2−5
昨日とおなじ時間に部室へ行くと、こんどは井原さんが俺を出迎えてくれた。
「来てくれたんですね、先輩」
「ああ、約束したからな」
そう言うと、彼女はふふっとくすぐったそうに笑う。
「小瓶の絵の具、もう乾いてますよ」
「待っててくれたの?」
「はい。わたしどうやら不器用みたいなので、お手伝いさんがいないと心配で」
俺的には「どうやら不器用みたい」で済むレベルの話ではなかったんだけど……、
「大丈夫だよ。あぁ〜〜井原さんのプラネタリウムづくりはノーベル賞並みなんじゃあ〜〜」
「ははっ、やめてください、あははっ」
……まあ、井原さんが嬉しそうだからいいか。
「じゃあ、お手伝いが到着したところで、作業再開といきますかね」
「はい、よろしくお願いしますっ」
その後の作業は順調にすすんだ。色を塗った小瓶のなかに穴を空けたアルミホイルを貼りつける。すこしくしゃくしゃにすると光が乱反射しておもしろいので、あまり深いしわになりすぎないようにアルミホイルをもみ、それを小瓶の側面や底面に敷き詰めた。アルミホイルが折り重なって穴を潰さないように、なるべくまんべんなく敷き詰めていく。
「こんな感じでしょうか」
「お、いいじゃん。けっこうきれい」
「ほんとですかっ?」
「うん、意外とね」
「やったあ、ほめられた……って、一言余計です!」
「ごめん、つい」
小瓶の作業が終わったら、つぎは照明装置の準備だ。百均で買ってこられるような簡素なLEDのミニライト。それをドライバーを使って分解し、小瓶の口にはめられるよう余分な部品を外していく。
小学校でやったかんたんな理科の実験や図画工作の作業みたいで、これも案外おもしろい。長縄が俺をからかった「夏休みの自由研究」というのも、あながち間違ってないのかもしれない。
「……高科先輩」
作業をしながら、井原さんが俺に声を掛けてきた。
「なに?」
「楽しいですか」
「なにが?」
「わたしといて、楽しいですか」
ふと彼女にそう訊かれて、俺の手は止まった。
「どうしたの?」
「……わたし、いままでずっと友だちいなくて、だれかといっしょに部活とか、遊びとかしたことなくて。こういうときの会話とか、ひととの距離感とか、よくわかんなくて」
「……」
「先輩は手伝ってくれて、そのうえずっとわたしのこと笑わせてくれて、楽しませてくれて。それなのに、わたしはなにもできなくて、たぶん失礼なこともいっぱい言っちゃってて、わがままで、ただひたすら不器用で……こんなわたしといて、先輩は、楽しいですか」
「楽しいよ」
自然と答えが口から出ていた。「井原さんといて、俺は楽しい。今日ここに来た理由、プラネタリウムだけじゃなかったんだ。完成したやつを見たい、っていうのももちろんあるんだけど、その時間も楽しかったからね。井原さんと約束なんかしなくても……たとえ井原さんがいやがったとしても、俺はむりやり来ただろうね」
井原さんが目を見開く。そしてすぐに目を伏せてしまう。やがて、ぽつりとつぶやいた。
「……いやじゃ、ありません。いやがったりなんか、しません」
「……そうかい、ありがと」
井原さんはうつむきながらうなずいた。照れてるんだろうか。なんだか気恥ずかしくなった俺は、わざとらしい口調で言う。
「おやおやぁ、井原さん、手が止まってるよ?』
「はひ、すみましぇん」
謎の奇声を発しながら、止めていた手を動かしはじめる、が、なんだか彼女のようすがおかしい。ようやく手に馴染みはじめていたはずの小瓶の作業だが、手がぷるぷると顫えてそれどころではなくなっている。
「井原さん、どうしたのっ。顔、真っ赤だよ?」
「なんでもありません、だいじょうぶです」
彼女はその「なんでもありません、だいじょうぶです」を呪文のようにつぶやきながら、さっきせっかく分解した照明装置を組み立てなおして電気をつけて、また消して分解して、をくり返している。俺は思わず彼女を見つめた。いったいどうしたんだ?
「い、井原さん、」
「ナンデモアリマセン、ダイジョウブデス」
ガタンッ!と彼女が急に立ち上がった。驚いた俺は「ひぃッ」とへんな声を出してしまった。彼女は依然顔を真っ赤にさせながら、まっすぐ前(壁しかない)を見つめて言った。
「ところで先輩、のど渇きましたよね」
「え、あ、まあ……そうだね」どちらかと言うと明らかにようすのおかしい井原さんを凝視しすぎて目が渇いてきたんだけど……まばたきすることも忘れてしまう……。
彼女は立ち上がったその足で、部室の奥のほうまで歩いていった。某有名宇宙戦争映画に出てくるロボットみたいにぎこちない足取りだ。
よくよく見ると、手にはアルミホイルを敷き詰め終わったカラフルな小瓶が握られている。
雑多なものが並んでいる部室の棚のすき間には、小ぶりの冷蔵庫が備えつけられていた。井原さんは冷蔵庫の前に立ち止まり、扉を開いてなかからなにかを取り出した。
それを見た俺の感想はこうだ。
(……ポン酢ですね)
しかもゆずポン酢だ。貧乏な高科家からするとゆずポン酢なんてぜいたく品、もったいなくて使えない。しかし少なくとも、絵の具で色を塗ってアルミホイルを敷き詰めた小瓶と同時に両手に持つようなものではないことくらいわかる。
俺の脳内空想で、カラフルなプラネタリウムの小瓶とゆずポン酢が奇跡の融合を果たした。あれはやばい。いままさに、その奇跡の融合が現実のものとなろうとしている……!
「井原さん、だめッ! それは」
「麦茶デス」
「ちげえよ!」
「アイハブ・ア・瓶〜、アイハブ・ア・ゆずポン酢……」
井原さんが軽快なリズムで歌いながら、小瓶とポン酢を両手で掲げる。あああだめだめ、そこでPPAPしちゃだめ……て、「ゆずポン酢」って言ってんじゃねえか!
俺が急いで立ち上がって彼女を制止しょうとしたのも叶わず、「umm……」と悩ましげにうめき声をあげながら、彼女の右手に握られたゆずポン酢がカラフルな小瓶に注がれていった。
「……」
彼女は無言でこちらに歩み寄り、俺の目の前のテーブルにゆずポン酢瓶を置いて、言った。
「……麦茶です」
「ちがうだろ!」
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