第69話 榊木彗は真面目である

 雄大先輩はまだしも、この場にアリナが居合わせてしまったことは控えめに言って、俺は死ぬ。

 白奈と付き合わないと言った矢先に他と付き合ったとアリナに知られたらどんな恐ろしい拷問が待っているか想像もしたくない。勿論、これが本気の交際ではなく鹿沢口先輩のため、アリナのためである。

 バレたのならワケを話そうと思ったが雄大先輩が居合わせてしまっている時点でその希望は儚く散った。こうして肩を掴まれ揺さぶられながら俺はそんなことを考えていた。


「梢と付き合ってるんだよな!? そうなんだよな!?」


 雄大先輩は物凄い剣幕で俺に問いただす。

 俺はちらっとアリナを見た。うっわこっわ。なにその目。爬虫類ですか?

 この珍騒動が起きているにもかかわらず戦場を闊歩する女子部員たちには全く響いてはいなかった。尻を揺らして戦っている。俺もあそこに加わっていたはずなのにどうしてこんなことに。


「……はい、お付き合いさせていただいています」


 ぼそっと俺はそういった。アリナには聞こえないような声量を意識したがもう手遅れなようで、呆れ返っているようだった。


「マジか……噂は本当だったのか……どうやってOK貰ったんだ?」

「……え?」

「だから梢がお前と付き合った決め手ってなんだったんだ!?」

「いや、ちょっ、言ってる意味が――」

「私を見ないで」

「ぐぬ……」


 雄大先輩の言ってる意味を俺は正しい解釈をしているか確認したかっただけだ。幾多にも断ってきたお前なら何らかの活路を得られると思ったのにあっさり見捨てられた。

 

「お前が告ったのか? それとも梢から? いや、梢は有り得ないな……自分から進んで言うタイプの人間じゃないはず……やっぱりお前だよな? なぁ、なんて言ったんだよ?」

「そ、それは……」


 まず俺も鹿沢口先輩も双方恋愛感情がある訳では無いので口説き文句なんて思いつくわけもない。鹿沢口先輩は可愛い人だが会ったばかりだしいつも眠たそうなもんだから「正体不明の生命体」という認識である。

 面倒なのではぐらかすことにして退散しよう。雄大先輩の境遇は気の毒だが人生における一つのガックリイベントと思ってもらって鹿沢口先輩のご意向を尊重することにしよう。


「成り行き、です。自然とそうなりました」

「なんだと……お前は梢とどこまで進んでるんだ!? はっきり言ってくれ! どこまで階段を上がっ――」


 後半はアリナに遮られた。


「やめましょう、先輩? 見苦しいですよ」

「うっ……そうだな、悪かった」


 アリナの殺人スマイルで雄大先輩はやっと俺の肩から手を離した。極たまに現れる殺人スマイルは特に目がヤバイ。光を失って底なしの深淵のような瞳になるのだ。俺も何度かその目を向けられたがアレはマジで怒ってる時にしか発動しない。相当俺は彼女を怒らせてるんだなぁと一ミリだけ反省した。

 しかしこの場合は先輩に対して怒っているようだ。もしや俺のために? 


「よし。放課後は暇か? 詳しくその話を聞きたいんだが」

「帰宅部なんで大丈夫です」

「よかった。また放課後売店で待ち合わせいいか?」

「分かりました。その後は場所を移しましょう」

「いいぞ。じゃ、また放課後な。逃げるなよ?」


 逃げるわけがない。鹿沢口先輩はこの時を待ってたんですから。後で先輩に伝えておこう。

 雄大先輩が去って俺とアリナが残された。

 しばしの沈黙の後、俺は逃げることにした。横目でじっと見てくるんだもの。超怖い。取り敢えずトマトジュースを買って教室に戻ろう。


「グエェ!」


 一歩踏み出したら襟を掴まれ、首がキマった。しかも力が強い。多分ゴリラと握力どっこいどっこいだな。


「どうして私に隠すのかしら」


 殺人スマイル。


 俺は咄嗟に過去を連想した。

 宇宙開発競争に躍起になっていたソビエト。衛星のように地球軌道を周回した世界初の動物――雌犬のライカ。片道切符で生きては帰れないことが確定していた悲劇のライカを俺は覚えている。

 数週間に及ぶ厳しい訓練と狭苦しい宇宙船に閉じ込められ、訳もわからずただひたすら従っていた姿を見て心を痛めた科学者たちを知っている。そして地上から旅立ち、まばゆい光を放ちながら青空の向こうへと消えていったライカの姿に想いを馳せ、見上げた空を覚えている。

 無事を願い、別れを告げる科学者。誰もが無意味なのはわかっていた。その宇宙船に地球へ帰還する機能は備わっていなかったのだから。そんな理不尽な運命に怨恨の念を顔に浮かべているものもいた。

 その顔が今のアリナである。

 ちなみに後半は想像である。


「色々と事情がありまして……はい……」

「言いなさい」

「守秘義務が少々ありまし――」

「言いなさい」

「あの、ですから守秘――」

「言いなさい」

「偽りの恋を演じています……」


 言い合いでこいつに勝てるわけねぇだろ。野次専門の政治家を盾代わりにしないとまず勝機はない。


 俺は渋々説明した。

 鹿沢口先輩が執拗に雄大先輩に告白される悪習慣に困っていること。「じゃあ誰かと付き合ったら山形雄大は諦めるんじゃね?」と鹿沢口先輩が考えたこと。それに俺が抜擢されたこと。白奈への贖罪の気持ちも。

