすことができた。
それは『自転車』だった。
帰宅部の象徴でもある自転車だ。
助走ゾーンの限界ギリギリでインテリジェンス・タカゾウはママチャリに跨ってタイミングを見計らっていた。本来なら到底許されないことだがこれは部活動対抗リレーである。つまりネタ枠があるのだ。コンピュータ部のように。鷹蔵は我がチームのネタ走者だ。
コーナーを抜けたところで鷹蔵はこぎはじめた。ママチャリは加速しづらい。早い段階でスタートしなければ凛音が足を止めることになる。
バトンの受け渡しはサッカー部とほぼ同時だった。必死こいて練習した甲斐があったなぁと感動した。彼らのバトンパスは俺たちの課題の一つでもあった。速度面はいいが安全面とバトンパスの難しさで苦労したのだ。仲があまりよくなかった鷹蔵と凛音のバトンパスは特に上手くいかず、何度も失敗しては口論していた。
バトンを渡し終えた凛音は「誰か私を愛してー!」と叫び、倒れた。お幸せになってください。
ぐんぐんと加速していってコーナー中盤ではサッカー部員と差が出た。これで一位を取り戻した。
しかし中盤を過ぎると速度が落ちていった。しょうがない。あのまま加速して最高速度で突入されたら俺は死ぬ。ましてやバトンパスなど不可能だ。計算が得意な彼は練習通り上手く減速した。
俺はトマトニット帽を被り、戦闘態勢に入った。
俺は小細工はしない。元々運動神経は優れている方なので真剣勝負でいくつもりだ。
懐かしい、香りがする。
懐かしい、砂の味がする。
爆撃機が産み落とした爆弾は何本もの土柱を作っていった。まるで見えない巨人が歩いているようで、それは刻々と僕のところまで近づいてきている。空が震えて頭の中がじんじんした。耳をふさいでも脳がゆれる。ついに巨人は僕の数メートル近くを踏み抜いた。その衝撃で僕は倒れ、砂の雨を全身に浴びて縮こまる。口に入れたくもない敵国の泥や砂が入り込む。僕はその味を忘れなかった。
「アリナァァァアアアアア!」
バトンパスの前に俺は大声で叫んだ。
別に愛の告白をしたいってわけじゃない。俺は独身貴族であることを誓っているし、公開告白だなんてよっぽど勇気があってOKの確信があるからできるんだ。チキンな俺には夢物語である。
アンカーであるアリナにすべてを託すことは必然だったといえる。足の速さと各人の能力を考慮して、これがベストなのだと栄治がたたき出した。アリナも持ち前のスペシャルスタイルを活かしきっており、女子なのにとても速かった。
しかし余裕で勝つということはないだろうとわかっていた。そううまくはいかない。だから覚醒させたり、精神攻撃をさせたり、自転車を使ったりと保険をかけた。そして最後の保険がアリナだ。美少女代表・日羽アリナちゃんができることと言えばその目眩がするほどの美貌を使うほかない。
『えっ……いやよ。絶対イヤァ!』
彼女は勿論拒否した。毒舌薔薇状態だったら凛音と似たようなことができたかもしれないが今の彼女には厳しい話だ。だが徐々に練習をしていくうちに慣れ、恥じらうことなくできるようになった。さすがは女優の娘である。
バトンを受け取る。後はまかせろ、鷹蔵。
『にゃ~んにゃんにゃんアリナにゃん! みんなのエンジェルアリナにゃん! あなたもわたしもメ~ロメロ♡ わたしのことだけ考えて♡ じゃなきゃ嫌いになっちゃうにゃん!』
と今頃アリナは必死に踊っているはずだ。振り付けと台詞はハートブレイク・リオンが監修した。ちなみに設定は「魔法少女アリナにゃん」だそうだ。
腹立たしく、実に吐き気がこみあげてくる語尾だがあれで大抵の男子は頭がぼーっとするらしい。俺はこれを『アリファナ』と名付けた。薬物からの引用で。
そもそも「にゃん」でなぜ人は興奮するのか。
疑問を鷹蔵にぶつけると「言葉に興奮しているわけじゃない。可愛い子が可愛いことをしているだけであって『にゃん』は単なる副産物だ。つまり可愛いければ許される」という世の女性を敵に回す回答をした。お巡りさん、こいつです。こいつが人類の敵です。
アリナは恥じらいながらも練習していた。壊れたように「アリナにゃん……アリナにゃん……」とぼそぼそ呟き、次第に目が暗くなり、徐々にダークアリナへと変わっていく姿が痛ましい時もあったが「かわいいぞアリナ! 可愛すぎて狂いそうだよ!」と何度も褒めていたら目に輝きを取り戻した。結果、彼女は踊るJKになった。凛音による鬼畜指導がやっと実を結んだのである。
残念ながらそれを見る余力は俺にはなく、ひたすら全力で走っていた。ジョギング中のコンピュータ部が障害となり、避けた一瞬のすきでサッカー部に追い抜かれたからだ。コンピュータ部の機材を破壊すると胸に誓った瞬間だった。
最後の一直線。
アリナが腰をくねらせて猫の手ポーズをしている。どうやらちゃんとやっているらしい。アンカーのサッカー部員はアリファナ中毒でぼんやりしているようだ。
「アリナァ!」
アリナははっと我に返ってこちらを向き、体勢を整える。アリファナ中毒者も目を覚まそうと頭を振るって意識を取り戻そうとしている。
アリナが走った。面白いことにアリナとの息はいつもぴったりだった。バトンパスをミスしたこともほとんどなかった。
あと1メートル。あと半分。あと数十センチで彼女に届く。
繋がった。
栄治から始まり、まさお、凛音、鷹蔵、俺へと渡り、そしてアリナへと帰宅部員の意思が今繋がった。
美少女代表タスキを靡かせ、ポニーテールにまとめた髪が空を駆ける龍のように流れる。
「あああああもうやだやだやだぁぁぁあ!!」
アリナは羞恥心を爆発させて叫んだ。
彼女の背中が遠ざかっていく。レーンから外れると他の部員たちが次々と俺の横を過ぎていった。
俺は力尽きて膝をつき、項垂れた。これほど本気を出したのはいつぶりだろうか。おそらくこの世に生まれるとき以来だな。あ、頑張ったのはお母様の方でした。すみません。
肘を地面について朦朧とする頭の中で考える。アリナはやってくれただろうか。耳の奥で鳴る脈打つ鈍い音が五月蠅い。何度も細かく息を吸っては吐き、地面に汗を垂らす。
力を振り絞って顔を少し上げた。太陽がまぶしくて思わず手をかざした。
そうして見えたのは、アリナが一番乗りでゴールテープを身体に絡めた光景だった。
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