第28話 実は、私も

 実は私も彗が好きでした。


 実は私も彗が好きでした。


 実は私も彗が好きでした。


 実は私も彗が好きでした。


 実は――


 


 除夜の鐘のように白奈の声が反響する。

 

 実は私も――


 静寂な廊下に幻聴が聞こえる。

 ちなみに俺はクスリなんかやってない。

 

 動揺を通り過ぎて俺は亡霊になった。うつろな意識の中で何とか自我を保つ。こだまする白奈の声だけがはっきりと聞こえた。


 ――好きでした。


 予想外の展開に最初は狼狽した。白奈は逃げ去り、残された俺は腹の奥底がじんわりと熱を帯びた。嬉しいとも恥ずかしいとも表現の難しい感情が今もなお俺の体内で暴れ回っている。

 

 何も答えられなかった。誰かが俺の口を塞いだかのように固まってしまった。

 

 あっという間に薔薇園に到着した。

 正直、アリナの前で平静を装える自信はない。白奈が俺のことを好きだったなんて思ってもみなかったから。

 アリナが薔薇園に花を増やしまくったのはフラグというか予兆だったのだろうか。だとしたら女神としてあがめてやろう。毎日賽銭は無理だが海苔くらいはくれてやる。ぶん殴られそうだな。

 

 扉を開けて花まみれの薔薇園が視界いっぱいに広がる。妙な安心感が俺の心を包み込む。まるで我が家だ。


 視界の中心には上半身ブラのみのアリナがいた。

 テニス部の手伝いをして帰ってきたらまず何をするかと言えば着替えだ。運動部でもない俺らが学校指定の体育服装で帰るなど恥ずかしくてたまらないからな。制服に着替えるのは必然的行為だ。俺だって着替えるために戻ってきたのだ。何も悪くない。


 アリナの目に光は無かった。

 海外のゾンビドラマを連想させる目だ。ザ・ウォーキング・アリナ。アリナハザード。

 

 ブラ装備のままこちらを向いた。スタイルが良すぎて脳漿が蒸発した。吃驚しました、はい。写真集が出たら買います。

 しかし今の俺はハイパートランスモード――次元を超えて恍惚とした精神状態にあるので欲情などしなかった。

 

 きっとアリナの目には真剣な表情でじっくりと自分の身体を観察する変態野郎が映っているだろう。それは誰だ? 俺だ。まぎれもなく榊木彗だ。


 彼女はゆっくりと歩いた。ロンファーが奏でる音が心地よく響く。リズムよく揺れるアリナの胸。


 実は私も彗が――


 白奈。君はいつから俺のことを――。

 無知は罪だろうか。俺にはわからない。

 

 アリナの胸が近づい――じゃなくてアリナが近づいてくる。全てが遅く感じる。彼女の紙の一本一本の動きがわかるほど。

 アリナの握りこぶしをつくった。これはやばい。


 ――好きでした。


 明日から一体どんな顔をして白奈に会えばいいんだろう。

 アリナ。君の目にはどんな表情をした男が映っているのかね。啓発して悟りの境地に達した男の顔だと思うが違うか? 人類にとって有益な存在へと成りえた男じゃないかな?

 その男を君は殴ろうとしている。

 アリナは肘を後方に引いてためをつくった。筋肉に引っ張られて形の変わる胸を見てほぅと唸った。俺はつくづく変態だなと思った。素敵な胸だ。


 実は私も彗が好きでした。


 答えは出ない。

 ただそこには無知で愚かな榊木彗がいた。


 

 世界が、揺れる――。


 正確には俺の視界がぶれた。

 アリナの拳を正面から受け止めた。レントゲンでコマ撮りのようなことが出来たら俺の脳味噌で試してみよう。とんでもないことになっているはずだ。サザエさんのエンディングで流れる家になだれ込むシーンを思い出してほしい。あれが頭蓋の中で起きている。

 

 宙が反転し俺は倒れた。こめかみがジンジン痛み、危険信号で耳がうるさい。ただの耳鳴りですけどね。

 床に倒れ込む。ひんやりと床の冷たさが頬から伝わってきた。

 薔薇園を眺める。花ばかりが広がるこの空間が天国に見えた。これが、死か。

 神様は俺を哀れんだようで、最後に絶景を見せてくれた。

 俺を殴り終えたアリナは興味を失ったように着替えを続けた。まさかパンティィイを見ることになるとは。

 そうか、アリナの中ではもう俺は存在しないのか。だから追い出さないのか。透明人間も悪くない。


 まもなくして俺は土下座した。

 アリナがカッター、ドライバー、ホッチキス、ハンマー、ペンチ、アイロンなど場違いな品を机に並べだしたからだ。謝らなかったら想像もしたくない地獄を味わうことになっていただろう。

 よかった。まだ神はいる。





 

「誤って開けたことはもう許すわ。私も鍵を閉めてなかったことだし」

「ごめんなさいアリナ様」

「様付けは案外悪くないわね」

「ノコギリをお収めください。死にます」

「いいじゃない。あんた、放心状態みたいだし。死んでるようなものじゃない」

「いろいろあったんです」

「話してみなさい。たっくさん罵倒してあげるわ」

 

 俺は正座ままで端的に述べた。


「白奈が、俺のことを好きだった」

「ふぅん」

「反応薄いな……」

「大体わかるもの。だからあんたたちが二人っきりになるって聞いて最高の場を作ったのよ。目的は別だったようだけど」

「女の勘ってやつか」

「女じゃなくてもわかるわ。で、あんたはどうなの」

「どうって」

「あんたは白奈が好きなのかってこと。どうなのよ」

「俺は恋愛感情を白奈に抱いたことはない。だから尚更驚いた。しかも好きでもないのにその場しのぎで好きだと言ってしまった……」

「はい? 後半の言葉の意味を解説をして」

「お前と俺の関係を隠すため、話を逸らす手段として強烈なことを言った。白奈のことが好き、という内容だ。そしたら向こうも好きだったと言われたわけだ」

「最低ね、あんた。アナコンダの飼育ケースにぶち込みたいわ」

「そうしてくれ。幸せに死ねそうだ」

「その前にあんたは白奈の心の靄を晴らしてあげなさい。あんたのせいで彼女は動揺して不安定になってると思うわ」

「だな。でもどうしたものか」

「普段通りにしてればいいじゃない。あんたの話に齟齬がなければ、二人とも今の感情はわからないことになってるわ」

「どういう意味だ?」

「好きだった、好きでした。どっちも過去形でしょ。今、お互いの感情は別方向に向いているとも解釈できるし、そう解釈させることも出来る。お互い気まずくなりたくないのは共通してるはずだから無理矢理にでも納得するはずよ。昔は好きだったけど今は違う。そう強く意識して自己完結したことにすれば全く問題ないじゃない」

「確かに言葉の上では通せそうな気がする」


 アリナは一度水を含み、


「で、私の話に戻るけど、あの後輩はこれからも私に付きまとうの?」

「わからん。簡単には諦めはしないだろう。まずはお前に何があったかを調べるはずだ。その後どんな行動をするかは神のみぞ知る、だ」

「面倒ね。ヒットマンを雇おうかしら」

「せめて弾はBB弾にしてやれ」


 お互い頭を抱える状態になってしまった。

 まさに道化だ。

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