15 アウレシア戦線:4
オルクスからの助力が得られないのは残念だったが、元々降って沸いた様な話だったのでショックもそれほどは大きくなかった。
観察を続けようとするネリンとカルラを引っ張って機龍の整備場に戻ってくる。そこでクレアとグラムが難しい顔をしながら何事かを相談していた。
「参ったわね……」
「流石にこれはどうしようもないぞ」
「トラブル?」
そんな二人に近寄りながらトーマスがそう尋ねる。グラムが軽く肩を竦めながら答えた。
「まあトラブルと言えばトラブルだね。直ちに影響の有る物ではないが」
「なんとぉ! 液化エーテライトの精製速度が追いついていないのさ!」
何時の間にか背後に回り込んでいたテトラが大声でそう宣言する。突然の事にカルラが大きく肩を跳ね上げて驚いていた。大仰なリアクションを取ってしまった事に赤面して縮こまる。
「無駄に驚かさないでくれ」
「無理だね!」
「無理なのかよ!」
カルラに負けないくらい驚いていたトーマスが即答したテトラに思わず全力で突っ込んだ。その無駄にがやがやとした雰囲気は懐かしさを覚えさせるものだった。ここにはいない後二人が揃えばと思わずにはいられない。
「まあテトラの言った事が全てなのよね……この子大喰いだから」
ちらりとクレアが機龍を見上げる。魔導機士五十機分のエーテライトをわずか数時間で食らい尽くす大食漢である機龍。液化エーテライトは採掘された状態のエーテライト結晶と比べると多くの量を機体内に貯蔵できる。それはつまり言い換えると魔導機士一機当たりが一度に補給する量が増えたと言う事だ。その為、液化エーテライトの需要はどんどんと増えている。ハルスへの売り上げはログニスの貴重な収入源だ。
だが需要が高いと言う事は元々その精製量に余裕はない。そこにいきなり魔導機士五十機分を分けてくれと言ってもすぐに用意できる物では無かった。一度や二度の出撃なら何とかなるだろう。三回目には貯蓄を使い切ってエーテライトの精製が追いつかなくなる。そうなれば機龍もただの鉄塊だ。その戦闘力は発揮できない。
「いつもカルロスがやってるみたいになんかこうちゃちゃっとならないのか?」
「トーマス、言っておくのだけれども、あの変態を基準に考えないで頂戴」
仮にも夫となる相手に随分と辛辣な評価だったが、クレアの言葉に意義を唱える者はいない。共通認識であった。それよりも真正面から睨まれたトーマスが恐ろしさでガタガタ震えている。
「原理的に難しいのよ。精製速度を上げようとすると液化エーテライトを飛び越えて魔力にまで戻っちゃうから。現状いま直ぐに改善と言うのはまず無理ね」
「はい、すみませんでした……」
幾ら何でも怯え過ぎじゃないかしらとクレアはトーマスの態度に釈然としない物を感じながらも彼の謝罪に一つ頷く。
「そう言う訳だからトーマス。伝えておいて。機龍の全力戦闘は二回が限度だって。よそから補給が来れば別だけれども……」
液化エーテライトは扱いが難しい。その為精製施設もこのアウレシア要塞以外だとまだ二箇所しかない。そこから運び込むのにどれだけ時間がかかるか。二回の戦闘の前に届けばいいのだが不確定なそれを当てにする訳にもいかない。
「分かった」
トーマスもその言葉の意味を理解して緊張した表情で頷いた。つまりはそう遠くない内に、ハルスは決戦を仕掛ける。否、仕掛けないと勝てない。その争いの予感に身を震わせたのだった。
彼のその予感は正しかった。
機龍の継戦限界を知ると同時、ハルス軍は次の作戦を立案した。屍龍が蘇った以上、あれを放置して王都への救援は出せない。そしてそれは後方で控えているアルバトロス軍本隊にも同じことが言える。だが王都への救援も必要。ならばその全てをこなすしかない。
戦力の逐次投入。それは軍事に於いて最も避けるべき愚行である。しかしアウレシア要塞の指揮官は敢えてその愚を犯した。
アルバトロス軍と屍龍への対処部隊と、王都への救援部隊をまず分ける。王都への救援はその実時間稼ぎの意味合いが強い。屍龍もアルバトロス軍も全力を投入する必要のある敵だった。そしてそれらの対処を終えた部隊が即座に王都へと向かう。間違いなく消耗した軍での連戦。こんな作戦案を机上演習で出したらその瞬間に落第を免れないような最低の策だった。
だがそれを実現させるしか選択肢が無い。
地図の上に一本の線が引かれる。アウレシア要塞とイブリス平原の中間地点。そこは屍龍が逃げ込んだと目される場所。かつてドルザード要塞と呼ばれていた地を含む一帯。そこを決戦の地に定めた。
まずは傷付いた屍龍に機龍を以て止めを刺す。そしてその余勢でアルバトロス軍を撃破する。
言葉にするのは簡単だが実現するのは相当に難しい。だがアルバトロスと屍龍がまともな連携を取れない事を考えれば、ハルス側では機龍との連携が叶う。それは大きなアドバンテージだった。
機龍を中心とした陣形も即席ではあるが考案され、トーマスを経由してイングヴァルドにも伝えられる。イブリスーアウレシア戦線から帰還した部隊の整備と補給が完了し、最後に一日の休息が与えられ――ハルス軍は進軍を開始した。屍龍に奪われた地、ドルザード要塞を奪還し、この地からアルバトロスを追い出す為に。
◆ ◆ ◆
「やあやあ随分と手酷くやられた様だ」
どことなく楽しげな。それでいながら人としての温度を感じさせない冷酷な男の声が。地下空間に響く。そこは屍龍の寝床。傷付いた身体を癒す為に休息を取る為の空間だ。
必然無防備な姿を晒す事になる為、この空間に自分以外が立ち入る事を屍龍は許さない。だというのに、今の屍龍はその男を前に何もしようとはしていなかった。
「何処の誰かは知らないがいい仕事をしてくれた。龍族の肉体を下敷きとして生まれたこの精神体は強情でね……こちらの言う事を全く聞いてくれなかったのだが。今ならば別だ」
男の手が屍龍の龍鱗に触れる。屍龍が痙攣する。それだけで地下空間の空気が大きく揺らいだが男は小揺るぎもしない。誰に聞かせるわけでもない言葉が空しく響き渡る。
「これは敗北を刻まれた。精神を屈服させられた。一度折れた経験があるのならば、それを想起させてやればいい。そうして生まれた隙に介入するのなど……容易い事だ」
屍龍の中に何かが入り込んでいく。それは生まれて一年足らずの未成熟な精神を蹂躙し、圧し折って押し潰す。そうして、その精神を支配下に置いていく。
「実に簡単な事だ……これでようやく私の意のままに動いてくれるようになったな屍龍よ」
男は嗤う。その身の内に秘めた欲望を実現させる為に、今の状況を利用すべく。
「さて我が愚息はどう出るかな?」
その状況と言うのが、実の息子と敵対している物であっても然程気にしてはいなかった。この男、アルニカ家現当主。フィリウス・アルニカは。
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