38 エピローグ:1

 爆発。

 

 窓ガラスを震わすその轟音にクレアは転寝していた意識が引き戻されるのを感じた。懐かしい夢を見た。もう十年も前の夢だ。

 

「……懐かしいわね。まだ皆が居た頃だわ」


 口元に小さな笑みを浮かべて、その思い出を懐かしむ。学院時代の友達と駆け抜けた日々。辛く厳しいときもあったが、それでも最終的には楽しさが勝る事になる。これまでの人生の中でも最も鮮烈で激動だった五年間。

 

「本当に懐かしいわね……ルドは元気にしているのかしら」


 あれ以来、クレアはイングヴァルドには会っていない。トーマスの魂である仮面を渡し、彼女は復興されたメルエスへと帰るとクレアに告げたのだ。

 

「妾は我が友の再臨に全力を注ぐ。長い、長い時を必要とする。故に、もう会う事もないであろう」


 と。具体的にイングヴァルドが何をするのか分からないが、何らかの方法があるのだと分かる。それを問いかけた時にはこうも言っていた。

 

「我が友は同胞となる。故に、摂理の破壊者はそれを望まないであろう」


 残念なことに、クレアの翻訳ノートでは訳しきれなかった。単純に意味を捉えるのならば、イングヴァルドはトーマスを龍族の同胞として迎えると言っていたのだろう。確かにそれはカルロスは望まないだろうなとクレアは納得した。それに、クレアはカルロスに会いたいのだ。龍族の感覚で長い時などクレアの寿命が持たないと思ったのだ。

 

「……今度手紙を出してみようかしら」


 今クレアが住まうのはハルス連合王国内にあるログニスの飛び地だ。元々は亡命政権の本拠地だった港町。ログニスの再独立後も、ここは自治区として存在を認められていた。嘗ての政治の中心は、今は学問の中心となっている。それはバランガ島と言う当時の最先端技術の研究施設があった事とは無関係ではないだろう。今もバランガ島は魔導機士に関する研究施設として活用されているが、その所属は変わった。ログニスとハルスの共同研究施設と言う形になっている。責任者はハーレイだ。彼を知る人間としては大丈夫なのかと常々不安になるが、非常に真面な妻を迎えた事でどうにかコントロールが可能になったらしい。妻強い。

 少しばかりメルエスとは距離があるが、手紙のやり取りくらいは可能だろう。大陸をまたにかける商会に成長したオスカー商会ならば、メルエスまでの販路も確保している。国民の大半を失ったメルエスは大戦前の様な独立を維持できていない。人的資源も物資も何もかもが足りない。それ故に、閉鎖的な国柄を改める必要があった。オスカー商会との取引もその一環だ。これまで秘密のベールの向こう側にいた長耳族由来の品と言うだけでオスカー商会は相当に荒稼ぎしているらしい。

 

「手紙と言えば……」


 ふと思い出したクレアは机の引き出しの中に積まれた封筒の一つを手に取る。差出人にはネリン・シュトラインの文字。ここしばらく同じ内容の手紙が何通も来ている。その内容としては人に会わせてほしいという物だ。クレアとしては彼女には多大な借りがある為、協力できる事ならいくらでもしたいのだが、この件だけは例外だ。会いたいと希望している相手も、ネリンには会いたがっている。それでもクレアの立場として合わせる訳には行かない。

 

「それ以外なら何でも協力するのだけれどもね……」


 クレアは溜息を一つ。

 大体今から七年程前になる。クレアはネリンを研究した。比喩でも何でもなく、文字通り裸に引ん剥いて隅々まで研究した。その全ては彼女の胸に埋め込まれたブラッドネスエーテライトと肉体の接続を探る為だ。多少その恵まれた体型についても調査はしたが、それもオマケだ。ネリンが解剖されないかと怯える程だったのは今となっては少しばかり悪い事をしたと反省している。

 だがその甲斐はあった。ネリンの捨て身の献身のお陰でクレアは更に一年をかけて己の望みを叶えたのだ。

 

 考え事に耽っていると、廊下の方から聞こえてくる小さな足音。落ち着きのないそれは走っているのが良く分かる。全くとクレアは口元が緩みそうになるのを自覚した。ノックも無く部屋の扉が開く。

 

 駆け込んできたのは五歳の女の子と、彼女に手を引かれて泣きわめいている三歳の男の子だ。二人とも良く似た面影があるので姉弟であるのは間違いないだろう。男の子の方は何かを伝えようと必死なのだが、涙と鼻水まみれの顔からは意味のある言葉が出てこない。代わりに姉らしき少女の方がその言葉を通訳する。


「抱っこーだって」

「あらあら」


 どうしたの、と言いながらクレアは柔らかな表情で男の子を抱き上げる。抱き締められ、背中を叩いて貰って漸く落ち着いてきたのか、意味のある言葉が出て来た。

 

「かみなり……」

「雷?」

「さっきどんって大きな音したよ」


 姉の方がそう言う。そう言えばこの子は大きな音にも余り怯えたりしたことが無いなとクレアはふと思った。肝が据わっている子であった。

 

「ああ。あれね。そっか。お昼寝してたけど起きちゃうくらいにびっくりしたかー」


 よしよしと男の子の頭を撫でながらクレアは納得した。幼子にはその辺りの区別はつかないだろう。この町中で爆発音がするのはクレアの記憶でも相当に久しぶりだ。嘗ては毎日の様に聞いていただけに、クレアは懐かしいとさえ思える。先ほどから昔を思い出している事も影響しているだろうが。

 

 過去を思い出に出来た。それがクレアにとっては何よりも嬉しい。六年前までは思い出に出来なかった。クレアの心はずっと過去に囚われていた。

 

「もうすぐお父さんも帰ってくるから、その前に顔洗っちゃいましょうね。ミル、ディーの顔洗ってあげて」

「分かった、ママ」


 ミルと呼ばれたクレアの娘が、弟のディーの手を引いて洗面所へと向かう。長女がしっかりとしてきたため、クレアも安心感がある。

 

「……そろそろ作っても良いかしら」


 などと呟きながら夕食の支度を始める。研究の一線からは退いたが、料理と言うのも中々に興味深いとクレアは思っている。始めた当初は炭と何かしか出来ていなかったが、最近では――そこそこにはなったと思っている。

 今日は何を食べて貰おうか。そんな事を考えられるのが幸福だった。

 

 夕食の準備を終えて、子供たちに手伝って貰いながら食器を並べる。そうしていると玄関の方で物音。耳ざとく聞きつけた二人の子供が先を争って玄関へと走っていく。クレアはエプロンで手を拭きながらその後を追った。

 

 両足にじゃれ付かれて相好を崩している夫を、クレアはとびっきりの笑顔で迎えた。

 

「お帰りなさい、カルロス」

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