第21話 開かれている門。業魔巣くう門


 ぼやけた風景のなかで、昔のことを思い出していた。

 封神龍樹の下で、昔出会ったことのある女の子。


 彼女はおとなしい性格だった。俺がいつも彼女の手を引いて、外に連れ出した。

 秘境のお姫様とは誰だ? 決まってる。もう誰なのか、俺にはわかっている。


 それを邪魔するのは別の記憶だ。思い出さないほうがいい、と頭の中で響くのだ。


 期待するだけ無駄だ。お前は恵まれない子だ。

 どうせ裏切られるのなら、なにも期待せずに生きていこう。

 それが経験ってもんじゃないか?


 夢は暗転し、さらなる闇の中へ。


 俺がなにかを欲しいと願うとき、それは決まって現れる。


 ――業魔の門が開いている。


 待ち構えるかのように。いまかいまかと、俺を飲み込もうとしている。

 緑の炎で道が照らされていた。ゴブレットに灯る炎が、それを神聖にも悪魔的にも見せている。


 ぼんやりとそれを眺める。昔のことなんて、どうだっていいと、記憶が薄れ始める。

 今を見ればいいんだ、と考え、それに近づく。


 だがある程度進んだところで足は止まった。

 なぜ、だろう。


 それをくぐろうと思えばいつだってできた。だが、どうしようもなく怖い。

 くぐれば絶対的な力が手に入る。約束されている結果だ。なのに、なぜ俺はそうしない?


 最近の生活は安定してきていた。友人ができて。自分の力も着々とついてきていて。『今』はとても充実している。


 不安はあった。

 番人になれないかもしれない。

 番人様にいつか見捨てられてしまうかもしれない。

 友人も何もかも、失ってしまうかもしれない。


 それでも心に余裕を作ることができた。安定した生活のおかげで、のぼせあがる焦燥感から目を逸らすことができた。


 変わってしまうことが怖いのかもしれない。

 思えば、俺は理由を見つけては、いくつものことを怠ってきた。


 そもそも、業魔とはなんだ? この門はどういう意味で存在している?


 ――業魔は世界を救済する。最後に君臨し、永遠に世界を見守り続ける。


 おぼろげな知識と予感。俺はなにかを知っている。なのに、思い出せない。

 この空間はなんなのだろう。前もこんなことがあった。ここではまるで自分が自分ではないかのような存在に変容している気がする。その理由は、たぶん、業魔の門が近いからだ。


 門を開かなくても、近くにいるだけで影響を受ける。忌み子と呼ばれる存在は、例外なく能力が高い。


 俺はゆっくりと目を閉じる。なにかを知ろうとする。


 ――浮かんでくる、既視感に似た予想。


 運命というものがある。途中までは絶対的な線路が引かれている。だが、業魔ならそれだってねじまげることが可能だ。それが、業魔という存在なのだから。

 世界の理に支配されることがない、逆にそれを支配する存在。


 ……いいかげん向き合う頃合いなのかもしれない。調べようと思えばできるはずだ。

 確かに、難しいかもしれない。でも今だって、里からでて、外の世界に行って、この謎を解き明かすことはできる。そのはずなのだ。

 決して不可能ではない。子供だからと言い訳して、やらないだけで。


 封魔一族から生まれる業魔。人族からも、エルフからも、ドワーフからも生まれない。それが意味することは何だ? 封魔一族とは、いったい何者だ?


 ――業魔の門が開いている。


 じっと奥を覗き込む。そこには緑の綺麗な結晶があった。

 以前は見えなかった。だけど、今は見える。

 手を伸ばす。魅入られれるようにふらふらと近づいていく。


「やめろ」と言う声。

 仮面を被った、まるで死神のような姿。


「なんで? 俺はここから先にいかないといけないのに」

「そこになにがある? お前はなにもしらない。なにも、わかってない」

「わからないから進むんだ。全てを理解するために」


 振りほどく。


 焦ったように死神が言う。


「見捨てるぞ」

「……」

「お前を殺したくない。ずっと俺が育ててたのに、それでそんな結果になるのは嫌だ」


 どくん、と心臓が脈打つ音。


 ――見捨てられたくない。


 足元が崩壊していくような気分になる。

 俺のすべて。根底にあるもの。


「大丈夫だ、大丈夫だから……カルマ」


 俺の名を呼ぶ声。

 そこから愛情を感じて、少し落ち着く。

 良く知っている感覚だった。だが、それはおかしいのだ。


『彼』はここに入ることはできないはずだった。ここは俺だけの領域だ。業魔と向き合う、歪な魔が渦巻く危険な領域。

 何人たりとも存在が許されないはずだった。魂が耐えられるわけがない。なのに、なのに。


 狂おしいほどの恐怖がこみあげてくる。『彼』は俺じゃない。業魔を持たない者だ。

『彼』は世の中の理から外れていた。いくらなんでも普通ならばそんなことは、無理だ。まともじゃない。


 ――ならいったい、どんな代償を払っているのだろう?


