3−2

 井原美夜は絶望的に方向音痴だった。

 彼女の「たぶんこっちです」について行くこと約十五分、ようやく目的のアンテナショップにたどり着く。ふつうに行けば改札から五分とかからないような場所だったので、俺たちはその三倍ほどの時間をかけてたどり着いたことになる。

 しかしこの井原美夜という女の子、手先が不器用なうえに方向音痴だなんて……意外な一面ばっかりだな……。

「すみませんでした……」

「いいんだよ。あぁ〜〜井原さんの方向音痴は世界遺産並みなんじゃあ〜〜」

「あはは、それやめて……って、全然ほめてないっ?」

 アンテナショップってなんのことだかよくわからなかったが、ようは新しいグッズを試験的に販売している店らしい。

「新作のグッズとか、ここだけの限定グッズとかが手に入るんです」

「ほほう」

「ロック熊が好きな子たちには、すごく人気なんですよ」

「なるほど」

 その日は日曜日ということもあり、家族連れなどで店はけっこう混雑していた。

 俺がコンビニバイトで知ったロック熊はチョコレート菓子についている小さな食玩だったが、最近人気が出てきてグッズ展開が広くなったらしく、店内にはありとあらゆる種類のグッズが置かれていた。ボールペン、ノート、クリアファイルなどの文房具。アクリルキーホルダーやラバーストラップ。小さいものからすこし大きめのぬいぐるみまである。どれも小学生がよろこびそうだ。日曜日に家族連れで賑わうのも道理だ。

 ただ、ここにすこし毛色の違う人間がいた。

「先輩、見てください、これ!」

 恥も外聞もかなぐり捨てたようにはしゃぐ、女子高生が一名。

「やばいかわいくないですかっ!」

 井原さんがそう叫ぶので見に行ってみる。彼女の握っている小ぬいぐるみのクマは、これまで見たデスエビ熊などと違ってケバケバの衣装は着ていない。そのかわりに、葬式参列者かなにかかと思うような真っ黒な衣装を着て、腕にびっしりとタトゥーが刻まれている。つるっぱげのスキンヘッドに、もっさもさのあごヒゲ。

「スラッシュメタルヴァージョンです!」

 井原さんが言う。俺は思わずうなる。

「これはやばい……」

「ですよね」

「楽器といっしょにナイフ持ってんじゃねえか……」

「かわいいですよね?」

「そ、そっすね……」

 そう言うしかなかった。俺のなかで十数年間かけて確立されてきた「かわいい」の概念が音を立てて崩れ落ちていくのを感じる。そして俺の渾身の「そっすね」で井原さんは「でしょ」と満足そうに微笑む。

 その後も、井原さんは「かわいい」を連発しながらグッズを見回った。井原さんはわざわざそれぞれ「○○ヴァージョンです!」と解説を入れてくれたが、音楽にあまり詳しくない俺はなにがなんだかさっぱりだった。「国民的アイドルユニットヴァージョン」だとかがあればかわいい衣装になるんだろうが、なにせ名前が「ロック熊」だ。ロックンロールに男の求める「かわいい」はないみたいだった。しかし、しだいに井原さんの「やばいかわいいですよね」に触発され、最終的には俺もケバケバの衣装を着た死神みたいなクマをなんだかかわいいと思うようになっていった……って洗脳されてんじゃねえか。

 ひととおり店内を見終わったあと、井原さんが訊ねた。

「じゃあ先輩、どれがいいですか?」

「ドレモカワイイヨ」

 すっかり洗脳された俺は満腔の想いを込めて答えた。棒読みなのは気のせいだ。しかし井原さんは洗脳後の俺の答えを一蹴する。

「それは知ってます。どれもやばいかわいいです」

「そっすね」

「そうじゃなくて、どれがほしいですか?」

「え?」俺は思わず訊き返した。「どれがほしいかって?」

「そうです。今回はわたしの私服用のくまといっしょに、先輩の私服用のくまも買いに来たんですよ」

 そうだったっけ。そういえば来るとき「いっしょに買いましょう」って言われた気もする。井原さんの「やばいかわいいですよね」に「そっすね」を返すだけがお仕事のそっすねマシーンと化すためじゃなかったのか。

「なんですかそのマシーン。ぜんぜんかわいくないです」

「そっすね」

「ちなみにわたしはこのサイケデリックロックヴァージョンにします」

 そう言って彼女の取り出しましたるは赤青黄緑紫ピンクさまざまな色に彩られたいかにもサイケデリックなカラーのクマ。しばらく見ていると心が不安定になるような、かと思ったらなんだか気持ちが昂ぶってくるような、まるで薬をキメたときにこんなふうになるんじゃないかと思えるような気分になってくる。クマは楽器といっしょになにかを手に持っているようだ。それにはこう書いてあった。『LSD』薬キメてんじゃねえか!

「おお……やばいかわいいですね……」

「でしょ? ふふ、ようやく先輩もこのかわいさがわかってきたみたいですね」それを洗脳といいます。

 井原さんにすっかり洗脳された俺だが、店内に並ぶ数多くのロック熊のヴァージョンのなかから、けっきょくふつうのロックンロールヴァージョンを選んだ。これまで見てきた衝撃的なクマたちとは一線を画す、ブラックスーツを着て大きなヴァイオリンみたいなギターを背負ったシンプルなデザインだ。『チャック』という愛称がついているらしい。社会の窓的なあれのことかなと思っていたら、どうやら往年の伝説的ロックンローラーの名前にちなんでいるという。

「先輩」

「ん?」

「そのくま、ちゃんとかばんにつけてくださいね」

「わかったよ」

「約束ですよ、やくそく」

 井原さんはそう言って、いたずらに微笑みながら右手の拳を出してきた。その右手は小指だけが上を向いている。俺が条件反射的におなじように右手を出して彼女の小指にからめると、うれしそうに彼女は言った。

「うそついたらくま一〇〇匹飲ぉます! 指切ったっ!」

「マジかよ……」

「大マジです。あのストアで先輩が一〇〇匹分買ってきてください」

「俺が?」

「どのくまを飲むかは私が選んであげますね」

「お、おう……」

「だいじょうぶです、かわいいやつを選んであげます」

「そりゃどうもありがとう」

 俺が思わず感謝申し上げると、彼女はうやうやしく頭を下げて言った。

「礼には及びません」

 知っとるわ。

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