3−9

 市立図書館へ着くと、俺は脇目も振らず目的の場所まで急いだ。図書館の司書の女性はずぶ濡れの俺を見てなにか言いたそうだったが、ただならぬ俺の気配を察知したのか、声をかけることを断念したらしい。いちおう傘は差して来たのだが、横殴りの風のなかでは役に立たなかったし、そもそも全力で走って来たので、傘という役目は果たさなかったのだ。

 目的の場所はすぐに見つかった。このコーナーはあまり需要がないのか、俺以外に利用者はひとりもいなかった。まあ、俺にとっては好都合だ。俺は目的の資料を片っ端から引っ張り出し、血眼になって読み始める。

 十年前の七月。

 スピード違反車との交通事故。

 井原美夜の両親。ふたりとも死亡。

 情報はそれだけだ。でも、それだけで充分だった。ぜったいに探し出してみせる。さいわい、文字を読むことには慣れている。金がなくて友人たちと遊べないから、図書室で本を読み漁ってたんだ。文字のある場所は俺の遊び場だ。文字の情報をすばやく追うことは俺の得意技だ。俺は生まれてはじめて、高科家が貧乏だったことに感謝した。

 そして、見つける。

「……あった」

 俺は思わずつぶやいた。時計を見ると、探しはじめてから二時間くらいが経とうとしていた。俺は焦った。まもなく図書館が閉館になってしまう。司書のいるカウンターへと急ぐ。

 俺が走って近づくのを見ると、司書の女性は一瞥をくれた。「走るな」の注意だったんだろう。俺は少し落ち着いて速度を落とし、それでも気持ちは急ぎながらカウンターへ向かう。

「すみません」

 俺が声をかけると、司書の女性は「なんでしょう」と事務的に答えた。持って来た資料のコピーと、一枚のメモ用紙をお願いすると、彼女は眉ひとつ動かさずに対応してくれる。

 コピーされた資料とメモ用紙を受け取るとき、ふと彼女が俺に訊ねた。

「よく来てくれる男の子よね?」

 俺は彼女を見た。この市立図書館には学校の図書室の次によく足を運んでいるから、司書に顔を憶えられていても当然だった。俺もこの司書の女性を知っていたので、おもむろにうなずく。

「そんなにあわてて、どうしたの? そのメモ用紙はなにに使うの?」

 事務的に対応していたはずの司書が、俺を心配そうに見つめていた。気が急いていた俺は、こぼすように言ってしまう。

「とある女の子に、メッセージを残したいんです。学校ではもう逢えなくて、電話にも出てくれなくて。その子はいますごく苦しんでいて、俺はそれを助けてあげたくて」

「……本に挟むのね?」

 どうしてみんなそんなに勘がいいんだ、と俺は思った。もしかしたら、世界は俺たちのことを、思っていたよりも気にかけてくれているのかもしれない。俺が井原さんを諦められないように、世界は俺たちのことを見捨てるつもりはないのかもしれない。

「そうです」

「どの本?」

「ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの、『たったひとつの冴えたやりかた』」

 司書は端末を操作して、その本に関する情報を呼び出した。

「……最近はひとりしか貸し出しがないわ。たぶん女の子。名前は——」

「井原美夜」

 その名前を聞いて、司書はうなずく。

「その子です。井原美夜に、俺のメッセージを届けたい」

「わかったわ。その子以外には、この本を貸し出さないでおいてあげる」

「ほんとですかっ」

「ええ。だからはやくそのメッセージを挟んで来なさい、もうすぐ閉館になるわよ。本の場所はB棟2階のJ列棚」

「ありがとうございます!」

 俺は本のある場所へと急いだ。棚から本を引っ張り出す。見返しの部分についている貸し出し者一覧を見る。すると、そこにはひとりの名前しかなかった。『天の光はすべて星』とおなじだ。とても端正な文字で、まるで気合いを入れて名前を書いているような筆跡。

『井原美夜』

 これがすべてのはじまりだった。彼女の名前をはじめて見たあの日。俺は井原美夜と無関係ではなくなっていた。星座の星と星を結ぶ見えない線が引かれたように、俺たちはこの宇宙のなかで繋がり合ってしまった。

 俺はペンを持ってメモに走らせ、そのメモを本に挟んだ。

 そう、これが俺にとっての、たったひとつの冴えたやりかた。

 届くかどうかなんてわからない。広い宇宙のなかでメッセージパイプを送り出すようなものだ。16歳のコーティと、その頼れる相棒シロベーンが、太陽の真っただなかに突き進むまえにそうしたように。

 でも、と俺は思った。

 信じるしかない。

 俺に残された方法は、「彼女を信じること」だけだ。ただ信じて待つことだけだ。

 お願いだ、届いてくれ。

 届け、届け、届け——!

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