第5章 あなたと回顧する物語
第71話 鶴の年忘れ
冬休みを前日に控えた十二月二十二日。
快晴だが乾燥した空気が張りつめており、身がぎゅっと引き締まる寒さだった。
明日から待ちに待った冬休みの到来だ。当分休みである。宿題とかいうクソの塊さえなければ満点なのだが。
午後の終業式が終わればこの監獄から解放されるのだが待ち遠しくて時間の進みがとにかく遅く感じる。まだ二時限目だ。昼飯もまだ遠い。
今年も残すところわずか一週間とちょっと。来年で高校三年生。そして地獄の受験ライフがまた始まる。
俺は元々理系人間なので選択は理系コースにした。さらに理系の中でも工学系、生物系、地学系など分けられるが俺は工学系を取ることにした。成績にも見合っているということですんなり決まった。
真琴は文系を選択し、鶴も文系だった。白奈も文系で、アリナも文系だ。
この文系大繁盛現象は俺の周囲だけでなく学年全体がそんな傾向だった。理系はなぜか少なかった。だからと言ってクラスが理系と文系で完全にわかれるということにはならず、全く関係がないらしい。コース別授業の時間帯は共通しており、それぞれ教室を移動して受ける形式だ。共通科目は通常通りそのクラスで受けることになる。
どんなクラスになるかは分からないが、生徒数の多いこの高校では初対面ばかりになるだろう。友人たちと他クラスになるのは寂しくなるが新たな出会いが楽しみでもあった。
小休憩中、トマトジュースの缶を転がして遊んでいた俺に二渡鶴がピョンピョン跳ねてやってきた。
「ご機嫌だな」
「期末テストの成績良かったんだもーん!」
「学年一位おめでとう。ランキング見なくても鶴だってわかる」
「プライドを守れて良かった〜」
「そういや生徒総会で気づいたんだが、また書記担当してるんだな。一年生がやると思った」
「楽だしね。会長とか副会長とか絶対ヤダ」
「似合ってると思うけどな」
「だって制服着崩せないじゃん? しっかり着るのは私のキャラじゃないし」
「生徒会に入っている以上、書記でも関係ないと思うんだが」
「いいの! あんまり会長とかよりは表舞台出ないし!」
「まぁその天才肌に免じて大目に見てやってるんだろうなぁ……鶴がただのギャルだったら話は違ってきそうだ」
「きゃぴ☆」
「あーーあーーぶりっ子ギャルっぽいそれっぽい。あーーあーーかわいいかわいい。俺よりちょっとかわいい」
「すっごい屈辱。私、結構人気あるんだよ?」
鶴は確かに男子による格付けランキングに載るくらい注目を置かれているザ・ベストJKの一人だ。
一見、掛け算割り算イミフ系女子に見えるが実はこの学年の誰よりも冴えている才女、というギャップが魅力的なようで、男子の人気のツボになっている。アイドル的な存在なのだろうか。
そんな彼女が俺のところにやってきたのは用があるからに違いない。
「で、何か用があるのか?」
「理由なしじゃ彗に近づいちゃダメなの?」
「そんなわけなかろう。いつでも俺の胸に飛び込んでいいんだぞ」
「遠慮します」
「すみませんでした」
「むふ。ねえ、忘年会みたいなのしない?」
「忘年会?」
「あ、漢字わからないかぁ。あのね、忘れる年って書いて……」
「俺だって息もして水も飲む人間だぞ。一から百まで数えられるし、アルファベットも読めるぞ。そのくらいわかる」
「ごめん。知らなかった」
「よく今まで違和感なく俺と接してきたな」
彼女はわざとらしく口元で手をパーにして開き、動揺の顔色を浮かべた。鶴は俺を揶揄うのが趣味ならしい。(アリナ談)
「同級生と集まろうって話か?」
「そそ。友達呼んでどっか集まってご飯食べよって計画! 真琴とかも呼んで! あと絶対アリナも呼んでよ。いい? 呼ばないとダメだからね?」
「つか俺に頼んだのそれが目的だろ」
「そうだけど。彗が来るならアリナも来るもん。彗はそのためだけに誘ってあげてるんだよ? 自惚れないで?」
「クゥゥゥウウウーーー!!!! 胸に刺さるゥゥーー! 辛辣ッ!」
「冗談だよ! 冗談! 私はちゃあああんと彗のこと好きだよ?」
「そういうのイイッス。わかった、誘ってみるわ」
「む……なんか腑に落ちない。とにかくお願いね?」
いつの間にか鶴は「アリナさん」ではなく自然と「アリナ」と呼び捨てする仲になっていたようだ。
別に俺が言わなくとも誘われればアリナは行くだろう。確実にアリナは変わった。それは鶴や白奈がよくわかってるんじゃないのか? それとも何か女子特有の壁でもあるのだろうか。
ともあれみんなで集まって語らうのは楽しそうだ。いつも制服姿の皆が私服で集まるのはさぞ新鮮な光景だろう。もう一度アリナの私服姿をお目にかかりたかったからいい機会だ。
とりあえず真琴を誘ってみるか。
「おい高根真琴」
「改まった言い方してどうしたんだよ」
「内緒だぞ? 実は鶴がな、反乱軍集めててな」
「……え? この高校終わるのか?」
