第64話 セレクション

「……そう、だったのか」


 改めて面と向かって好意をぶつけられ、俺は口籠もり、そんな情けない返答しかできなかった。

 告白の経験に乏しい俺にはこの場におけるリアクションを心得ておらず、反射的に頭が真っ白になった。


「いつからだったんだ……?」

「……中学校の時から。ずっと」


 重い……。

 仲の良い女友達だと思い込んでいた俺は相当馬鹿だったようだ。白奈がなぜこんなイカれた人間に構うのか不可解に思ったことが何度もあったがようやく今理解できた。

 同時に白奈の一つ一つの小さな行動が意味を成していたことも悟った。


 彼女が告白される度にどうするべきかを俺に相談してきたこと。

 進路の相談もよくしてきたこと。

 テニス部入部を耳が痛くなるくらい誘ってきたこと。

 独身貴族と豪語するとしょんぼりすること。

 アリナと関わるようになって、頻繁に心配されるようになったこと。


 全てに意味があった。全てが繋がった。

 そして俺は自分をこの上ないくらい卑下した。あまりにも白奈に対してひどい仕打ちだ。手を必死に振っている相手を無視し続けてきたような非道さだと思う。

 無知は罪なり、とはこのことだ。

 俺はただのクソガキだった。


「俺なんかのどこがいいんだ? 自分で言うのもなんだが、俺はくだらない人間だ。今回ばかりは冗談じゃない」

「そんなことないよ。私、知ってるもん」

「本当に俺は……駄目だ」

「私、彗が影でやってきたことちゃんとわかってるよ。産休明けの先生の荷物とか率先して持ってあげてたり、中学の文化祭では頼まれてもいないのに人手の少なかった実行委員会を助けたり……」

「帰宅部だからできたことだ。白奈。俺にとって白奈は付き合いが長いから周りの女子とは違う。だから。だから、勿体無いぞ」


 俺は白奈を恋愛的に好きではない。動かぬ事実と断言できる。

 でも可能性はあったかもしれない。俺が白奈を好きになって付き合うっていう未来も。けれど白奈に俺は釣り合わない。

 根本的なことを言えば、俺は自信がない小心者だからだ。冗談を好むのはのらりくらりと避けられるからで、自分に焦点を当てられるのが単に怖いからだ。独身貴族を謳うのは一種の拒絶でもある。関わってこないでくれ、とバッテンを作り、我の恒常性を守り抜く。

 だから俺は駄目なんだ。


「……でも、好きになっちゃったんだよっ!」


 悲痛な嘆き。俺も苦しかったが一番辛いのは白奈だと知っている。俺なんかどうでもいい。

 今にも零れ落ちそうなくらい涙目になった白奈を見たことがあっただろうか。あんなに頰と首筋を紅潮させた白奈は記憶にない。

 しかし、選択は決まっている。白奈が望んでいない分かれ道の一つだ。同情で付き合ったり、好きになるかもしれない、等の迷いで交際するのは俺には難しいことだった。白奈が大切だからだ。そんな扱いは絶対にしたくない。


「白奈、俺は――」

「待って!」


 胸を押さえてやや大きめに叫ぶ。白奈にしては珍しい語気のある声に俺は吃驚した。


「言わないで……わかってるから」


 両手で顔を覆い、俯く。


「わかってたから……彗がアリナさんを好きだって……」

「それは違ッ――」

「違くないっ。アリナさんと話してる時は心の底から楽しそうにしてるのはわかってた。『あぁ、好きなんだなぁ』って。彗は本当にアリナさんが好きなんだなぁって。もう私はどうしようもないんだってわかっちゃった。絶対彗は否定するけど真琴くんも気づいてると思う」

「……いや、でも――」

「だから私は彗とはこれっきりで諦める。金輪際、もうこんなことはないから安心してね」


 白奈は顔を上げて、儚げな眼差しで俺を見つめ、


「実は私、彗が好きでした。言うのに3年以上もかかっちゃった……ごめんね、迷惑かけて! じゃあね!」


 手の甲を口に当てながら、彼女は元薔薇園を飛び出していった。この時、俺は追いかけておけばよかったんだろうか。追いついて、肩を掴んで振り返させて、


「――」


 何かを言うんだろう。でも何て?

 不甲斐ない俺には何処までも真っ白な空白だった。

 元薔薇園に残された俺は糸が切れたように椅子にドスンと座った。静寂なこの空間に花を持ってきたアリナの気持ちがわかった気がする。確かにこれは寂しい。無機質で退廃的で、冷めきっている。


「もうわかんねぇ……」


 









「おかえり、にーちゃん」

「おはようございます……」


 リビングから聞こえてきた妹の声にそう返すと「お母さん! 兄ちゃんのネジ全部外れてるっぽい! 探してくる!」と喚いたが俺はそのまま自室へと逃げ込んだ。

 鞄を下ろし、ネクタイを緩め、ベッドに倒れこむ。


「ふぁぁぁ……ぁぁあァアアアアアアアア!!!!!」


 ジタバタと駄々をこねる子供みたいにベッドの上で暴れた。


「ヌワアアアッンァァァアァァアア!!!!」

「うるさいっ! 警察呼ぶよ!」


 乱暴にドアを開けた妹が脅しに近い叱責をした。

 そして閉じられ、妹の足音が遠ざかる。


「……ウワァァァアァァアアアアアアア!!!」

「兄ちゃん。マジで中国人民解放軍呼ぶよ」

「そこは自衛隊にしろ」


 再び現れた妹に次は冷静に返した。

 

「何したの。何かあったの?」

「何もない。何もないぞ」

「何かあるでしょ。何でも言って」

「よし、次から『何』禁止な。馬鹿になりそう」

「何で?」

「ん゛も゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!」


 俺の咆哮に呼応するかのように、スマホが鳴った。

 妹は「やれやれ」と口ずさみ、今度こそリビングに戻っていった。

 かけてきたのはアリナだった。また一体どうして……。


「もしもし。ウガンダ共和国大使館です」

『冗談を言えるくらい元気ならかける必要なかったわね。通話料払いなさい』

「まさかあの残虐非道の独裁者・日羽アリナ様から心配されてたなんて……」

『明日学校で会ったら覚えてなさいよ』

「おかけになった電話番号は、現在使われ――」

『腹立つわねぇ……』

「からかいすぎました。すみませんでした。いきなり電話とは珍しいな」

『どうだったの、今日の放課後は』


 いきなりその話か。


「……はっきりと断る前に、白奈から諦めるって言われた」

『えっ』

「言葉の通りだ。諦める。そう言って薔薇園から出てっちまった……もうちょっと何か言ってやれたんじゃないかって激しく後悔してます」


 アリナは絶句したようで、通話は小さなノイズだけが流れ続けた。

 

『そう……』

「なんかありがとな。わざわざ電話してくれて」

『べ、別に――』

「ツンデレ似合ってないぞ」

『そ。ま、後日話を聞くわ。話さなくてもいいけど』

「ああ。ありがとな」

「ええ。切るわ」


 ツーツーツー……


 そしてまた倒れこみ、大きくため息をついた。どっと疲れが吹き出して、干物にでもなった気分だ。


「波乱の日だった……」


 鹿沢口梢。白奈の告白。アリナの電話。

 色々と立て続けに起きてもうクタクタだ。眠りに落ちたいと体が訴え、意識が水面下に沈んでいく。そんな薄れる自我が最後に囁いた。


『それでよかったのか?』


 そんなものはわからない。第一正答例があるなら何処にあるか言ってくれ。

 

 もう考えたくなかった。

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