第66話 ふつふつと煮え始めたエスプリ

「彗くーん。お昼食べよ」


 抑揚のないトーンで俺の名を呼ぶ声が昼休みに響いた。今まさに真琴と高貴なる食事会(弁当広げるだけ)を始めようとしていた時だった。


「あの人誰だ?」


 訝しげな表情の真琴がドアにいる人物を顎でさして俺に訊く。


「鹿沢口梢先輩だ」

「え、先輩? 三年生?」

「彼女でもある」

「かの、えっ? オギャッ、はんええ!?」


 真琴は銃口を向けられた一般人Aみたいに両手を挙げ、冷や汗を垂らし、現実を受け入れられないとでも言いたげに顎をガクガクさせた。

 あわわ、と言語化されきっていない声を漏らしては目を泳がせて俺と鹿沢口先輩を交互に見る。


「彼女できたの!?」


 鶴が話に入ってきた。また彼女も「起こり得ない架空の現象」に遭遇して閉口する科学者のごとく驚愕している。


「そんな剣幕にならなくても」

「だってあれだけ独身貴族独身貴族って馬鹿の一つ覚えみたいにぶつぶつと言ってたのに……」

「冗談だあれは。いつもの冗談。本当は彼女欲しかったんです」

「アリエナイ……アリナさんどうすんのよ」

「どうもこうも。活動は変わらん」

「でも……」

「待たせちゃ悪いから行くぞ。真琴、今日は食事会無しで」

「だから食事会って言い方恥ずかしいからやめてくれ」

「代わりに流歌と一緒に飯食えよ。おーい! 流歌! 真琴がお前と見つめあってご飯を食べたいってよ!」


 流歌はぼっと顔を赤らめて俯いた。だが彼女の右手はしっかりとグッドサインを作っていた。俺と流歌は無言の意思疎通を図れるのだ。俺も同じように返した。


「じゃというわけで」


 俺は弁当箱を持って鹿沢口先輩と一緒に廊下に出た。


「ありがと、ダーリン」


 またしても抑揚のない声で俺の左腕を抱きしめ、体重を預けてくる。


「先輩。流石にくっつきすぎですよ……周りの目が……」

「気にするの?」

「ええ、そりゃ勿論。生徒指導に睨まれちゃいます」

「じゃあしょうがないね」


 俺の左腕は解放された。眠たげな表情が特徴の鹿沢口先輩も意外と大胆なことをするようだ。俺は不覚にも照れてしまったので、顔を逸らした。

 鹿沢口先輩はニンマリと口角をあげた。


「かわいい」

「……」


 クソッ……! ツッコミが入れにくいッ……!








 私は寒いのが嫌いだ。

 冷え性の私には死活問題のこの季節は極力教室から出ないことで生命を維持している。黒タイツで下半身を黒く染め上げ、インナーを3枚ほど着込んでようやく外を歩ける。マフラーは必須だし、手袋もないと凍え死んでしまう。耳あては今度買おうと思う。

 今年もあと半月程度で終わってしまう。あいつと出会ってから今日に至るまで本当に時間が過ぎるのが早かった。

 思い返せば私の高校生活はモノクロの世界みたいに色褪せていて、息苦しかった。原因は私そのものだとわかっていたけれど。インクを水中に垂らした時のようにブワッと色が生活に添えられ、鮮やかな日々へと変化したのは榊木彗に出会ってからだ。


「アリナさん、寒いの?」


 白奈が私の席に近寄ってきた。最近私はクラスメイトたちと話すようになった。特に白奈とだ。

 薔薇園解散をきっかけに私も変わろうと思い始め、助言通りに過ごした。次第にクラスメイトとの物理的な距離が自然と狭まっていき、私が文庫本を開く回数もめっきり減った。


「ええ。私、冷え性だから」

「そうなんだ。私のお母さんも冷え性なんだけどね、よく生姜湯飲んでるよ。あったまるんだって!」

「ええ、試してみるわ……」


 無論試したことはあったし、数日続けた。レモンティーもココアも飲んだ。しかしめぼしい効果は現れず、きっぱり辞めてしまった。私の冷え性はあいつみたいにクセが強い。

 

 眼前の白奈が告白した結果が気になって、つい不本意だけど昨晩あいつに電話をした。私が介入しても図々しいだけなのはわかってた。でも好奇心には勝てなかった。

 そして私は安堵していた。あいつが白奈を振った、白奈と付き合わなかったことが確定した瞬間、少なからず気分が高揚したのだ。なんて非道い女なんだ、と自分を卑下した。だから平気でいる白奈が少し痛々しく見えてしまう。


 ココアでも飲んで温まろう。そう決めて席を離れた。エアコンの暖房のない廊下に飛び出すことは私にとってとてもしんどいのでマフラーを首に巻いた。顔をマフラーにうずめて自販機へと向かう。

 階段の踊り場を通過する前、見慣れた背中が一瞬見えた。彗だ。私はそのまま階段を通り過ぎ、彼が下の階に降りていく様を一瞥した。


(え……?)


