4−6
「先輩……っ!」
彼女の瞳のなかで星が瞬いた。
光をいっぱいにためた瞳で、彼女は俺を見つめる。
「……はじめは、ただ遊びのつもり、だったんです」
肩を震わせながら彼女が言う。いくつもの星を映す桜色の唇が、風に舞う花びらのように光を振りまいている。
「あのメッセージ。ほんとうに遊びのつもりで、わざと暗号みたいに書いて。どうせだれも答えてくれないだろうし、だれも本気にしないだろうし、そもそもだれにも気づかれないだろうって……そう思ってたんです。べつに、気づいてほしくないわけじゃ、なかったんです。心の奥ではきっと、だれかに、届いてほしかったんだと、思います。でも、わたしは諦めていたんです。『きっとだれかに届くんだ』なんて希望は、持っていても……苦しいだけ、だったから」
「諦め」。俺はその言葉を聞いて目を伏せた。持っていても苦しいだけの希望、それを彼女は諦めた。でも、けっきょく彼女は傷ついてしまっていたんだ。希望を諦めた暗い夜の底で、彼女はあんなにも苦しんでいたんだ。
俺がはじめて井原さんと言葉を交わしたとき、援助交際を目撃したあの宵闇の街で、彼女はたしかに言っていた。
——遊びですよ、あんなの。
——学校も退屈だし、おもしろいことなんてひとつもないし、ひまつぶしに書いてみただけです。よかったら先輩、解いてみたらいかがですか? 天文学部のわたしからの挑戦状です。こんなことしてるんだったら、どうせひまですよね?
彼女はあれを、そんな気持ちで書いていたのか。持っていても苦しいだけの希望。彼女はたったひとりで、あの処刑台に立ち続けること、十字架を背負い続けることを選んだんだ。その覚悟は、その決意は、俺なんかには計り知ることはできない。
「つらくて、苦しくて、なんども、なんども、くじけそうになりました。……でも、くじけたところで、環境はなにも変わらないんです。わたしが声をあげたって、だれも気づいてなんかくれない。わたしが手を伸ばしたって、だれもその手を取ってくれない。だったら……だったら、はやくこの檻から抜け出そうって、そう思ったんです。だれもわたしのことを知らない、遠くとおくの外国へ行って、自分ひとりになって。そして、わたし……そこで、死んでしまえば、いいやって。そう、思ってたんです」
「……」
「ほんとうに苦しかった……つらかったんだよ……? 水のなかみたいに息ができなくて、声が出なくて、ほんとうに、ほんとうに……!」
彼女の頬に光の粒が流れ落ちた。俺は思わず彼女を抱き寄せる。
「井原さん、大丈夫だよ」
「ずっとひとりだと思ってた、このままわたしはひとりぼっちで生きて、ひとりぼっちのまま死んでいくんだ……そう思ったら、どうしようもなく、さびしくて、さびしくて、だれか……だれか助けてって」
「大丈夫」
「そしたら、先輩に……届いたんです。ねえ、先輩」
震える声で言い、彼女は顔を上げて俺のほうに向き直った。深淵を見通すような丸い瞳に、たくさんの光がたまっているのが見えた。
「ほんとうに、ありがとうございます……!」
彼女のなかでなにかが壊れたみたいに、光の粒があふれ出した。ふたたび彼女を抱き寄せると、俺の肩はその光の粒でさらに濡れてしまった、けれど、もうそんなことはどうでもいいんだ。まるで宇宙が詰まっているような、この世界のすべてが詰まっているような、彼女の長い黒髪をなでる。
「……泣かないでいいんだよ、井原さん」
悲しまないでいい。
苦しまないでいい。
泣かないでいい。
きらきらした世界のなかで、笑ってほしい。
俺はそのために、きみの手を取ったのだから。
「やだ、わたし、泣いてる……ブサイクですか、顔? やだ、先輩あんまり見ないで」
彼女はあわてて涙を拭く。俺は苦笑しながら首を振った。
「きれいだよ」
俺がそう言うと、彼女はその場で居住まいを正し、濡れた髪を整えたあと、えへん、とひとつ咳払いをした。そして言った。
「ワタクシ、井原美夜は、高科章先輩のことが、す、すきです」
急にようすが変わった彼女を見て、俺は思わず吹き出してしまう。
「ぷはっ……井原さん、なにその口調……へんなの……」
「ここここれは先輩のマネですよ! へんなのは先輩でしょ!」
あははごめんごめん、俺がそう言う。彼女が俺の手を取った。
「先輩」
「なに?」
「大好きです」
彼女は俺にキスをした。熱い吐息が頬にかかる。俺は彼女のブラウスのボタンに指を掛けた。駅舎の薄暗い照明が彼女の濡れた瞳を揺らした。外ではまだ大雨が降っている。
*
*
*
*
き ら き ら の な か で
*
*
深いふかい夜の底で、彼女はもう、ひとりじゃなかった。
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