23 夜警
「……随分と男前になったなカルロス」
「お蔭様でな」
頬にくっきりとした紅葉を付けたカルロスはケビンからのからかいの言葉に皮肉げな笑みで返した。
魔獣の活動が開始した事実を受けて、各隊は陣地に詰め始めた。まだ未完成の陣地は並行して建築し、防衛体制を整える事を優先とするという通達はカルロスの元にも来ていた。
そんな訳で今日からは陣地で野営だった。いつ来るか分からない。そしていつまで続くか分からない。そんな状況だったが意外と図太い人間が多いのか。皆用意してきたテントで眠りに就いている。
起きているのは初日の不寝番であるカルロスとケビンの二人だけだ。二人して焚火を囲みながら小声で会話をする。魔獣に気付かせないためと、寝ている人間への配慮で明かりは漏れないようになっている。揺らめく不安定な明かりが二人の表情に深い陰影を刻む。それでも分かるほどにカルロスの頬には紅葉が刻まれていた。
「ったく……クレアの奴思いっきり引っ叩きやがって」
半日前だというのに未だにひりひりしている。活法で治癒力を上昇させればあっという間に消える程度の物なのだが、同じ分隊の活法を使える人間――端的に言ってしまうとカルロス以外の全員だ――に拒否された。
「あいつら絶対面白がってるだろ……」
「無関心よりはよほどいいと思うがな」
「まあな」
カルロスたち第三十二分隊は隊員同士の仲が良い。それが極限状態の決断時に良い事かどうかはその時にならないと分からないが、少なくとも平時でそれが悪い事だとは思わない。連携面でも他の隊と比べても良い結果が出ている。
酷いところは会話も碌にないという。それに比べればはるかにマシだろう。
「コーヒー飲むか?」
「頂こう」
カルロスはケビンに淹れたばかりのコーヒーを手渡す。何時も通り、言ってしまえばクレア好みのコーヒー。それを一口口にして、ケビンは僅かに表情を動かした。
「カルロス。お前はコーヒーを淹れるのが下手だな」
「まあ自覚はある」
これを好んでいるクレアの方がおかしいだろう。
少し間を置いて、ケビンが口を開いた。
「災難だったな」
「引っ叩かれた事か?」
「その前だ」
中型魔獣に襲われた事を言っているのだと気が付いてカルロスは肩を竦めた。
「まあ……森の側を歩くには少し不用心だったよ」
「時期的に変態した魔獣が活動を始めるタイミングだというのに隊を分けた……俺の判断ミスだ。すまない」
「難しく考え過ぎだ。ケビンの判断が間違っていると思ったら俺もハーセンも反対すれば良かったんだ。まだ数日はあると思ってたしな。反対しなかった時点で俺たちはお前の判断を支持してたんだよ」
「そうか……」
薪が爆ぜた。適当に積み上げた薪から一本を取り出しカルロスは焚火の中に投げ込んだ。
「流石に肝が冷えたけどな……二度とやりたくない」
「ああ、二度とやらせないさ」
そこで会話が途絶えた。別段、無言でもカルロスは苦になるタイプではないのだが、不寝番となれば話は別だ。単純な眠気の問題がある。
適当な話題を捻りだそうとして思いついたことを良く考えずに口にした。
「ケビンは卒業したらどうするんだ?」
「それはもちろん領地に戻って父の後を継ぐ」
「ってお前は当然そうだよな……」
明らかに聞く相手を間違えたとカルロスは悔いる。クローネン男爵家の後継者としてその回答は分かりきっている事だった。
「そう言うカルロスは違うのか? 卒業したら領地を継ぐんだろう」
その問いかけにカルロスは言葉に詰まった。本来ならばそれが正しい姿だ。領地を継ぎ、発展させる。だが恐らくそうなると魔導機士の研究、と言うのは出来なくなる。カルロスとて領主となるのならば領の為に全てを捧げる。そのつもりだ。
だが。
「正直、迷っている」
迷っているのだ。本来ならば迷う事自体が領民への裏切りである。それでもカルロスは自分の心に嘘を付けない。
「領地を継がないといけないっていうのは分かってるんだが、な……」
嫌な言い方をすれば、今まで三男であり、予備の予備だったカルロスは後継者になる可能性は低かった。不運に見舞われて長男と次男が相次いで死亡するまで後継者となる事など考えられず、むしろ逆に自分一人で身を立てる事が求められていた。だからこそ、カルロスは魔導機士の復元と言う夢を抱いたのだ。夢が明確になるとほぼ同時に兄が居なくなったことでカルロスは後継者となった。
ケビンにとっては最初から後継者としての道しか用意されていなかった。
だがカルロスにとっては元々別の道があり、そこから強引に切り替えようとしている様な物なのだ。
「……再来年には俺たちも卒業だ。そうなったら早々会えなくなるな」
「そうだな……」
アルニカ領とクローネン領は遠い。領主ともなれば早々領を離れることも出来ないだろう。簡単には会えなくなる。
領から出なければ会うことも無かった者同士が会うというのもこの王立魔法学院の存在意義の一つと言えた。
再来年――四年次で卒業となるこの学院。後二年で皆とも別れる事になると気付かされてカルロスは物悲しい気持ちになる。
そして後二年しかないと気付かされて焦りが生まれる。
叶わぬ恋だと分かっている。それでも、もしかしたらと考えてしまうのだ。
もしも、魔導機士の製造方法を復興することが出来たら、それは途轍もない功績だ。その功績で本来ならば格の違う相手への求婚も出来るのではないか。そんな淡い期待。
幼い日の憧憬。魔獣被害を目の当たりにしてそれを防ぐための力を取り戻したいと思った誓い。それらは決して嘘ではない。嘘ではないが俗っぽい願いが混ざった事でカルロスは自分で自分の夢を汚してしまったような気がしてげんなりする。
「まあそうだとしても手紙のやり取りくらいは出来るだろうし、会うのも不可能って訳じゃない」
「ふっ……そうだな。何だったら俺たちの子供を結婚でもさせれば行き来する理由にもなる」
何時かは自分たちも領に戻れば後継者を――自分の子供を得る事になる。そんな遠い様で遠くない未来を語るケビンにカルロスは曖昧な返事を返すのだった。
「生まれるどころか相手もいないうちから婚約者を決められる俺たちの子供が不憫だな……」
「と言うかだ、カルロスの場合娘が生まれたら絶対に嫁に出さない気がするぞ」
否定しようとして、出来なかった。確かに大切な物は手元に置いておきたいタイプだ。そうごねる可能性は十二分にあった。
「まずい、生まれてもいない将来の娘が嫁ぎ遅れになってしまう」
そんな冗談にケビンが声を顰めながら笑った。カルロスも周りに響かないように気を遣いながら笑った。
気の置けない仲間とこうして笑える時間がまだ二年は残っている。
無謀な研究に費やせる時間がもう二年しか残っていない。
そのどちらも等しく感じながらカルロスは徐々に高くなる月が沈み、陽が昇るのを待つのだった。
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