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突然だが俺は本が好きだ。
小さいときからよく本を読んでいた。ジャンルはあまり気にしない。SFだとか、時代小説だとかのフィクションはもちろん、自己啓発だとかハウツー本だとかいうものもかじった事がある。百科事典だって読んでるし、時刻表を一ページずつ最後まで読み切った(「読む」という表現が正しいのかはわかんないけど)のはずいぶん前のことだ。学校の図書館やこの街の市立図書館にある蔵書なら、あらかたのものは手に取っている自信がある。趣味は読書。特技は速読と、著名な小説家たちの生年月日と出身地を暗誦すること(だいたいはカバーの袖——外側の紙が折り曲がって内側に挟まれてる部分——に書いてある)。小さいときから本ばかり読んで育ってきた。
なぜ読書が好きかというと、一冊一冊を読み終わったときの達成感はなにものにも替えがたいからとか、頭がよく思われてまわりに褒められるからとか、まあそういうのは表向きの理由として。
貧乏だからだ。
ゲーム機なんてものは、宝くじで一発当てない限り高科家には買えない。
小さいころ——まだ小学校低学年だったか——どうしても友人たちの話題についていきたくてプレステを母さんにねだったことがある。母さんはしばらく渋ったが、駄々をこねる俺に根負けしたのか「じゃあサンタさんにお願いしなさい」と、親として鑑のようなもっともらしいことをのたまった。奇しくも世間はクリスマスだったのだ。俺は嬉々として学校の不要なプリントの裏にサンタさんあての手紙をしたためた。自分がふだんどれだけ「いい子」でいるのか、どれだけプレゼントをもらうに値する人間であるのか、そしてどれだけ不憫な境遇に置かれているのか……わくわくしながらその夜は寝た。朝起きてみると、枕元には一枚の紙があった。俺が前の晩に書いた紙とは違う、近所のスーパーの特売チラシだった。裏にはこう書いてあった。
「あきらくんへ
おてがみありがとう。ほんとうはプレゼントの『プレヌテ』をよういしたんだけれど、サンタさんはきゅうせいアルコールちゅうどくであきらくんのプレゼントをとどけることができなくなりました。ほんとうにごめんね。らい年とどけてあげるから、それまでいい子でいるんだよ。とくにお母さんのいうことはぜったいにきいてね。面倒くさ(ここは二重線で消してあった)わがままは言わないでね。やくそくだよ。なおこの誓約を反故にした場合貴殿の夕飯は一週間無しとする。
サンタさんより」
当時は「急性アルコール中毒」というものがなんなのかよくわからなかったし、「なおこの誓約を反故に」以降なんて小学生に意味がわかるわけがない。そのときの俺にわかったのは、サンタさんに頼んだプレステは高科家には届かなかったことと、こすっからい大人のやり口で自分はやり込められたんだということだけだった。ていうか「サンタさんより」って署名してある手紙届けられるくらいならプレステ届けろよ……そんなことを思うと、手紙に書かれていた「プレステ」の「ス」の字が「ヌ」になっていたのも、なんだか切ない気持ちになった。
まあ俺の幼少期の甘酸っぱい思い出なんてどうでもいいが、そんな境遇なので趣味の読書も自宅ではなく図書室でする。お小遣いで本を買うなんて到底できないから、学校の図書室や市立図書館の本を借りるのだ。すこし自分の自由なお金も増えて来た高校生がする遊びは、貧乏な俺にはできない。カラオケとか映画とか、友人たちの行くところに俺は行くことができない。なので自然と足は図書室へ向いた。小学校や中学校にはなかったすこし難しい本が、この高校の図書室にはあるのだ。そういう新しい本との出会いは、俺の精神にささやかな安定をもたらした。
その日も俺は図書室に赴いた。だいたい部活に行っているんだろう、図書室にはほとんど人がいなかった。かばんを適当なところの机に置いて、じっくりと好みの本探しに取りかかる。俺はこの時間のこの場所が好きだった。静かな時間だけが過ぎていく夕方、放課後の図書室。薄暗い知識の海の底にいるような気分で、図書室の棚のあいだを泳いでいく。
(今日の気分は、っと……)
いつも気分で読むものを決めるので、俺は脳内会議室で自分ミーティングを開いた。
『みんな、今日はなにが読みたい?』
『漢は黙って官能小説!』
『週刊誌の袋とじを開けるのはいまのうちやで。今週はあのアイドルのグラビアや、めんこいのう』
『やはり人間にはアートが必要である。中世ヨーロッパの絵画図鑑で芸術的センスを高めようぞ……きっと美しい裸婦画がたくさん』
『もう、まじめに考えようよっ!』
『漢は黙って官能小説!』
『うるせえ!』
ふと気がつくと、海外古典SFコーナーの前にいた。真っ先に目に入った本を手に取ってみる。長いことあまり触れられていなかったのか、このあたりの本にはうっすらとほこりがかぶっていた。あまり空気中に舞わないように、俺はゆっくりとその本を棚から引き抜いた。
フレドリック・ブラウン、『天の光はすべて星』。
そういえば、この作品は読んだことがなかったな。タイトルがすごくロマンチックだ、とは思っていたが、実際に手に取ったことがなかった本だ。いままで俺はたくさんの本を読んできたが、やはり作品の最初の印象を決めるのはタイトルだ。いくら中身がおもしろくても、タイトルが印象的じゃなければなかなか食指が動かない。そういう点でこの作品は興味深い。
どれどれ、肝心の中身はどんなもんだろう……とページをいくらかめくったとき、一枚の紙切れが手元からはらはらと舞い落ちた。
(……なんだ?)
落ちた紙を拾い上げる。かわいいイラストが書いてある、ちいさなメモ用紙だ。片面になにやら文字が書いてあった。
「礼」「テ」「タ」「寸」「か」「介」「だ」
七つの文字が紙の上にちりばめられるように書いてある。意味はぜんぜんわからないが、なにかの暗号みたいだ。そのメモの下のほうには、英語でこう記されている。
『Order of letters: far → near』
「手紙の注文……遠い、近い……?」
暗号だとしてもぜんぜんわからん。宇宙人からのメッセージだろうか? それにしても日本語も英語も不自由すぎる。どうせ地球に来るんだったらもっと現地語を勉強して来い未知の宇宙人野郎ども!
いつから挟んであったんだろう。そういえば、この本だけあまりほこりをかぶっていないように感じる。最近貸し出しがされたんだろうか。そう思って裏表紙の裏(「見返し」という部分らしい)についている過去の貸し出し者一覧を見てみる。すると、そこにはひとりの生徒の名前が載っていた。
一年一組、井原美夜。
おそらく女子なんだろう。読みは「イハラミヤ」だろうか。とても端正な文字で、まるで気合いを入れて名前を書いているような印象を受ける。ミミズがのたくるような俺の筆跡とは大違いだ。こんな綺麗な文字を書く子ならきっと心も清いんだろうな、と馬鹿みたいなことを考える。
この子がこの暗号を残したんだろうか? なんのために? そもそもどういう意味だ?
俺はなんだかこのメモと、そしてそれが挟んであったこの本、そしてそれを残したと思われる井原美夜なる生徒が気にかかって、とりあえず本の貸し出し申請をすることにした。そのあと、不思議な暗号のことを考えながらの帰途は、いつもよりあっという間に感じた。
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