第67話 不可視事情

『寒いから何もしたくない。帰る』


 原因と結論を添えて私はメッセージを送った。そもそもここ数日何もしていないのでこのメッセージは余計なのかもしれない。

 それにあいつが本当に付き合い始めたのなら放課後を共にする相手は私ではない。はなから私はお呼びでないとわかってるけど、あいつの性格なら私に気を使って断りのメールでも寄越すと思う。だから先手を打った。


 あいつと先輩の関係を探るためには彼らの周りにいる人物に話を聞くのが一番だ。

 そもそもあの先輩――鹿沢口先輩な何者なのかを明らかにする必要がある。

 あいつとその先輩があのような関係へと発展したのなら以前から交流の噂があってもいいはずなのに私の耳にはノイズすら入って来なかった。傍によくいる私にでも尻尾すら掴めていないのだ。なら三年生の誰かに訊くしかない。でも私に三年生の知り合いは残念ながら一人もいない。ノートには「峰亜紀」という三年生が中学でお世話になった人と記述されていたが私には顔すらわからない。こうなるともう無作為に話しかけるしかないのであった。


(いきづら……)


 勢いで三年生の階に来た。

 が、その静謐さに私はたじろいだ。しんと静まり返った廊下に私の靴音だけがよく響く。

 ちらっと覗くとちらほら机に向かって黙々とペンを走らせている生徒が数人いた。


(受験時期だから当然ね。むしろ騒いでいる方がおかしいわね)


 私は廊下を歩き、階段まで進んだ。こんなに静まりかえった空間に入る勇気は流石の私にも無い。

 そのまま階段から降りようとしたとき、偶然にも三年生とおぼしき男子生徒が下から上がってきていた。チャンスだと思った私はその生徒に話しかけた。


「すみません。ちょっといいですか」


 私の声がけに男子生徒は過剰反応した。


「え、ええ俺!?」

「そうです。少しお話が」

「ちょっと待ってくれ、確か君は二年の日羽さんだよね?」

「はい」

「おぉ……心の準備が」

「勘違いしないでください。私はあなたを知りませんし、あなたに興味があるわけでもありません」

「……はい。話っていうのは……?」

「三年生の鹿沢口先輩をご存じですか?」

「鹿沢口。あぁ、あいつか。同じクラスだから知ってるけど」

 

 わーい。運がいい。

 私は万歳三唱をした。勿論心の中で。

 

「鹿沢口先輩って誰かと付き合ったりしてます?」

「ええ? いきなりだな。いやあそんな話は無いと思うけど」

「本当ですか? 本当なんですね?」

「嘘ついても得はないよ。近い近い」


 無論、この男の証言を真実と断定する気はない。交際を隠すことは珍しいことではないし、それにこの男が恋愛に精通しているとも思えない。こんな一生独り身の雰囲気を漂わせる男が他人の恋愛事情を知っているわけがないのだ。私が馬鹿だった。


「なんか辛辣なことを言われている気がする……」

「気のせいです。では鹿沢口先輩と仲の良い友人をどなたか挙げられますか?」

「あいつの友達のことか。だったら藤倉じゃないかな」

「本名でお願いします」

藤倉楓華ふじくらふうか。今頃図書室で勉強してるんじゃないかな。センター近いんだし」

「あなたはいいんですか?」

「俺、普通に就職するから」

「そうですか。ご協力、たいへんありがとうございましたー。二度と会うことはないでしょうー」

「あ、はい、って後半の言葉が怖いな……」


 私は急がば回れに従って図書室へと向かった。

 藤倉楓華。藤倉楓華。

 しかしすぐ私は重大なミスに気付いた。藤倉楓華の顔を知らないのにどうやって見つけるのか。

 恥ずかしい思いを噛みしめながら私は引き返した。


「え、二度と会わないって……」

「状況が変わりました。図書室まで一緒に来てください。藤倉楓華先輩が誰か教えてくださいませんか?(拒否したら焼却炉に投げ込むわよ)」

「わ、わかった」


 同意を得たので感謝代わりに微笑んでおいた。そう、私が微笑むと大抵の男は喜ぶのだ。そのせいで勘違いした馬鹿者が私に告白してくるパターンが多いのであまり人前で笑わないようにしているのだけれど今回は特例として微笑んであげた。しかし男はあまりいい気がしていないようだ。むしろ怯えている。


(心の声でも漏れてたかしら?)


