24 帰ってきたトーマス

 研究所の一角が暗い。

 

 それは陽が届かないとか、ランプが足りないとかそう言う話では無く、場の空気の話。ただ一人。ただ一人がその場の空気を塗り潰している。空間の侵食とも言うべきその圧にカルロスは気圧される。

 救いを求めるようにカルロスは横を向く。ここまで共に来た――共に押し付けられたとも言う――グラムが励ます様に頷いた。行け、と視線で告げられたカルロスは意を決して口を開いた。

 

「あーそのなんだ……トーマス。元気出せって。な?」


 声を掛けられたトーマスは虚ろな瞳で壁に向かって膝を抱えて座り込んでいる。驚くべきことに、二日前からこの姿勢を保っている。

 つい先日まで結婚すると浮かれていたトーマスが何故ここまで憔悴し、絶望しているのか。それを説明するには先日ハルスで起きたとある出来事を説明する必要があった。


 端的に言うのならば――ハルスで大規模な結婚詐欺の集団が逮捕されたという物だ。

 

 説明は以上である。要するに、引っかかってしまっていたのだ。トーマスは。

 

 ケビン達に連れられてバランガ島を一週間と間を開けずに再訪したトーマスはもう人間なんて信じられないと呟いて以降この姿勢だ。流石に丸二日も飲み食いしないのは身体に悪い――という事も彼の場合は無いのだが、一般論として――という事で説得の大役をカルロスが任されたのだ。

 

 不器用な慰めにもトーマスは放っておいてくれ……と呟いたきり置物に戻ってしまった。

 

 それを見てカルロスはすごすごと引き下がる。

 

「俺には難しい」

「もっと頑張れカルロス!」

「なら次はお前行けよグラム!」


 二人して醜い押し付け合いを繰り広げる。友達甲斐の無い事に、ケビンとガランは再びの迷宮捜索に戻った。とは言え彼らもただカルロス達に押し付けて言った訳では無い。期日が決まっているために戻らない訳には行かないらしい。普段三人で行っている作業を二人で行うのだから危険も増す。今のトーマスを連れて行っても足手まといになるだろうからこちらに戻した彼らの判断は正しい。カルロスには無事を祈るしかない。

 

「ここにラズルから励ましに使える言葉を書かれた手紙があるが……」

「絶対読むなよ。悪影響以外見えない」


 女なんて星の数ほどいるだの、案の定碌な事が書いていなかった。トーマスの人格に影響を与えるような言葉はご遠慮ください。

 

「ならやはり、気晴らしになるような事を任せたらどうだい? ああしてじっとしているから余計に考え込んでしまう様に見える」

「そうだな……」

「何ならうちの開発部の手伝いと言うのはどうだい? あの二人の側に居れば暗い気持ちなんて吹き飛ばされるさ」

「お前、それトーマスを気遣うと見せかけて自分の負担減らしたいだけだろ……却下だ却下。今のトーマスじゃ逆に再起不能になる」

「チッ」


 グラムも黒くなった物だと変な感慨を覚える。もう少しトーマスが元気になったのならそれもアリかもしれないが、今の彼ではライラとテトラの冗談にも大ダメージを受けそうでとても預けられない。

 

「そうだな……フレームと駆動系の接続が完了したらしいからそっちで操縦系のデータ取りを手伝って貰うか」

「君だって自分の負担減らしたいだけじゃないか」

「俺の方には再起不能になるような要素は無いからな!」


 そんなこんなでトーマスに任せる仕事が決まった。後はどうやって彼を引っ張り出すかだが……これはカルロスに秘策があった。

 

「トーマス。俺の仕事を手伝ってくれないか?」

「……今はそんな気分じゃないんだ……」

「分かってる。だけどお前じゃないと駄目なんだ!」


 お前じゃないと、の辺りでトーマスの肩が揺れた。かかった、狩人の目をしたカルロスが畳み掛ける。

 

「どうしてもお前の力が必要なんだ!」

「俺の?」

「ああ。お前にしか頼めない! 他の誰かじゃ駄目なんだ!」


 四年間の付き合いは伊達では無い。卑怯だと分かっているが、トーマスは誰かから認められたがっている。今のカルロスの様に自分にしか出来ないと言われると割とあっさり乗せられてしまうのだ。

 

「……ったく、しょうがないな」


 カルロスの目論み通り、少しばかり元気の出た声でトーマスが立ち上がった。――幾らトーマスが認められたがりとは言っても、普段ならばここまで露骨な言葉で乗せられたりはしない。それが通ってしまったのはそれだけ弱っていたと言う事以上に、トーマスがカルロスなりに気遣ってくれているという事を強く感じていたからだ。それに応えるきっかけとして丁度いい物だった。

 

「それで、頼みたい仕事っていうのは何なんだ?」

「新型に乗って欲しいんだ……操縦系は従来型で」


 それを聞いたトーマスは背を向けて逃げ出した。

 

 地の利が圧倒的にカルロスにある追いかけっこは短時間で終了した。トーマスの腕を掴んで引き摺って行く。

 

「嫌だよ! お前死ぬ気でやらないと死ぬって言ってたじゃん!」

「お、元気が出てきたなトーマス。大丈夫だって。死ぬ気でやれば死なないから」

「そんな危険な物に乗りたくねえよ! っていうかお前力強いな!」


 全力で抵抗しているはずのトーマスが引き摺られていく。それはもう完全に人間離れしたカルロスの膂力による物だ。戦闘と言う技術が入ってくる物ではカルロスはやはり真ん中あたりをうろうろしている平凡な男だが、力比べなら勝てる人間族は片手の指で数えられる程度だろう。そこに入っていないトーマスは研究所の廊下に引き摺られた後を残しながら工房に連行される。

 

「くそっ。お前その気になれば言葉で説得しないでも引っ張り出せたんじゃないか」

「そこはほら、本人の意思が大事だから」

「今の俺、凄くやりたくないって言ってるんだけど」

「一度やると言った事は取り消せまセーン」


 トーマスとしては己の中にある危機感が急速に高まっているので一刻も早くこの場から逃げ出したいのだが、カルロスがそれを許さない。その予感に従って迷宮で命拾いした事は一度や二度では無い。今回も従いたくて仕方が無かった。

 

「別にこれで戦闘しろって訳じゃないんだよ。ちょっと歩いて欲しいだけなんだって」

「それくらいならまあ……」


 何とかなるか、とトーマスは請け負ってしまった。彼がその直感に従わなかったのはこれで二回目だ。一回目は本当に致命的な結果となった。やはり直感には従うべきであるとトーマスはこの後の経験から固く誓う事になる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る