22 遭遇戦闘
カルロスに中型魔獣との戦闘経験は無い。元々エルロンド近郊での出現事例がここ一月除けば無かったというのもある。
実家では後継者二人を一気に失ったことから可能な限り危険から遠ざけられていた。それはカルロスが家出同然でこの魔法学院に来るまで続いていた。
知識として複数人で囲んで狩るという事を知っているだけだ。
今の状況はそれには程遠いという事も理解していた。
二回目の奇跡的な回避の時点でカルロスは五分間回避に専念するというのは諦めた。どう考えてその前にグレイウルフの腹の中に収まる確率の方が高い。
ギリギリまで引きつけて地面から創り出した石の槍衾で串刺しにするのを狙ったが、グレイウルフは直前でそれを察知したように避けた。壁も今となっては飛び越えられている。援護の火炎球も毛皮に焦げ目をつける事も叶わない。
向こうは軽々と避けて、カルロスは決死のダイビングを行う様な状態。均衡と言えば均衡だが分が悪すぎる。
「こいつ魔力でも見えてんのかよ!」
どんな魔法を使っても回避されてしまう。元々の素早さも高いのは間違いないが、先読みしているとしか思えないタイミングで避けられている事がある。
射法の殆どは手元に発現した魔法を飛ばすのではなく、指定箇所に魔法を発現させることで実現させている。発動速度がそこそこレベルの学生では魔法の発動を意識してから実際に発動するまでタイムラグがある。
そしてカルロスの叫びは正しい。グレイウルフは、と言うよりも魔獣は魔力が見えている。そうである事に気付いている人間はまだいないのだが、確かに大気にある魔力とその状態を読み取っているのだった。だから魔法の予兆を掴んで回避することが出来る。
避けようと思えば避けられるだけの時間があるからといって本当に避けられるかと言うのはまた別の問題なのだが。
魔獣に人間の常識を当てはめてはいけないとカルロスは改めて思う。中型魔獣でさえこの質量。魔獣が飛び上がって着地するたびに地面が陥没する。体当たりでも掠めたら盛大に吹き飛ぶことは間違いない。
土煙を上げる事も考えたが、恐らくそれで相手を見失うのは自分だけだろうと思い至って諦めた。視覚以外にこちらを知覚する方法を持っている狼相手にそれは自殺行為だ。
カルロスは改めて、死霊術――と言うか、解法融法創法と言う組み合わせは戦闘に向いていないと確信した。
活法が無いので身体能力強化も出来ない。射法が無いので遠距離攻撃手段が無い。
錬金科に入れば良かったとカルロスは一年前の自分の決断を呪った。そんな余計な事を考えていたら危うくグレイウルフに噛み砕かれそうになった。咄嗟に突き出したのはここまで全く役に立っていなかった土の棒、『分解』の魔法剣となった物だ。
つっかえ棒の様に口の中に入れ込まれた魔法剣は噛み砕こうとしたグレイウルフの顎を貫く。縫いとめるように貫通した棒にグレイウルフはくぐもった叫びを上げる。
これはチャンスだとカルロスは追撃の姿勢に入る。地面から棒を創り出す暇は無いので掌に『分解』の魔法を纏わせる。このまま頭に手を突っ込めば勝ちだと思いながら近寄る。
致命的な判断ミスだった。
何故中型魔獣が複数人で討伐することが主流なのか。その意味を考えるべきだった。ほんの少し上手くいったからと言って調子に乗るべきでは無かった。
苦痛からか、それともきっちりと狙っていたのか。定かではないが言える事は一つ。
グレイウルフが振るった腕がカルロスの身体を捉えたという事だ。爪が触れなかったのは幸運だった。
盛大に吹き飛ばされるカルロス。地面を転がる中で自分の身体以外から何かが割れた音が聞こえた。苦痛に呻きながらもカルロスは再び魔力を精製して魔法を使おうとし――手ごたえが無い事に気が付いた。一瞬だけ向けた視線に飛び込んで来たのは大きくひしゃげて原型を留めていない魔導炉だった。
今の腕の一振りをまともに喰らってしまった結果、サイズに比した防御力しかない携帯型魔導炉は壊されてしまった。
そして今この場においてそれは致命的だ。魔力が無い。魔法が使えない。今、丸腰の状態で魔獣の前にいる。正確にはまだ身体に取り込んだ僅かな魔力が残っているが、ささやかな魔法一つで尽きる量だ。
行けないと思う暇も無い。手負いの獣は狂暴性が増す。それは魔獣とて例外ではない。自分の口を縫いとめた相手を血走った目で睨み付けてくる。
無駄だと分かってもカルロスは言わざるを得なかった。
「話し合おう」
交渉の余地は無かった。
グレイウルフが突進してくる。二歩で最高速度に乗るだろう。この打撲に痛む体で避けることが出来るかカルロスには分からなかった。が、避けれなければ待っているのは死だ。極限まで集中して、ギリギリで避ける。その後の事はその後で考えればいい。今生き延びる。それだけに集中する。
一歩。
二歩。
最高速度に達した三歩目。グレイウルフの姿が消えた。まだ上があったのかとカルロスは驚愕する。完全に見失ってしまった。こうなれば勘で避けるしかないと即座に決断。
「右だっ!」
決死のダイビング。正解ならば、カルロスは地面に迎えられるはずだった。だが帰ってきたのは柔らかな感触。どう判断しても生き物の触感だった。自分が突っ込んでいる相手を確認して、カルロスは己の命運が尽きている事を悟った。
「ねえ、カス……ギリギリの所で助けてあげた恩人をいきなり押し倒す恩知らずってどう思うかしら?」
「いやあ……きっと本人は自分が助けてもらったことに気付かず、まだ危機は継続中だと思っていたんじゃないでしょうかね……?」
極限の集中から解放された今なら分かる。グレイウルフが踏み込んだ三歩目。そこには地面が無かった。より正確には無くされた。今カルロスが押し倒している少女の手によって。
中型魔獣であるグレイウルフを丸々飲み込み、致死の深さの穴。そんな物を予兆すら無く一瞬で創り出せるような魔導師はこの学院には一人しかいない。
クレア・ウィンバーニ。今カルロスが押し倒し、何の偶然か胸を揉みしだいている少女の名である。意外とあるな、と考えていたのがバレたわけでもないだろうが、クレアからの最後通牒が来た。
「何か言い残すことはあるかしら、カス」
流石に今回ばかりはカルロスもカス呼ばわりを甘んじて受け入れるしかない。
無駄だと分かってもカルロスは言わざるを得なかった。
「話し合おう」
交渉の余地は無かった。
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