4−3

 電車は雨のなかを突き進んでいった。街に訪れた真っ暗な闇に塗り潰された車窓には、ぽつぽつと浮かぶ街明かりが映っている。

「井原さん、落ち着いて聞いてほしい」

 俺がそう言うと、彼女は生唾を飲み込んで俺を見返した。そんな彼女の目をまっすぐ見つめて言う。

「もし今回のことが学校にばれたら、きみは退学になる。また臨時集会が開かれたんだ。校長が言ってた、『再三の忠告にも関わらず今回も名乗り出なかった場合、もし発覚したら退学』だって。あれから一ヶ月くらい経とうとしてる。学校はこれ以上待ってはくれない」

 井原さんの瞳を見つめながら、俺は音葉を繋ぐ。

「あの学校にはもう、きみの居場所はない」

 その言葉を聞いて、彼女の瞳は揺らがなかった。そのくらいは覚悟していたんだろう。遠いとおい地へ行こうとしていた彼女にとって、あの学校に居場所なんていらない。

 あの学校にはもう、彼女の居場所はない。

 あの場所にはもう、俺たちは戻れない。

「なるべく遠くへ行こう。この三万円で、行けるところまで行こう」

 アイルランドには行けないけれど。

 彼女の望んだ場所ではないけれど。

 俺は彼女を救い出すと決めたんだ。

 寺本たちの言うとおり、知らない場所に行くのに独りぼっちだったら、きっと不安に思うだろう。森屋先輩の言うとおり、すべてを思いどおりになんてできないだろう。俺が死に物狂いで稼いだこの三万円で、できるだけ遠くへ、だれも俺たちを知らないどこかへ、俺が連れて行ってあげるしかない。

「どこまで行けるかわからない。でも、井原さん」

 俺は言った。「俺を信じて、ついて来てほしい」

 見つめる先にある彼女の瞳には、街明かりを映し出すようにちいさな光の粒がきらめいている。

 そして、彼女はうなずいた。

 

   ○


 何回乗り換えをしたかわからない。たくさんの電車を乗り継いで、たくさんの知らない街を通り過ぎて、俺たちはまだ電車に揺られていた。

 通り過ぎた街は、どこも光に満ちあふれていた。それは万華鏡の内側のように光る世界だった。ぎらぎら!とか、びかびか!とかそんなふうに形容されるくらいのまぶしい光。

 となりで彼女は俺を見つめている。びかびか!に飾りたてられた万華鏡の内側みたいな世界で、彼女は俺を見つめている。まばたきをするたびにびかびかはさらにびっかびかになっていく。この世界とおなじだ、と俺は思った。夜にたたずむ羽虫だらけの自販機。繁華街のネオン。家主が寝落ちした部屋で点けられたままのテレビ。電車の到着時刻を報せる電光掲示板。街ゆく人びとが夢中になって見つめるスマホの画面。サービス残業に奮闘するサラリーマンたちが働くビル群。そして東京タワー。そうだ、この世界は光に溢れている。この世界はびっかびかの光に満ちているんだ。

 光る東京タワーが一瞬にして粉々に砕け散り、その破片のすべてが降り注いだ。ビルが弾け飛び、窓ガラスの光は粒になって彼女のまわりを浮遊した。スマホは原子単位まで分解されて、この世界をぼんやりと照らし出す光の層になった。乗っている電車がぐわんぐわんとへんな音を立てた。窓の外を見ると、まるで星空が逆さまになったように地面が輝いている。街の光が遠ざかっているのだ。街頭や店のネオンがちいさな粒になるほど、電車は高度を上げて空を飛んでいた。そのなかで、彼女は笑っていた。口角をつり上げて、整った顔をむりやりねじ曲げるように、彼女は笑っていた。

(……似合わねえな)

 びかびかに光る世界のなかで、むりやり口をひん曲げた彼女の笑顔を見て、俺はそう思った。うん、似合わねえ。彼女にはもっと、こう……なんて言うのかな、違う種類の光が似合うんだけどなあ。

 彼女の名前にふさわしい、そう……美しい夜に浮かぶ、星みたいな光が。

 井原美夜。

 それが彼女の名前。美しい夜に浮かぶ、俺にとって星みたいに輝く光。

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