第14話 弱さをみせてはならない


「カルマ、大丈夫か?」


 気を遣うように、ミーファ教官はそう言った。


「平気です」と俺は答える。


 ……平気ではない。思った以上に俺は警戒されていて、悪魔のようなやつだと簡単に思われて。


 今回は乗り切った。

 だが次はどうなるだろうか?


 だがそんな様子を表に出してはいけない。俺は番人になるのだ。ならば、弱い姿なんて、番人様にすら、見せてはならない。


 俺自身が強くあろうと願ったから。

 そうなりたいと思ったから。


「なーんでそんな顔してるんですか! 大丈夫大丈夫ですよ!」


 と明るく言って見せる。

 暗い俺なんて自分でも嫌いだから。


 意表をつかれた教官の表情。

 そしてその口元が緩まった。


「……ふ、そうだな。私がこんな辛気臭くなってちゃいけないな」


 ミーファ教官が笑う。

 そして懐から赤い果物を取り出した。


「食うか?」


 パキリ。甘くてジューシーな赤い果物。

 たしか、前も持っていた。

 なんでミーファ教官はいちいちパキリを持っているんだろう……。


「毎回持ってるんですか?」

「おいしいからな」


 おいしいなら仕方ないのかもしれない。


 一緒にパキリを食べる。パキリ! と心地よい音。

 昔は厳格だった教官の印象は、今はすっかりパキリのお姉さんだ。確かに、パキリはみんなに人気があるけれども、なんだかなあ。


 ミーファ教官も、パキリ! と音を立てて食べる。

 おお、少しうまくなってるな、なんて思ったら教官は自慢するような顔でこちらを見た。

 俗にいう、どや顔だ。


「二十点です」

「ずいぶん辛い評価だな!?」


 まだまだ余韻が足りない。

 俺は見本を見せるようにパキリを食べる。番人様もずいぶんパキリを食べるのがうまかった。

 ミーファ教官を見る。「なんだ? 私は評価しないぞ?」と言う声。

 少しだけ悔しそうなそぶりから俺のパキリの食べ方は完ぺきだったのだとわかった。

 どうでもいいことだがなんとなく満足感。


「コツでもあるのか?」

「思い切り齧るとうまくできますよ。なんていうか、封魔一族の歯は頑丈なんで心配せずにガ―といっちゃって下さい」

「ほう、なるほど」


 ためらいは一瞬で、がぶっとミーファ教官はパキリを齧った。

 パキリ! と心地よい音が響く。


「できた!」と嬉しそうにミーファ教官は言った。


「うーん七十点ですかね」

「ずいぶん点数が急上昇したな。これは百点を取る日は近そうだ」

「ぶっちゃけもう百点でいい気がしますけどね」


 点数とか、適当なことをいってるだけだし。

 でもこの適当さがいいのだ。そういうノリというか、ちょっとバカなことをやるこの時間が。


「こういうのって誰から教わったんだ?」

「番人様ですよ」

「さすがだなあ。微妙におちゃめな特技を持ってらっしゃる」

「番人様ですしね」

「あの方らしいといえばあの方らしい」

「一緒にいると楽しいんですよ。いろんな遊びを教えてくれるんです。ひとりでもできるようなやつとか」

「……そうか」

「……あ」


 言ってから気づく。ひとりとかどうとか、そういう言葉は失言だったかもしれない。

 俺は言いなおそうとして少し焦る。だが先に口を開いたのはミーファ教官だった。


「番人様といて、楽しいか?」

「……はい、楽しいです」

「いい師に恵まれたんだな。なんだかんだでお前は楽しそうに笑うことができる。感情が欠落していない、普通の封魔一族だ」


 うんうん、とミーファ教官は頷く。


「でも私にだって頼っていいからな? お前がいい奴なんだってことを、私は知っている。番人様はご多忙な時が多いだろうから、そういう時は私を頼りなさい」

「……はい」


 泣きそうになる。暖かな善意。

 番人様以外にも俺のことを想ってくれる人がいる。俺のことを忌み子ではなく、カルマとして見てくれている。


 気恥ずかしくなって鼻の下を掻きながら「ありがとうございます」と言う。

 ミーファ教官は微笑んでくれた。




 ◇




 封神龍樹の下で、番人様が待っていた。

 なんとなく、ここで待っているであろうことはわかっていた。

 俺は、里を取り仕切る議会の、特に『尊き長老』に警戒されている。他の奴らからもそうだ。