 あいつと肩が触れるか触れないかの距離で正体不明の女子生徒と階段を降りている。明らかにそれは恋人同士の距離だし、意味ある距離だ。女の方は自ら身を寄せている。あいつも満更でもなさそうな雰囲気なのが無意識に腹が立った。

 まさか付き合ってる?

 いや、でもあいつは耳にタコができるほど独身貴族を宣言している。それに昨日は白奈を振った(振られた?)ばかりだ。もしかして白奈を振ったのはあの女と付き合ったから? いつからよ。なにそれ。私が勝手に熱くなって薔薇園に呼び出したのが馬鹿みたいじゃない。

 自分でも眉間に皺が寄るのがわかった。判然としないことがムカムカする。気持ちが晴れぬまま私は手早く自販機でココアを購入し、教室へと戻った。


(むー……)


 両手でココアを包み、一口啜る。

 付き合ったのなら私に一言くらい報告してくれてもいいのに、と不満が募る。

 気を紛らわすようにまた一口飲む。

 ハッキリしないと気分が良くない。私の顔を見てクラスメイトがビクッと慄いた。相当私の表情は恐ろしいものになっているんだろう。一度あいつに「お前が怒ってる時の表情はネズミを丸呑みしよう企んでる蛇みたいだ」と言われたがそうなってるんだろうか。その時は反射的に消しゴムを投げといたけどもしかしたら的を射ている表現だったのかもしれない。

 折角私のスタンスも変わりつつあったのにここで台無しにしてしまったらあいつにも申し訳なかったからひとりで真実を探求することにした。

 

 彗はまだ教室に帰ってきていないはずだ。廊下を降りていったので暫くは不在のままなはず。

 私は何気無い顔を努めて装い、二組のドアを開けた。無表情すぎたのか二組の生徒らは私を見て、戦慄の顔を浮かべた。そして生徒らは「彗いないの?」と互いに訊きあっていた。そうじゃない、私の相手は今回は彗じゃない。

 私はターゲットを見つけると一直線にそいつの元へ進んだ。


「な、なんだよ。すっ、彗ならどっか行ったぞ」


 高根真琴。私に一目惚れして、私に振られた(覚えてない)男。私が知る限り最も榊木彗に関して詳しい男。彼は三森流歌と食事中だった。


「ちょっと来て」

「ま、待ってくれ。飯食べてるんだ」

「そ。ちょっと来て」

「話を聞いてくれ……」

「ホントにちょっとよ。10秒以内に解放してあげるわ」

「……わかった。流歌、待っててね」


 コクンと頷く流歌。

 私は教室の角に真琴を追いやり、逃げ場のないよう私は仁王立ちした。真琴は狼に追い込まれた羊のように怯えている。

 私は周りに聞こえないように小さな声で囁いた。


「あいつ付き合ってるの?」

「……お、俺もよくわからないんだ」

「どうなの? あんた、あいつの取扱説明書みたいなもんでしょ? 知らないの?」

「そこまで隅々まで知ってるわけないよ……俺だってさっきビックリしたんだ。突然、カザワグチ先輩って人が教室に来てさ。その人のことを彗は『彼女でもある』って言ってた」

「三年生?」

「うん。面識がなかったから誰かは全くわからないよ。早く、解放してくれ……」

「ええ、早く巣に帰りなさい」


 へたり込んだ真琴を無視して、私は踵を返し、自分の教室へと戻った。

 少し冷えたココアをまた啜る。


(本当に付き合ってるのね……)


 誰が付き合った振られたというこの手の話は女子の定番だが私には全く興味がない。だけれどもいざ、よく知る人物が付き合うとなるとこうも心が揺さぶられるのは意外だった。

 私に愛を告げる者を事務的に罵倒してあしらう日常に慣れすぎたせいかもう恋愛沙汰で私の中で波風が立つことはないと思っていたが、現状の私は愚かにもムカついていた。


(これは調べる必要がありそうね……)


 缶を握りつぶし、私はそう決心した。

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