第70話 二人拗れる夕日の中で
静かで人が寄り付かない場所はないかと雄大先輩から訊かれたので取り敢えず元薔薇園を勧めてみた。元職員室は誰も立ち寄らないし、その階自体使われていないのでうってつけだ。というか俺はそこぐらいしか知らない。
そもそも三年生の方が詳しいのでは、と思ったがこれでやっと解放されるかもしれないし、下手に口数を増やしたら話が拗れるかもしれないので無口な方向で臨むことにした。
「鍵、開いてるんだな」
「多分壊れてるんですよ」
本当は赤草先生の戸締り意識が低いだけである。 そんなに低いと先生の家に侵入しますよと今度言ってみよう。まずは住所を調べないとな。
俺と鹿沢口先輩は隣り合って座り、雄大先輩は長机を挟んで対面し、椅子に座った。鹿沢口先輩は眠たそうな半開きの目で雄大先輩を見据え、雄大先輩はその視線と合う度に恥ずかしそうに顔を逸らしては気を紛らわすように俺を睨んだ。早く帰りてぇ……。
「雄大。なんで彗くんと付き合ったからわかる?」
「……そいつが好きだからだろ」
「違う。雄大に諦めてもらうため」
「! じゃあそこの男とは何も無いんだな!?」
「安心してください、先輩。僕は鹿沢口先輩に協力していただけなので恋愛感情はこれっぽっちもありません」
「彗くん。そう言われるとちょっと悔しいかな。私、魅力ないかな?」
「めちゃんこありますよ、あります、ありまくりです。大英博物館に展示できるレベルですよ」
「ありがと」
これは逆効果になりますよ。雄大先輩を見てくださいよ。不機嫌そうに俺達のやり取りを終始見てますって。
「彗くんと付き合ったことにしたら雄大は私を諦めると思ったの」
「……それで諦められるとでも?」
「少なくとも伝えづらくなるよね。だっていま私に告白したら『彗くんから鹿沢口を奪おうとする最低な男』って思われちゃうでしょ。いくらあなたでも影響は受けるはず」
「それでも諦めない」
あぁ、早く帰りてぇ……。
妹とテレビ観るだけの時間を過ごしたい……。
「いい加減にしてくれない? これは意思表示なの。雄大とは絶対付き合わないっていう意思なの」
「なぜそこまで俺を拒絶するんだ……?」
「雄大だからよ」
「理由になってない」
「なってる」
「なってない!」
マジ帰っていいすかね。
外野に飛ばされている俺は気まずさで押し潰されそうだった。観たことないが昼ドラってこんな展開なんだろうなぁと妄想した。うちの母親とかが好きそうな修羅場だな。宇銀も「うおー!」と目を輝かせて雄叫びをあげるだろう。
しかし俺はちょっとした違和感を覚えていた。妙にこの二人が親しげに話すのだ。傍から見れば仲が悪そうに見えなくもないが本当に仲が悪ければここまで呼び捨てたり、深く話し込んだりするものだろうか。こういう会話はお互いをよく知っていないとできないと思う。少なくとも俺はそうだ。つか早くこの修羅場終わんないかな。震度2くらいの地震来てくれないかな。
「大体月一で告白してくるのやめてくれる? 迷惑なんだけど」
「それくらい俺は好きなんだよ、梢」
「私はどうでもいいんだけど。もうすぐ卒業なのにまだ粘る気?」
「卒業するからこそだ」
「先輩方少し落ち着いて……」
「ちょっと待ってね、彗くん。今終わらすから」
「口を挟むな」
やっぱ僕、帰っていいんじゃないですかね。俺の立ち位置って何? マスコット? 二酸化炭素排出マシン? ヒューマノイド?
「先生に相談するよ? あと雄大の親にも話すから」
「構わねえよ」
「……本当に怒るよ」
「だったらなんであの時OKしてくれたんだよ!」
は? あの時OKって? 室町時代? え、なに、付き合ってたの? この二人?
「私がどうかしてたの」
「それはない。お前、本当に楽しそうにしてたろ」
「そんなの幻想。本当は嘘」
「いやホンモノだ」
文脈がまるでわからない。英語の長文読解みたいだ。
「だって……だって、本当に好きになっちゃったんだもん! 私だって雄大を裏切るの辛かった! でも理性で抑えるのは無理なくらいに……」
突然鹿沢口先輩は泣き出した。膝にポタポタと涙を落として、嗚咽が響いた。言葉を続けられそうにはなかった。雄大先輩は「ちくしょう……ちくしょう……」と呟き、目頭を押さえて俯いた。
悲しみに暮れる二人。ドン引きする俺。
何なんだよ。この混沌とした世界は。
正常な人間は地球で俺だけなのか?
