第27話 And I
拓と入れ替わるように俺はアリナの傍に近寄る。
あれだけ敵意むき出しで不快感を露わにしていたというのに今は湖の水面のように静かだ。敏感な爆弾でも扱うように俺はアリナに話しかける。
「さっきのお前、恐ろしかったぞ」
「何のことよ」
「男子テニス部の部員にどぎついことを連発してたろ」
「ああー。あれ、しつこかったから」
「知り合いなのか?」
「いいえ。見たこともないわ」
初対面ということか。
嘘をついているようにも見えない。
「心当たりも無いのか? あっちは知ってる様子だったが」
「ないわよ。私の記憶力をなめないでほしいわね。私は、知らない」
「私は、か」
「そうよ。私は知らない」
「もう一人は知っているか」
「かもね」
彼女は背筋を伸ばし、
「で、あんた何のつもり?」
「?」
「さっきの1年生よ。どうせ白奈と組んで、企んでたんでしょ。地獄に落ちればいいのに」
「鋭いな。正直に言ってしまうと中谷拓はお前と同じ中学出身で、日羽アリナに片思いだ。今日は告白する予定だったんだがな」
「私に言っても意味ないでしょうに」
「まあな。お前の事情を勝手に伝えるわけにもいかないし、俺が止めるようなことを言ったら拓は俺がアリナに気があると勘違いする。そんなことはごめんだ」
「なんであんたが私に気があることになるのよ」
「あいつはお前が想像している以上に日羽アリナが好きなんだ。それにお前と真面目に会話ができる生徒は俺しかいないという話が通説になっている。あいつは、俺がお前にとって特別な存在であるとさらに勘違いする」
「はぁー面倒ね。それにその『お前』ってやめてくれる? 私も日羽アリナなんだけど」
「すまん。軽率だった」
「謝る必要はないわ。寧ろ私はね、感謝してるのよ。ネズミの排泄物みたいな存在のあんたにね。意外でしょうけど」
「えぁ、は?」
「私が何者であるかを知ってるのは赤草先生とあんたしか知らない。家族もわからないわ。家では極力、愛されるアリナに似たような振る舞いをしてるから。私を一人の人格として認識しているのはこの世で二人だけ。それで十分よ」
らしくない言い回しに俺は困惑した。こいつが感謝するなんて明日は核戦争かな? でもふざけているわけでもなさそうだ。
彼女は淡々と続けた。
「私だってなんで『私』が生じたのか知りたいわ。日羽アリナとは完全に別なのか、それとも日羽アリナの一部なのか。でも私には記憶の欠如があって、記憶の共有ができない。日羽アリナとはまた異なる人格なんだと思う。誰からも愛されることもない」
「だから人を拒絶するのか?」
「違うわ。意識的にそう振る舞っているわけじゃない。無意識にそうなるのよ。私の意思じゃないわ。あんたになぜか私が少し寛容なところとか、まさにその証明になると思うんだけれど」
「それよりかは意識的に俺に対して寛容である方が納得できる。無意識では無理だろう」
「だとしたら、本当に私にとってあんたは特別なのかもね」
なぜか彼女は自虐的な笑い方をした。自分が愚かしい、惨めだ、とでも言いたげな弱々しい笑み。垂れた前髪が彼女の目を覆い、表情を隠す。
俺にとって日羽アリナとは眼前にいる女子高校生だ。
保健室で会った日羽アリナは俺にとっては他人だ。
俺はどちらを救おうとしているんだろうか。
テニス部の本日の活動が終了したと同時に俺とアリナも解散することにした。
秋が色濃くなってきているので太陽の沈みが早い。寒気に身を震わせながら薔薇園へと向かおうとしたとき白奈に呼び止められた。歩みを進めるアリナに声をかける。
「アリナ、先行っててくれ」
「地獄で待ってるわ」
「はいはい、了解了解」
アリナが離れたのを確認してから白奈に向き直る。
「いやあ、修羅場だったな」
「拓くん大丈夫かな。メンタルやばそう」
「ま、キツいだろうな。あれだけこてんぱんにやられたら誰でも自信喪失する」
「なんか迷惑かけちゃってごめんね。でさ、気になったんだけどね」
「ん?」
「アリナさん、どこで彗を待ってるの?」
「What are you talking about ? 」
「先行っててくれって言ってたけどもしかしてあの元職員室に……?」
「あ、あう、あぅあぅ」
「アリナさんと彗は放課後あそこで何してるの?」
「あぅあ」
畜生。最適かつ有効的な言い訳がひらめかない!
白奈には教師に集められて色々と手伝いするよう強要されていると誤魔化してきたが本当の目的は未だに隠し続けている。アリナの為にもこれは秘匿し続けなければならない。考えろ、榊木彗。お前は頭の回転が素晴らしい人間だ。
そうだ、衝撃的な話題をふって忘れさせるしかない。
ではその内容は?
なんだ、考えろ。女子高生が聞いて驚く内容。女子高生に関連づけられるタグを考えろ。
女子高生、スイーツ、化粧品、恋愛、スカート、太腿、胸、肌、横顔、指先、目。クソ! 後半から俺の性癖しか出てこねぇ!
どうすりゃいい! 俺の演算装置の使用占有率はもはや100パーセントに達しそうだ。考えろ。フィーリングじゃだめだ。ブルースリーの言葉が役に立たないときが来るとはやれやれだぜ。
インパクトのあるセンテンスをスピークしなければ終わる。あああ衝撃的、何か、出てこい、シナプス。
「白奈。ナメクジって砂糖でもとけるんだぜ」
「え?」
「え?」
キョトンとする白奈。俺もキョトンとする。
しかし、数秒で元の表情に戻る。
「やっぱりアリナさんと彗って付き合ってたんだ……」
なぜそうなるうううう。このままではバレる。アリナへの悪影響を考慮して関係を教えないよう努力してきた過去が霧散する。いや、そもそも白奈に言っても問題ないのでは? ダメだ! リスクは冒せない!
そのとき、榊木彗は神のお告げを賜った。
付き合う、という単語から雷撃の如く脳内で電気が走る。
女子高生は恋愛に弱く、そして求めている。彼女らにとってどんな洋菓子よりも甘いはずだ。
俺はそれを利用することにした。
「白奈」
「なに?」
「俺は中学の頃、お前が好きだった」
「ぇ――」
勿論、白奈を好きになったことはない。LOVEの方でだ。魅力がないというわけではない。俺の好みはどちらかと言えばアリナのような美形なので方向性が違うのだ。
俺の的確で適当で破壊力抜群の一言によって白奈はトマトのように紅くなった。間違えた、頬を赤らめた。トマトみたいに紅くなったらもはや病気だ。トマトは俺の好きな野菜だ。トマトジュースが飲みたい。
俯いて黙り込んでしまった白奈に背を向け、俺は敵の降伏宣言を聞き、全身の骨で勝利を謳う兵士のように身を震わせながら左足を一歩踏み出し、歩み始めた。
俺は勝ったのだ。
屈せず、情報を守った。奨励金が出てもおかしくないレベルのはずだ。
「待って」
白奈が呼び止める。
おいおい、お嬢ちゃん。王手で待ったをかけるのは戦の理念に反するぜ?
「実はわっ、私も彗が、す、好きでした――」
うわああああああああああ。
この物語が映画ならきっとホイットニー・ヒューストンの「 I Will Always Love You 」が流れていただろう。
エンダーってね。
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