「聞こえてるよー。アリナに彗からいじめられてるって泣きつくよ」
チッ、地獄耳め。頭だけでなく五感も鋭いのかよ。
「本当のところは鶴が忘年会をしたいらしい。人集めてる最中なんだとよ。で、お前と流歌を誘いたいんだがどうだ?」
「いいね! いつかは決まってるの?」
「ちょっと待ってろ。鶴ー! ニワトリ鶴ー!」
「ニワタリだから! 何?」
「日程って決まってるのか?」
「参加者の都合に合わせる予定!」
「だとさ。暇そうな日を報告すればいいってことだな」
「わかった。参加するよ。流歌と話してみる」
「頼む」
真琴は冬休みを如何にして過ごすのだろうか。流歌とデートしまくりの冬休みなのだろうか。忙しそうだな。
ちなみに俺の予定は『ソファで腐敗』だ。年末の番組をひたすら脳味噌に書き込み続ける冬休みにするつもりである。人によっては勿体ないだの外出ろだの批判するだろう。しかし残念ながら何も考えない、何もしないことが俺にとって最高の時間なのだ。
次に誰を誘おうかと考えた時、ぱっと思いついたのはアリナ更生プロジェクトでお世話になった部活動の人たちである。
てなわけで以前アリナをモデルに起用した美術部部長の宮崎慎司を誘った。
「ずっと昔の出来事みたいに感じるなぁ」
「そうか? 数ヶ月前の話だぞ?」
「彗がアリナさんを連れてきた時はどうなるかと思ったけどみんな凄く集中してデッサンしてたよね。僕も我を忘れて描いてたなぁ」
「見てて凄かった。画才ある人はホントすげえ」
「……また頼めるかな? アリナさんをまた描きたいって部員からの要望が強いんだよね。迷惑じゃなければお願いしたい」
「その忘年会にアリナも来るだろうから頼んでみろよ。大丈夫だ。昔よりはアリナも丸くなって会話も成立するぞ」
「そうだね、頼んでみる。アリナさんって変わったよね。彗の影響?」
「さあな。あいつもやっと栄養が精神年齢の方に行き渡るようになったんじゃないか?」
「今までどこに栄養を注いでたんだろうね……」
毒舌スキルだろうな。
新聞部部長、茶道部、テニス部、等々一通り誘ってみた。意外と鶴も動いているようで、忘年会の旨を切り出すと「鶴から訊いたよ?」と返されたりした。
鶴に誘った人の名前を告げると不満そうに顔を曇らせた。
「不景気な顔だな。円高か?」
「……アリナは誘ったの?」
「放課後にでも誘うつもりだ」
そう言うとホッと安堵の息を漏らして、また向日葵のように明るい笑顔に戻った。
「よし! いいぞい、彗! その調子!」
「アリナはお前が誘えばいいのに」
「このトマト中毒者! 少しは空気読みなさい!」
「名誉ある敬称をありがとう」
「彗って罵倒しても効果ないよね。古文苦手なんだっけ? 源氏物語朗読していい?」
「やめて。死んじゃう」
午前の授業がとうとう終わり、昼食時間になった。
俺のアドバイスの成果もあって、真琴は流歌と一緒に昼食を摂るようになった。幸せそうで何よりである。流歌はほんのり頬を桃色に染めて、まだ慣れてないようだ。真琴も同様。それを肴に俺はトマトジュースを開け、一口味わってから弁当を開けた。
昼休みが終わる十分前頃からみんな終業式が行われる体育館へと移動し始めた。
ぞろぞろと人の流れにもまれながら体育館へと流れ込む。
自分のクラスの列を見つけると俺は最後尾に入った。背の順なのでいつも俺は最後尾だ。小学校、中学校もそんな感じだ。
左斜め前にアリナがいた。この女、終業式にもマフラーを持ってきてやがる。
「おい毒舌薔薇」
「うるさいわね。モスキート音を鳴らしてるの誰かしら」
「ソプラノすらもう出せない喉には難易度が高すぎる」
「あら。あんただったの。まあ驚いたわ」
「そうだ。榊木彗だ。冬休みに忘年会やるつもりなんだが来るか?」
「え、ふ、二人っきり?」
「二人なんて一言も言ってないぞ。もはや忘年会じゃねえだろ。ちょっと集まって語らいましょう、ってやつだ。鶴が計画中だ。アリナも来るか?」
「ええ、行くわ」
「了解。日にちとかは鶴が調整してくれるらしいから待っとけ。あとマフラー取れ。目立つぞ」
「マフラー取ったら私――死ぬわよ?」
「何その自虐的脅迫」
「冷え性舐めたら死ぬわよ」
「冷え性じゃないっす」
「……地獄に落ちればいいのに」
「すみませんねえ! ぼくちん体温ぽっかぽかのぽか太郎だから冷え性とか理解不能なんですよ! アリナちゃん可哀想だなあ! 一緒に苦しみを分かち合いたいなあ!」
「近い将来、あんた整形手術受けることになるわ」
アリナならおそらく警察組織の特殊部隊が使う大型ハンマーで俺の顔面を粉砕するつもりだろう。笑いながらな。
アリナを誘えたということで鶴も満足だろう。後は白奈だが、話しかけるのに少し抵抗があった。ガチ告白をされたばっかなのだから。
アリナに終業式後、お願いしてみよう。
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