40 エピローグ:3
「……曾御婆ちゃんは?」
五歳になる少女は母親の手を引いてそう尋ねた。何時も優しくしてくれてお菓子をくれる大好きな曾祖母。何だかよく分からないけど何時も新しいおもちゃをくれる曾祖父。その家に行くと聞いて少女はウキウキ気分だったのだ。初めて着る真っ黒い服もそれほど気にならない程に。だが着いて見れば曾祖父母のどちらの姿も無い。ただ滅多に会えない従兄弟やはとこ姿がありそれは嬉しかったのだが、大人たちの雰囲気に子供ながらに違和感を覚えた。
「曾御婆ちゃんと曾御爺ちゃんは……そうね、眠っているのよ」
「そうなの?」
外は雲のせいで薄暗いとはいえ既に昼過ぎだ。少女は何てお寝坊さんなんだと憤慨した。
「じゃあ私起こしてくる!」
そうすればお菓子を貰えるかもしれないと思ったのは内緒だ。だが母親はそれに困った顔をした。
「駄目よ。二人ともとっても疲れているのだから。ゆっくりと休ませてあげなさい」
「えーいつ起きるの?」
折角来たのにつまらないと少女は唇を尖らせる。まだ死と言う物を理解するには幼く、大人たちもどう説明すればいいのか分かっていない。それ故に曖昧な答えとなるのがお気に召さない様だった。
「そうね……貴女がおばあちゃんになったら……またお話しできるかもしれないわ」
はぐらかす様な答えに少女は相も変わらず不満そうな顔をしていたが、母親は誰かに呼ばれたらしく、そちらへ向かおうとする。その前に少女の背をそっと押した。
「ほら。あっちで親戚の皆と遊んでいなさい」
遠ざけられている、と言う事は少女にも分かった。その場では素直に返事をして、母親の視線が外れたと分かったら即座にあちこちで立ち話している大人たちの間をすり抜けるように歩く。その会話の意味は良く分からないが、耳には入ってくる。
「八十七歳ですもの――」
「大往生さ。そう言う意味じゃ悲しみは――」
「お昼を食べて、少し昼寝をすると言って――」
「爺さんも婆さんも仲が良かったから――」
「本当に、見ているこっちが赤面する位で――」
「お孫さんが見つけた時も、二人で手を繋いで――」
何だか皆深刻そうな顔をしていてつまらない。いつも遊んでくれる叔父も、今日は大人しくしていなさいと隅に追いやろうとして来る。つまらないとうろうろとしていた少女は気が付いたら迷っていた。
「……ここどこ?」
気が付いたら知らない場所だった。曾祖父母の家は結構広い。屋敷と言っても良い。子供の頭脳では自分がどこから来たのか分からなくなってしまった。だが少女は慌てない。迷路で迷った時は左の壁に沿って歩けばいいと知っているのだ。尚、それはスタート地点からやらないと意味が無い。意気揚々と冒険のつもりで歩いていた少女は、次第に人の気配がしない事で怖くなってくる。静まり返った廊下は何かが出てきそうだった。
「そういえば……」
ずっと前に母親から聞いた話を思い出す。この屋敷には曾祖父母が若い時に封じた魔獣が閉じ込められている。しかしその魔獣は悪い子を見つけると閉じ込めた部屋から飛び出して何もない真っ黒な部屋に閉じ込めてしまうという物だ。そんな物あるはずないと少女は言うが、本当は怖い。
「ちょっとだけこわいだけだもん」
そう言い訳しながら更に歩く。そこで少女は不安になった。自分は今母親の言いつけを破ってここにいる。それは悪い子、ではないだろうか。だからいきなり横の扉が開いた時には思い切り叫んだ。
「きゃああああああ!」
「うわっ!? 何だ!? って……お前何でこんなところにいるんだ」
出て来たのは――父親に少し似た雰囲気を持つ金髪の青年だった。びくびくしながら少女は問いかける。
「お、お兄さんは誰ですか?」
「俺? 俺は……まああれだ。お前と一緒。ここの親戚だよ」
こんな人いたっけ? と少女は思うが考えるよりも先に少女は差し出された青年の手に乗っている物に夢中になる。
「お菓子だ!」
「取り敢えずそれでも食べながらで良いからこっちきな。親戚連中の所に送ってやるから」
もぐもぐと口を動かしながら青年に手を引かれて歩く。妙に手が冷たいような気がした。屋敷のホールに辿り着くと母親が慌てた顔で駆け寄ってくる。
