第59話 あなたのための気持ち
「ァ……ァア……ァッ」
怖くて教室から出られない。それどころか机から立ち上がることすら怖い。空中で飛び交う弾丸から頭を守るように俺は頭を抱えていた。
原因は今朝白奈から届いたメッセージだ。内容は、俺宛の告白。あらゆる解釈で『彗が本当に好きです』を読み解こうとした。隠された真の意味、文章の打ち間違い、シーザー暗号、罰ゲームなど俺は純朴さを忘れて疑った。だが腑に落ちることはなかった。
過去に白奈からは告白に似たようなカミングアウトをもらった時は気まずくはなったが今回はそうはいかない。というのもその時は「好きだった」という過去形であったので動揺はしなかった。いや、してた。話しづらくなった。『今は好きじゃない』と解釈できたので、しばらくしたら普段通りに戻れたが。
正面から好意をぶつけられ困惑している。気持ちの整理がつかないのだ。会ってほしいと言われたなら会いに行くしかない。断る理由もないが断ったらきっと白奈は傷つく。だから俺は会いに行くだろう。確定事項と断言できる。問題はどんな回答を持っていくかだ。
「ァ……ァゥッ……アァ……」
「彗、帰ってこい……帰ってこい……!」
頭を抱えて机に視線を落としている俺の耳に聞き慣れた声が入り込んだ。
「ま、ことか……」
「どうしたんだよ。様子おかしいよ。ジブリのカオナシみたいだったぞ」
「ありがとう……一時的に語彙力が赤ん坊に戻ってた……お前が名前を呼んでくれなかったらと思うと恐ろしい……」
「どーーーーんっ!」
陽気な声とともに俺の脳天にチョップを加えられ、顔面を机にぶつけた。鼻骨が折れるかと思った。
「彗らしくないぞい。えっへん」
真琴の隣に学年トップ頭脳の控えめギャル・二渡鶴が立っていた。腰に手を当てて、憎らしい法悦の笑みを浮かべて。
「ありがとうございました。今のチョップで九年分の記憶が消えました、鶴さん。これで算数も出来なくなりました」
「ありゃごめん」
「ど、どーーーーんっ。これでいいのかしら?」
バゴォンッ!
破壊の音が響く。俺の顔面がクレーターを作るレベルの運動エネルギーに従って机と正面激突した音だ。鶴とは比べ物にならないくらいのチョップが俺を強襲した。
「イデエエエエエ! 頭割れる! 割れる!」
「よかったぁ。やっぱアリナさん呼んでて正解だった」
「そうかしら」
「よくねぇ!」
真琴、鶴、次はアリナが現れた。
「なんなんだお前ら!? スイカ割りしたいなら水着でやれよ! なんで制服なんだ!? しかもビーチじゃなくて教室ゥ!? 全くもって魅りょ――」
ドゴォッン!
「こ、ろ、す、き、か――」
「悩みがあるなら言えよ、彗」
「そうそう。文化祭でお世話になったから力になるよ?」
予期せぬ温かいお言葉。
しかし彼らに頼るつもりは毛頭なかった。これは俺と白奈の話だったので、相談したところで迷惑な話になると思ったからだ。心配してくれたことはとても嬉しかった。
「いや、君たちには頼れん……」
「え? なんでも言ってくれよ、彗」
「不測の事態というか、まあこれは相談できない内容なんだ……すまん」
「ちょっとちょっと、ホントに大丈夫?」
鶴がしゃがんで俺の顔を覗き込んでそう言った。
「体調悪いなら保健室連れてくよ?」
「ほう。それはそれで楽しそうな保健室になりそうだがッ――ンアッ!」
ドゴォッン! ドゴォッン!
