地下室に華

まめつぶ

食事係の獣人と人間

 城の地下に、人間を捕らえたらしい。

 ここ3日くらい、そんな噂がそよそよと城の周りに流れていた。ここは獣人の国。人間の国とはつい数年前まで犬猿の仲で、同盟を結んだ今でもこの国に人間が来ることは滅多にない。また、人間に対する獣人側の感情もまだまだ良いとは言えなかった。

「人間が?なんのつもりでこんなところまで」

「まさか迷子という訳じゃあるまい。偵察にでも来たのかもしれんぞ」

そう街の獣人たちは戸惑い、疑うが、所詮噂でしかないものをわざわざ確かめようとするものはいなかった。


 噂の流れるその街の奥に、獣人たちの王の住む城はあった。つい3日前、大臣から内々に新しい仕事を任されていたのが、その城で働く犬の獣人だった。

「人間の、食事係……」

犬の獣人は地下に続く階段の前に立ち尽くしてため息を吐いた。得体のしれない人間ということで、扉を開けて中に入ることは許されていなかった。彼は下働きの獣人で、人間についての知識もなく、まして言語も違うために人間とは全く意思疎通ができず、この3日間困り果てていたのだった。

「元はと言えば王子が興味本位で拾ってきて、地下に突っ込んだんだろ。用がないのならさっさと解放すればいいのに……。でもおれがそんなこと言えるわけもないよなあ」

ぶつぶつと考えながら、階段を下りていく。

 人間のいる地下室の重たい木の扉の前に来る。扉の下の方には、また小さな扉が取り付けてあった。その小さい扉をそっと開け、持って来たお盆を突っ込んだ。

「結局、何を食べるんだろう」

とりあえず最初は肉食か草食かもわからないので、生肉と野菜を皿に入れてみた。すると、生肉は手をつけなかったようで、人間とは野菜を食べるらしいと分かった。それから野菜を続けざまに持っていったのだが、どうやら飽きたようで、残してしまうようになった。仮にも王子が拾ってきたもので、上から命じられた仕事のため、人間を餓死させるわけにもいかない。そこで、周囲の獣人たちの食べ物を観察して、料理したものの方がいいのかも、と犬の獣人はようやく思い至ったのだった。

「ご飯、ここに置いておくから」

扉の上部はガラスの窓になっていて、そこから部屋の中を覗くことができた。

「―――――」

人間が小さく何かを呟いている。

「……何言ってるんだろうなあ」

水は部屋の隅にある水道で何とかなるだろうし、トイレもベッドもある。見たところ疲れてはいそうだが、衰弱しているようには見えないので、ひとまず安心して地下室を後にした。今日持って来たのは、キャベツと人参の野菜炒めだった。


 それから犬の獣人は仲間の獣人を観察し、様々な料理を地下室に持っていった。この前の野菜炒めは完食されていて、空の皿を見て思わず微笑んでしまった。昨日は朝に焼き魚、夜に甘辛いたれをかけたサラダと肉の入ったスープを持っていった。どれも完食されており、人間は案外雑食なのだと理解できた。しかも、焼き魚は骨を丁寧に分けて食べていたようだった。大雑把なのか丁寧なのかわからない。

「今日はどうかな…」

今日持って来た皿に乗っていたのは、焼き魚と花だった。花の蜜を好む獣人がいたため、もしかしたら人間も、と考えたのだった。花の蜜を食べなかったときのために、昨日食べることを確かめた焼き魚も一緒に持ってきていた。

「――?」

差し入れた皿を見て、人間が首を傾げた。

「やっぱり花はいらなかったかな」

夕方来たときに一緒に下げればいいか、と魚を食べる人間を一瞥し、階段を上った。


 夕方、今度は焼いた肉と団子を持って来た。団子は中に芋をつぶした甘い餡が入っている。それを下から差し入れ、朝持って来た皿を下げる。

「あれ?」

皿には魚の骨しか乗っていなかった。花は、まさかそのまま食べたのだろうか。そう思って上の窓から覗く。

「―――――――」

人間が皿を見て何か言っていた。しかし、獣人の目は部屋の奥にあるベッドの脇を見ていた。

「花、飾って…?」

花瓶代わりだろうか。コップに水を入れて、その中に今朝持って来た花を挿していたのだ。人間は獣人を気にすることなく皿を持ってベッドに行き、ガジガジと肉を齧り始めた。

 いつもであれば、もう地下室を後にしているはずだったが、今日は人間の食べる様子でも観察しようとしばらく見つめていた。

「肉、大きすぎかなあ…」

人間の口は自分たちのように大きく開くようにはできていないらしい。手と口の周りをべとべとにしながら頬張っている。肉を食べ終わると、一度立って水道で手を洗って丁寧に拭いた後、今度は団子に目をやっていた。