 だとしても従ってくれたので結果オーライということにしておいた。

 


 図書室に二人で入り、私はドアで待つことにした。男に探させるのである。

 ものの数秒で男は藤倉先輩を見つけたようで、遠くから彼女の背後で指を指して私に伝達した。

 私は顎で「帰っていいわよ」と示し、帰らせた。男はそそくさと逃げるように図書室を出て行った。

 私は藤倉先輩に近づき、正面の椅子に座った。

 彼女はイヤホンで音楽を聴きながらノートを広げて勉強中のようだ。私の存在にも気付いていないので、彼女の視界に入るよう指を伸ばして机をコツコツと叩いた。

 バッとイヤホンを彼女は外し、私を見詰めた。


「ん、誰?」

「初めまして、日羽アリナと申します」

「あの有名な日羽さん? 私に用?」

「突然詰めかけてすみません。伺いたいことがありまして、少し良いですか?」

「構わないけど。どうして私に?」

「鹿沢口先輩をご存じですか?」

「うん。友達だし」

「鹿沢口先輩の周辺で最近何か変わったことはありませんか?」

「ん~? 特に無いと思うけど」

「例えば誰かと付き合ったり、とか」

「それはないんじゃないかな。だって梢、毎回告白されても断るし。って言っても同じ人からなんだけどね~」

「同じ人というのは?」

「梢のことを好きな人がいてね。一年生の頃から何回も告白してる。もはや見慣れた光景って言ったら可哀想だけど。三年生になっても未だにだから面白くて」


 藤倉先輩は笑い声を殺しながら肩を揺らした。

 なんだか見えてきた気がする。


「わかりました。お勉強中お邪魔してすみませんでした」

「あれ、もういいの?」

「はい。大分わかりましたから」


 私は図書室を後にした。







(あっぶねぇー!! あいつ帰ったんじゃねぇのかよ!?)


 突然図書室に現れたアリナに驚いて俺は全臓器が口から出そうになった。食道で引っ込んでくれたからよかったが危うく死にかけた。小腸が気管に詰まるところだったぜ。


「いきなり隠れてどうしたの?」

「アリナですよ! アリナが図書室に出没したんです!」

「日羽さんが? でも隠れる必要ある?」


 きょとんとする鹿沢口先輩に俺は呆れた。


「先輩は知らないんですよ。あの女の恐ろしさが。仮に俺と先輩の姿が見られたら何されるかわかんないですよ?」

「いいじゃん。別に本当に付き合ってるわけじゃないんだし」

「だとしてもです。白奈が俺に告白したことをアリナは知っているんです。もしこの関係を見られたら『道徳心のないゴミ屑人間は殺さなきゃ』ってナイフを持って迫られてもおかしくないんですよ!? 弁解の余地なく絶命します! それに白奈にもバレたらヤバいですからね!?」

「大丈夫。私から説明しておくから」


 半分睡魔に抱かれている人間のその言葉は信用できない。

 

「とにかく! 俺のクラスであんな大っぴらに馴れ馴れしく出てくるのはもうナシです!」

「わかったわかったごめんちゃい」

「不安だ……俺は一週間後生きているのだろうか……」

「もうちと待ってよ。私だって悩んでるんだから協力して。それに対価を払うと言ったでしょ?」

「信じてますからね……」

「約束は守るよ。日羽さんの病気を直す方法、私知ってるもん」

「マジで期待してますからね……」

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