37 別離

 たった二人だけになった庭園でクレアは声を殺して涙を流す。カルロスは取り出したハンカチで、唯一残った深紅の仮面をそっと包み込んだ。

 

「……元々、俺の死霊術は完璧じゃない」


 ぽつりとカルロスが呟く様に言った。

 

「生と死の狭間で俺は魂の本質を理解した。そこからブラッドネスエーテライトと言う魂の物質化の方法も得られた。だけどそれは結果だけだ。手順を知っているだけで、何故そうなるのかその理屈が分からない。だから、決まった事しか出来ない」


 あの時は無我夢中で試したら偶々上手く行ったというのが正しい。だからカルロスにはその手順を変える事が出来ない。例えどれだけ無駄が多い様に思えようとも、それぞれがどのように作用しているのか。カルロスには理解できていなかった。故に個々人への最適化も出来ない。

 

「俺とは違って、アイツらは死んだ瞬間で固定されている。もうそこから変化する事は無い。終着点だった。」

 

 カルロスは死を迎える瞬間、つまりはその直前で固定された。カルロスとの違いの差分を埋められない。まさか試行錯誤する訳にもいかない。そして得られた結果は。

 

「……五年。あいつらの活動可能時間はそれが限界だった」


 それは彼らのブラッドネスエーテライト自体の限界だ。それ以上は、人の魂の結晶体としての性質を保てずに変質してしまうとカルロスは語る。

 

「トーマスは……?」


 漸く声を出せるようになったクレアがかすれた声で問いかける。今もなお、ブラッドネスエーテライトの状態で残っている一人。彼だけは何故例外なのかとクレアは問う。カルロスは努めて感情を抑えた声で答えた。

 

「あいつだけは……まだ俺が辿り着いた時に息があった。後数秒で死に絶えていたのは間違いないけど、まだ生きていたんだ。だけど他の連中は……」


 それこそがこの八人で最大の違い。カルロスとトーマスには残り数秒とは言え、先があった。それは零とは大きく異なる。故に、二人はまだ先に進むことが出来た。思えば、ハルスで結婚するだの何だの、トーマスの行動は他の面々とは少し違っていた。その時は疑問に思う事は無かったが、その差異こそがカルロスの言葉を裏付ける。後少し早く辿り着ければ。カルロスの中にその悔いが蘇る。

 

「輪廻の神権を委ねられたのは正直幸運だった。あいつらの魂は、魔力に還って大陸に霧散する。本来の流れの中に帰って行けた。無かったら、俺はあいつらを消滅させなくちゃいけなかった。怪物になる前に」


 不完全なブラッドネスエーテライトがどのように変質するのかはカルロスにも分からない。確実なのはそれはもう人では無い何かであると言う事だけだ。そんな物に、戦友を成り下がらせるわけにはいかない。ケビン達と契約し、この世に留めると決めた時点でカルロスは何時か来る己の手で友を殺す未来を予感していた。それが杞憂に終わったのは僥倖としか言いようがない。

 

「私、ちゃんとお礼も言えなかったわ」

「言ったさ。友達だって。あいつらにとってはそれが何よりの礼だ」


 霧散していく瞬間の彼らの心情はカルロスに伝わってきた。遣り遂げられたと。五年前の後悔を清算できたと皆満足していた。

 

「こいつは、ルドの奴に渡してくれ。それから、皆の墓がエルロンドのテグス湖、その畔にある。何時か……もう少し人の居る場所に移してやってくれ」

「待って。待ちなさいカス。何でそんな事を私に言うの。それじゃあまるで――」


 遺言みたいではないかと。クレアは己の言葉を呑み込んだ。それを言葉にした瞬間、事実になってしまう事を恐れたかのように。そんなクレアにカルロスは淡い笑みを浮かべた。

 

「……すまん、約束は守れそうにない」

「なん、で……」

「少し無理をし過ぎた。肉体の維持が出来ない」


 邪神に囚われた際に、本来の肉体は失われた。今あるのは第三十二分隊と同じ、魔力で編んだ肉体だがそれも限界が近かった。五年間休みなく自分を酷使した結果だ。ブラッドネスエーテライトに影響はない。しかし肉体を失っては出来る事は殆どないだろう。融法の才が無いクレアにはその状態のカルロスと対話をすることはできない。事実上の死だ。

 

「待ってよ……何で皆私を置いていくのよ」


 再び溢れたクレアの涙。それは違うとカルロスは首を横に振る。

 

「置いて行ったんじゃない……俺達はもうずっと立ち止まっているんだ。でもクレアだけは前に進まないといけない」

「無理よ……私、本当は弱いのよ。一人じゃ歩けないのよ」

「知ってる。でも歩け。休んだって良い。それでも生きている以上は、未来を目指せ。例え、たった一人になったとしても足を止めるな」


 縋る様なクレアの言葉に、カルロスは厳しく突き放す。この先一人でも歩ける様に。

 

「俺はクレアを信じてる。一人でも歩き出せるって。ほら、立ち上がって」


 彼女の手を引き、カルロスはクレアを立ち上がらせる。レグルスに捕えられていた時とは違う。一人では無いという可能性に逃避する事も出来ない。弱弱しく揺れる視線は、ここから先たった一人で歩く事に怯えていた。頼りない立ち姿に、カルロスは思わず抱きしめたい衝動に駆られる。

 逆にクレアも心細さからカルロスに抱き着きたいと思った。だがそれを必死の理性で押し留める。泣いて縋って、それで引き留められるのならばクレアは恥も外聞も無くそうしただろう。だがそれが無意味だと頭では理解していた。ただ感情は追いつかない。それでも、それでもカルロスに不安を残してはいけないと必死で振るえる脚に喝を入れる。真っ直ぐに立てと。カルロスの視線に真っ向から答えろと己を奮い立たせる。そうしなければ、彼は安心できないのだから。

 

「馬鹿ね、カスは……何をそんなに心配しているのかしら」


 震える声で。クレアは何時もの様にカルロスへ言う。流れる涙だけはどうしようもなかった。それを見られまいとクレアはカルロスに背を向ける。

 

「一人でも歩け、ですって? 昔からずっとそうして来たわよ。カスがいなくたって、私は平気だわ」


 それは誰が見ても分かる強がり。当事者ですら誤魔化せていない類の物だ。それでもクレアは声を張り上げる。

 

「直ぐに迎えに行くんだから」

「ああ」

「どこかに行かないで待ってなさい」

「ああ」

「私は一人でも大丈夫。だから、だから……安心なさい」


 最後の言葉に返事は無かった。それでもクレアは答えを待って。陽が傾き始めた頃に振り向いた。

 そこにはもう誰もいない。深紅の仮面が一つ、転がっているだけだ。

 

「さよなら何て言わないわ。さよならになんて絶対にさせない」


 涙を手の甲で拭ってクレアは深紅の仮面を拾い上げる。イングヴァルドへと託された物と二つ。大事そうに抱え込んだ。

 

「絶対に、また会うんだから」

 

 そう言い残して歩き出した。行きは九人。帰りは一人。一歩踏み出すごとに涙が零れそうになるが、それでも前に進んだ。証明しなくてはいけない。カルロスの言葉が正しかったと。実現しなくてはいけない。己の言葉を嘘にしないために。

 

 クレアはただ一人、帰り道を歩き続ける。

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