 いつしか、言われた言葉がある。


 ――お前はひとりで戦わなくてはならない。誰も頼れない。本質的に、お前は孤独だ。俺は、手を貸してやれない。


 そうだ。俺の隣には、誰も並び立つことができない。

 わかっている。わかっているんだ。悲劇が確定的だってことぐらい。救いをいくら求めても、失うものが出てきてしまうって、俺は最初からわかっているんだ。


 ――業魔は、運命を予知する権化。


『彼』は消える。

 それが決められている運命だ。

 それが終わり、ようやく運命は動き始める。世界を救済するために。

『彼』がなにを背負っているのか、俺は何も知らない。



 ◇



 目が覚めたらもやもやしたものが胸に残っていた。それが気になって思い出そうとするが、思い出せない。

 なんだったっけか、と考えて答えを出す。


 たしか、今の生活が安定しているという話だ。それではだめなのだ。もっと自分を追い詰めないと、走り続けないと。


 問題なんて山ほどあった。

 向き合える山がひとつある。目を逸らしたい、心の傷を思い出す事柄。


 ――化け物を見るような、目。


 家族がいる。父と母と、ろくに喋ったことのない妹。幼すぎて大した話をしなかった。たしか、俺の三つ年下だ。彼女はどうしているのだろう? 自分の家から忌み子を排出して、困ったことになっていないだろうか?


 そんなこと、俺が考えたってどうにかできる問題でもない。でも、俺は知らなければならない。


 怠惰で知ることを放棄した、そんな意志の弱い存在でいちゃだめだ。向き合う余裕ができたなら、ちゃんと知ることにしよう。

 そう思って番人様に相談した。


「やめたほうがいいよ~」

「……なんで?」

「なんでってそりゃ、お前には無理だからさ」


 当然のようにそう言われる。

 それにショックを受けている自分がいた。


 今まで、俺は番人様に「できる」と言われても「できない」と言われたことはなかった。どんな無理難題でも、前例のない、そんなことでも番人様は本当にやり遂げられると信じて、俺にやらせていたのだ。『封魔一閃』を覚えされたのだってそうだ。あれは本来、第一次成長期中の子供が使える技じゃない。


「……」


 こんなことまで考えるのは考えすぎだろうか? だが、本来、こういう事柄に立ち向かう姿勢は番人様とって望む姿のはずだった。

『逃げるな、戦え』。

 ……よくそう言われたものだ。思えば、番人様は、俺の家族の問題について触れたことがほとんどない。

 強いて言うなら、「お前が番人になればそれも大丈夫だ」と言われたことがあるくらいだ。


 ……いや、考えすぎだ。

 番人様は、庇う理由がない俺をわざわざここまで育ててくれたんだ。

 こんなこと、思うだけでも間違ってる。


「どうしたの~、いまさらそんなこと」

「いや……その……」

「大丈夫だよ。いつか良くなるって~。こんなにもカルマは頑張ってるんだから~」

「……」


 やはり、変だ。努力すれば叶うなんて、番人様は一番否定していたのに。


 頑張ってるから両親とのこともいつか良くなるなんて、俺には思えない。番人様は、こんな希望的なことを、一度だって言ったことがなかったから。別に番人様のことを信じていないとか、逆らいたいわけじゃない。でも今までの習性は身に染みていて、そこからずれると一定の違和感を感じてしまう。


「なあ番人様」

「なんだい?」

「今行くべきだと思うんだよ。逃げずに、立ち向かわなきゃ。ずるずる引き伸ばしにするのは、ダメだと思う」


 両親との復縁と言っても、そのあとそこで過ごすことはしないだろう。忌み子である俺がまた関係を持てば、迷惑がかかることはわかってる。だからそう何度も会うことにはならない。ただ、少し話して、謝って……それで終わりだ。


 陰術には自信があるから、気を付ければ周囲にばれることはほぼないと言っていい。両親に会いたいというのは俺の気持ちでしかないが、迷惑はかからないはずだ。


「……」

「……父さんと母さんのことが今でも大好きだ。どうしても仲直りしたい。ダメかな?」


 番人様は微笑んだ。でも、それは少し歪んで見える。

 たぶん、番人様は、俺の選択が正しいとは思っていない。


「歓迎されると思うのか? いまお前がここにいるということは、お前の両親から引き取りたいという話がでていないということだ。そんな親のことなんて、見捨ててしまえばいい」


 ――苛烈な言葉。


 思わず怯む。ここまで番人様が言っている。番人様は俺の親に恩があるようだった。それが理由で俺を引き取ったのだと。

 でも、それは昔の話なのかもしれない。

 今はむしろ……嫌っているのではないか?


 昔のことを思い出す。

 俺に、優しくしてくれたこと。注がれた愛情を、今でも覚えている。


 彼らはバカ親と言ってもいいほど、俺を溺愛していた。なにをするにも過保護で、擦りむいただけでも本気で心配してくれた。封魔一族なら、その程度の傷、すぐに治るっていうのに。


 もう愛されていないのだろうか? 状況的にはそうなのだと脳は伝えている。しかし、なにか事情があるのではないか、と思わずにはいられないのだ。それほどまでに両親の愛情は深いものだったから。


「認めてくれよ、お願いだ」

「……やりたきゃやればいい」


 ぶっきらぼうな様子に、不安を覚える。

 見捨てられたような感覚。


 激しい迷いを感じる。頭の芯から酔っぱらうような、ふらふらになりそうな気分の悪さ。

 いろんなことを考えて、両親が俺を受け入れてくれないかもしれないということも考えた。だが、俺の思いの根幹にあるのは「きっと受け入れてくれるだろう」ということだ。


 俺がしたのは決して許されないことだ。だが、父さんと母さんなら、きっと許してくれる。盲目的なまでに、そう信じた。


「番人様、俺、どうしたらいいかな?」

「知るかよ、俺を頼るな」


 切り捨てるように、そう言った。

 いつもと違う雰囲気の番人様に動揺する。まるで、今の番人様は仮面を被っているときのように冷酷だ。


 番人様がこちらを見つめる。


「一度痛い目にあえばいい。そうすればなにもかもわかるさ」



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