12 郷愁
旧ログニス領中央と呼ばれる地域。旧王都ログニール、中継都市ロズルカと言う大都市が存在する地域であるが、実の所それほど人口は多くない。
北東を埋め尽くす様に広がる大森林。ミズハの森と呼ばれる地帯の存在が、人の居住を許さなかったのだ。龍族の遺骸の上に生じたとされる密林。魔獣だけでなく植生や通常の獣も巨大な兎に角スケールの大きな森である。
中継都市ロズルカはそんなミズハの森の西端を切り開き、北部との連絡をする為に造られた都市だった。
ログニスの統治時代にはミズハの森から出てくる魔獣を撃退するので手一杯だった。だが、量産型魔導機士が配備された今ならば潜む魔獣を撃退し、切り開くことが可能だと判断されていた。
そして、新種の魔獣の目撃情報を統合した結果、ミズハの森に侵入したと判断された。
紅の鷹団は旧王都ログニールで装備を整え、ミズハの森への侵入の機会を伺っていた……。
ログニールに到着したカルロスが真っ先に行ったのはとある一軒家を訪れる事だった。紅の鷹団から無断で離脱し、一人記憶を頼りに道を歩く。
そうして行き着いた先は――彼の義兄であるイーサの自宅だ。即ち、彼の姉であるミネルバのいる家である。
そこでカルロスの足は縫い付けられたように止まる。会ってどうするというのか。自分は既に死んだことになっている人間だ。生存を知られるわけには行かない。徹底して接触を避けるつもりであるなら、王都に来ることも避けた方が良かった。
カールとして名前を売り、カルロスの存在を隠すというのならば、こうしてここにいる事さえも危険だ。
やはり帰ろう。なるべくログニールにいる間は宿に籠っていようと身を翻した時、一軒家の扉が開いた。たったそれだけでカルロスの足はまた動かなくなる。どれだけ言い訳をしても、肉親に会いたいという思いを打ち消す事は出来なかった。
だが、そこから現れたのは姉とは似ても似つかない老婆だった。思わず駆け寄ってその老婆に尋ねる。
「あの……」
「ん? 何だい。見ない顔だね」
「ここに住んでいる知人に会いに来たのですが……ここはおばあさんの家ですか?」
無言で立ち去るべきなのに聞いてしまった。――アルニカ領にいる両親の安否は既に人伝であるが確かめた。縮小したが今もアルニカ家が治める土地がある事で無事なのだろうと判断がつく。だが義兄たちの情報は間接的な物から得る事が難しかった。
「ああ。あたしと爺さんの二人だよ。半年くらい前から住んでるね」
「前の人がどこに行ったとかは……」
「悪いけど知らないよ」
その回答はカルロスにとって安堵の材料だったのか。落胆の要因だったのか。その判断は付かない。ただ、己の手で肉親と決別するか否か。それを選ばなくて済んだ。それだけは確実だった。
「あ、姐御。戻ってきましたよ」
「カール。何やってんだい。ログニールに着くなり姿を消して……どうしたんだい」
紅の鷹団が確保した宿に戻ってきたカルロスを迎えたのはマリンカの怒声だ。だが叱責の言葉が途中で掻き消えた。代わりに出てきたのはカルロスを案じるマリンカの声だ。
「どうしたって、何が」
「気付いてないのかい?」
「だから何が」
要領の得ない会話にカルロスは若干苛立ってくる。マリンカが何を言いたいのかさっぱりわからない。
「新入り。鏡見てみろ。酷い面しているぞ」
「顔……?」
宿の入り口にあるガラスに己の顔を映してみる。自分ではよく分からなかった。
「そうかな」
「そうよ。今にもそんな泣きそうな顔されてちゃこっちも気になって仕方ない。夕食まで部屋で休んでな」
「……そうさせてもらうよ」
迷惑とまで言われてしまえば仕方ない。少し疲れを感じているのも事実だった。カルロスは言葉に甘えて自分に割り当てられた部屋に入る。旅装から普段着に着替え、部屋の隅に置かれたベッドの上で壁に背を預ける。抱えた膝に額を押し付けた。
ああ。なるほど。とカルロスは納得した。さっきは自分では分からなかったが――今酷く落ち込んでいるのだと。
「会いたい、な」
ぽつりと言葉が漏れた。分かれる直前は喧嘩ばかりだった両親に会いたい。結婚してから会う機会が無かった姉に会いたい。頼りになる義兄に会いたい。自然体でいられる友人たちに会いたい。一番愛おしい、クレアに会いたい。
だが願う相手とは会えない。大半は居場所が分からない。会いたくても会いに行けない。
この四年間の孤独と、一月弱の賑やかな生活はカルロスの心の中に郷愁を芽生えさせるのには十分だった。ログニスの空気が感じられる場所が良くない。意識していなかった故郷を偲ぶ心が首をもたげてくる。
悲しいのに。恋しいのに。切ないのに。
涙の一滴も溢れない事が何よりも辛かった。
そのままじっと壁を見つめる。窓から差し込む日差しが傾き、闇の帳に包まれてもそうしていた。その間幾度か部屋の扉をノックする音と、呼びかける声が聞こえてきたがその全てを無視した。今、下手に慰められたらそのまま縋ってしまいそうだった。
人の喧騒も消え去った真夜中。埃を落とそうと宿の中にある井戸へと向かう。その道中。営業時間を終えた宿屋の食堂でマリンカが一人佇んでいた。
「……何やってんだ団長」
「ん、起きたね」
軽く閉じていた目を開いて、マリンカは下手投げでカルロスに握り飯を放る。
「寝る前に腹の中に入れておきな。明日は早いよ」
「ああ……ありがとう」
別に空腹という訳では無かったが食べれないことも無い。一口齧る。妙に不恰好だった。
「あたしのお手製だ。有難く食べな」
「そりゃ有難いな。拝んでおこう」
そんな軽口を交わしながらカルロスは胃の中に握り飯を収める。その様子を眺めていたマリンカは満足げに頷いた。
「うん。昼間よりはマシな顔になったね」
「そんなに酷かったか?」
「今にも泣きそうな顔してたよ」
「そう、か……」
自分が泣きそうな顔と言うのはああいう顔なのかとカルロスは納得する。余り意識した事が無かったが他人の目からはそう見えるのだろう。
「話、聞いて欲しければ聞くけど」
「……いや、止めておく。ずるずると縋っちまいそうだし」
「別にそれでも構わないけどね……まあ早く休みな。さっきも言ったけど明日は早いよ。一日で準備を終えてミズハの森に入るからね」
「了解だ」
「カール。アンタの追跡術が鍵なんだから。寝不足で準備が足りませんでしたなんて言わせないよ」
「分かったよ。これ食って身体拭いたら寝るって」
「ああ。お休みカール」
「お休み。団長」
気の利く人だとカルロスは思う。好ましい人間性だと思う。
そんな相手を使い潰す。また一つ、決意が鈍るのを感じた。
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