「アリナさん……勘弁してください……割れます……蟹味噌出てきます……」
「立って」
「んぇ?」
「立ちなさい」
言われるがままに俺は立ち上がった。
するとアリナが強引に俺の手を握り歩き出した。
「ちょっちょちょっと待てよアリナ。お前の握力やべえよ! 壊れる! 地球壊れる! 誰が誘拐犯だ!」
「黙って」
鶴と真琴は唖然としていた。口をぽかーんと開けて、誘拐される俺を目で追っていた。まあそうなる。俺も意味がわからん。
廊下、階段と覚えのあるルートを辿る。俺はその間、母親に引っ張られる息子のように何もできなかった。この女、力が強すぎる。
元職員室、薔薇園の前に到着する。
薔薇園は事実上なくなった。アリナには不要と判断して、寂しくはなるが同意の上解散となった。なのにどうしてまた訪れたのだろうか。
アリナはドアに手をかけた。鍵がかかってると思ったら普通に開いていた。赤草先生、施錠はしっかりしましょうよ ……。
で、俺は元薔薇園投げ出された。
「お、俺を解体でもする気か……!? 食っても美味くねえぞ……!?」
俺のジョークには一切の反応を示さなかった。その代わり、アリナは急接近して俺のネクタイを掴んで顔を突き出した。
「あんた、何て答えるの?」
「かひっ! 首が!」
「白奈に、何て返答するの?」
アリナは何処と無く焦っているように見えた。
「答えったって……俺にはわからん……」
「あんた。白奈が好きなの?」
波木白奈が好きかどうか。
嫌いではないし、寧ろ好感はある。可愛いと思うし、性格も優しくてつい守りたくなる。中学生の頃から面識があるので他の女子よりは特別な存在だ。
多分、彼女は男子の一種の理想だと思う。
「Loveかはわからない……」
「じゃあ付き合うの?」
「待て、どうしそこまで追求するんだ? あと首が締まる――ぎゅぴ」
ごめんなさい、と小さく呟いてアリナはネクタイから手を離した。
「あんたに前言ったじゃない」
「?」
「あんたが付き合ったら私は消えるって」
「あぁー……」
そういえば言った。
確かあれは文化祭が終わった後だ。宇銀に「アリナが誰かと付き合ったらどうするのか」と訊かれ、後日アリナに面と向かって、「お前が誰かと付き合ったら俺は離れるから安心して愛を育め」と言ったのだった。それに対してアリナも同様に、俺が誰かと付き合ったら自ら消えると明言した。お互いどちらが早く付き合うかの勝負みたいだな、と自虐的に笑ったことを思い出した。
まさか何気無いあの一言が今も効力を持っていたことにも驚きだが、何よりもアリナがそこに拘って俺に疑問符を投げたことが衝撃的だった。つまり、俺が付き合ったら私はどうするの、というような訴えだ。鈍感な俺でもわかる。
「思い出した。そんなこと言ってたな……」
「そ、そうでしょ? 言葉通り、あんたが付き合ったら私はあんたから離れていいのね?」
「そうは言ったが……まあそうだよな。付き合ったら同性に近づいて欲しくないのは普通の感性だよな……」
「やっぱり白奈の気持ちは受け取るのね……?」
「受け取るには受け取るが、まだ付き合うとは決めてないぞ……?」
「でも付き合う可能性が高いのならそこははっきりしてないといけないわ。お互いの為に……」
珍しく人間臭いことを言うんだな、と俺はこの状況下でも冗談を胸の内に呟いた。だってあのツンケン毒舌女が、スカートを掴んで、目を伏せ、左下に視線を固定してそっぽを向いているのだから。冗談を考えないとこの初々しくてこそばゆい感情を紛らわせない。
「俺は、どうすりゃいいんだ……」
「ッ! この根性なし! 自分で決めなさいよ!」
最もだ。
本心に従うのが筋というなら答えは最初から決まってる。
人の恋路に正解があるかは俺にはわからん。そもそもマルかバツかなど存在しないだろう。誰が付き合って、誰を振るのか。それに答えはない。
ただ一つ。明言できるのなら、恋はとても身勝手でおぞましく、それでいてとても儚く美しいコミュニーケーションだ。
その美しき情景に自分もいていいのならそうしてみてもいいのかもしれない。たった一度きりの高校生活。たった一度の出会いと別れ。堕落した帰宅部生活に少しでも光を当てるのなら今だろう。
「俺はアリナが好きだから――白奈の気持ちには答えられない」
生きてるって気がした。
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