第65話 明朝の戦慄

 翌朝。十二月十日の朝だ。

 母のご飯コールで起床した。

 冬の朝は本当に嫌いだ。目覚めのいい朝があった試しがない。意識が覚醒するとまず全身の関節がうまく動かないことに辟易する。布団から出ると次は冷気が首筋や耳を撫でる。もう最悪だ。永遠に眠りたい。

 昨日の忙しさが追い打ちをかけて今日の朝は史上最悪の気分だった。疲労感がねっとりとまだ体に纏わりついていて、体が鉛のように重かった。


「おはよう。うわぁゾンビぃ……」


 朝に強い妹が羨ましい。どうして眠くなさそうなんだろう。流れる血は同じだというのにこの差異は何なのだ。


「ああー……冬は嫌いだ……」


 席について味噌汁をすする。当然食欲もないためいつも朝は少なめだ。全内臓がまだお休み中だからな。無理に入れたら吃驚して戻しちまう。

 冬休みを十二日後に控えたわけだが特に何かしようとも考えてなかった。逆に何もしたくない。家で腐って床と同化したい。ただえさえ体毛の少ない我々ホモ・サピエンスは科学の恩恵を享受していた方がいいのだ。

 宇銀は推薦で高校に受かっているのでとても気楽そうだった。普通に受験する中学生たちならこの時期は最後の追い込みの時期である。


「事実上受験を終えた宇銀さんは学校行って何してんだ?」

「べんきょー」

「すげー。俺なら寝るわ」

「私も他のことしたいけど周りが激烈勉強モードだからしょうがないんだもん。無理だよ」

「ああーわかる気がする」

「兄ちゃんは来年だね」

「もうやだああああ受験やだあああ」

「はいはい。ご馳走様でした」


 宇銀が席を立って食器を母と片付ける。俺はひたすら味噌汁を啜った。朝のニュースをじーっと流し見て、食道に味噌汁をぶち込む。じんわりと芯から暖まる感覚。俺はこの感覚を覚える度に寝そうになる。

 味噌汁片手にウトウトしだした俺。瞼が尋常でないくらい重い。


 ピンポーン。


 この明朝にインターホンを鳴らすとはどんな馬鹿者だ。睡魔を追い払ってくれたことには感謝するが朝にインターホンはマジでやめろ。心臓が止まる。


「あ、お母さんいいよ。私が出るから」


 宇銀が玄関の方へと消えていった。よく朝から小走りできるなあと俺は感心した。

 学校へ行くには当然ながら準備をしなければならない。当たり前すぎることだがよく考えてみるとやることが多い。ますパジャマを脱がなければならない。そして制服を着なければならない。歯を磨き、顔を洗い、持ち物を揃えなければならない。もう全てがだるい。もう一回寝ないと無理だ。


「ちょーーーーっと兄ちゃーーん!」


 自室へスーパースローの足取りで進んでいると妹から呼び止められた。

 ドタドタと家を破壊しかねない音を立てながら俺の元へと飛んでくる。


「兄ちゃんの先輩が来てるよ!」

「先輩?」


 関わりのある先輩はセンター試験猛勉強中の亜紀先輩ぐらいだ。俺の家を知ってるわけがないので先輩と名のつく人物が訪問することはないと思うのだが……。

 俺は超頑張って人間並みの歩行速度で玄関へと向かい、ドアを開けた。


「おはよう。彗くん」

「……鹿沢口先輩? なぜうちに!?」


 昨日知り合った鹿沢口梢が眠たそうに佇んでいた。白奈と仲が良いそうで、告白の経緯も知っている謎の先輩。

 榊木家をどうやって特定したんだ。まさか興信所を利用したわけではあるまい。俺の家を知っている高校生は同じ中学の友人たちしかいない。白奈か? 白奈なら知っている。だとしても教えるか? 

 

「そんな警戒しないで。一緒に登校しようよ」

「無宗教です」

「……?」

「新興宗教の勧誘なら無駄ですよ……」

「じゃ、待ってるから」


 俺のささやかなお断りをガン無視して、鹿沢口先輩は立ったまま目を閉じた。

 近所の方から見られたら好奇の目をされるであろう鹿沢口先輩が不憫に思えたので俺は仕方がなく部屋に戻って制服に着替えた。一体なんだというのだ。昨日の今日だ。絶対白奈に関係しているだろう。

 準備が整い、玄関に行くと準備万端の宇銀が佇んでいた。


「どうした。行かないのか?」

「兄ちゃんもやっとお付き合い始めたんだね……妹として誇らしいよ……」

「いや付き合ってねーし。第一俺もこの状況を理解していない。ほぼ初対面だぞ? アブナイ匂いしかせん……」

「邪魔しちゃ悪いから兄ちゃんが先に出ていいよ。後から私は出るから」

「あいあい……」


 誤解は解けぬまま俺は家から出た。

 鹿沢口先輩の立ち位置は微動だにせず時が止まっているかのように目を瞑っていた。

 マジで待ってたのか。


「鹿沢口先輩起きてください」

「んあ。ちょうねむい」

「とりあえず行きましょう。話はそれからです」

「むーん」


 眠気が抜けきってないのは俺もだが鹿沢口先輩の方が圧倒的に抜けていないようだ。九割寝てる状態だと思う。そんなコンディションでよく俺の家に来たなと感心しつつ、俺は正面から疑問を投げかけた。


「どうして俺の家がわかったんですか?」

「ストーカーしたから」


 堂々と犯罪行為を暴露した鹿沢口先輩に俺は戦慄した。


(この人――ホンモノだ)


 アリナがストーカーされていたのを聞いた時は重大なことだという認識があまりなかったが、いざ当事者、被害者になるとここまで恐ろしく感じるとは。


「そうだったんですか……怖いですねえ……」

「そうだね。zzz・・・」

「寝ないでください。おぶって登校は嫌ですよ」

「カップルみたいだね」

「ははは……」


 話が見えてこない。本当に二人肩を並べて登校している。この光景を誰かに見られたらまた噂が流れるだろう。アリナで懲りたので二度目はやめてほしい。


「白奈ちゃんのこと。振ったんだ」


 来た。やはりこれか。


「そうなりますね……」

「歯切れが悪い返答だね。違うの?」

「詳しく申しますと振る前に振られました」

「……なるほどね。白奈ちゃんらしいや」

「白奈から聞いたんですか?」

「メールで一言。『スッキリしました』って来たんだよ。白奈ちゃんが納得したのならいいんだけど私としては残念かな」

「しょうがないです。白奈と適当な関係を作りたくないから結果は確定してました。これでいいんです」

「意外としっかりしてるんだね。もっと頭のおかしい人だと思ってたよ」

「認識が改まって良かったです」


 俺は核心に突っ込むことにした。


「なぜ、俺の家に来たんですか」

「ちょっとお願い事がね」

「自分で可能なレベルなら」


 鹿沢口先輩は立ち止まり、俺に正面から向き直った。


「私と付き合ってくれない?」


 ああ……これは面倒になりそうだ。

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