第63話 【番外編】 隣のトマト・アディクト 2 (終わり)

 忘れもしない六月十二日。


 日羽の噂は鰻上りに数を増している。

 幾多の毒舌と暴言。それをメモして一覧にする小さなファンクラブができるほどで、日羽の人気が衰える兆候は一切無かった。

 日羽アリナは容姿抜群で成績もトップ10には毎回入るほどの実力者。それほどの素質を持っているのにも関わらず、自分から潰しているかのように人との交流を拒み、見えないバリアーを創る。

 それでも男子生徒たちは何とかお近づきになりたい一心で話しかけた。でも激しい罵声と軽蔑が毎度のお決まりだった。だから日羽に友人はいないと思う。


「どうしたの?」


 白奈ちゃんが小休憩に話しかけてきた。


「辛いなーっと思って」


 卑怯な言い方だと思った。これじゃあ「気にかけてください」と主張しているみたいだ。


「……もしかしてアリナさんのこと?」

「ッ!」

「あやっ、何となくそうかなって思っただけで、えとー……」

「いいんだよ。俺も自覚してるから……」


 一目惚れは自然と引いていくものだと思っていたが二ヶ月が経過し、現在に至っても変わらず俺はアリナが好きなままだった。

 何が一番辛いかって、好きな人に話しかけることすらできないこと。悶々と胸の内で想いを溜め込む毎日が辛すぎる。押しつぶされそうだった。

 もはや限界に近かったのかもしれない。これが一生続くのかと思うと残酷だ。


「何か力になれるかな……?」


 しかしながら解決策はもうわかっている。わかっているけれども、踏ん切りがつかなかった。


「これっきりは白奈ちゃんにも無理かな……完全に俺の問題だよ……」

「そっか……彗に相談してみたら?」


 チラッと彗のいる方を見る。席替えをしたので彗は窓際の最後尾に追いやられていた。彼はトマトジュース片手に窓外の景色を眺めているようだった。


「いや……大丈夫だよ」


 彗は冗談の塊ではあるが偶に核心を突いたことを言うので油断ならない。だから信頼はしている。だとしても彗にもどうにもできないだろう。

 

 やっぱり告白しよう。

 結果は目に見えているけれど吹っ切るにはこれしかないんだ。いつまでも立ち止まってオドオドするのはやめだ。


「よし! 決めた!」

「な、なになに!? いきなりなに!?」


 ガタンッと立って、己を奮い立たせた。


「告白してくる!」


 白奈ちゃんに聞こえる程度の音量で言ったつもりだったが結構響いていたようで、クラスの何人かはギョッとこちらを凝視した。

 白奈ちゃんは目をパチクリさせて現状を把握できていない模様。視界の隅にニヤつく彗の姿があった。彼は俺にガッツポーズを送り、賞賛してくれた。今思えばただの揶揄だったのだと思う。

 残り少ない休憩時間も忘れて俺は教室を出た。俺に続いてクラスメイトの何人かは親鳥を追いかける小鳥のように付いてきたが完全に無視して廊下を早歩きで進む。

 一つ教室を通り過ぎて日羽がいる教室へ。

 ドアは全開だったのでスッと入り、素早く日羽を発見した。彼女は読書をしていた。群れを引き連れてきた俺に目もくれず、静かに文章に目を滑らせているようだ。

 俺は最短距離で日羽の元へと一直線に向かった。一歩一歩近づくたびに日羽アリナの芸術的美しさが際立つ。ディティールの全てが綺麗だった。とても繊細でガラス細工のように洗練された美がそこにあった。

 異次元のような存在に俺は多少の畏敬の念を覚えた。住んでいる世界が違うとさえ感じるほどに。触れ得ざる者、とでも言うべきか。何だろう、彗の影響を受けすぎたせいか変な言葉が出てくる。


 日羽は傍に立った俺をいないものとして読書を続けている。外界とシャットアウトしているようだ。

 俺は人生におけるかつてない渾身の勇気を湧き起こして名前を呼んだ。


「日羽、さん」


 ちゃんとうまく発音できただろうか。

 鼓動が大袈裟に脈を打ち始め、耳が熱くなってきた。


 日羽はバタンッと文庫本を両手で閉じ、その宝石のような双眸で俺の両眼を見つめた。二度目の正直を言おう。やっぱめっちゃ好き。

 ここで俺は重大なミスを犯していることを知った。告白の言葉を考えていなかったのだ。勢いだけで来たのがここで仇となった。


 この瞬間以上に頭をフル回転させたことは無いだろう。時間の感覚が狂ってしまうくらい頑張ってセリフを考えた。

 何回自分の全語彙を回っただろうか。

 そして俺は口を開いた。


「日羽さんに一目惚れして、今でも好きです。中々話しかけられなくてずっとタイミングを伺ってたん――」

「あーー、長い、うるさい、吐き気がするわ。教室から出てってくれる? 背筋にヒルが這ってる感覚に襲われる。だから私を見るなって言ってるでしょう? 気持ち悪い。はっきり言って目に毒だわ。消えて」


 グラスが割れる音がした。

 てっきりトマトジュースが注がれたグラスを彗が落としたのだと思ったけど、彼は紙パックと缶で飲んでいる姿しか見覚えがない。つまり、これは俺の心が崩壊した音だ。

 ガラスの心、という比喩は心が壊れた音がガラスが割れた音に似ているからなのだろうか。少なくとも俺はガラスでできていたようだ。放心した俺はそのままふらふらと廊下に出て、ゾンビのように自分の席に戻ったそうだ。

 覚えてないんだ。次に意識が戻った時は授業中だった。タイムスリップしたのかと思った。


(うぐっ、死にてえ……)


 現実だった。心臓を鷲掴みされてるような苦しみが俺をゆっくりと締めあげた。

 片目で彗を見ると彼は眉を上げて、歯を見せた。サムズアップ付きで。


『ドンマイ!』

 

 多分そう伝えたいんだろう。

 もう俺に反応する気力は残されていなかった。



 同日、部活は休んだ。体調不良ということで放課後になったらすぐ帰った。売店を横切ると彗はまた女子部員の波に揉まれながらパンを勝ち取ろうとしていた。この時、彼の気楽さが妬ましかった。





 心に大ダメージ(半壊)を受けたが結果的に気は楽になった。鎖が外れたような開放感がある。

 告白は盛大な失敗で幕を閉じた。クラスメイトにはそう映っただろう。

 しかし俺にとってはある意味良かった。アリナに一目惚れして、告白した六月十二日までの間には無かった晴れ晴れとした気持ちに包まれているからだ。この点については大きな成果であった。



 その後、俺の恋愛事情は以降動かず一年生が終わった。

 クラス替えでは白奈ちゃんとは離れ、また彗と同じクラスになった。彗は「お前、まさか俺に気でもあんのか……?」と冗談を言った。

 二年生になっても日羽の孤高のアイドルぶりは不動だ。

 アリナの毒舌による後遺症なのかははっきりしないけれど、あれ以来俺は好きな人ができていない。病気かと思って心配したが、俺は彗を見ることによって心を落ち着かせていた。なぜなら彼はトマトジュースのことしか考えていないからだ。別段、俺だけが特異な心理に陥っていると思わなくて済む。彗には悪いけど。


 そして変化は二年生の秋に起きた。

 榊木彗と日羽アリナが付き合い始めたという噂が流れたのだ。頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされてその日は中々寝れなかった。


 トマト・アディクトにも色々とあるようだ。

 

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