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 どうしても気になった俺は、放課後の図書室で例のメモを眺めていた。

 井原美夜の援交現場を目撃した昨日の夜、家でしばらく見つめていたが、しかしなにも思いつかなかった。彼女はこれを「なぞなぞみたいなもの」と言っていたが、はたして解決する手がかりはあるんだろうか。

「礼」「テ」「タ」「寸」「か」「「介」「だ」。この七つの文字が紙のうえにならんでおり、なんらかの図形を形づくっている。どこかで見たことのある図形なんだが、しかしそれを思い出せない。

 七つの文字は漢字とカタカナ、そしてひらがなが混ざったものだ。漢字の三文字「礼」「寸」「介」は一見なんの共通点も見られない。それぞれ一般的には「れい」「すん」「かい」と読む文字だ。

 ぜんぶ繋げて読むと、

「れいてたすんかかいだ」

(は? なんぞこれ……ぜんぜんわからん……)

 七つの文字の解読はいったん諦めて、その下にある英語の文章に目をやる。『Order of letters: far → near』。「手紙の注文」というのがネックだ。手紙とはこのメモ自体を指すんだろうか。でもこれは手紙なのか? だとしたらだれに宛てた手紙だ? それが七つの文字に隠されているのか?

「う、う、うぐああああ!」

 考えすぎで頭がパンクしそうになり、俺は思わず大声を上げた。すぐに図書室だということを思い出して口をつぐむ。あわててあたりを見回すと、いつもどおりだれもいなかった。

(くそっ、井原美夜め……!)

 へんな暗号残しやがって。それに「遊びですよ」だと? 「どうせひまでしょ」だと? ああどうせひまだよ。今日はコンビニのバイトもないし、家に帰ったってやることないし(宿題は別にして)、おまえの暗号解くくらいしかやることないんだよ!

(挑戦状、か……)

 井原美夜からたたきつけられた挑戦状。これを解読しない限り、彼女の心に根差した「諦め」の意味も、それと引き替えに彼女が望むものも、そしてこの俺自身の心に立ちこめる得体の知れない感情の正体も、計り知ることはできないだろう。

 なにか、なにか手がかりはないのか……? 「天文学部の井原美夜」から叩きつけられた挑戦状を解読する、手がかりは……?

(……天文学部?)

 俺はふと思い浮かんだことがあって、席を立った。「宇宙・天体」のジャンルコーナーまで行き、目的の本を一冊手に取る。そしてぱらぱらとページをめくる。天体についてそれほど詳しくないため一発で索引はできなかったが、しかし探していたページはわりとすぐに見つかった。

 星座天体図鑑。

 その「おおぐま座」のページ。

「……これだ」

 北天の星座「おおぐま座」を構成する七つの星——北斗七星。

 まちがいない。紙の上にならんでいる七つの文字は、無造作に散りばめられていたわけではなく、やはり意味があった。それらは北斗七星の形をして、はかなく瞬く彼女の気持ちを代弁しようとしているんだ。

「天文学部の井原美夜」からの挑戦状に、彼女はしっかりと手がかりを残していた。あれは本心だったのか?と自問する。「遊びですよ」と俺をからかった彼女の本心は、ほんとうはべつのところにあるんじゃないのか?

 下に書いてある英文に目を移す。ぜったいに意味があるはずだ。日本で「オーダー」というと、飲食店などでの注文をイメージすることが多い。でもおそらく違う。この『order』にほかの意味があるとしたら……。俺は図書室のべつの書棚からもう一冊の本を取り出す。英和辞典だ。『order』を辞書で引き、そこに書かれている意味を読んでいく。

「命令」「注文」「順番」——。

 順番。

 またページを繰る。辞書の紙の上には『letter』の意味する言葉がならんでいる。

「手紙」「書簡」「文字」——。

 文字。

 『Order of letters』——「文字の順番」。

 これだ、と思った。北斗七星の形にならんだ七つの文字、その意味を解読するキーワードがここにあるんだ。その文字の順番が『far → near』、つまり「遠い星から近い星」ということだ。ふたたび星座天体図鑑に目をやり、食い入るように読み込んだ。必要な情報を必死に探し出す。そして見つける。俺はあわててかばんをひっくり返し、不要なプリントを引っ張り出した。ペンをつかみ取って、メモに書いてある文字と図鑑に書いてある情報を書き出す。

「礼」、η(エータ)星アルカイド、101光年。

「テ」、ζ(ゼータ)星ミザール、78光年。

「タ」、ε(イプシロン)星アリオト、82光年。

「寸」、δ(デルタ)星メグレズ、80光年。

「か」、γ(ガンマ)星フェクダ、84光年。

「介」、β(ベータ)星メラク、79光年。

「だ」、α(アルファ)星ドゥーベ、124光年。

 まだだ。みっつの漢字「礼」「寸」「介」は漢字のまま使うのではなく、かなに直すんだ。それぞれひらがなの「れ」「す」、カタカナの「け」の元になった文字。つまりη星アルカイドは「れ」、δ星メグレズは「す」、β星メラクは「け」。文字をぜんぶひらがなに変換し、地球からの距離がもっとも遠い星、α星ドゥーベの「だ」から文字を順番にならべていく。

 すると炙り出される言葉。

「だ」「れ」「か」「た」「す」「け」「て」。

 ——だれか助けて。

 俺は椅子を蹴って立ち上がった。広げた図鑑やら辞典やらはそのままに、彼女の残したメモを握りしめて、かばんをひっつかんで図書室を後にした。階段を駆け下り、階下と向かう。途中、何人かの生徒に肩がぶつかり、教師に「廊下は走るな!」と怒鳴られながら、昇降口で下駄箱から靴を引っ張り出して床に叩き付けた。そしてまた走り出す。

 知らないままだったらどうなっていたんだろう、と思った。彼女の本心に触れてしまったいま、それに触れられないままの俺はどんなだっただろうと、想像することしかできない。この暗号が解けないままの俺、昨日あの路地で見かけた彼女を追いかけなかった俺、あの日の図書室で『天の光はすべて星』を手に取らなかった俺。でもそれらはぜんぶ「もしも」の話だ。俺はもう知ってしまった。井原美夜の心の叫びを聞いてしまったんだ。「遊びですよ」と俺をからかう、ぎこちない笑顔。その裏に秘められた彼女のほんとうの叫び声を、俺はこの全身、この五感で浴びてしまったんだ。もう立ち止まることはできなかった。

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