2−3

 井原美夜は案外不器用だった。

 アルミホイルに星座をかたどった穴を開け、すこしくしゃくしゃにしてジャムの空き瓶の内側に貼り付け、照明装置を組み立てて瓶の内側に差し込み、ふたをする。ただそれだけの工程のはずなのに、作業は遅々として進まなかった。彼女の綺麗な細長い指はいかにも細かい作業が得意そうだが、思ったより穴を大きく開けすぎたり、引っ掻いて破ってしまったりと、いちばん最初の工程から前に進むことができない。「あ」とか「やだ」とか「あれ」とかちいさく叫びながら、何枚ものアルミホイルを台無しにしていた。机の脇にはいつのまにか、くしゃくしゃにされたアルミ製のごみがうずたかく積まれていく。

「うそだろ……」

 と俺が呆れた声を出してしまうほどには、彼女の不器用さは度を超していた。

「ま、まだ道具が手に馴染んでないだけです、もうすこししたらじょうずにやれます!」

 彼女はそう言い訳をする。「道具が手に馴染んでない」って、長年愛用した道具が消耗して使えなくなったからようやく新調したときの伝統工芸品職人くらいしか言わねえだろ。彫刻刀セットに入ってる千枚通しに対して使うような言葉じゃねえよ。

「そう言う高科先輩はできるんですか」

「うっ……」

 井原さんに千枚通しを差し向けられて(もちろん切っ先ではなく柄のほうだ)、俺は思わずたじろいだ。かく言う俺も、井原さんに負けず劣らずの、「不」が三つつくくらいの不器用なのだ。

「そう言う高科先輩はぁ、じょうずにできるんですかぁ」

「わ、わかったよ、井原さんは充分じょうずだよ」

「気持ちがこもってないです」

「あぁ〜〜井原さんの千枚通しさばきは職人並みなんじゃぁ〜〜」

「よろしい」うそだろ。こんなんでいいのかよ。

 そんなこんなでようやくアルミホイルへの穴あけが完成した。途中、井原さんの休憩中に俺が勝手に特大の穴を空けて新発見の恒星「アキラ・ザ・シャイニングスター」(命名:俺)をつくったらめちゃくちゃ怒られたり、勝手に切れ目を入れて新発見の彗星「アキラ・ザ・シューティングスター」(命名:俺)をつくったら死ぬほど怒られたりしたが、なんとか無事にひとつの工程を終わらせることができた。他人にとったらたいしたことではないかもしれないけれど、俺たちはお互い喜び合い、称え合った。

 すこし作業に疲れたら、部室の窓から外を眺めたりもした。校舎の下のグラウンドが見渡せる好立地で、部活に励んでいる運動部の姿が見えた。

「たまにこうして外を眺めたりもしてるんです」

「部活中に?」

「はい。さっきも言ったように、天文学部は昼間にやることないですから。昼間に外を眺めても、見えるのは星じゃなくて、楽しそうなほかの部活の風景なんです」

「……なるほど」

 俺は立ち上がり、とあるものを手に取って持ってきた。部室の棚にあった双眼鏡だ。

「でも、こういうのも悪くないんじゃない?」

 言いながら井原さんにそのうちのひとつを渡すと、彼女もいたずらに微笑む。

「天体観測じゃなくて人間観測ですね」

「あはは。うまいこと言うね」

 グラウンドでは野球部が声を上げながら練習に打ち込んでいる。泥だらけのユニフォームを着た部員たちのなかには、ふだん見せる雰囲気とは違う顔つきの寺本の姿も見える。人一倍声を上げて部員たちの士気を上げているようだ。あいつ、部活中はなかなかかっこいいな。ふだんはただのバカにしか見えないけど。

 ひとしきり人間観測をしたあと、プラネタリウムづくりを再開した。穴を空けたアルミホイルをガラスの空き瓶のなかに入れ、内側に貼り付ける作業だ。穴から漏れる照明の光がガラス瓶を通して、やわらかな光となって天井に投影されるんだという。

 作業をはじめるそのまえに、俺はあることを思いつく。

「ねえ、井原さん」

「なんでしょう」

「ちょっと待ってて」

「え?」

 不思議そうな顔をしたままの井原さんを残し、俺は立ち上がった。そして部室を出ていく。

 向かう先は、天文学部とおなじ特別棟にある部屋。その部屋に近づくにつれ、鼻につくような独特のにおいが強くなっていく。あの部屋を使っている部活は、このにおいに包まれながらいまも芸術活動に勤しんでいるに違いない。

 目的の部屋にたどり着いた俺は、そのにおいを思い切り吸い込んでみる。

 絵の具のにおい。キャンバスの帆布のにおいやイーゼルの木のにおい。それらがうまい具合に混ざり合って、図書室や天文学部の部室とはまったく違う、いかにも独特なにおいに満たされている。

 美術室だ。

 俺は美術室の扉に立ってなかを見渡してみる。芸術と向き合っている真剣な眼差しの美術部員たちのなかに、ひとつの見知った顔があった。

「長縄」

 俺がそう名前を呼ぶと、彼は顔を上げてこちらをみた。そして持っていた道具を置いて、こちらのほうまで歩いてきてくれる。

「章じゃん。今日バイトないの?」

「バカ、あんま大きい声で言うなよ」

「おっと、すまん」

 この学校ではバイトは禁止されている。親公認でコンビニバイトをしているとはいえ、学校にばれたらなにかしらのペナルティがあるだろう。

「どうした?」

「ちょっと頼みごとがあって」

「金なら倍にして返せよ」

「ちげえよ」

「じゃあなに」

「ガラス絵の具、ある?」

 俺の問いかけに、長縄は首をかしげる。

「そりゃあ、ここは美術部だからな。この世の中で高校生が手に入れられる塗料という塗料は、あらかたそろってると自負してる。で、なにに使うんだ? まさかおまえの顔面を塗るわけじゃあるまい」

「当たり前だろ」

「むっつりロリコン寺本の顔か?」

「それはあとでやろう」

 俺と長縄はいたずらに笑い合う。あらためて、プラネタリウムをつくっていると言うと、長縄はまったく腑に落ちないようすだった。

「は、なにそれ? 夏休みの自由研究?」

「そんなもんとっくに卒業したよ」

「そもそも絵の具なんて使うのか?」

「俺の画期的なアイデアには不可欠なのだ」

「なあ、いったいどういう——」

「頼む、貸してくれ! おまえの助けが必要なんだ!」

 大げさにそう頼み込むと、長縄は怪訝そうな顔を残しながら「……色は?」と訊ねた。

「ありがと。色はなんでもいい、5種類くらい借りられればありがたい」

「わかった。ちょっと取ってくるから待ってろ」

 長縄は身体を翻し、塗料を取りに美術室へ戻ろうとした。振り返りざまにからかい気味にこう言う。

「よくわからんけど、おまえやっぱへんなやつだな」

「ああ」

 俺は答えた。「よく言われる」

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