二人を一旦強制的に切り離して俺は鹿沢口先輩を連れて廊下に出た。状況を説明してもらうためだ。ぶっちゃけこのまま話しても主題が逸れていくばかりで終わりそうにない。
「過去に何があったのか教えてください」
「……ぐすっ」
「はいはい、涙を拭いてください」
「ばかぁ……」
「俺に八つ当たりしないでください。お二人は付き合ってたんですか? しっかり説明してください」
「……うん。中学の時」
「出身中学同じなんですか。その時に付き合ってたんですね」
「……そう。一時期雄大のこと好きだったと思う。ぐすっ」
「思う、という表現の意味は何ですか?」
「……本当に心の底から好きな人が出来ちゃったの」
あぁー……。雄大先輩可哀想……。
「その人と三年生の時にクラスが一緒になってすぐ好きになっちゃって。でも雄大と付き合ってたから駄目だって自分に言い聞かせてた。でも本当に苦しくて。誰かと付き合っちゃうんじゃないかって思うと喉を締めらつけられるみたいに辛くて……」
浮気じゃないすか……。
中学生だったら可愛いもんだが大人になったらとんでもない騒ぎになりそうだ。刺されるぞ。
「雄大の方が好きって、強く思い込んでも思い込む度に嫌いになっちゃって……でも雄大はそんな私の気持ちに気づいてなかったから余計に私は雄大の好意が嫌になって……」
「なるほど……」
適当に相槌を打った。聞き手側として逃げよう。
「そして理由もなしに雄大に別れるメールを送ったの。限界だった。理性でどうにかなる気持ちじゃなかった。それから雄大は私に何度も復縁を求めてくるようになった」
「そりゃそうでしょうねぇ……。で、鹿沢口先輩が熱愛していた人は?」
「違う高校。私は落ちちゃって、ここに来たの。雄大がいたのは知らなかった。
結局想い一つ伝えられなかった。でも今でも夢に出る。そのくらい今でも好きなんだと思う。街で無意識に探しちゃってるくらいだもん」
恋する乙女ってやつでしょうか。わたくしめにはピンク色の未知の世界なのでわかりかねます。でも男として雄大先輩には同情いたします。そして鹿沢口先輩、あなた重いです。
人を好きになってしまうのはしょうがないし、どうしようもない。「恋は理論的じゃない。もし理論で説明できるのならそれは恋ではなく悍ましい陰謀だ」って妹が誇らしげに言ってた。多分恋愛ドラマの引用だろう。正直今でも妹の発言は意味不明だが、理論的じゃないってとこだけは同意している。
何で好きになったの、というありがちな質問は本来答えられない問いだと思う。優しいとか可愛いとかカッコイイとか、意味が規定された言葉を引っ張ることはできる。だがどの言葉でもしっくりこないはずだ。それが悪いわけじゃない。単に言葉の限界なだけである。
鹿沢口先輩は責められるかもしれない。しかしいざ鹿沢口先輩の立場になってしまったら理性的でいられるだろうか。本能をシャットアウトできるだろうか。
おそらく俺にはできない。
「雄大先輩にちゃんと洗いざらい全部話してあげてください。今まで言えなかったこと全部です。終わりにしましょう」
そして帰りましょう。喉乾いた。
「……うん。話す」
そうして彼女は元職員室に戻った。俺は付いていかなかった。これ以上は何も出来ないし、何も言えない。二人だけでずっと抱えてきた気持ちを吐き出して、一つの答えと納得を得てほしい。
こうして俺はやっと解放された。やったぜ。
「おかえり」
「ただいま、我が妹」
推薦入試で既に受験を終えている妹は炬燵でぬくぬく温まっていた。鞄を下ろしてすぐ俺は床にうつ伏せに倒れた。全力で脱力して身体がスライムみたいになった。
「どしたの兄ちゃん」
「いろいろと疲れた」
「通るの邪魔になるからソファなり炬燵なりに移動して。お母さんが困るよ」
「宇銀は困らないのか」
「スパイク履いて通るから大丈夫」
「えげつない……」
全身の力を振り絞って立ち上がり、ソファに倒れ込んだ。
「宇銀って、たまに名言残すよな」
「どしたの。いきなり」
「ふとお前が昔言った言葉を思い出してな。中々啓発されるもんだ」
「あんまり兄ちゃんみたいにくだらないこと言ってないつもりだけどなぁ」
「よし、何か恋愛に関する名言言ってみろ」
「ええ〜わかんない〜」
「いいからぱっと思いついたこと」
「ええ〜ないよう〜ないない〜」
「言ってみろって」
「期待なしに恋するものだけが、誠の恋を知る。フリードリヒ・フォン・シラー」
「先生カッコイイっす……」
和みに和んだ妹の顔がキリッと引き締まり、そんな名言をキメた。
俺と性格の方向性が似てきているな。俺は危惧し始めた。せめて宇銀は立派になってほしい……!