「もう、どこに行っていたの?」
「えっと……このお兄ちゃんと遊んでた!」
そう振り向いた少女だが。
「あれ?」
その青年の姿は何処にもなかった。
◆ ◆ ◆
「……いや焦った。まさかあんなところに誰か来るとは」
不思議そうにあたりをきょろきょろ見回している少女を見ながらカルロスは流れてもいない額の汗を拭う振りをする。大陸歴587年。彼の年齢は87歳になるが、今の見た目は二十代のそれである。そもそも、この集まりが何かと言えばこの屋敷に住んでいた老夫婦の葬儀――つまりはカルロスとクレアの葬儀である。その身体は棺に納められて屋敷の中にある。
庭園での別れから四年。クレアは錬金術による人体の複製に成功した。本来ならば老化しないそれを敢えて老化する不完全な物へと落しカルロスの身体としたのである。その為にネリンとブラッドネスエーテライトの接続を研究し、負担の最も少ない形で接続する事に成功したのである。そのお蔭で、カルロスはこの六十数年普通の人間と全く変わらない暮らしが出来た。子供にも恵まれ、人並の幸福を得る事が出来た。
そしてクレアがその天寿を全うした時に、カルロスも老いた肉体を放棄し、新たな肉体――クレアが最初に作った錬金術による人体へとブラッドネスエーテライトを移し替えた。接続を馴染ませる為に、屋敷の中でも誰も来ないような奥深くで眠っていたのだが、まさかそこに曾孫が来るとは予想外だった。
「……その姿を見るのは随分と久しぶりだ」
「驚いたな。グランツが来るなんて」
背後からかけられた声にカルロスは驚きながら振り向いた。そこには漆黒のマントに身を包んだグランツ・ウィブルカーンの姿がある。妻の座が空いたここぞとばかりにネリンが突撃して来ると思っていた。そんな事をされたらカルロスも流石にキレるが。
「ネリンの奴なら今はその時では無い……とか言って引き籠っている」
「さよか……」
「お前の今後の予定を聞いておきたくてな」
「せっかちだな」
「お前がこのまま終わりにするというのならば、輪廻の神権だけは回収しないといけないからな。だがそのつもりはなさそうだ」
こうして、自分を死んだ事にして自由に動けるようにしたのがその証拠だ。カルロスは頭を掻きながら答える。
「ちょっとここの所新大陸方面がきな臭いからな」
「確かにな」
「真神教もそうだし……新大陸に蔓延している加護ってのも気になる。ちょっと調べてみようかなって」
カルロスはクレアとの生活を優先していた。それでも漏れ聞こえてくる情報から海の向こうで発見された新大陸で不穏な動きが見える事が気になっていた。
「細君を無くした直後だ。無理をすることは無いぞ」
「舐めるな。俺とアイツはこれ以上ない形で終わりを迎えられた。そこに不満も後悔も無い」
完璧な幕引きだったと、カルロスは断言する。故に引き摺る様な物など何一つないと。
「では……行ってくれるのか」
「まあお前らこっちの大陸から離れられないしな。俺の勘だが、これは六十年前以上の大事になる気がする」
機人大戦。邪神が暗躍し、その封印さえも破られかけた神剣使いとしても大事件。それ以上になる予感がカルロスはしていた。
「邪神か」
「確証はないけどな……ここ何十年も動きが無いのが気になる。そんな諦め良くないだろあれ」
「確かにな」
「ま、今となっては自由な身だからな……子孫たちも大勢いるんだ。やれることはやって守らないと」
そう言い残してカルロスはふらりと歩き出す。
「取り敢えず港町の方向かな……新大陸の開拓団に潜り込むか、商家に潜り込むか……」
「気を付けろよ。俺も新大陸には嫌な予感がしている」
「任せろ。そっちは報告を待っていてくれ」
カルロスとクレアの物語はここで幕を閉じた。しかしカルロス・アルニカの旅はまだ終わらない。
「新大陸で独自に発展した魔導機士もあるっていうし、見るのが今から楽しみだ。研究の一線退いて二十年くらいたつしな……どれくらい進歩しているかなっと」
そして彼の人型兵器研究もまだまだ続いていく。
死霊術師の人型兵器研究日誌 梅上 @uptheplum
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