08 妄言
避ければ良かったとカルロスは後悔した。
学食の日替わりランチを食べている時に突然視界の端から飛んできた物が皿に入りそうになったので掴んでしまったのだ。
それが真っ白な手袋であると気付いたのは投げつけてきた相手が決闘を宣言してきた時だった。
「さあ、返答は如何に」
「ラズル・ノーランドだ」
誰だ、こいつは。そんな無言の疑問を察したのか。そっとケビンがカルロスにだけ聞こえる程度の小声で名前を教えた。その名を聞いてカルロスは表情を変えないようにすることに苦労した。
(よりにもよって公爵家か……)
ログニス王国にある二大公爵家。ウィンバーニとノーランド。その片割れの後継者の名前はカルロスも聞いていた。同年代にそんな相手がいる事を幸運と取るか、不運ととるか人によって判断が分かれるところではある。この瞬間までカルロスとしては幸運と取っていたのだが一目盛分ほど不運側に天秤が傾いた気がした。
ラズルと言う少年の評判は余り良くない。と言うよりも悪い。ノーランド家の長男として生を受けた彼だが、十二歳になった頃には後継者から外されていた。通常ありえない事である。確かに長子相続は原則となっている。だがその原則を覆してでも現ノーランド公爵は次男を後継者とした。
次男が近年まれに見る傑物だったのであろうか。否、優秀ではあるがそれは本来長子相続を覆す程ではない。
つまるところ、長男に後を継がせたらノーランド家が潰える。そう判断したのである。
何しろ父親の権威を笠にやりたい放題。問題を起こしても家名を守る為に父親がもみ消してくれる。噂では大の女好きで口封じの様に大金を渡されて泣く泣く口を噤んだ娘が数十人いる――と言われるほどだ。
その全てが真実ではないだろうとカルロスは思っている。噂話など話半分どころか十分の一程度に聞いておけば丁度いいというのが持論だ。思っているのだがこうして初めて見た非常に肉付きが良く真円に近い体型を見ると持論を曲げたくなる。
一つ下だったか。と半ば現実逃避しながらとりあえず匙を動かして口元に掬っていたランチのスープを運ぶ。冷めてしまってはもったいない。
面倒なことになったと舌打ちするのを堪える。露骨に不快さを表情に出してはこの半豚は嬉々として攻めたててくるだろう。決闘。面倒事の気配しかしない。去年も同じように絡まれたのだ。クレアにまとわりついているとかで。
「決闘、ですか。一体どのような理由で?」
「決まっている」
決まっているのか、とカルロスは内心で突っ込む。全くこちらが理解できていないのに決まっていると言い切れるのはどんな神経をしているのだろうかと疑問に思う。解法で見てみたい気もするが、この脂肪の塊に触れて果たして理解できるかどうか。
「貴様がかどわかしたクレア・ウィンバーニ嬢を返して貰おう」
「はっ。は……?」
かどわかした。その単語を理解するのに数秒必要とした。何と言う有り得ない事を言うのだろう。力づくでも、言葉でもクレアを連れ去る事など出来そうにない。
「彼女は本来余の物である。故に決闘などと言う手順を踏む必要も無いのだがな。婚約者に傷を付けた貴様に罰を与える必要がある。その為の決闘だ」
ウィンバーニ家令嬢とノーランド家令息の婚約。言い換えれば公爵家同士の婚約。その様な王家以外に多大な影響力を持つ勢力が生まれる様な婚約は流石に国が許可しないだろうとカルロスは突っ込む。口には出さない。
「よもや逃げるなどとは言うまいな?」
逃げるも何もクレアとはそんな関係じゃありません、等と言ってもこの豚人には通じないのだろうとカルロスは諦念を覚える。要は理由は何だっていいのだ。単純にお気に入りのクレアに近づいている虫が気にくわない。排除すれば自分の方を向いてくれる。そんな根拠も道理も何もない妄想に酔いしれている。
断ったとしても難癖付けてくるのは確実だろう。田舎の男爵家が公爵家に抗う事など出来ない。建前上は入学者は皆平等となっていてもそれを鵜呑みにする者などいはしない。
「場所は」
「中庭の修練場で良いだろう。夕方だ」
面倒な事をさっさと済ませられるのは有難い話だとカルロスは思う。そこくらいしか良かったことが見つからない。
「貴様が無様に泣きわめくのを楽しみにしているぞ」
そう言い残して腹を揺らしながらラズルは学食を立ち去って行く。昼食はすっかり冷めてしまっていた。
「大丈夫なのか?」
ケビンが表情を曇らせてそう問いかけてきた。気にしてくれるなんて良い奴だと思いながらカルロスは肩を竦める。
「まあ何とかなるだろう」
とりあえず、知らぬうちに景品にされたクレアに丸投げしようとカルロスは決めていた。
昼食を終えて、長い階段を登って研究室に向かうと既にクレアは己の席で本のページを捲っていた。カルロスが入ってきたことに気付いて短く一言。
「カス。コーヒー」
「はいはい」
何時も通り美味しくも無い微妙なコーヒーを淹れてクレアの前に置く。自分の分は今日は淹れなかった。
「遅かったわね」
「ちょっと絡まれてな……ラズル・ノーランドっていうやつに」
その名前を聞いた途端、クレアが嫌そうな顔をした。
「嫌な名前を聞いたわ」
「ストレートだな」
「だって気持ち悪い物あいつ。公式行事の時隣に立つのだけど背伸びして私の胸元覗いてくるのよ?」
「……それはキモいな」
つい、そう言われてクレアの胸元に視線を移してしまった。決して小さくない。公式行事という事はドレスだろう。身体のラインが出る物ならばさぞ見ごたえのある光景が広がっているとカルロスは思った。それからなるべく視線を向けないように気を付けようとも。
「それで? 何か嫌味でも言われたのかしら」
「決闘を申し込まれた。クレアを賭けて」
クレアの表情が凄まじい事になった。心の底から嫌そうな顔と言うのはこんな顔かとカルロスは心の中で頷く。
「何で?」
「何か婚約者だとか俺がかどかわしたとか」
「どっちも事実じゃないじゃない」
「だよなあ」
やはり婚約云々も妄言だったらしい。有り得ないとは思っていたがカルロスは安堵する。
「で、正直決闘の内容は兎も角、男爵家の我が家が公爵家ににらまれると困るから助けてくれ」
持つべき物は友人。そしてコネである。クレアはその二つを兼ね備えていた。
「まあ今回のは半分ほど私のせいみたいな物だからノーランド卿には一言伝えておきましょう」
「ありがとう」
「でも……殺したりすると少し大変だからなるべくやめて貰えるかしら」
「少しだけなのか……なるべくなのか」
そんな訳でカルロスにとっては何の得にもならない決闘が決定した。
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