翌日、鹿沢口先輩と下駄箱でばったり会った。
「おはようございます」
「おはよう、彗くん」
いつも通り眠そうだ。欠伸一つして「んー」と背を伸ばして唸った。
「昨日はありがとね。雄大も分かってくれたよ」
「そりゃ良かったです」
「私たちの交際もなかった、ということでお願いね。周りに説明は大変かもしれないけどよろしく」
「慣れてるんで大丈夫です。で、先輩。なぜアリナの秘密を知ってたんですか?」
「人格のこと?」
「そうです」
「盗み聞き〜」
「……本当ですか?」
「そんな怖い顔しないで。お姉さん泣いちゃう」
「先輩の泣き顔可愛かったですよ」
「顔が怖い……でも盗み聞きっていうのは本当。雄大から逃げてた時にたまたまあの元職員室の側を通った時に聞こえたの。誰もいないはずなのに男女がいるんだよ? 気になっちゃって」
「誰にも言ってませんか?」
「言ってないよ。言うつもりもないし。それとアリナちゃんを治すっていう話だけど――」
これだよ。この話を聞くために俺は鹿沢口先輩に協力したんだ。
「そんな都合のいい治療法はないよ」
「はい?」
騙してたってことか?
「だからそんな怖い顔しないで。引っ掻き傷とかじゃないんだよ? 精神的な病気は明確に完治したかわからないんだから。二重人格なんて尚更。じゃあ訊くけど何を基準に治ったって言えるの?」
「人格の……一本立ちとかですか」
「本当にそうなの? 消されちゃう人格は偽物じゃないんだよ? その人格が消されるのを怖がって自暴自棄になるかもしれないんだよ? それにどうやって人格が一つになったってわかるの?」
それは、わからない。
「治療じゃなくて適応させるの。二重人格や多重人格者は社会に適合できない不安、脈絡のない人間関係、アイデンティティの希薄化、不安定な精神にいつも苦しんでる。寄り添ってくれる人がいることで多少は不安を埋められるの。理解者が彼らには必要なんだよ? 異常者扱いしない人をね。
二重人格になった原因は人それぞれだけど、トラウマの克服とかはやめた方がいい。もっと不安定になっちゃうよ」
鹿沢口先輩はいつになく真剣だった。
「わかった? これからやること」
「……アリナを支える?」
「そんなの当たり前でしょ。アリナさんが抱く安心感を育てて、不安や悩みを真摯に相談に乗ってあげること。それだけでいいの。話すことはとっても大事。余計なことなんてしなくていいから。人格の統合とか消しちゃうとかは絶対ダメ」
過去を振り返ってみると俺は恐ろしいことをしようとしていたことがいま判明した。
人格を一つにすることが一つの解決路だと思い込んでいた。それにアリナたちもそれを望んでいるようだったから鵜呑みにしていた。具体的には考えていなかったのが幸いだったが危うくアリナに酷いことをしてしまうところだった。
やっぱり病院に行った方がいいんじゃないか?
「ありがとうございます。どうしてそこまで詳しいんですか?」
「縁戚のお医者さんのところに行って訊いたりしたんだもん。彗くんを騙すつもりなんて最初からなかったし」
「すみません。騙されたと思いました」
「ひっどーい。でもアリナさんの役に立てたのならいいよ。あの子、いい子なんだから助けてあげなよ」
「そのつもりでずっと帰宅部の俺は放課後、学校に残ってきたんですから。先輩も何か手伝って欲しいことあったら言ってください。何かの縁ですから、付き合いますよ」
「ありがと」
つんと指先で俺の胸を突いて、鹿沢口先輩は歩いていった。いつか先輩が想い人と再会できますように、と願っておいた。ついでに雄大先輩は偏屈な恋愛観が正されますように。
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