1−3
ある日の朝、いつもどおりに教室に入ると、なにやら騒がしい雰囲気だった。クラスメイトの寺本、戸島(としま)、長縄たちにになにごとか訊ねると、彼らは気だるげに答える。
「いまから臨時の全校集会だと」
「全校集会?」
「そ。だりーな、俺昨日ずっとゲームやってて三時間しか寝てないんだわ」
そう言ってあくびをする寺本に、もうひとりのクラスメイトが茶々を入れる。
「で、出たー! 寝てない自慢奴ぅー! ホントはゲームじゃなくてエッチなブルーレイ観てたんじゃないですか、寺本くん」
「ばっバカ、戸島、ちげえし」
「寺本ムッツリだもんなあ、そんでロリコンなもんだから救いようがない」
「関係ないだろそれ……ていうかロリコンじゃねえよ!」
「寺本……エッチなブルーレイじゃなくて、ちゃんとこの間のテストの結果と目の前の現実と自分の将来を見ような?」
「おいやめろ……マジなトーンで俺の心をえぐってくるのはやめろ……」
担任教師が教室に入ってくると、みんな会話をやめた。すぐに体育館に集まれという担任の指示に従って、俺たちは教室を後にする。
全校生徒が集まった体育館は朝の教室よりも騒然としていた。とつぜん全校生徒を集めることなんてめったにないので、生徒たちはいつもと違う雰囲気にやや興奮気味に話し合っていた。
全校集会は校長のあいさつからはじまった。まったくおもしろみのない内容とまるで魔術のように眠気を誘う話し方で、生徒たちはみな一様に退屈そうだったが、校長の話が進むにつれてしだいに表情が曇っていく。俺のやや後方に座っている寺本のほうを向くと、やつは眼を見開いてぶんぶん首を縦に振っている。なにを言いたいのかさっぱりわからなかったが、やつも今回の話の内容にただならない空気を察したと見える。
俺はふたたび前を向いて、へんな味のするつばを飲み込む。
長ったらしい校長の話を要約すると、こうだ。
この学校のなかに、援助交際をしている生徒がいる。大事にしないから、心当たりの生徒はあとで職員室に来なさい——。
全校集会が散開となったあとの体育館は、開会以前よりももっと騒然としていた。さらに興奮気味におなじ話題で盛り上がっている。だれがやってるんだ、とかだれか知らないか、とかあいつやってそうじゃね?とか……ゲスな詮索は底を尽きない。俺は心のざわつきを感じながら、教室までの道のりを歩いていた。
するととつぜん、寺本が「あのさ」と口を開く。
「俺……知ってるんだよね」
「なにが」
「援交、してるやつ」
寺本の言葉を聞いていた友人たちがいっせいに「マジで!?」「だれっ!?」と声を上げた。俺も思わず身を乗り出して寺本に歩み寄った。やつは基本バカだがいいやつなので、他学級他学年に知り合いが多い。野球部でも同学年のなかではキャプテンに近い存在で、三年生が不在のときは部を取り仕切ったりもしているらしい。意外と先輩や後輩からの人望は厚い。なので、俺たちの知らない情報を持っていることも多々あるのだ。いぶかしむ周囲の視線に低頭したあと、寺本が話を続けた。
「一年の女子」
「名前は?」
戸島がうわずった口調で訊ねる。寺本は「ぜったいにだれにも言うなよ?」と釘を刺し、その生徒の名前を言った。
「……イハラミヤ」
その名前を聞いて俺は目を伏せた。イハラミヤ。聞き覚えのある名前だ。頭のなかに端正な筆跡の文字が浮かび上がる。
井原美夜。
あのメモが挟まった『天の光はすべて星』を、俺の前に借りていた生徒。
「そいつ知ってる」長縄が寺本の言葉に繋ぐ。「けっこうかわいいらしいよ。むかし天文学部だった知り合いが言ってた。そいつ自身はもう部活やめちゃったけど」
「そのイハラって子、天文学部なん?」
「そ。でもあんま部活来なかったらしい。天文学部って美術部と部室近いんだけど、俺もいままで見たことねえし」
長縄の所属する美術部と天文学部は、おなじ校舎で階が違うだけらしい。その近さならこれまですれ違うことくらいありそうなものだが、長縄が見たことないというのならやはりあまり部活には来ていないのだろう。
「部活来ずになにやってんすかねえ」
「ナニやってるんでしょうねえ」
げらげら笑う戸島と長縄のかたわら、俺は寺本にふと訊いてみる。
「寺本」
「なんだよ」
「そのイハラさんってさ、一年一組?」
「クラスは憶えてねえな……てかなに、章、その子と知り合いなわけ?」
「いや、べつにそういうわけじゃ——」
マジかよマジかよ、とまわりの友人たちが騒ぎ立てる。すると寺本が「あ」と間の抜けた声を出した。それに気づいたひとりが、「どうした、寺本?」と訊ねると、寺本は黙って前方を指差す。
彼が指差した先にいるのは、俺たちとおなじ体育館から教室棟に戻って来ていた、一年生の集団。
「ひとりだけ、浮いてるやつ」
そのなかに、ひとりの女子の姿が見えた。衝撃的な事実が告げられて沸き立つ一年生の集団のなかで、だれにも話しかけず、だれからも話しかけられず、ただただ黙ってうつむきながら歩いている女子。真っ昼間の校舎のなかでまるでそこだけ太陽の光が当たっていないような漆黒の長い髪を揺らして、それと対照的に白い端正な顔が髪の隙間から垣間見える。桜色の唇は固く引き結ばれ、それが開かれるそぶりはない。
「あいつ、イハラミヤ」
マジかよめっちゃかわいいじゃん、でも根暗っぽくね、そこがいいんだろ、うわ寺本変態説確定、うるせえ、と騒ぎ立てる友人たち。俺はしばらくその場で立ち止まって一年の集団を見つめた。彼らはひとつの教室に吸い込まれていく。その教室に掛けてあるプレートを確認してから、俺はふたたび自分のクラスの列に合流する。
一年一組だった。
まるで星座の星と星を結ぶ見えない線のように、ふたつの事実は繋がった。
援助交際をしているという天文学部のイハラミヤと、『天の光はすべて星』に謎のメモを挟んだ一年一組の井原美夜は、同一人物だ。
じゃあ、あのメモはいったいどういう意味なんだ? 闇のような黒髪に隠した表情のなかで、彼女はなにを伝えようとしているんだ?
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