「―――――――――」

相変わらず小さな声でもぞもぞとしゃべりながら、まず団子を半分に割って、匂いを嗅いでいる。

「―――」

どうやら食べられると思ったらしく、表情がほころぶ。もしゃもしゃと美味しそうに団子を味わう様子に、

「なんか…案外かわいらしいもんだな」

と不覚にも見入ってしまっていた。

 団子も食べ終わった人間は、ふう、と息をついてふと花を見る。

「……食べるのか?食後のデザート的な?」

不思議に思って見ていると、人間はその細長い指で花びらを優しく撫でたのだった。

「か、観賞用かよ……」

人間にとって、やはり花は食べるものではなかったらしい。いらなかったかな、とそこで観察は止めて階段をあがった。

「優しい目をしてたなあ」

花を愛でる人間の表情が、ぼんやりと瞼の裏に残っていた。


 人間の食べられるものを持っていくようになって、どのくらい経っただろう。肉は食べやすいように小さく切り分け、サラダのドレッシングもいろんな種類を試した。残さず食べつくされた皿を下げる度に、獣人はいつの間にか地下室へ食事を持っていくのが楽しみになっていた。それに、あんなに優しい目をするくらいだ。花が好きなのだろうと考えて、わざわざ城の花壇から失敬して毎日色鮮やかな花を持っていってやった。窓もないこんな地下室では鬱々としてしまうだろうから、この花が少しでも楽しみになれば、と。小さな薄紅色の花のついた木の枝を持っていったこともあり、そのときは一際喜んでいた様子だった。

「あれ、残ってる」

何週間か経ったある日、皿を交換しに来た獣人は首を傾げた。おそらく好評だと思われていた野菜炒めが、二口分ほど皿に残ったままだったのだ。

「飽きたのか?それとも嫌いな食材が入って……?」

それからというもの、皿に残る量は少しずつ増えていった。扉の窓から覗くと、人間はあまり元気がなさそうで、少し顔色も悪かった。どうも様子がおかしいと、上の者に頼んで医者に診てもらおうと思ったが、「人間など、死ぬのならそれまでだ」と言われてしまい、下っ端の単なる食事係にはどうにもできなかった。

「今日も残ってるな…」

相変わらず花だけは部屋に飾っているようだが、明らかに弱っている人間はベッドで静かに寝ていた。

「不味いのかな……栄養バランスが悪いのか……やっぱり人間のこと全然知らないおれなんかが食事の世話なんて……」

自分を責めながら階段を上がる日が何日も続いた。









 そうして、段々と衰弱していった人間は、地下室に入れられてから2ヶ月も経たずに死んでしまった。もちろん、それを見つけたのはあの食事係の獣人だった。ようやく入ることを許された部屋で人間をベッドに横たえ、今まで飾ってあった花をその爪で傷つけないように、痩せ細った体の周りに丁寧に並べた。

「こんなに……小さくて軽かったのか」

初めて触るその体に、驚きと後悔だけが胸に落ちる。

 人間についてもっと知識があれば。

 分かろうともしなかったおれのせいで。

 人間の小さな手を握り、ため息をつく。ふとベッド脇のくしゃくしゃになった紙が目に入った。

「なんだ……?」

どうやら、人間の文字で書かれたものらしい。犬の獣人にとっては虫ののたくったようにしか見えないが、人間が何を書き残したのかが気になった。


「文字?人間の?」

「そうなんだ。なにが書いてあるかわかるか?」

 知り合いの中でもよく勉強のできるものに、その紙を突きつけた。熊顔の獣人は、大きな手で注意深く紙を取り、まじまじと眺めた。

「……これは、手紙だろうな」

「手紙?誰かに当てたものなのか?」

そうらしいと熊顔が言う。彼はしばらくまた沈黙し、ところどころゆっくりと目で追っている。ざっと読み終わると、重々しくため息をついた。

「……お前も読んでみるといい。人間の言葉の辞書を貸してやる」

「えっ、お前が言ってくれればいいのに」

「まあこれも勉強だと思え」

結局内容がわからないままの紙きれと分厚く重たい辞書を犬の獣人が抱えると、頑張れよと言って熊顔は去って行った。

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