 対価として鹿沢口先輩がアリナを救う術を教える取引に関しては触れなかった。そもそも鹿沢口先輩がなぜアリナの二重人格を知っているのだろう。アリナの二重人格は俺、赤草先生、アリナ母しか知らないし、アリナもそう明言している。闇ルートのような怪しい雰囲気があったので鹿沢口先輩を追及しなかったがいづれ訊くつもりだ。

 終始アリナは無表情のまま大人しく耳を傾けてくれたので穏便に済むと思った矢先、胸板を殴られた。肋骨が全部折れて肺に突き刺さったのがわかった。


「白奈にバレないよう気をつけなさい。知ったら彼女、悲しむわよ。本気が嘘に負けたって」

「そこは……努力する」

「努力なんて知らないわ。絶対に隠しなさい。女の子はか弱いんだから」

「待て、お前がか弱いとか言っても説得力がないぞ」

「私はか弱いわよ。か弱くて可愛いからこんなにモテるんじゃない」

「こいつが女優だったら炎上して仕舞いにはイエローストーン国立公園が大噴火して人類滅亡なんだろうなぁ(はいはいそうだなそうだな)」

「心の声の方が漏れてるわよ」


 一度大きな胸を大きく張り上げて大きなため息をつき、彼女は言葉を続けた。


「さっきの先輩と放課後対峙するんでしょう?」

「そうなるな。鹿沢口先輩の計画通りに進んでて驚く。いつも眠そうにしてるけどあの人結構頭キレてるんだぞ」

「ふぅん」

「放課後は鹿沢口先輩を呼んで雄大先輩と直接対決になる。鹿沢口先輩はそこで勝負を決めるつもりらしい。俺の務めも今日で終わるかもしれん」

「ふぅん」

「何だよ。何か不服か?」

「別に」

「よくわからん奴だ……」


 心なしか殺人スマイルに普通の微笑成分が混じり始めた気がする。最近のこいつはよくわからん。

 別れた後、俺はトマトジュースを買い、既に枯れ果てたパンコーナーを一瞥し、今日も敗者で終わった無念を噛み締め、教室へと戻った。


 基本的に真面目な俺は授業中居眠りなどしない。そんなマジメ彗くんに後ろの席の住人から背中を小突かれ、小さな紙片を手渡された。暇な愚弄共が好むメッセージ付き紙片だ。どうやら回ってきたらしい。授業中という教師の支配下で反逆行為をコソコソと行い、その背徳感に気持ちよさを覚える新手の人種だ。

 マジメ彗くんには煩わしいだけである。先生の崇高なる授業に集中出来ない。ただえさえ古典が死ぬほど苦手&嫌いな俺にとってはマジで辞めてほしい死活問題である。マジで古典と漢文は消えろ。千年以上前の貴族共のラブコメ読ませるとか地獄かよ。

 もしかしたら黒歴史かもしれんのに。


『鹿沢口先輩とお付き合いされてるんですか。流歌』


 意外な発信者に吃驚した。おおよそ真琴が暇潰しに俺にちょっかいを出してきたのかと思ったらまさかの彼のガールフレンドである三森流歌からだった。すまん真琴。一瞬疑っ ――いや完全に素でお前かと思ったわ。

 以前大っぴらに鹿沢口先輩が教室に現れたせいだろう。真琴は相当驚いていたが一番驚いていたのは何を言おう、俺である。オープンにしない約束だったのに早速破った先輩のフラフラ動くスタイルが恐ろしい。

 質問を無視するわけにもいかず、俺は『機密情報につき、当分開示不可。真偽はおって連絡する』と事務的に書き記し、流歌へと回してもらった。

 しばらく黒板の古文を親の敵のように睨んでいるとまた紙片が回ってきた。


『わかった。頑張ってください。流歌』


 律儀に名前を書き残すのが流歌らしい。頑張るも何も、頑張る要素が恋愛成就ではなく雄大先輩の恋愛破綻を目論んでいることであるからして中々意欲のわかない話である。鹿沢口先輩は気の毒だが雄大先輩も良く思われていない(当たり前だが)のも可哀想だ。好きな人からの敵意は辛すぎる。

 真琴と流歌の進捗の程はよくわからない。一緒に帰っているようだから順調なのだろうか。そもそも何を基準に順調か不調かわからない。いや、基準を設けること自体馬鹿げているのだろう。人の付き合いや出会いが共通化されてたら面白味がないからな。


 メールで鹿沢口先輩に雄大先輩が売店で待ち合わせている旨を伝えた。いよいよ最終決戦が始まろうとしている。

 時間までまだ余裕があるので俺はぼーっと教室の時計の針を目で追いながらトマトジュースを飲んでいた。

 正直なところ気分は良くなかった。俺の人生哲学に反していると思う。確かに好きでもない同一人物に執拗に告白されるのは耳障りで目障りだ。俺もその立場にいたら辟易する。しかし雄大先輩の気持ちに嘘偽りはないはずだ。本気で好きなんだと思う。だが鹿沢口先輩に受け入れられなかったのはしょうがない。

 彼の本心を俺は素知らぬ振りで踏み潰していることは気分のいいものではなかった。俺は嘘をついているし、騙している。いい気分になれるわけがなかった。


 待ち合わせ時刻の五分前に売店に着くと既に雄大先輩がいた。そして鹿沢口先輩も。

 雄大先輩は俺を見るとすぐ駆け寄ってきた。


「なんで梢が来てるんだ!? 頼んだ覚えはないぞ?」

「すみません」


 としか言えねぇ……。鹿沢口先輩からそう言われてるんだから。


「雄大。彗くんは悪くないよ」


 今日も眠気絶好調の顔で彼女は俺をフォローした。


「私が頼んだんだから。少し、話そっか」

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