15 果たされるべき約束

 作戦は決まった。後はもう駆け抜けるだけだ。

 

「あれは、この世界にあってはいけない遺物だ」


 チビロスはそう言った。邪神に取って、実際の所は人間などはどうでもいいのだ。それは滅ぼそうとする側も、管理しようとする側も関係が無い。彼らにとって価値ある物はたった一人。名も知らぬ、少女だけ。憎悪と恐怖に起因した願望。だがその根っこは価値ある誰かを奪っていった者達への物なのだ。

 

 だからこそ、許せない。遥か太古の意思が今を生きる人間の脚を引っ張っている。それはカルロスの矜持に反する物だ。だから滅ぼす。複合大神罪の中での邂逅はカルロスにそれを決意させるには十分な物だった。

 

「……ねえ」


 そんなチビロスを見て、クレアは不安になった。簡単に抱えられるその小さな身体を、抱き締める。そうしなければ消えてなくなってしまいそうだった。

 

「どこにも行かないわよね?」


 だからこそ、そんな言葉が飛び出してきたのだろう。今の彼は、どこか危うい儚さを感じさせる。まるで研ぎ澄まされた刃の様。相手を切り裂くのと同時に、自身も砕けてしまう一度きりの刃。そんな危惧を抱くクレアにチビロスは笑った。

 

「大丈夫だって。言われたこと忘れてないしな。俺は考え込みすぎると大概悪い方向に考えて悪い選択肢を選んでいるって自覚させられたから大丈夫だ」

「なら、良いのだけれども」

「俺の帰る場所はクレアの所だけだから絶対に戻ってくる」

「……ちょっと会わない間に随分と口が上手くなったわね。どこで勉強して来たのかしら」

「痛い! 痛い! 顔が真っ二つになる!」


 頬をつねる様に、チビロスの頭を摘まんでいたら割と本気の悲鳴が上がった。最初に見た時から気になっていた疑問をクレアはぶつけた。

 

「ところでその身体って何で出来ているのかしら」

「俺も分からん。何でこのサイズで動いてんだろう俺……」


 まさかの本人にすら不明と言う有様だった。それをクレアは少しばかり残念に思う。チビロスは模倣の大罪で作った偽物だと言っていたが、例え生殖能力が無かろうと魔法で作られた人工生命としては錬金術の常識を遥かに超えた能力だ。その片鱗でも見る事が出来れば自分の研究にも大いに役立つと思っていたので猶更だ。あの日、クレアが宣言した生者と同じ身体を作り出すという物は決して夢では終わらせないという決意があった。

 

「そう言えば、あの時私を攫った人も、第二皇子も死んだのよね……」

「そうだな……ああ、二人とももうこの世にはいない」


 レグルスに関してはまだしがみ付いているが、それも崖の下だ。這いあがる事は出来ない。クレアの、第三十二分隊の人生を狂わせた出来事。その元凶たる二人はもう死んだのだ。

 

「だったらアルバトロスとの戦争はどうなるのかしら。ログニスは……?」

「今、ラズル達が手薄になったアルバトロスからログニスを奪還しようとしている。そう遠くない内に、南側は取り返せるかもしれない」

「南部……ウィンバーニ領ね」

「やっぱり気になるか?」

「気にならないと言えば嘘になるわ。どう言い訳したところで、私はウィンバーニの人間としての責務を放棄しているのだから」


 そこでふと思いついたようにクレアは口元に笑みを浮かべた。

 

「ああ、でも。領主に返り咲くというのも面白いわね」

「ほへ!?」


 思いもよらなかった発言にチビロスが奇声を上げる。そんな反応を楽しむように、笑みを深めながらクレアは言葉を重ねた。

 

「考えてみれば公爵家当主の方が研究にも使える資金が増えるでしょうし、アリと言えばアリね」

「え、ちょ。ま」


 捨てられた子犬の様な目をしながらチビロスがあたふたする。クレアが公爵家に返り咲くとなると彼としては非常に困ったことになるのだ。具体的には爵位が。良くて男爵家。悪ければ父があんなことになっているのでお家取り潰しのアルニカ家である。クレアが良いと言っても周りがどう見るか。

 ただでさえ手のひらサイズのぬいぐるみめいた二頭身だ。そんな顔をしていると本気で捨てられそうなペットの様になっている。その予想通りの姿にクレアは笑いながらまた抱き締めた。これはぬいぐるみだから、という建前がクレアの愛情表現に歯止めを掛けない。

 

「大丈夫よ。もしもそうなったらカスは国家再興の立役者。そこにラズルと私の支持があれば爵位何て気にする人は居ないわ」


 何を悩んでいるのか、見透かしたような発言にチビロスは不貞腐れる。掌の上なのが少し面白くなかった。実際、今は掌の上である。物理的に。

 

「言ったでしょう? 私は寂しがり屋なんだから、一人にしないでって」

「くそお……からかいやがって」

「……領主云々は置いておくとしても、一度みんなをウィンバーニの本邸に招待したいわね。とても素敵な庭園があるのよ」

「へえ……」


 目の肥えているクレアが素敵なと形容する程だ。本当にそれは見事な物なのだろうとカルロスは夢想する。

 

「何時かの約束も果たしたいしね」

「約束?」

「ほら。地竜倒した後の」

「……? ああ! あのガランが大騒ぎしていたワイン!」


 卒業した時に素面で飲もうと約束した物。結局、その約束は果たされた無かった。彼らは皆学院を卒業する事は叶わなかったのだから。


「そうそう。あれはエルロンドの別邸のワインセラーの中だけど、本邸にはもっとすごそうなのも有ったはずよ」

「待って、俺の記憶だとあの時点で家が建つレベルだったと思うんだけど」


 来たるべき未来の話題。それは尽きる事は無い。絶望的な状況の中から好転し始めた状況。あと一歩。最後の壁を乗り越えれば、この何気ない会話も現実の物となる。

 

「他にも私やりたい事が山ほどあるわ。バランガ島での暮らしは悪い物じゃなかったけど……自由では無かったもの」

「ああ。そうだな……」


 あの頃と比べると、今のクレアの重要度は大きく下がってきている。新式の技術は拡散した。彼女の考案した新型魔導炉も、既に別の場所で技術が確立している。今の彼女は優秀な研究者。それ以上でも以下でもない。そして直接的に狙ってくるアルバトロスが大きく弱体化した今、その身の危険は嘗ての公爵家令嬢と言う肩書の時よりも低い。

 

「だからカルロス。頑張りましょう。きっと、楽しい事が沢山あるわ」


 そう微笑んだ彼女の表情を見て、チビロスはそれだけでここにいる価値があったと思えるのだった。

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