第5話 微々たる開花

 何発打ったか忘れた頃にやっと休憩になった。じんわり背中が汗で湿るくらい労働した。

 休憩間近はダブルスで試合をしていた。球は滅多に飛んでこなかったので俺たちはその様子を後ろでじっと見ていた。

 ルールの解らない俺は聞こえてくる専門用語を推測しながら観戦した。フォルトくらいはわかるがアドなんとかサーバーは理解不能だった。同時通訳者が必要な領域だ。

 アリナは堂々と肩幅に足を広げ腕を組み、意外にも真剣な眼差しで観戦していた。

 試合が終わると何事もなかったかのように休憩に入った。


 休憩中に白奈がやってきた。


「テニスって難しいな」

「うん。最初はね。でも慣れると楽しいよ」


 白奈はアリナが気になっているようだった。俺の傍でちょこんと大人しく体育座りして艶かしい白い素足を撫でているアリナを物珍しそうに見ていた。飼い猫のような立場になっているアリナに対して俺は優越感を覚えた。どうだ、アリナ。君は猫だ。

 しかしそんなにチラチラ見てると彼女は怒るぞ。


「何よ」


 ほらキレた。すぐ怒るんだこの美少女は。きっと沸点は二十五度くらいだろう。


「あ、いや、アリナさん上手いなあと思って。や、やったことあるの?」

「少しだけ」

「そうなんだ! だからあんなにストローク綺麗だったんだ……」


 おどおどする白奈が不憫だったので俺は会話に入った。


「アリナ、お前センスあるぞ。ど素人の俺から見てもプロに見えるんだから。なんで部活入らなかったんだ?」


 アリナはうわの空でボソッと答えた。


「よくわかんなかったから」

「部活が?」

「部活自体何するかよくわかんなかったし、つまらなそうだったから。あんた私にどんな答えを求めてるわけ? 少し黙りなさいよネアンデルタール人」

「なるほど。ま、俺も似たような理由で入らなかったからわからないでもない」

「そ」


 そ。そういうことだ。

 白奈は目を丸くした。きっとアリナがまともに喋っているのが珍しかったからだろう。立場が逆なら俺も驚いていたはずだ。


 休憩終了を部長が伝え、また試合が始まった。

 もう球の回収は必要ないそうだ。パコーン、パコーンと爽快な音がコートに響く。俺はその音が結構気に入った。電車のガタンゴトンという音がどこか気持ちよく聞こえるあの感覚に似ている。わかるだろうか。ノスタルジックな気分になるのだ。この光景にドヴォルザークの新世界よりをバックグラウンドミュージックで流したら最高だろう。

 本来の回収係の役目が終わったのでアリナが苛立つ前に帰った方が良さそうな気がした。今にも帰りたそうに見えたからだ。


「帰るか、アリナ」

「そ」

「帰らないのか?」

「あんたが手首切ったら帰る」


 なんてこった。とうとう地球の磁極が狂ってしまったのだろうか。まさか彼女に「帰らない」という選択肢があったなんて。アリナは帰りたくてたまらないんだろうと内心思っていた。

 彼女の意向を尊重してそのまま残って試合を観戦した。


 十八時を過ぎた。この時間まで残るとは帰宅部失格だ。

 やっと部活が終わる雰囲気が出てきたので今度こそ帰ることにした。アリナもその気のようで荷物を整理して帰る準備をしていた。


「彗、アリナさん今日はありがとう! おかげで助かりました」

「いえいえ。こっちもいい時間を過ごせた。ありがとな」

「いつでも来てね!」

「お、いいのか。参加する時は伝えるわ。じゃあな」

「わかった! バイバイ」


 俺とアリナはテニスコートからフェードアウトした。

 校門に向かう俺とアリナ。おそらく明日は噂になるだろう。アリナが男と並んで帰ってるという光景が衝撃的に映るはずだからだ。現に俺も驚いている。この毒舌薔薇が誰かと肩を並べるなんて架空の世界の話だから。

 横目でアリナを見る。視線を正面に保ち、ピンと背中を伸ばしてモデルみたいな歩き方で足を進めている。この姿に我々男は陶酔し恋するのだろう。


「こっち見んな。殺すわよ」


 微笑み成分が一切含まれていない殺意百パーセントの瞳で俺を脅迫した。ここで冗談を返したらおそらく俺はDNA一つ残らずこの世から抹消されるだろう。榊木家の遺伝子継承は妹に託そう。いや、我が妹と結婚する輩の存在は考えたくもない。目撃した瞬間トマホークミサイルでもぶち込む勢いで突撃するだろう。

 と、考えているとブラックホールのようなどす黒くて絶望感溢れる視線を隣から感じたので思考をノーマルモードに切り替えた。


「面白かったか?」

「そこそこ」

「そりゃ良かった。いい傾向だ」

「人をモルモットみたいに扱うのやめてくれる? 脱走したチンパンジーが調子のるんじゃないわよ。早く動物園に帰りなさいよ」

「ネアンデルタール人から猿に降格かよ。実験してるわけじゃない。ただの更生だから安心しろ。お前のためにやってるんだ」

「はぁ……」


 彼女はため息をついて肩を落とした。なんだかんだで約束を破らなかったのは本人にも「変わりたい」という意思が少なからずあるということだ。それが解っただけでも今日は大きな成果を得た。俺としては満足だった。

 校門に到着し、眼前に住宅街が広がった。


「じゃ、明日の放課後待ってるぞ」

「そ」


 そ、好きだな。そ、だけで生きていけるんじゃないのか。


 アリナは背を向け、革靴の軽快な足音を響かせて路地に消えていった。俺は「風よ吹け荒れろ。スカートをなびかせろ!」と祈りながら後ろ姿を見守った。あわよくば突風か竜巻がアリナに直撃しますように。が、そんな俺をおちょくるかのようにそよ風が俺の頬を撫でた。

 人生うまくいかないもんだな。

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