 番人様は俺になにか話したいことがあるはずだ。


「辛くないか?」と番人様は言った。


 後ろを向いていて、その表情は見えない。

 あの殺気に近い威圧感を思い出す。恐ろしい気だった。ほんとうに、ただものじゃないんだって、はっきりわかるほどに。


 ――こういう時に何と答えるべきか、俺はよくわかっている。


「平気に決まってるだろ? 実際、そうじゃなくったって弱音なんて吐いてられないよ」

「うん、それでこそのカルマだよ~」


 振り向く。柔らかな笑顔。

 おっとりとした間延びした口調。仮面をつけていない時の番人様は、本当に穏やかだ。変なテンションになるときだってあるけど。


「本当に?」と確かめるように番人様は問いかけてくる。

「もちろん」と俺は答えた。


 自分の弱い部分。縋ってしまいたい心情。吐き出したい不平不満。そういうものが、実際にはある。

 だがそんなことをしてどうなる? 俺は番人になりたいのだ。弱音は決して吐けない。なりたい自分は、そんな弱い存在じゃない。

 番人様が俺の目を覗き込む。それが少し、怖い。


 ――見透かされたら見捨てられるんじゃないかって、吐きそうなぐらいの恐怖心が襲う。


 でもそれだって俺の弱い心だ。

 負けるもんか、と番人様を見つめ返す。


 俺は、弱い存在なんかじゃない。


 ふっ、と緩められる目つき。優しげに、番人様は笑った。


「本当は怖いんだろ? こんな風に周りから見られてたってことが。……でも、それに抗おうとしてるな」

「……怖くなんか」

「ああ、それでいい。実際の気持ちなんて関係ない。お前が怖くなんかないって、願っていさえいればいいんだ。……俺にさえ弱みなんてみせちゃいけない。少しだけ助けてやることはできる。でも本質的なところはおまえひとりじゃないとだめだ」


 おまえはひとりぼっちで戦わなくちゃいけない、と番人様は言う。


「誰も頼れない。誰もお前を救っちゃくれない。祈って願いが叶うほど、世界は優しくないのなら、カルマ、お前は真に強くならなきゃいけない。そこに俺は必要ないんだ」


 その言葉に少し不吉な予感がした。

 未来予知に近い既視感。俺はなにかを、本当は知っているような気がしてならない。


「お前は業魔だ。世界を救う裁断者。お前は決して死ねない」


 ははは、と番人様は笑った。


 そして――。


「よく頑張ったねカルマくん~」


 俺よりも少し大きな手が、頭を撫でた。


「わ、なんだよ!」


 そこに先ほどのおかしな雰囲気はない。

 俺をねぎらう番人様が執拗に手を頭を伸ばした。


「俺はもう子供じゃないんだよ!」

「まあまあそんなこと言わずに~」

「大人なら譲歩して手を引っ込めて!」

「童心に帰ってるから無理だよ~」

「!!」


 こんな時に本気で技術を総動員して俺の頭を狙いにきやがる……!


 頑張って逃げ回ろうとするのだが回り込まれる。

 手が伸びてくる。叩き落とす。捕まる。


「負けるか!」

「あはは~」


 番人様が飛びついてくる。

 ごろごろと抱き合うような形になりながら転げまわった。


 少し湿った土のにおい。

 森にそよぐ風の音。


 もみくちゃになりながらも俺は笑っていた。番人様だってそうだ。


「なんでこんなところでしつこいんだー!」

「いじがあるからね~」


 抱えられるように後ろからがっちりと抱きしめられ、頭を撫でられる。

 もう逃げ場はなかった。


 俺は抵抗するのをやめた。なんだか恥ずかしいがまあいっか、という気になる。

 この封神龍樹の下にはどうせ誰も入ってこれない。

 ここには番人様と俺で二人きりだ。


 思わず吹き出す。俺たちはなにをやってるんだろう?


「あははは!」

「あはは~」


 番人様に抱きしめられながら、その暖かな体温を感じていた。

 柔らかなマントが俺を包む。

 嫌がらせに鼻水でもつけてやろうか、なんて考えたけど止めた。


 そういうふうに過ごして。

 番人様が近くにいて、俺は十分満たされていて、生きててよかった、なんて思って。

 でも――のぼせあがる焦燥感を抑えることができない。不必要なほどのその感情が、己の内で持て余される。


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